第2話 十年に一度
僕が予約して買った女装おじさんは黒髪の姫カットのウィッグをしていて、黒いワンピースドレスを着ていた。
どうせ写真詐欺だと思いつつも、このおじさんを購入したいと思って予約して、その姿を現すまで、おっかなびっくりだった。
「嘉代です、ご指名ありがとうございます」と、お辞儀して部屋の中に入ってきた時、「これはいける。まだいける。動画でもリアルでもいける」と安心した。
脱ぐとあばらの浮いた引き締まった体で、背は僕よりも少し高かった。
おじさんがおじさんを買う。そういう世界だった。
僕の体は胸板がなくおなかが膨らみ気味で、もうあと数年もたてば見苦しい中年おじさんだ。顔に小皺が増え、体全体が重力に負けて垂れてくる。しかし、この女装おじさんは違っていた。皮膚という皮膚を、努力によって曳き留めていた。走り込み、筋トレ、食事制限、脱毛。ニューハーフになるのではなく、男の娘であることを保つ懸命さが、あっさりと脱いだその裸からにじみでていた。
世間話もなく、「アナル開発コースありがとうございます。浣腸をするので脱いでいただいてもいいですか」と嘉代さんにあっさり言われた。こんなにも部屋が明るいのに脱ぐのか、前を隠すタオルもないのにと恥じらったが、先に進むにはそうするしかなくて、僕はとりあえずシャツを脱いで、上半身裸になった。
下半身は、昨日一時間ほど風呂に籠って剃毛してきたが、脱ぐのに若干躊躇した。こんな自分の身体を見られて、あとで笑われたりしないだろうか。恥じらいが収まらなかった。どうせなら、一年筋トレして、自分の一番の身体を見られたかった。そんなもの、今までなかったけれども。
おどおどしながら、部屋の隅のかごに下着を入れていく。
全裸になって、ベッドの上で四つん這いになる。
「洗浄してきました? ごめんなさいね。もしすでにしていても、念のため浣腸するけどいい?」
「かまいません。あの、僕、するの初めてなので……」と緊張した顔で答えた。
生まれて初めて尻の穴を男性にまじまじと見詰められる。「まっさらなんだ」と嘉代さんは感心していた。
僕のアナルは鉛筆一本すら入らない。開発をしない限り、閉じているものなのだ。僕の尻の穴を見て、「本当に経験ないんだ」と驚いていた。
「え、へへへ」と、僕は変な笑い声をあげてしまった。
ここにやってくる男性は開発済みの人が多いのだろう。僕は処女であることが貴重なことなのかどうか、聞こうとして止めた。
浣腸を挿し込まれてまもなく、直腸に冷たい感触が流れる。しばらくしたらすぐに効果が出てきたので、トイレへ駆け込む。浣腸をすると、瞬時にお腹が緩むとは聞いていたけれども、予想以上の早さだった。
しかし、僕はここに来る前、すでにとんでもないくらいの快便をしていた。実家で巨大な大便をした後、お尻を拭いても紙に何もつかないほどの、十年に一度あるかないかの脱糞だったので、浣腸をしてもほとんど浣腸内の透明な液体がチョロチョロとそのままの色味で出ていくばかりだった。よりによってこの日にあれほどの快便をするなんて、なんて準備のいい身体なんだと、我ながら思った。
ウォシュレットの強で徹底して掃除をして、トイレットペーパーを何十にも畳む形にして、丁寧にふき取る。紙に何もつかなくなったのを確認してトイレを出た。
「もう大丈夫なの?」と嘉代さんは言った。
「全部でました」
「うん、OK。それじゃ、お風呂場にどうぞ。狭いけどごめんね」
「あ、ありがとうございます」
「こちらにどうぞー」
ハスキーな声になっていた。地声に少し裏声が混ざっている。
やっぱり撮影を頼もうか。
移動しながら、再び考える。
――すみません、スマホで僕を撮っていただいていいですか。後で、自分の姿を見たいんです。
言えなかった。
自分のために尽くしてくれる女装おじさんと、それを受け入れて悦んでいる自分がうつった映像を残しておきたい。一生に一度かもしれない。これが本当の自分だから、こんな人間だからと、自分に向けて証明するために、必要としたい気持ちがあった。
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