鬼ギャル

オジョンボンX

鬼ギャル

 幼馴染がギャルになっていた。こんな山奥の高校でガチめのギャルなんかになってどうするの? と思ったけれど、そういうことではないと言う。ギャルは、誰かのためになるものではなく、自身の心の奥底から湧いてくるギャルみに突き動かされてなるのだと言う。ギャルみに気付いたらもう誰にも、他人はもちろん、自分自身でさえ止められない。

「人はギャルに生まれるんじゃないし。ギャルになんだよ」

「ギャルに、なる……」

「つーかお前もなんかもしんないし。そしたらあーしが全部面倒みてやっから」

「僕の心に、いつか止められないギャルみが溢れたら、その時はお前が受け止めてくれる」

「そ」

 校舎のコンクリートの冷たい床の上で、彼女は僕の頭を膝に載せて、僕の額を撫でていた。

「重くない? 脚、痛くない?」

「あーしの脚なめんなし」

 夏が始まりかけていた。ここは木陰で風が涼しかった。彼女は僕の額を撫でていた。

「伸びてね?」

 彼女の指が、包帯を巻いた僕の額の、眉間の上のふくらみに触れる。彼女の指先から伸びた長い爪の先端が、僕のまぶたをかすめて思わず目をつむる。彼女は僕の頭を持ち上げると片手で器用に包帯を外した。彼女は僕の包帯を鼻にあてて嗅いだ。

「くっせ」

「やめてよ」

と抗議すると無表情のまま僕を見返して

「あーしこの匂い好きなんだけど」

と言った。どういうつもりでそんなことを言うんだろう。どんな顔してそれを聞けばいいんだろう。彼女は未練もなく包帯を放り捨てるとバッグからヤスリを取り出して僕の眉間のこぶを削り始めた。一定のリズムで軽い振動が頭蓋骨全体に響く。小さい頃は父が削ってくれていたのを思い出していた。父はもっと目の粗いヤスリで容赦なく削ってくるから脳がガンガン揺れて痛かった。月に一度あるこぶ削りの日が憂鬱でたまらなかった。父の「伸びているな」を聞くと、子供の頭で必死に考えた、でもたぶん大人には言い訳にもなっていないような言い訳を並べて、何とか明日、そのまた明日に延ばそうとしたけれど、結局いつも父のヤスリで容赦なく削られるのだった。父に最後に削られたのはいつだっただろう。僕が大きくなってからは自分で削っている。どんな会話をしてやめたんだっけ。父からやめると言い出してやめたのか、僕からもう自分でやると言ってやめたのかも思い出せない。父は、あるいは僕はどう思ったんだろう。そういう何気ない会話は忘れられて、ずっと続いた習慣もあっさり失われていってしまう……。涼しい木陰の中で、彼女のそう柔らかくはない太ももに頭を預けて、穏やかな振動に身を任せて昔を思い出していたら、いつの間にか眠っていた。


 奇妙な夢を見た。何か途方もない悲しみに包まれている。誰もいない、何も生えない、音もないさみしい大地に一人で立っている。自分を守ってくれる人はいない。幼い子供の不安だ。そうするとふいに強くたくましい腕に抱えられる。熱い腕だ。安心してやわらかく目が覚める。もう家の中に光が漏れている。日が昇っている。幼いころから繰り返し見る夢だった。既に父は外へ出ていた。

 葉菜、果菜、根菜、芋豆……様々な種類の作物を育てているせいで年中作業が絶えることはない。一日の中でも複数の作物の別の仕事を、ほとんどパズルのように組み立ててこなしている。父はその複雑な組立てを紙に書き出したりしているわけではなく自分の頭の中だけで描いている。それでも外に出て父の姿を見れば、父が何をしようとしているのか僕にはわかる。小さい頃からずっと見ていたからどう手伝えばいいのか考えなくても体が動く。お互いに言葉を交わすこともなく、無駄な動きひとつなく、機械みたいに正確に作動する。完璧にコントロールできている喜びと、父の役に立っている実感があって、学校に行く前のこの手伝いがうれしかった。その手伝いをやめて1年が経つ。

 僕が近寄ると父が苦しそうな顔をするようになったのがちょうど1年前だった。庭に業者がやってきてプレハブ小屋が建った。今後はそこが僕の一人部屋だという。農作業の手伝いもしなくていいと父は言った。稽古も「型」だけを一人で続けろという。粗末な平屋建てにずっと父と二人で起居を共にしてきたのが、突然突き放されたようでショックだったが、子供でもない自分がそんなことでショックを受けていると思われるのも恥ずかしくて、何でもないようなふりをして父の言うように従った。父は、僕が幼い頃から一度たりとも「お父さん」や「父さん」と呼ぶことを許さなかった。


 なんか僕の心からギャルみが出てきた気がして幼馴染に相談するとただちにレクチャーが実施された。つきなみだけどスカートで足がすーすーするのは落ち着かなかった。彼女とは体格が違うのに僕の着られるサイズの制服が用意されていたのは不思議だったが、彼女は

「でかい先輩いたから」

と言った。でかい先輩がいるなら納得だった。

 ギャルメイクの真髄は「盛り」にあるという。彼女をあらためて見ると頭髪、まつげの毛量、黒目の大きさと色、頬やまぶたや唇の色や形が強調されている。彼女が言うには、これは一昔前のスタイルで、今は要素や程度を絞って盛る、ナチュラルにするのがトレンドだという。じゃあどうして自分はそうしないのかと聞くと

「この方がアガるし」

とのことだった。お前はどうしたいのかと言われて、でも自分がどうしたいのかはよくわからなかったから、今の流行りにしてもらうことになった。つけまは切って使うとか、ベースメイクの仕方だとか、自分の目の形に合ったアイラインの引き方だとか、覚えることがあまりに多かった。でもきっと、農作業と同じで毎日やれば手が覚えていくだろう。

