ありのままの君が

UMI(うみ)

ありのままの君が

 女の子は可愛いものが好きだ。それなのに可愛いものが好きな男の子のことは好きではないらしい。気持ち悪い、理解出来ないって言うんだよね。僕にはそれがわからない。


 僕は可愛いものが大好きだ。それはもう子供の頃からで、誕生日にプラモデルをもらった時は両親には悪いが、がっかりしたものだ。僕はテディベアが欲しかったのに。アルバイトが出来るようになってから自分でテディベアを買えた時は本当に嬉しかった。ファンシーショップを巡るのが好きで色々小物を集めている。部屋はピンクと白で彩られていて、この部屋に居る時が一番落ち着く。クローゼットは通販で購入したファンシーな洋服で一杯だ。メイクをして愛らしい洋服を着る時が一番幸せを感じる。誤解しないで欲しいが、僕は女装趣味があるというより、可愛いもの好きが高じて装うようになっただけなのだ。

 自己紹介が遅れたけど、僕は山崎司(やまざきつかさ)という。ちゃんと女の子に興味のある思春期真っ盛りの高校二年生の普通の男子だ。


 学校での休み時間は苦痛だ。男子生徒の話題はもっぱらゲームや野球にサッカー、漫画やアニメ。僕としてはちっとも興味のない話だ。僕としては最近流行のコスメやファッションやスイーツの話がしたいのに。そんな話題で盛り上がっている女の子の話に加わりたいと思っても僕にはそんな勇気はないし、そもそも仲間に入れてくれはしないだろう。気持ち悪いって言われるのがオチだ。だから休み時間はもっぱら一人で過ごしている。寂しくないと言えば嘘になるけど、無理に興味のない話に付き合うよりはずっとマシだ。

「帰りにキルボンヌの新作スイーツ食べに行かない?」

「いいね!行こうよ」

「ツイッターで写真流れてきたけど、めちゃ可愛かった」

「それからあの雑貨屋に行こうよ。アクセ見たい」

 でもやっぱりそんな話声が聞こえてくると心底羨ましいと思う。


 家に帰り、僕は味も素っ気もない制服を脱ぐ。喪服みたいなブレザーから解放されると心の底からほっとするのだ。せめて女子生徒みたいにリボンが付いていればいいのに。それから部屋で最近買った花柄のワンピースを着る。胸元に凝った刺しゅうが施されている最近お気に入りの一品だ。春らしいデザインに一目ぼれして買ったものだ。服に合わせたメイクも施す。春らしいピンクのルージュを仕上げに唇に塗って、ウィッグを被ると鏡の中には別人が存在した。そこにいるのは野暮ったい男子高校生ではなく、十代の可愛らしい女の子だ。僕はその出来栄えに満足して、鏡の前で一回転した。レースのあしらわれた裾がふんわりと翻る。次の週末にはこの装いでキルボンヌの新作スイーツを食べに行こうと決めた。きっと素晴らしい週末になるに違いない。


 そんな些細な予定がとんでもない事態を引き起こすなんてその時の僕は勿論知る故もなかった。


 待ちに待った週末。僕はキルボンヌに行く前に雑貨店に寄った。手作りのアクセサリーを扱っているこの店は僕のお気に入りだ。

「いらっしゃいませ。月子ちゃん、新作のジュエリーが入っていますよ」

 月子というのは僕が女の子の格好をした時の偽名だ。僕はもう一つの本名だと思っている。

「ありがとう、見せてもらえますか?」

「はい!ちょっと待ってて下さいね」

 僕が男の子だとは全く気付かれていない。こうして堂々と大好きなアクセサリーを見れるのは何にも代えがたい幸せだ。こうやって昼間にお店に行けるようになるまでかなりの時間と勇気が必要だった。最初は夜中にこっそりとコンビニに行く程度だった。そこでバレないとわかってから徐々に行動範囲を広げていき、今ではこうして白昼の商店街を歩けるほどになったのだ。苦労は報われるのものだと僕はしみじみと実感する。

「凄い。可愛い!」

 おかげでこうして可愛いアクセサリーを手に取って選ぶことができる。

「お気に召しましたか?ピンクの天然石で春をイメージしているネックレスです。今人気の新進気鋭のデザイナーです。おまけにこれだけ贅沢に天然石を使ってこのお値段を凄いお得です」

