3人いる

@abutenn

第1話


 マンションのロビーは深夜0時を前に静かだった。コンシェルジェは退勤済みで警備室とつながる電話だけがカウンターに置かれている。ロビーに人気は無く、ただ通り過ぎてエレベーターへと向かうのだった。


「は、なんで?」


 エレベーターの前には自動扉がついており、扉の前のパネルでインターフォンを押して中からあけてもらうか、鍵に内蔵されたICチップをかざせば扉が開く仕組みになっている。


 パネルに鍵をかざしてみたが何も変化はなし。自動扉は開かなかった。インターフォンを押そうにも一人暮らしなので中に誰かいるわけでもない。


 何かのエラーだろうと思って、カウンターの上に置いてある電話機を取ってみたが何も応答がなかった。


「あのー、すいませーん」


 奥にある警備室に誰かいることを期待して声を出してみるが、反応はなし。誰もいないのだろう。


 パネルのトラブルで中に入ることが出来ない。一度外に出て出直そうと思った。一度家に帰ってからコンビニで買い物をしようと思ったが先にコンビニによることを決めて、もと来た道を戻ってマンションを出ようとする。ただ入り口の自動扉も開かなかった。非常階段も開かないし、通用口も動かない。何が起きているのかさっぱり、ただ、ここに閉じ込められて出られなくなったということだった。スマートフォンを取り出してみるが、圏外表示。当然のことながらwi-fiもない。


「なにこれ」


 呆然としながら床に座ると、天井を見上げた。何もできない。出られなければ外に助けも求められない。


「おい! 誰かいないのか!」


 意味がないことと分かっていながら叫んだ。


「うるさいな、あんた何なんだよ」


 ロビーの中の内階段から一人降りてきた。シャツにスーツ用のスラックスを履いた、痩せた眼鏡の男だった。


 このロビーには内階段から、ロフトのようなスペースがある。入居時に存在は知っていたが‘一度たりとて使ったことのない場所だった。おそらくそこにこの男のネクタイとスーツ、それにカバンは置いてあるのだろう。


「人がいたのか!」


「驚いたのか。僕も驚いているがあんたの顔を見ていたら、ムカムカする方が勝るよ」


 居丈高に言われたもので、カチンと来た。


「あんたいつからいたんだ、どうやってここから出れば良いんだ?」


「他力本願だな。僕だって知りたい、あんたどうやってここに入ってきた」


「知らねーよ! ふつうに帰ってきたら出られなくなったんだ。お前はどうやってここに入ったんだよ!」


「帰ってきたら、こうなったんだよ! あんたと違ってこっちはずっと前からいたんだ」


「ぬ、ぬうう」


 辛い自慢をされると勝てる気がしないので引き下がることにした。


「ロフトに来いよ、そこならテーブルと椅子があるから」


 眼鏡の男に促されるまま、内階段を上って二階に上がった。


 二階にはカウンターのような長いテーブルがあり、そこに向かい合うようにいくつか椅子が置かれている。その背後に本棚が並び、住人のいらなくなった本が雑多に押し込められている。もともとここにいたであろう男の荷物であろうビジネスバックとジャケット、それとネクタイは一つの椅子にまとめて置いてあった。その近くにいくつか文庫本が積まれていて、一つはハの字に伏せて置かれていた。読んでいる途中だったのだろう。


 眼鏡の男が座ると自分も、となりの席に座った。


「ここな、いろいろ調べてみたがどうやら出ることが出られない空間らしい。窓も割れねぇし、何をやっても無駄だ。考えられる限りのことをやってみてダメだったからここで本を読んでいるんだが……」


「おお、まじですか」


「なあ、それでちょっと、今読んでる本の話をしたいんだがしてもいいか?」


「? どうぞ?」


「この小説、特殊能力者が集められたは良いが別の次元から攻撃されて次々に死んでいくんだ。主人公もそれをおいかけるんだが、主人公が帰ってくるにはそいつを必ず殺さないとならないって話でさ。オチはまだ見てないんだけど……」