 彼女は、なりたい自分になるには技術がいるのだと言った。やる気や根性と呼んで片付けてしまえば、技術は見えなくなって才能の有無のように見えてしまう。しかしそうではないのだと彼女は言う。技術の集積と体系によって実現されるのだと考えなければ、「才能がなかったからしょうがない」で終わってしまう。もともと美人じゃないから、かわいくないから、だからしょうがない、で終わってしまう。所与の条件から出発して、なりたい自分になる、それを実現するのは技術なのだという。

 メイクを進めながら彼女は、手順を解説する合間にそんな話をした。僕のメイクは彼女の手で完成して、鏡の中の自分は確かに自分なのに、別人だとは思わないのに、はっきりバージョンアップしていた。一瞬、現実がおかしくなったような気がして、何も言えずに鏡の中を覗き込むばかりだった。それは、細部のわずかな変化の積み重ねによって全体の印象がまるで変わってしまうという事実への驚きなのだと思った。

 こんな風にはとてもできないと思った。技術の習得を一つずつ重ねていけばいつか辿り着けるだろう。でもいつかじゃだめだ。ギャルみが心から出ているのに、まだ技術が自分には足りなくてギャルにはなれない。そういう苦しみを口に出したわけでもないのに、鏡越しに僕の顔を見て彼女は、

「お前がギャルと思えばギャル」

と言った。

 なりたい自分になるには技術が必要だ、だがなりたい自分には届かなくても、歩き始めたらもうそれになっている。他人がどう評そうが関係がない。

「僕がギャルだと思えば、僕はもうギャルになっている……」

 彼女はギャルメイク特集の組まれた雑誌を古いのから新しいのまで何冊もどさっと置いて、一そろいのメイク道具も置いて帰っていった。父が昔、小さかった僕がまだ農作業の手伝いを始めたばかりの頃に言っていたことを思い出した。作業や手順のひとつひとつに意味がある。どうしてそうなっているのか、逆ではダメなのか、省略してはいけないのか、実際に頭で考えて試行錯誤しなければ、本当に身に付いたとは言えないという。同じことだと思った。

 農作業の手伝いをやめたかわりに、僕はギャルメイクの習得に励んだ。


 突然体が重力から解放されて、次の瞬間には重力とは違う方向に体が叩きつけられる。目が覚めると僕は壁に叩きつけられていた。まだ僕は7つで、粗末な母屋で父と一緒に寝ていた頃のことだ。父が僕を壁に向かって突き飛ばしたのだとようやく理解した。

 知らない男が3人、部屋にいてライトを僕や父の顔に当てていた。それは強盗だったのだが、混乱していた僕は父の友人が遊びに来ているのだろうかとしばらく思った。よく家には色々な物をタダでくれる大人たちが来ていた。昔、父にとてもお世話になったからだと言う。しかし父の友人たちは漠然とした敵意のようなものを父に向けているような気が僕にはしていた。

 だが今いるこの3人の男は父の友人ではなかった。男たちが手にした包丁を見て、これは違うと気付いた。

「金を隠しているだろう。出せ」

と男が凄むが父は黙って男の目を見るばかりだった。焦れた男の一人が、人質に取ろうと僕に飛びかかってきた。父はすれ違いざまに男の手首を素早く取り、男の肘を抑えながら手首を返すと、突っ込んできた勢いそのままに包丁が男の首に刺さる。仲間を突然失った残りの男たちは色めき立った。僕は、呻きながらだんだん死んでいく人間を目の前にして胸が潰れそうな恐怖にぎりぎりで耐えていた。

「これでお前たちも分け前が増えて好都合ではないのか? 金は物置の床下にあるから、それを盗ったら出ていってくれ」

 何か男たちの方が父の指示に従っているような形で母屋を出ていった。残された僕は首に包丁の刺さった男を注視していたが、もう呻きもせず事切れていた。ゆっくり這い出して雨戸の隙間から外を伺うと、月明かりとライトの中で父が物置の戸を開けるところだった。わずかに離れて背後で男たちが包丁を構えている。戸を開けきった瞬間、父が素早く中に飛び込んだ。男の一人が慌てて追おうとした瞬間、その男から血しぶきが吹き上がった。男が倒れ込むとその向こうに父が白刃を提げて立っていた。父は最後の一人に向かってゆっくり近付くが、男は呆然とそれを見ているだけだった。気を取り直した男は踵を返して逃げ去ろうとしたが、父が刀を何気なく投げると、やり投げみたいにふんわり飛んで男の背中に刺さった。父は男の背を踏みつけて刀を抜くとそのまま切っ先で男の首筋、大動脈を切断した。転がったライトがちょうど男の顔を照らして僕を見つめていた。血が嘘みたいに流れていた。僕は緊張感に耐えられなくて気絶した。

 目が覚めると既に朝になっていて、男たちの死体は消え、床の血は拭き取られていた。全部夢じゃないかと思ったけれど、床に血のしみがはっきりと残っているのを見てあれは現実だったのだと絶望した。父は人殺しだ。

「忘れなさい」

 じっと床を見ている僕に父はそう言った。

「だって、……だって、血が、そこ、床にさあ、あるし……」

「床の張り替えはもう工務店に依頼したから」

 そういうことじゃないでしょ、と子供ながらに思ったけれど、事実工務店はすぐに来て床は張り替えられると、やっぱりあれは夢だったんじゃないかという気がしてきたのだった。

 父といつも遊んでいたちゃんばらごっこは、ごっこじゃなかったんだと思った。「ごっこ」はその日を境に「稽古」になった。

 ある日、父の不在の間に物置を探していたら父が後ろにいて

「金はないんだ」

と言った。心臓が止まるかと思った。

「いや、違うから。別に何も探してないから」

「金はみんな人にやってしまったよ。だから、ないんだ」

 父は僕の言い訳なんて無視して淡々とそう言った。実際、そう豊かな暮らしとも言えなかった。父の農作物と、それを売ったお金と、父の知り合いが持ってきてくれる生活用品で暮らしていた。父は農作業をしていない時は、本や資料を読んでいた。郷土史家というんだろうか、地域の伝承などを調べているようだった。どこかに発表するわけでもなく、単に個人的な趣味で調べてノートにまとめているようだった。


