第2話 幼少期

 今しがた、母の葬儀を終えました。早過ぎる死に悲しみを隠すことができません。よく働き、よく人を思う立派な母でした。慎ましい葬儀ではありましたが、素晴らしい式となりました。私の最後の務めを無事に終えることができて幸福に思います。母のいないこの世で私に生きる理由はございません。これからお話しますことは、とてもありふれた私と愛する母の思い出話でございます。退屈であることは十分承知ですが、どうぞ私の告白にお付き合い頂きたいと思います。

 私には父がいませんでした。物心ついた頃には既に母と二人で生活をしていましたが、何不自由なく暮らしていました。母と一緒に水を汲みにいき、野菜を育て、野原で遊びました。心ない隣人に片親だと侮蔑されることもありましたが、その度に母は私を抱き締めてくれました。母は私にたくさんの愛を注ぎ、育ててくれたと思います。母は私に様々なことを経験させてくれたのです。絵を描きたい、歌が習いたいと私は母に言うと、母は笑顔で色鉛筆を買い与え、歌の先生を探してくれました。大人になったからこそ当時の母の稼ぎを想像することができます。私はなんて我儘を言っていたのだろう。母はボロボロになった洋服を当て布を縫い合わせて着続けていました。私はまだ使える筆箱があるのに、友だちとお揃いにするために新しい筆箱を買ってもらいました。筆箱をもらった私が両手を挙げて大喜びする姿を見て母は笑っていました。筆箱を買わずに母の洋服を買うべきだったのだろうと、微かに湧いた罪悪感もその笑顔を見ると私は許された気持ちになるのです。私の喜びが母の喜びになるのだとそのときから分かり始めていました。

 母と私はまるで姉妹のような親子だとよく言われました。下らない話をして笑い合い、花の冠を作って贈り合いました。母はいつも白い、しかし着倒して黄ばんでいるシャツを着て当て布だらけのベージュの長いスカートを履いていました。髪の毛は簡単に一つ結びをしていました。お台所に立つ母が、私の冗談を聞いてくくくっと笑い、結ばれた細い髪の毛の束が左右に揺れます。私はそれを見るのが大好きでした。私も真似して白いシャツとベージュのスカートを好んで着ました。しかし、幼い私はすぐに白いシャツを汚してしまいます。スープや泥をつけて何度も母を困らせました。それでも母は私が母と同じ服装をすることを喜んでいるようでした。母が私のシャツを丁寧に洗っている様子は、何よりも美しく慈愛に満ちていました。その姿を見たくて私はシャツを意図的に汚すこともありました。当時、私と一緒に遊んだ友だちは私の調子に合わせて泥まみれになって、帰宅後に母親に怒られたと言っていましたっけ。母の白い手は私が汚した洋服を洗濯する度にあかぎれを起こしました。痛みを我慢しながら洗濯を続ける母の表情は私に甘美な気持ちにさせました。傷だらけになった母の手に私が包帯を巻きます。白く暖かい手が私のせいで傷が増えていくことに形容しがたい喜びを覚えました。ある日私は欲求に抗えず、力加減を間違えた振りをしてぎゅっと強く傷口を包帯で締めつけました。母はか細く高い声で「痛い!」と言いました。いつも笑顔の母の表情が歪むのを私は見逃しませんでした。その美しさと言ったら!包帯には血が滲んでいます。傷を酷くさせてしまったようです。それでも母は私のことを責めることなく、包帯を巻いてくれてありがとうと言いました。

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