「気に入りました。これお願いします」

 僕は一足早い春を手に入れてほくほく顔だった。ネックレスが包まれた紙袋をバックにしまうと、その足でキルボンヌに向かった。


 キルボンヌは女性客やカップルでごった返していて、三十分程待たされたがスマホで最新のコスメやファッションを調べていればあっという間だった。

「お待たせしました。こちらの席へどうぞ」

 ウェイトレスに案内されて席に着く。

「あの、新作をお願いしたいのですが」

「はい。早過ぎる春の訪れ嫌になっちゃうほどあまおう山盛りパフェですね」

 ネーミングセンスはどうかと思うが、ここのスイーツは抜群に美味しいのだ。

「はい。それとダージンリンをストレートで」

「かしこまりました」

 店内に置かれたファッション雑誌を捲りながら待っていると、程なくして文字通り山盛りのあまおうが乗せられたパフェが運ばれて来た。僕はそれを一口口に運んだ。

「んんん!」

 これぞ至福。可愛いファッションに身を包み、素敵なアクセサリーを買って、新作スイーツを味わう。これ以上の幸福があろうか、いや、ない。断言してもいい。絶対にない。だが僕のその幸せに水を差す言葉がかけられた。

「すみません、お客様。相席宜しいでしょうか?」

「あ、はい。どうぞ」

 本当は一人でこの幸せを噛みしめていたかったのだが、致し方ない。さすがに断るという選択肢はなかった。見れば店内は先ほどよりも込み合っている。僕が頷くと、軽いノリの声が聞こえて一人の女の子が目の前の椅子を引いた。

「すみません、ありがとうございまーす。あ、新作のパフェとブレンドお願いします」

(げっ!!!)

 僕は真っ青になり、思わず叫びそうになった。目の前に座った彼女はクラスメイトの山口明(やまぐちあきら)だった。名前は明だがれっきとした女の子だ。ばっさり切り落とされたショートカットの髪型、日焼け止めすらしているのか怪しいすっぴん顔。デニムにトレーナーという洒落っ気の欠片もない恰好。よく言えばボーイッシュ。悪く言えばダサい。僕の好みとは真逆の女の子だ。だが彼女は学校ではバスケットボール部のエースでスポーツ万能で有名だった。ちなみに男子よりも圧倒的に女子のファンが多い。そんな彼女がこの店に来るとは思ってもいなかった。

 まさか僕とはバレやしないだろうと思うが、思わず顔を伏せた。中身はちっとも頭の中に入ってこないが、雑誌に目を落とし機械的にパフェを口に運ぶ。折角楽しみにしていたスイーツなのにちっとも味がわからなくなってしまった。最高だったはずの週末がこの女のせいで台無しだと僕は山口を本気で呪って睨みつけた、勿論心の中でだけど。

 さっさと食べて店から出るしかない。僕はパフェを食べ終わると温くなったダージリンの入ったカップに手を伸ばした。山口の頼んだパフェが丁度運ばれて来た。その時だった。山口が僕のことを見ていることに気付いたのは。その証拠に山口はパフェに手を付けようとしない。いつから見ていたのだろうか。早く席を立たねばと思い、僕はダージンリンを一気に飲み干そうとした。

「あの、君は」

 思わずダージリンを山口の顔に吹きかけるところだった。間一髪僕はごくんとダージンリンを飲み込んだ。淹れ立てなら間違いなく火傷していたに違いない。

「ごほっ、ごほっ」

 それでも咽ることは回避出来ず、僕は咳き込んだ。

「あ、ごめん。誰かに似ているなあっと思って」

 ぺろっと悪びれずに山口は舌を出した。似ていると言われて僕の心臓はどきりと跳ね上がる。

「に、似ている人なんてよくいますしね……」

 僕がそう言った瞬間、山口の顔つきが変わった。もはやガン見とも言える目つきで僕をじっと見つめている。

「山崎君……?」

 僕の身体から冷や汗がぶわっと吹き出した。僕は慌ててぶんぶんと首を振った

「ひ、人違いです!」

 だが僕のその否定の叫びは敢え無く無に帰した。

「やっぱり、その声!山崎君じゃない」

 しまったと口元を抑える。幾ら装ってメイクをしても声ばかりはどうにもならない。

「ち、違います」

 それでも僕は足掻いた。文字通り最後の足掻きだった。

「でも、山崎君と同じところにほくろまであるし」

 言って山口は僕の泣きほくろを指差した。僕は逃れ得ぬ証拠突き付けられた犯罪者のように俯いて黙り込むしかなかった。

(終わった……)