 十分に技術を習得できた。鏡を覗き込んで5分くらい見つめて、いったん離れてまた5分くらいいろんな角度でチェックして、大丈夫だと言い聞かせた。はじめてギャルになってから1週間が経っていた。今日はこのまま外出してみよう。ドアを開けるといきなりチャンバアがいた。

「色気づきャぁーて、お前ャ男ォ咥えこんどんだらァ!?」

 挨拶もなしに僕をじろじろ見上げてチャンバアは大声で捲し立てた。父の母だ。それは祖母と呼ぶべきなのだろうが、チャンバアは「僕の祖母」というより「父の母」という感じなのだった。小柄だから、チャンバアの頭は僕のへそくらいの位置にある。

「男を咥え込むって……そんなわけ……」

「男娼だがね。どえりぇイケイケの格好しやァーて。体売っとんだわァやらしい」

「そんなわけないでしょ」

 チャンバアは背中のカゴに父の農作物をめいっぱい詰め込んでいる。時々山から下りてきて食料を確保して帰っていく。まだ僕が10歳かそこらだった頃に、父が不在の時にチャンバアが訪ねてきたことがあった。父の帰りが遅いからチャンバアの家で僕を預かるために迎えに来たという。チャンバアはすごい早さで山を登っていった。獣道ですらない、道と呼べないような道だった。ついていくのもやっとで、何も考えられずにただ足を進め続けていると、何かこれが一生続くんじゃないかという気がしてきて、死んだらそういう地獄に行くのかもしれないと思った。

「パックンチョもあるでよ。お前ャの好物って聞いたもんで」

 チャンバアの掘っ立て小屋に到着すると大量のパックンチョがただちに出てきた。好物ではなかったし、そんなことより水が欲しかったのだけど、チャンバアの穴としか言い様のない窪んだ黒目が、対話のできる相手とは思えなくて黙ってパックンチョを一個ずつ口に運ぶ作業を続けた。

「カンカンボーもどえれェあるでよ」

 もう秋で肌寒いくらいだったのに、チャンバアは固く凍らせたチューペットも大量に出してきた。とにかく喉が乾いていた僕はチューペットをせっせと食べて頭が痛くなった。

「ああ~。足が痛ェでかんわ。腰もどえりゃ痛ェで」

 さっきまであんなに元気に歩き回っていたチャンバアが急に足や腰をさすり始めた。もしかしてマッサージをしてほしいのかと気を遣ってチャンバアの腰に触れると、チャンバアは顔の穴という穴を開きながら

「お前ャ触んだねえだわァッくっそたぁけーッ!」

と怒鳴った。僕はびっくりして黙った。

「まあええ加減あんたの保護者も帰ってきとりゃーすやろうけど……ああー。足も腰もどえれェ痛ェであんたを山の下まで送ったれェへんなあ」

「あの、僕、一人で帰ります」

「ああーっそうしてもらえるとわしもえれェ助かるわァ! 悪かったねえー」

 わけのわからない山道をチャンバアとまた歩くよりよっぽど気楽だと思ったし、助かったとすら思った。だけど実際に山道を歩き始めるとすぐに日没になった。夜の山は、伸ばした自分の手の先すら見えない。田舎に住んでいれば子供でもそんなことは知っているから、懐中電灯をチャンバアの家から勝手に拝借していたが、それでも光量がまるで足りない。たぶんもう、行きとは違う道に入っていた。丈夫そうな棒っきれを拾って草や枝を払いながらそれでも進んで行った。

 ふいに明るくなって、ようやく里に出たのかと思ったけれど、そこはまだ山の中だった。ふいに開けた原っぱで、そこだけ月明かりが届いていた。がっかりしたがここなら何とか野宿もできそうかと思い直した。

 キイーッと甲高い声がした。猿だった。なんだかふらふらしながら近寄ってきた。すごく心細かった僕にとって、心が通じそうな気のする生き物とふいに出会って、なんとなくほっとした気がした。猿は2メートルくらいまで近付くと突如飛びかかってきた。思わず棒でぶん殴ってしまった。

「うわ、ごめんよ」

と謝った。いつの間にか周囲を猿の群れに囲まれていた。猿たちはどんどん襲いかかってきた。父との稽古を思い出して、最初はきちんと頭で考えて猿をいなしてみたけれど、猿が多すぎてすぐに頭が追い付かなくなった。棒も腕も足もむちゃくちゃに振り回しながら猿と戦ったけれど、どんどん引っ掻かれたり噛まれたりした。傷つくうちにだんだん自信のようなものが流れていって、戦う気持ちが萎えていった。

「あーやめて、やめてよ、痛い……」

 閾値があるみたいな感じで、ぷっつり抵抗をやめてしまった。どんどん猿が乗ってくる。うずくまって頭を抱えて「やめて、やめて」しか言えなくなっていた。このまま自分は死ぬのだと覚悟したら、痛いのと怖いのはもういいから早く殺してほしいという気持ちに支配されていった。

「おいっ」

 低い一喝が響くと、僕の上に乗っていた猿たちが一斉に震えた。猿の山から掘り出されて抱え上げられた。父だった。たくましい腕に抱えられて厚い胸に押し付けられると、全部もう大丈夫なんだと思った。父は左腕で僕を抱えたまま右手で棒を拾うと、飛びかかってくる猿を無駄のない動きで避けながら打ち据えていった。わずかな間に十数匹を退けると、残りの猿たちはおびえて山の中に逃げていった。