 そう言いながら眼鏡の男は後ろ手に隠しているものを振り上げた。ボールペンだ。


「クソ! いきなり何だ、アンタ!」


「うるせぇ! とりあえずテメーを殺して出れるか実験してやる!」


 眼鏡の男は俺を押し倒して馬なりになると、そのまま全力でボールペンを振り下ろす。


 ボールペンが首に突き刺さる。激痛が走るが気にしないことにする。


 改心の一撃が決まったかと思った眼鏡の男が動揺したのが手に取るように分かる。残念ながら即死じゃない。


 馬なりになった場合基本的には圧倒的に有利と考えることが多いようだが、意外となんとかなると訓練されていたので知っていた。


 ブリッジ、頭の頂点と、足で反り返る。眼鏡の男と自分との間に隙間ができたので、すかさず腕を差し込んでひっくり返す。今度は自分がマウントポジションを確保する。


 容赦なく鉄槌を振り下ろした。

「てめぇ! なめんな! こちとら総合でプロやってたこともあるんだ! てめぇごときもやしにただでやられる訳ないんだよ!」


 怒りに任せて鉄槌を振り下ろし続ける。三発ぐらい殴ったところで相手の意識が吹き飛んだであろうことはわかった。メガネがひしゃげて、顔の骨がぐちゃぐちゃになって顔中赤黒くなるまで殴り続けた。数十回殴り続けると眼鏡の男はピクリとも動かなくなり、呼吸も完全に止まっている様子だった。


 息を整えながら、一階に降りて、もう一度ICチップの入った鍵をかざす。しかし扉は開かなかった。


「開かねえじゃねえかクソ」


 気がついたら、首に刺さったボールペンから血が出ていることが分かった。大した量ではないが着実に血液がなくなっていっていた。開かないその扉の前で漫然としていると、やがて意識が遠のき消えていった。





 マンションのロビーは深夜0時を前に静かだった。コンシェルジェは退勤済みで警備室とつながる電話だけがカウンターに置かれている。ロビーに人気は無く、ただ通り過ぎてエレベーターへと向かうのだった。


 出会い頭に眼鏡の男に喉元をボールペンで貫かれた。


「よくも! よくも殺してくれたな!」


 今度は迷いなく、ボールペンを抜くと喉元めがけて何度も何度も突き刺してきた。完全に不意打ち。抵抗するまもなく滅多刺しにされて死んだ。







 マンションのロビーは深夜0時を前に静かだった。コンシェルジェは退勤済みで警備室とつながる電話だけがカウンターに置かれている。ロビーに人気は無く、ただ通り過ぎてエレベーターへと向かうのだった。


 眼鏡の男がまた襲いかかってきたのでその動きに合わせてタックルを入れてバックに回ると、死ぬまで首を締め続けて勝った。だが、しかし、いかに殺そうが殺されようが扉は開くことがなく最終的には自死することが多かった。そうして眼鏡の男に殺されたり、眼鏡の男を殺したりしているうちに、マンションのロビーに戻ってきた。


「もう、やめません?」


 散々殺しあった末に俺は言った。


「僕もそう思っていたところだ。この殺し合いは生産的ではない」


 そろそろ数えて、十回ぐらい殺しあったが、何も進展もなければ何も生み出すことは無かった。


「で、どうする?」


「何を試した?」


 俺とメガネの男は試した方法をありったけ話したがどれも似たような話だった。排気ダクトから出られるか試みてみたが、排気ダクトも他の出入り口と同じようにピクリとも動かなかったという話。ロビーはガラスで囲われていて、このガラスを叩き割ることを試みたがガラス戸に消火器だの鈍器が当たる前に謎の力によって跳ね返された。俺は自分で肘や膝などをぶつけようと試みたがガラスに触れることすらできなかった。


「物理的に壊すということは無駄そうだな」


「そうみたいだな」


「なら、俺が入ってきた瞬間に横をすり抜けて一気に出るって方法は?」


「それはまだやっていないな」


「やったみるか!」


「そうしよう!」


 そう言って、俺と眼鏡の男はためらいなく喉元にボールペンを突き刺して自死した。







 マンションのロビーに入った瞬間メガネの男がすれ違って出て行こうとしたが、なにか見えない壁に阻まれて、鼻を強かに打ってうずくまった。


「ダメだったか……」


「ダメだった」


 俺たちはない知恵をいろいろ振り絞ってみたが、結局のところ何も解決することも出来ずにいた。


「お酒でも飲みます?」


「飲みますって、お前、どこにそんなものがあるんだよ!」


「いや、今日出たくもないのに会社の決起集会出てきたんですよ。ビンゴでウイスキー当たって、カバンの中に入っているんですけど」


 そう言いながら、俺はカバンの中から細長い箱を取り出してその中から瓶を取り出した。マッカランの十二年。別に高いものでもないけど、そこまで安いものでもない。


「飲みます?」


「飲もう」


 眼鏡の男は苛立っている様子だったが、何もすることがないということが分かって現状お酒を飲んで様々な起こった出来事を曖昧にするぐらいしか選択肢には無かったようだった。


 マッカランを開けると、俺は迷いなくラッパ飲みで飲んだ。狂気の沙汰であることはわかってはいたが、コップもなければ酒をわる炭酸水などない。さっさと現実の認知を曖昧にしたくてしょうがなかった。眼鏡の男も同じようにラッパ飲みした。