 完全に終わったと思った。きっと明日には言いふらされて僕は晒しモノになることだろう。もはや僕の心は絶望の嵐が吹き荒れていた。

「それにしても化けるもんだねえ。一瞬誰かわからなかったよ。メイクと服でそんなに変わるんだあ」

 山口は僕の心境など知らずに能天気に感心したように言った。

「あの、その……」

 僕は無駄な努力だと知りながら、せめて口止めだけでもと恐る恐る口を開いた。

「あー、わかってるって。誰にも言わないでってことでしょ。趣味は人それぞれだし。私、口固いから大丈夫よ」

 どこまでその言葉を信じていいのかはわからなかったが、今は信用する他なかった。

「それにしても可愛いね。クラスの女の子が嫉妬しそうじゃん。おっと、アイスが溶けちゃう」

 山口はそう言って、ようやくスプーンを手に取った。『可愛い』それは嬉しい言葉のはずなのに、嘲笑われているようにしか感じられなかった。 


 次の日、僕は何が待ち受けているかと恐怖に打ち震えながら登校した。だが意外にも拍子抜けするくらい何事もなかった。クラスメイトからの対応はいつも通りだったし、自分の噂話を聞くこともなかった。意外や意外。山口はあの約束を守ってくれているらしい。まだ安心は出来ないがそれでも僕はほっとしたのだった。

 

 それから何事もなく数日が過ぎた。


 愛読しているファッション雑誌の発売日が来た。ブランドのポーチがおまけに付いてくることになっている。それもまた楽しみしていた理由の一つだ。勿論クラスメイトに会わないように学校から離れた郊外の本屋に向かう。本屋に入ると辺りを見渡して知り合いがいないか確認すると真っ直ぐファッション誌のコーナーへ。目当ての一冊を手に取ってレジへと向かった。

「あ、山崎君!」

 かけられた声に身体が凍り付いた。まるでギギギっと音が出そうな感じで首を回して見てみると、案の定山口がそこに立っていた。

「な、なんでここに……?」

 振り絞るようになんとか声を出す。

「私の家、ここの直ぐ近くなの」

 迂闊だったとしか言いようがない。つい、雑誌を手に取って無意識に浮かれていたようだ。彼女が側にいたことに気付かなかったなんて。

「ファッション雑誌?勉強熱心なんだね。私、そういうの興味なくて。なんか面倒臭いっていうかさ」

 僕の手の中の雑誌を覗き込みながら山口は言った。感心しているのか、馬鹿にされているのか判別出来ない。

「これから時間ある?近くに美味しいケーキのあるお店があるんだ」

 完全に弱みを握られている僕には拒否権などある訳もなかった。


 チェーン店ではなく昔ながらの個人経営の喫茶店に連れて来られた。店内はオーナーの趣味で集められたであろうアンティーク品が並び、クラシックが流れている。センスのいいお店だった。二人して席に着くと注文をする。彼女はガトーショコラ、僕は季節のタルトを頼んだ。ケーキと紅茶が運ばれて来てもしばらく無言が続いた。この上なく居心地の悪い沈黙だった。僕は山口に何を言われるか戦々恐々としていた。その沈黙を破ったのは勿論山口だった。

「ケーキ食べないの?美味しいよ」

「う、うん」

 僕はのろのろとフォークを手に取るとタルトを口に運んだ。美味しいのだろうか?当然のことながら味なんてわからない。

「今日は山崎君、可愛い恰好していないんだね」

「……学校帰りだから」

「あはは、そういえばそうだったね」

 けらけらと面白そうに山口は笑った」

「でもまさか女装が趣味なんてびっくり。そういう人がいるって聞いていたけど会ったのは初めてだよ」

 僕はなんとか山口に反論を試みた。

「山口さん、あの……僕は女装が趣味っていうんじゃなくて、気持ち悪いって思われるかもしれないけど、ただ可愛いものが好きなだけで。女の子向けのショップに行くのに、都合がいいっていうだけで、あの、その……」

 予想はしていたが、歯切れが悪く反論にすらなっていなかった。

「まあ、なんだっていいよ。私みたいな男女って呼ばれている奴もいるんだし。実際、男に間違われることなんてざらだしね。ファッションにもメイクにも興味ないんじゃ仕方ないけど」

 山口はそう言って豪快に大口を開けてケーキをぱくりと食べた。そしてこう言った。

「ありのままでいいんじゃない?」

山口のその言葉は僕の心を酷く騒めかせた。


 それ以来山口は僕にしょっちゅう声をかけてくるようになった。そして自然と一緒に帰るようにまでなっていた。彼女は部活動があるので時々ではあったが。そしていつの間にか普通に会話する程になってしまったのは、我ながら驚きだ。