 父は僕を背負って迷いのない確かな足取りで山を降りていった。背中から伝わってくる熱と、規則的な振動と安心感のせいで僕は眠ってしまった。

「あの人にはもう近付くな」

と父は言った。でもチャンバアは農作物を受け取りに家を訪れるたび、僕の前に現れて話しかけてくる。チャンバアは明らかに僕に悪意を向けている。

「お前ャ臭ェァでかんわ。ほんで男ォ骨抜きにしとんだらァ」

 ギャルになった僕を見て、チャンバアは男をたぶらかしていると決めつけたまま山へ帰っていった。


 これはカウントに入るんだろうかと、そんなことをその間ずっと考えていた。松永が僕の首のつけね辺りに顔をうずめて、自分のちんちんを擦っている。気持ち悪いと思ったが、気持ち悪いと思うのも失礼な気もして「気持ち悪いと思うのは自分の考え方次第なのだ」と考えることにしたら多少は平気になった。

 チャンバアが僕を「臭い」と言った。ギャルになった幼馴染みも僕の額の包帯を嗅いで「臭い」と言った。それから父も、僕が近付くと苦しそうな顔をする。自分で自分の脇を嗅いでみたりもしたけれどよく分からなかった。それで松永に「はっきり言ってくれ」とお願いした。2年になってクラスが離れてから松永とは少し疎遠になっていた。機械いじりが好きで、しかも役立つ機械、意味のある機械じゃないと嫌だと言って、いつもスクーターで走り回って地域の人から困っていることや改善してほしいことを聞いてまわっている。

 僕の離れに入ると松永は

「俺もこんな部屋があったらなあ、開発もはかどるかも」

と羨ましがった。最近はドローンを使った害獣対策を開発しているのだと言う。センサーを使って害獣の位置がアプリで見られるようにしていて、実際に画面を見せてもらったけれど、よく分からなかった。でも素直にすごいなと思った。加工したり、電気回路を設計したり、プログラミングしたり、自分にはどれ一つとしてできないのに、同い年の友達がそんなことできるのは不思議な気がした。松永はそわそわ落ち着かない様子で間が空くのが怖いみたいにおしゃべりになっていた。全然目を合わせずに喋り続けていた。

「松永は、地域の困ってる人を助けてるんだよね」

「まあ、趣味で……」

「僕もちょっと困ってるんだけど」

 松永は黙って、少し経ってから「何」と言った。ひょっとして僕の体臭はきついのか、正直に教えてほしい。松永はまた黙った。ずっと目を合わさない。

「はっきり言ってほしい」

「何て言うか……君、最近男子から避けられてるの気付いてる?」

 正直に言ってほしいと言ったものの、実際正直に言われるとかなりショックだった。僕が暗い顔をしたから、松永は慌てて言葉を重ね始めた。

「いやいやいや、まあ、はっきり言って、この部屋に入った時からもうちょっと、思ってたよ。いや、違う違う違う。臭い、いや、臭いって言うか……ちょっと……臭いって言うとちょっと違うんだけど」

 フォローしようとして余計おかしくなっているみたいだった。

「女子は男子と感じ方が違うのかもしれない。でも男子はみんな君のえーっと……部屋の中に置いておいたバナナが熟れてくると、すごい匂いがするじゃん、あー、違う。そういう匂いとも違うんだけど……匂いの系統は全然違うんだけど、苦痛なくらい甘い匂いってあるじゃん、ああいう……不快じゃないけど、嗅ぐのがしんどい匂いって感じの。嗅いでると頭がおかしくなりそうになる、近くに寄るとそういう汗の匂いがする」

 松永は匂いがどんな風か正確に話そうとして近付いていた。僕は「嗅ぐのがしんどい」という体臭を嗅がせるのが申し訳なくて、松永の肩を押した。でも松永は僕の顔をしっかり見て言った。

「いや、嫌いな匂いとかじゃないから、ただ」

「……何」

「ただ、なんていうか、もう無理」

 学校帰りだったから二人とも制服だった。ただ、僕は女子用、松永は男子用を着ていた。

「なんでこんな格好してんの……」

「ちょっとギャルみが」

「何ギャルみって」

 松永が僕の肩に顎を乗せて、思いきり息を吸った。恥ずかしかった。「見るな、忘れろ、悪い」と勝手なことを小声で言うと、松永はちんちんを擦り始めた。じっとしているのも悪い気がして、なんとなく松永の背中をさすってみた。

「吐く訳じゃないんだから」

と荒い息のまま言われたのでさするのをやめた。手拍子をしながら「がーんばれ、がーんばれ」と応援してみたら「ふ、ふ、ふざけるな。何もしなくていいから」と言うのでこれもやめた。松永は怒っているというかちょっとウケてた。これはカウントに入るんだろうかと考えていた。他人と性的な経験はなかったけれど、これはカウントに入るんだろうか、自分にとっての「初めて」がこれになるんだろうか。僕の背にまわされた松永の手に力が入って、あ、と思ったらイッていた。

「別に君のこと好きとか恋愛感情とかないから」

 ティッシュで手を拭きながら松永がそう言うから腹が立った。なんで僕がフラれてるみたいになってるんだ。咄嗟にどう返していいかわからなかったけど、僕の怒りは伝わったようで松永は少し慌てた。

「そうじゃなくてもし恋愛感情があると思われたら、気持ち悪いって思うかなと思って……」

 松永が僕に告白するのを想像して気持ち悪いと思ってしまうのは事実だから「そんなことない」と言うのは嘘だけど、僕が「気持ち悪い」と思うのが正当だとも思えなかったから、答えようがなくてまた黙ってしまった。

「あとさっき、そういう格好してるのが悪い、みたいなこと言ったかもしれないけど、訂正する。俺が勝手に欲情したのが悪いだけだから。ごめん」

 松永はそそくさと帰っていった。僕はこれがカウントに入るのだろうかと思った。こんなことが起こってしまった以上、納得できるカウント1を自分でちゃんとしないとダメなんじゃないかという気がした。もっと、相手を道具として扱うのではないような、ちゃんとしたカウント1を……


