第2話 娘の中身
暗闇には魔物が住んでいる。
ふとその言葉を思い出す。いくら待っても帰ってこない娘を迎えに行こうとバス停から家までの間の夜道を自転車に乗って進む。
電車で1時間とバス15分、徒歩10分の通学は娘にとって苦痛だったろうが、娘をおもうとより良い学校に行かせるためにはそこしかなかった。せっかく良い高校に進ませてやっているのに、どうしてあんたは。イライラをかき消せない私の表情。何も言わず項垂れるばかりの娘。何も知らない知ろうともしない主人。
声が聞こえた。誰かをよぶ声が。
暗闇には魔物が住んでいる。だから、呼ばれても振り向いてはいけない。
「おかあさん」と声がした。自分がさきほど通ってきた道だった。聞きなれた声に振り返ると娘がいた。どうしてあなたそこにいるの?いまおかあさんとすれ違いになった?という疑問は奇妙な娘の笑顔ですぐに辞めた。奇妙な、奇妙としか言いようのない笑顔。口角だけが吊上がっているが目はうつろであり、こちらを見透かしているような表情だった。
「あなただれ?」と思わず言葉に発してしまったとき、取り返しのつかない失敗をしたようなきがした。娘は奇妙な笑顔のまま「お母さん?」とぎちぎちと擬音が聞こえるようにゆっくりと首を傾ける。ぎちぎち。ぎちぎち。ぎちぎち。首が折れるような角度まで娘は首を傾け続ける。ぎち、ぎちぎち。「ア。おかあさん。ア。」
視点が定まらない瞳で私を見ることなく、私の娘の形をした生き物は私の娘の声を使って徐々に近づいてくる。私は動けない。私の娘が何になってしまったのか、私は理解できない。
私の娘だった。はずだ。かえってきた私の娘は得体のしれない何かになっていた。
どうして。私がきつくあたったせいか。そんなはずはない。定期考査の点が悪くなることを叱った。関心がそこにしかなかった。娘の成績が私のすべてだった。
娘の教育事情になんててんで興味のない主人と娘に関心を持ちすぎる私。家庭内のバランスが精神的に私を追い詰め、結果的に娘にも影響を与えていたのは頭では理解していた。だけれど、
「オカあサん。」
そういう娘の瞳はうつろだ。私に似た瞳、私に似た鼻筋、口や顔の形は主人似だが、雰囲気は私にそっくりの私の娘。私が生んだ娘。私の子供。おなかを痛めて生んだ私のたった一人の娘。私の半身。でもこれは娘ではない。違う。私の子供は違う。母を呼ぶ娘の声がする。娘の音を借りた何かが私を呼ぶ。
「オかア。さん。」
これは誰だ。違う。人ではない。これは、人ではない。何か別のもっと恐ろしいものだ。どうして。どうして、私の子供はどこにいるのだ。私の子供。私の可愛い娘。これは私の娘じゃない。違う。
「オかア。さん。ドうしタの。」
それがずるずるとなぜか足を引きづるように私に近づいている。
「おかあさん。おかアさン。オカあさン。どうしたの。どうしよう。テスト。振り返ってがいけない。振り向いタラダメ。オかアさん。先生。暗闇。点数。くろ。。黒黒黒闇」
とめどなく娘は意味不明な言葉を吐き続ける。おかあさん。おかあさんと。
それが泣いているような、苦しそうな気がした。どうしようもなくて。苦しくて。もう私の本当の娘の無事を祈るしかなかった。ごめんなさい。振り向いてしまった私はきっとどうにかなってしまう。いっしょくたにされてしまう。この娘の恰好をまねた何かに一緒くたにされてしまう。よぶ。私をよぶこえ。娘の音でよぶ。よんでる。声。音。違う。これは妄想でもなく。私の想像の産物でもない。振り向いてしまった。私は。
暗闇には魔物が住んでいる。
だから、これは思い込みではない。
魔物は叫ぶ息などひそめず
夜行 @waruko
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