「え?山口さん、基礎化粧品も使ってないの?」

「うん。だって、面倒臭いし。まだ若いからいいかなって」

 僕は大雑把すぎる彼女にかなり呆れた。

「若いころからのスキンケアが大事なんだよ。日焼け止めも塗らないと皺や染みの原因になるし」

「へえ、そうなんだ。知らなかったなあ。綺麗な人って人知れず努力しているんだね」

「そうだよ、生まれつきってだけじゃないんだ」

「全然、興味なかったから知らなかったよ。勉強になるなあ」

 僕はそんな山口のことを不思議に思った。

「友達とそういう話をしないの?ファッションとかメイクとか」

「うん?そういう話題に付いていけなくてさ。そのせいか誰も私にそんな話を振ってくることもなくなっちゃった」

 ぺろりと舌を出して、てへへと山口は笑う。あっけらかんと笑っていたが、それでも僕はどこかそれが寂しい笑みに見えた。

「山口さんは元がいいからメイクすれば凄い綺麗になると思うよ」

「いいの、いいの、私は。自分がお洒落するよりもお洒落な人を見ている方が好きだし」

「でも日焼け止めくらいは塗った方がいいよ」

「まあ、山崎君がそう言うなら善処しようかな」

 続けて言った。

「ねえ、それよりもまた山崎君の可愛い姿見せてよ」

「え!?」

「さっきも言ったでしょ。私見る方が好きって。それでまた週末に甘いモノでも食べに行こうよ。お洒落には興味ないけどスイーツは好きなんだ」

 軽く親指を立てた山口に、僕は自分でも馬鹿みたいだが、頷いてしまったのだった。


 次の週末に僕は若干の、いやかなりの不安を覚えながら女の子の格好をして待ち合わせ場所である金時計の前に向かった。言うまでもなくこの姿で誰かと出かけるのは初めてのことだ。せめて少し落ち着いた装いにしようと思い、スカート部分に軽くラメの入った黒のワンピースを選んだ。アクセントにミルクガラスで作られたデイジーのネックレス。メイクも控えめにしてルージュは淡いピンクにした。

 何となく無意識に下を向きながら金時計へと目を向けると、山口は二人の女の子と話しをしていた。彼女の友人だろうか。見たことのない顔だったのでクラスメイトではなさそうだ。僕は不必要なトラブルを防ぐために離れた場所からその様子を眺めていた。しばらくすると二人の女の子は離れていった。

 僕はそれを確認するとそろそろと近寄った。山口もそれに気付いてこっちを見るとにかっと笑って手を振ってきた。

「ご、ごめん。待った?」

「ううん。今来たとこ。それよりも参ったよ。ナンパされてさ」

「ナンパ?」

「さっき、女子二人に囲まれて。私を男と間違えてさあ」

 やれやれと山口は肩を竦めた。

「ま、いつものことだけど」

 山口の格好はデニムにスニーカー、それに少し大きめのグレーのパーカーを羽織っている。スポーティーな彼女は見る人から見れば顔立ちの整った男の子に見えてもおかしくない。

「ふふ、面白いね。山崎君が可愛い女の子に見えて私が男に見えるんだから」

 本当に面白がっている口調で山口は言った。


 山口が連れて行ってくれた店はアップルパイが絶品だと評判のところだった。

「私が女の子らしいところと言えば甘いものが好きだってくらいだよ」

 大きめのアップルパイをぱくぱく食べながら山口は言った。

「でも一人で来ると変な目で店員さんに見られたりするんだ。さっきみたいに男と間違われているみたい」

 僕はなんと言っていいのかわからずに口籠った。お世辞にも山口は女の子らしいとは言えないし、男でもスイーツが好きなのは変じゃないと言ったらもっと失礼だろう。

「でも今日は山崎君のおかげで堂々と店に入れたよ」

 アップルパイを食べ終わった山口はフォークを置いて紅茶を啜った。

「ところでまだまだ時間があるけど、これからどうする?」

「え、えーと」

 何も考えていなかったことに今更ながら気付いた。

「山崎君のお気に入りのお店とかに行ってみたいなあ」

「えと、それは……でも」

 あるにはある。フランスで直接買い付けたジュエリーを扱っている店だ。万単位する商品ばかりなので滅多に手を出せないが、見ているだけで幸せな気持ちにさせてくれる店だった。