 トイレに行こうと離れを出ると、もう肌寒かった。昼は暖かいのに夜はぐっと冷えると秋っぽさがある。悲鳴のような声が聞こえて母屋に駆け込むと、父が誰かに馬乗りになってその首を両手で絞めていた。子供の時に見た、人を殺す父がフラッシュバックした。その人の顔は父の陰に隠れて見えなかったが、制服のスカートから伸びる足は紛れもなく、ギャルになった僕の幼馴染みだった。既に事切れてその四肢に力はなかった。父はゆっくり彼女の首から手を離した。

「どういうこと、なの……」

「この娘は孕んでいる。お前の子だ」

 振り返った父の顔は、ほとんど何の表情も浮かべていなかった。

「堕ろすよう言ったが、聞き入れなかった。鬼は、鬼の子は、根絶やしにすべきであったのかもしれない。端からそうすべきであったかもしれない」

 まばたき一つせず僕を見据えながら、しかし父はほとんど独り言のように言った。

「私には、鬼の匂いが、たとえそれが微かなものであっても、違わずに分かる。この娘がお前の子を孕んだことは匂いですぐに知れたよ」

 父はゆっくり立ち上がってまっすぐ僕に向かってきた。殺されるのかと思ったけれど、父は僕の額の包帯を解いて、包帯を丁寧にたたんでしまうと、少し伸び気味のこぶを指先で撫でた。僕は父より少し背が高くなっていた。視線の高さが違ってわずかに僕が見下ろしている。父より背の高いことが今さら不思議な気がした。

「角を削り、人の子と偽って生かしたことの一切は、私の過ちであったのかもしれない。全ては私が撒いた種、私が全てを刈り取るべきであろう」

 父はあの物置へ向かった。無言でついてくるよう促されて、渡されたのは父の刀だった。父もまた別の刀を提げている。父は刀を抜くと、ぴったり晴眼に構えて隙がなかった。家から漏れる明かりと月明かりのみに照らされて表情は読めなかった。僕はまだ混乱していた。

「私はかつて鬼ヶ島へ、供の動物を連れて渡り、そこに住まう鬼たちを女子供も構わず残らず斬り捨てた。それが人々の願いだったからだ。私は疲れきり、血にまみれて歯こぼれのひどい刀をつき、猿や犬や雉が鬼の屍肉を貪り食う光景をただ見つめていた。頭の中に澱が淀んだように重く何も考えられなかった。その時ふわふわとした足取りで私の目の前を一人の鬼のおさな子が通り過ぎていった。夢か幻のような光景だった。おさな子は誰もいない、血塗れた大地の上でただ呆然と立ち尽くして遠くを見つめていた。私は刀を棄て、その子を腕に抱え上げて連れ帰ったのだった。何故そうしたのか私にも分からない。私はちょうど、今のお前と同じ齢だった」

 全く構えを崩さないまま父は淡々と語った。父が何かをこれほど語るのを聞いたのは初めてだった。

「抜け。お前を殺す」

 父は嘘をつかない。父が僕を殺すと言う以上、何の手心も加えられはしないだろう。父に勝てるイメージがまるで持てなかった。しかし、どうしようもなく僕も抜刀して構えた。僕が構えるとただちに激しい打ち込みが注がれた。もう1年以上、父との稽古はしていなかった。一人での型の稽古は欠かしていなかったが、人との手合わせを随分していなかった。必死で受け、かわし続けたが、腕、胴、肩口、脚に浅い斬撃を受けて血がにじんでいった。決定的な一撃だけは避けられているのはそれでも、父による十数年の稽古の賜物だろうと思った。父を打ち倒すという感覚が持てずに受け続ける一方だった。父はふと手を緩めて間合いを取り直した。

「かつてお前の父と母、血族の全てを滅ぼした男、そして今お前の愛した女と未来の子を殺めた男が、お前の目の前にいる。その男に一矢をも報いることなくただ嬲り殺しにされようとしている。情けない男だ」

 父はそう僕に言ったが、本当に口に出して言ったのか、父の目を見てそんな言葉を勝手に受け取っただけなのかよくわからなかった。ただその瞬間に、止まっていた感情が溢れかえってくるのを感じた。許せないと思った、僕の幼馴染、僕の友達、僕のギャル。彼女を殺めたことはどうしようもなく許せない。肌や筋肉にはっきりと血が通うのを感じた。体のあちこちに余計な力が入っていたことに今気付いた。この闘いの今というより、昔からずっと余計な力が僕の筋肉を固く縛り付けていたのだと気付いた。緊張がほどけて集中に変わる。全身を汗がしっとりと湿らせていく。

 一度リセットする。距離を十分に取ろうと軽く後ろに跳ぶ。体がひたすら軽く、重さの制約がどこにもないような感覚だった。想定以上に距離が開いた。身体感覚がまるで違っている。確認が必要だと思って素早く一連の型をその場で決めてみた。この幅広の刀をいくら振っても重さを何も感じない。振る速度も、切っ先のコントロールもはるかに向上している。全身から刀の先まで全てタイムラグがゼロで完璧に、脳で思う通りに動作している。

 父はそんな僕をじっと見つめていた。僕もずっと父の視線を受け止め返していた。

「それが鬼だ。やはり人間ではないな」

 つ、つ、と二歩で父は間合いを一気に詰め、さらに激烈な打ち込みが注がれた。それらの一つ一つを余裕をもって受け流すことができたし、試みに攻撃を放ってみるとごく浅くではあったけれど、父に傷を負わせることができた。

「むせ返るような血の臭いと、鬼の甘い汗の匂い。まさに鬼ヶ島だ。あれは地獄だった」

 父の目は爛々と輝いていた。

「いや、私が地獄にしたのか」

 そして凄絶な笑みを浮かべていた。父はふっと笑うことはあったが、声を上げて大笑いするところを見たことはないし、ましてこんな笑みを浮かべるのを見たこともない。さらに打ち合いが続き、父の動きはさらに洗練の度合いと速度を増していった。まるで余裕はなかったが恐怖もなかった。父は剣技のみならず拳による打撃や足払い、極め技、投げ技を自在に組み合わせて放ってくる。ギリギリで確実に、正確に僕は対応したし、その隙間や流れに重ねてこちらからも技を放つが父もまた正確に応じてどちらも致命傷には至らない。男性同士のアルゼンチンタンゴのようでもあったし、あるいはお互いが先読みに先読みを重ねて言葉のない高速の対話のようだった。

 ずっとこの対話が終わりなく続くような気がしたけれど、僕の筋肉には疲労が確実に蓄積されていった。甘い痛みがじわじわと全身を薄く覆う。それは父も同じようで、むしろ父の方が疲労の度合いは大きかった。目の輝きは失われなかったが、徐々に僕の刀が届く回数が増えていた。東の空が白み始めていた。

 父は間合いを取り直した。

「次で終わりにしよう」

 もうあの笑みは消え、穏やかな表情に戻っていた。農作業が一段落して子供だった僕と休憩している時の、あの父の顔だと思った。

 父はまた晴眼に構えた。美しいと思った。ぴたりと切っ先があるべき位置に極って、どこにも隙のない構え。生気に満ちていた。そして父はそこから滑らかな動きでわずかに僕の左側に回り込んだ。いつも稽古をつけてもらっていた時のことだ、いつも最後はこの動きからの打突、僕は一度だって、父のこの攻撃を防げた試しはなかった。僕はここで死ぬのかもしれないと思った。でも怖いとは思わなかった。そして父が攻撃に転じた一瞬、全てが見えた気がした。不思議な感覚だった。父の動きと自分の動きを、3Dモデルのコマ送りみたいに、自由に早送りと巻き戻しをしているような、それを好きな角度から見ているような、それをただシミュレートしている通りに再生していく感覚が起こった。

 その一太刀は深々と父の脇腹から胸にかけて抉っていた。父の切っ先は僕の身体に触れることなく空を切った。

「それが、秘剣『鬼断ち』という。私の父が編んだ技を受け継いだものだ。型の稽古を、お前は、欠かさなかったようだ」

 父は僕を見上げて、どこか嬉しそうに言うのだった。

 今のは僕が幼かった頃に父から教えられた型の一つだと気付いた。手合わせで使われたことはなかった。それなのに何の意識もすることなく自然に出たのは、父があの動きによってこの技に導いたからだったと後になって気付いた。

 最初から死ぬつもりだったのだろうか。僕に討たせるつもりだったのだろうか。

「泣くな。お前は正しい」

「お父さん」

 父は一度も僕が父を「お父さん」と呼ぶことを許さなかった。それは僕の実の両親を殺めた事実を背負って、自身に貸した戒めだったのかもしれない。

「私は人間ではない」

 父は僕から視線を離して空の奥を見ていた。掴むもののないほど高く、黒いほど青い空だった。

「私は、桃から生まれた、桃太郎。得体の知れない化け物だよ」

 うわ言のように、かすかな声でそう呟いて死んだ。父は32歳だった。


 あれは夢じゃなかった。夢ではなくて記憶だった。寂しい空間で僕を抱き上げたあの熱い腕は父のものだったのだ。思い出が勝手に溢れてくる。僕が7、8歳くらいだっただろうか。父が人から貰ったと言って子供用の釣り竿を持ってきた。父に連れられて川に行き、初めて釣りをした。すぐに小さな魚が釣れた。名前も知らない魚だった。けれどその後はさっぱり何も釣れなかった。子供にとってただ何もせず待つ時間は苦痛で、飽きて不平を言った。「釣りはそういうものだから」となだめていた父もあきらめて、二人で川に入って網で魚をすくった。あれは楽しかったな。楽しかったと思うのは、父も楽しそうだったから僕も嬉しかったのだと思う。父との柔術の稽古で父が僕に投げ技をかけて、僕は空中でくるんとひっくり返されて畳の上に落ちる。空中で体がふわっと浮く感覚が面白くて何度も父にせがむ。「それじゃあ稽古にならない」と父は苦笑しながらも要求に答えてくれる。それから父はみかんが好きだったのかもしれない。毎年おすそ分けを貰ってはかなりの数をぱくぱく食べていた姿が何の脈絡もなく浮かんでくる。食事では美味しい部分や僕の好きなものは分けてくれた。甘いんだか厳しいんだかよくわからない。親子らしい会話をしたという記憶もあまりないし、親子喧嘩もしたことがない。父は子供とどう接していいのかわからなかったのかもしれない。今の僕と同じ歳で子供を拾って育てるというのは、どういう感覚だったのだろう。

「お父さん、お父さん」

 そんな子供を男手一つで育てて、誰からも感謝されることなく、そんな言葉をきちんとかけられることもなく死ぬなんて、あまりにもあんまりだと思った。もう言葉を交わすこともないし、何かを伝えられもしないのだと思うと堪らなかった。勝手に泣けて仕方がなかった。

 父の記憶と、幼馴染の記憶がぐるぐる想起される。彼女の家族はまだ彼女の死を知らなくて、知ればこんな種類の、それよりももっと大きなつらさに苛まれるのかと思うと、そして彼女を殺したのが父で、その父を殺したのが自分なのだと思うと、頭の中がぐちゃぐちゃになってくる。どうしていいのか全然わからなくて、いっそこの場から全部捨てて逃げ出したくなる。一方でそんな無責任なことは許されないという考えとが、頭の中を高速で明滅して、とにかく疲れていた。