「山口さんには興味ないかもしれないし……」

「いいの、いいの。山崎君に興味があるんだから。それでいいの」

 僕に興味があるというのはどういう意味だろうか。引っかかるものを感じたが、それでも山口の押しの強さに負けて僕は店に案内することになった。


 店に入ると馴染みの店員さんが声をかけてきた。

「あら、今日は彼氏と一緒なの?ハンサムね」

 慌てて違いますと言い返す前に山口が笑って言った。

「はい、彼氏でーす」

 思わず山口の顔を見ると山口は軽くウィンクした。

「どんなのが好きなの?」

「ええと、ここはどれも素敵なんだけど。最近探しているのは指輪かな」

「ふうん」

 僕は指輪が陳列されている棚に近寄って物色を始めた。目についた指輪を手に取って眺める。スワロフスキーのビジューが輝く指輪だった。

「嵌めてみたら」

「うん、うん」

 山口に促されて左手の薬指に付けてみる。ぴったりだった。

「ぴったりじゃん、それ買ったら?」

「でも、ちょっと予算オーバーかな」

 値札を見ると八千円と書いてある。今は五千円しか財布にはない。バイト代も入るのはかなり先だ。それでも未練がましく指に嵌った指輪を見つめる僕に山口は思いもかけない言葉をかけてきた。

「買ってあげるよ」

「え!?」

 拒否する間もなく山口は店員を呼んだ。

「すみませーん、これ下さい」

「いや、いいよ。悪いし!」

 だが山口は愉快そうに言った。

「いいの、いいの。だって今日私は山崎君の彼氏なんだから」

 完全に当事者である僕を無視して山口は財布を取り出して店員に代金を払ってしまった。

「似合っているよ」

 指輪を嵌めたままの僕に山口はにこにこしながら言った。

「あ、ありがと……バイト代入ったら返すから」

「いいってば。でも、そうだねえ。お礼代わりに山口君の家に遊びに行きたいな」

「へ!?」

「山口君の部屋がどんなのか見てみたいな~」

 僕の喉がひゅっと鳴った。そしてブルーハワイのように真っ青になる。しまったと思った。つい流されてしまったが断固として断るべきだった。ピンクと白に彩られた完全に自分の趣味で統一されたメルヘンチックな部屋が脳裏に過った。ドン引きされること間違いなしだ。

「さ、レッツゴー!」

 強く山口に背中を叩かれる。キラキラと陽光を浴びて輝く指輪が恨めしかった。


 どこにでもある一軒家が僕の家だ。

「お邪魔しまーす」

「え、遠慮なく。両親はいなくて今一人暮らしだから」

「そうなの?」

「仕事で海外で暮らしているんだ」

 僕がこういった趣味を満喫出来る理由もそこにあった。本来なら寂しいと思うところだろうが、僕にとって好都合だったのだ。両親には悪いけど。僕はびくびくしながら自室を開けて山口を招き入れた。

「うわああ!お姫様の部屋みたい」

 ドン引きどころか、山口は感激したように言った。それでも僕はいたたまれなくなって、早々にお茶を淹れて来るという理由でその場を退散した。

 二人分の珈琲を淹れて来ると、何故か山口は酷く真面目そうな顔で部屋を見回していた。

「お、お待たせ……」

 僕がか細い声で言うと、山口がこっちを見て言った。

「あ、サンキュー」

「インスタントで悪いけど」

 僕は湯気の立つマグカップを山口の前に置いた。だが彼女は手を付けようとしない。やっぱりインスタントがまずかったのだろうか。僕が紅茶に淹れ直そうかと思った時だった。ふいに山口が口を開いた。

「実はね……私こんなだけど、可愛いものが好きな女の子らしい女の子が羨ましい時があるの」

 僕は突然の山口の思ってもいない言葉に一瞬思考が止まった。だが山口の表情は見たこともないほど真剣だった。

「お父さんは息子が欲しかったの。だから生まれる前から名前を考えていて……それだから私の名前は男みたいな『明』なの。ずっと男みたいに育てられたから、こんな風になっちゃった」

 ぺろっと舌を出して山口は笑ったが、その笑みは悲しく見えた。

「今の自分は嫌いってわけじゃないんだ。気楽でいいし。ただ今の自分は本当の自分なのかなあって思う時がある。本当にありのままの自分なのかな……今更可愛い女の子になれるわけないのにね」

 そういう山口に僕は咄嗟に叫んでいた。

「お父さんのことなんか気にすることはないよ!今からだって遅くないって!メイクの仕方も教えるし、服だって貸すし!」

 僕は山口のそんな悲しい笑み見るのが辛くて必死に言った。山口は一瞬ぽかんとした顔をしたが、はにかむように微笑んだ。それは初めて見た山口の女の子らしい笑みだった。

「私ね、山崎君が好き」

 突然の告白に今度は僕がぽかんとなった。

「可愛いものが好きで女の子らしいありのままの自分でいられる君が好き」

 もう一度山口は繰り返した。

「ありのままの君が好き」

 その時の僕の心に鳴り響いた音をなんと言えばいいのだろうか。


 あえて言うならば……それはきっと恋に落ちる音だった。








 








 了

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