「太郎ちゃん!」

 チャンバアだった。いつの間に山から降りていたのか気付かなかった。僕は突き飛ばされて尻もちをついたが、立ち上がる気力がなかった。

「太郎ちゃん太郎ちゃんああ~」

 父の遺体にすがってチャンバアは泣いていた。そうか、この人は父の母親なのだから、父の死は、自分の子供の死なのか。そんな当たり前のことを今更ぼんやり考えていた。それならチャンバアと僕はこのつらさや悲しみを共有できるんだろうか。

「ほんやで言ったんだわァ、こんな鬼の子さっさと始末してまやァって言ったんだがねェあんたがあんたが育てんかったら……」

 しわしわの両手で冷たい父の両頬を包んでチャンバアはささやくように言った。

「えか。わしが始末したるでね」

 チャンバアは立ち上がって僕を見据えた。僕はそれをぼんやり見ていた。

「キャーーーーーーーッ」

 突然チャンバアは歯をむき出しにして猿のような絶叫を上げた。山がザワザワと震えた。次の瞬間、山から数えきれないほどの猿が走り出てきた。猿たちは僕をめがけてまっしぐらに突っ込んできた。僕は刀を素早く拾い、襲いかかる猿を峰打ちに叩き伏せた。しかし数が多い。僕は父の刀も拾い、二本の刀を両手で振るって猿たちを払ったがキリがなかった。子供の時、真夜中の山で猿の群れに襲われたことを思い出していたが、数がまるで違った。

「わしが太郎に獣の馴らし方を教えたったんだわァ。わしの作ったシャブ団子で手懐けてくんだがね」

 チャンバアは猿に襲われる僕を余裕の表情で見つめて話していた。猿たちの鳴き声のせいでチャンバアの声は途切れがちに届いた。

「獣どもも、シャブ漬けにしたったら思い通りだがね。ほんだけど太郎は、シャブ団子の虜んなった犬や猿や雉を鬼ヶ島でズバァーと全部殺しャーたんだわ。二度とわしのシャブ団子は使わんかったがね」

 猿の様子がおかしかった。加減をしているから骨折まではしていないと思うけれど、刀の峰、鉄の棒で打たれて平気なわけがない。けれど痛みなどないかのように意気が削がれることなく何度でも襲ってくる。覚醒剤のような薬が使われているのかもしれない。

 ふっと何かが飛んでくる気配があった。チャンバアが発射した吹き矢のようだった。先端は金属製で猿たちの合間をぬって僕に向かっている。はっきり視界でそれを認識したが、避けることも払い落とすことも間に合わなかった。背後でパスパスパスッと乾いた音がした。僕の脇を直径6mmの小さな弾が3つ飛んでいってチャンバアの吹き矢に全て当たると、吹き矢は僕の目の前でぽてっと落ちた。先端は液体で濡れて、きっと毒なのだった。

「ギャアァアアル!」

 チャンバアが叫ぶ。僕は大忙しで猿をぶん殴りながら少し振り返ると、改造CQB-Rを構えた幼馴染のギャルがいた。

「えーっ。生きてる」

「は? ギャルは死なねえし」

 コルト社製のアサルトライフルM4A1を米海軍特殊部隊SEALsの要求でショートモデル化されたものがCQB-Rだ。それを東京マルイが電動エアガンとして発売している。ノーマルでも優れた性能を持ったモデルだが、彼女のそれは、リコイルがオミットされ軽量化されており、モーターの交換とスイッチのFET化でレスポンスと弾速が大幅に向上している。フォアグリップを廃止しアクセサリはダットサイトのみでシンプルだが、銃身は真っ白に塗装され紫の桔梗と赤い椿の花が描かれ、ラインストーンがあしらわれている。農作物を猿による獣害から守るために村の女性たちがエアガンを購入したが、彼女はそれをきっかけにハマッたみたいで、エアガンのカスタマイズと射撃技術の習得をぐんぐん進めていたのだった。僕はエアガンには興味がなかったけれど、彼女がいつも持ち歩いてよく手入れしていたせいで勝手に詳しくなってしまった。黒ギャルに白い銃の高コントラストはインスタ映えするなあと思った。

「おみャーーらッ! ギェァルとギェァルのアベックどうなっとんだわ、早ョあの世ォへ送ったるがねェ!!」

 チャンバアはさらに激しく毒矢を吹く。スタタタ、スタタタ、とセミオートの連射の音を小気味良く響かせて、ギャルは一発も無駄にすることなく全て正確に撃ち落としていた。猿を殴り続けながら、彼女が生きていたことの驚きと喜びが遅れてこみ上げてきた。父は彼女を殺してはいなかった。でも、それならどうして、殺したようなふりをして僕と闘ったのだろう。考えはまるでまとまらなかった。猿を殴るのに忙しすぎる。さしあたりチャンバアは彼女に任せるとしても、猿があまりに多すぎる……

 白い塊が弾丸みたいに猿の山に突っ込んできた。ムキムキのポメラニアンだった。彼女が飼っている犬だ。

「マッチョ、あーしのこと心配して来てくれたんだ。あり~」

 彼女は毒矢を撃ち落としながらほがらかにそう言った。ポメラニアンは小型犬らしい「キャンキャン」という鳴き声で吠え散らしながら、手当たり次第猿に噛みついていた。彼女はこのポメラニアンを山で拾ったと言っていた。何も特別なことはしてないが勝手にムキムキになったのだという。「そういう種類なんじゃね」という。この「マッチョ」という名を与えられたポメラニアンは、以前から猿や狸や猪などを気ままに狩っていた。

 パタパタパタと原付のエンジン音が近付いてきた。またなんか来た。今度は松永だった。

「うわっ何だこれ。怖ぇー。アプリがめっちゃ通知鳴らすから何かと思ったらさ、センサーがすごい反応してて。来てみたらめっちゃ猿いるじゃん」

 松永は原付の後ろにくくりつけていたダンボール箱の中からドローンを出してセッティングを始めていた。松永のズボンの股間がはちきれそうになっている……。僕が汗だくになって匂いがひどいせいだと思うけど、松永は隠そうともしない。本人も気付いていないみたいだった。ふぃーんとドローンが頼りなさげにふらふら浮き上がった。猿たちも、ポメラニアンも、僕も、みんなあほみたいな顔してドローンを見上げていた。ふぃーんとドローンが僕たちの頭上に来ると、ギャリギャリというかジャリジャリというか、固いもの同士を擦り合わせたようなひどい音がドローンのスピーカーから大音量で発せられた。僕は思わず耳をふさいで、ポメラニアンはキャンキャンくるくる回り始めた。だけど僕たちよりも猿たちの方が苦しそうだった。叫びながら散り散りになって山へ逃げていった。

「ほら、見た!? ああー、猿の嫌がる周波数と波形を探すのにかなり苦労したけど効果絶大じゃん」

 害獣駆除システムの有効性を確認した松永は嬉しそうに僕に向かってピースピースしていた。僕はまだ耳が痛かった。松永はちゃっかり耳栓をつけていた。

「キャーーーーーーーッ」

 チャンバアが再び山に向かって叫ぶが、猿はもう現れなかった。チャンバアはぐったりその場に座り込んだ。

「おみャァら……なんなんだぎゃ」

 鬼とギャルとポメラニアンとドローン。これが僕のパーティーだと思った。奇妙な二代目桃太郎だった。

 チャンバアがなげやりにフッと僕に向かって毒矢を吹いた。ギャルがメリハリの効いた動きで素早くCQB-Rを構えて撃ち落とした。チャンバアはがっくりうなだれた。

「もうええがね。どうでもええがね」

 毒矢の一本を手に取ったチャンバアが自分の首にそれを刺そうとした。あっと思ったら、チャンバアの自殺を止めようと勝手に体が飛び出していた。

「その甘さが命取りなんだわァ」

 けれどチャンバアは素早く袖の下から毒包丁を出して僕を刺そうとした。僕も反射的にチャンバアを刀で突こうとしていた。はっきりお互いが刺されるイメージが浮かんだのに実際には僕の体はチャンバアから離れていった。身長2m50cmくらいのおじいさんが、僕とチャンバアをそれぞれ片手でつかんで引き離していた。彫りが深く、頭髪は短く刈られた白髪で、頬は髭に覆われ、身体は齢に似合わず精悍だった。これが神の顕現した姿なのかもしれないと思った。

「チャンジイィッ! なに止めとんの、鬼を殺すんだがねェッ!」

 これが父の父だった。見るのも初めてで、存在すら知らなかった。チャンジイは僕をゆっくり地面に下ろし、空中で騒いで暴れているチャンバアの首をきゅっと片手で絞めるとチャンバアは気絶した。チャンジイは低く穏やかな声で僕に語りかけた。

「我が子は、自身のかつての選択の正当性を、最後に確かめたのだろう。お前との死闘を通じてもし自身が勝てば鬼を絶やし、もしお前が勝てば未来に賭けようという意志であった。そしてお前が勝ち、我が子は深い満足に包まれて死んだ」

 チャンジイは眠るチャンバアと父の遺骸を抱え上げた。もしあの時、僕が父に敗れていれば、父は彼女とその腹の子を改めて殺し、鬼の血筋を断ち切るつもりだったのか。

「私が太郎に剣を伝え、太郎はお前に剣を伝えた。たとえ血胤でなかろうと、太郎は我々の子であり、お前は太郎の子である」

 チャンジイは、チャンバアと父を抱えてゆっくりと山へ消えていった。


 父の遺したノートには、各地の鬼にまつわる伝承が几帳面な字でまとめられていた。「入るな」と言われていた父の2畳ほどの小さな書斎で、それでも幼い頃に覗き込んだら、父が資料と見比べながらノートを綴っていた姿を思い出した。そんなまとめの余白には、鬼との共存の可能性が父の思考としていくつも書き添えられていた。しかし、あの鬼ヶ島の場所はどこにも書き記されてはいなかった。

 いつか鬼ヶ島を見つけて、きちんと鬼たちを弔ってあげようと思った。

 僕とギャルと赤ちゃんは都会に出てきた。お金が必要だから僕はキャバ嬢になった。CLUB DAMON GALに入店して3ヶ月でNo.1になって、お金の心配はなくなった。妻はギャルであることをやめた。清楚系に鞍替えしたとか、母親になってオシャレをやめたとかではなく、「あーしという存在が、ギャルという枠には収まらないんだよね」と言ってより自由になった。時短勤務で派遣会社の事務をしている。赤ちゃんは女の子で、おでこに僕と同じように小さな角が生えかけている。まだ喋れないけれど、だんだん何がしたいのか、何をしてほしいのか意思が通じ合うようになってきてうれしい。松永は大学生になって彼女ができてよかったね。

 CLUB DAMON GALでは誰も色恋営業はしていなかったし、僕も友達営業しかしていないつもりだった。だけど他の同僚に言わせると、僕のは色恋営業なのだという。お店では陰口を叩かれて嫌われている。

「モモちゃん僕もうお金ないよ。期待させといてひどいじゃないか。鬼だよ」

 同伴で出勤前に食事していたお客さんに、突然そんなことを言われた。飲み方もお金の払い方も綺麗だし、変な誘われ方もされたことないし、お店でも優しい素敵なおじさんだと思っていた。期待なんてさせたつもりないのに、そっちが勝手に期待しておいて何言ってるんだよ、と思って僕は少し混乱して苛々した。でも、急に、あれ、僕いま何してるんだろ、何でこんなところにいるんだろうと思ったら、いきなりわけも分からず懐かしさに似たような感情がこみ上げてきて、泣き笑いみたいな顔で

「そう、僕は鬼なんだ」

と答えていた。

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鬼ギャル オジョンボンX @OjohmbonX

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