 胃に到達すると即座に揮発して、胃袋を壊していく。むせ返るほどの酒気が鼻を通っていった。少しづつ飲むなら香りが楽しめる訳で一気に飲んでは台無しである。不愉快そうに顔を見合わせて、それが乾杯となった。


「ああ、クソ帰って仕事しなければならないのに」


「あんたもか、僕もそうだ」


 お互いに不機嫌だった。帰って自分の時間を進めなければならないのに、よくわからないこの空間に閉じ込められて何もすることが出来ない。


 その現実が受け入れ難くて、もう一度マッカランを煽った。眼鏡の男も同じようにした。


「そういえば、自己紹介ってまだしてませんでしたね」


「散々殺しあってから自己紹介か?」


「あんたが素手での殺しが得意ってことしか知らないから、自己紹介をしないことにお前の名前は僕の中じゃ『脳筋』だ」


「そうかいそれなら、俺は『クソ眼鏡』さんと認識していたし確かに自己紹介は必要だな」


 お互い着ているものはスーツだった。ジャケットからレザー素材のカードケースを取り出すとメンコを叩きつけるように自分の名刺をカウンターに叩きつけた。クソ眼鏡さんも同じようにした。


「同じ名前だと?」


「……しかも同じ会社だ」


「部署も同じ」


「免許はあるか?」


「ああ……」


 免許証も取り出す、住所と部屋番号は全く同じ。生年月日も同じ。つまりここにいるのは同姓同名、同じ会社に勤める、同じ部屋に住んでいる男が二人いるということになった。

「脳筋である、俺は難しいことを考えることを放棄したいと思っている」


「クソ眼鏡の僕もその意見に賛同したい」


 そうして無言でまたマッカランの飲んだ、クソ眼鏡も同じようにして、意識をどんどん混濁させていくことにした。酒の酔いやすさも大して変わらないらしい。


 すると、扉が唐突に開いたふくよかな男が新たにこの空間に入ってきてカウンターで呑んでいた俺達と目があった。


「あ、やっと生きてる状態で会えた! 無駄に殺し合いばっかりして!」


 仮に俺はこの男を『デブ』と名付けることにする。


「あんたは?」


「おれもあんたらと同じ名前で同じ部屋に住んでる人間だ」


 ここにいる存在は三つになった。


「全く無意味に殺し合いばっかりして、おれはとりあえず何回もここに来たけど何度来てもあんたらは二人とも死んでいるんだ解決しようにもあんたらが死んでるから何も出来なかったんだろ! ふざけんな! いい加減にしろ!」


 デブは一方的にまくし立てた。


 俺はそっとマッカランを強く握りしめて、後ろ手に隠した。


「まだ殺したこと無いやつが一人いたな?」


「ん、ああ、そうだな。実験しても別にいいんじゃないか?」


 そこまで話してデブがうろたえた。


「よせ、殺し合いは何も生まないって何回もやってるなら分かってるじゃないっっ」


 すべて言い終わる前にマッカランのビンを振り下ろした。


 一発でだいぶひるんだようで、三発ほど顔面にたたき込むと動かなくなったので念入りに十発ほど入れると死んだ。


「どうしよっか」


「とりあえず呑んでから考えよう」


「そうだな」


 とりあえずマッカランのビンを空っぽにすると、何も考えがお互いに浮かばなかったので死ぬことにした。









「何するんですかー!」


 デブがぶち切れながら入ってきた。


 まあ、そりゃ怒るだろうと思ったけど謝るつもりも特になかった。


「とりあえず殺し合いが何も生まないことはわかった。生産的な会話をしよう」


「殺し合い、良くない。今ある情報を整理しよう」


 デブにしても同じ部屋に住み、同じ職場の同じ部署で働き、同姓同名、生年月日も同じだった。デブは大体俺たちが殺しあったあとにこの場所に来ることが多く、何もできないままただ干からびて死ぬか自殺するかしかしてこなかったらしい。


「死に対しての概念が薄くなるね」


 と、デブはこぼした。全く同感だった。殺すも死ぬもだいぶお手軽だった。


 とにかく打開策を考えなければならなかったが、正気の状態で考えても何も生み出せなかったのでとりあえず酔っ払うことにした。


 酔っ払ったあと、とにかくまともにやってもうまくいかないので、まともじゃない方法を三人でひたすら試すことになった。


 三人で同時にキーにタッチしてみたが開かず、何かカッコいいことを言えば開くのではないかとさまざまなことを口走りながらタッチするも開かず、三人で一様に土下座をしてみるがうまくいかず、三人同時にドロップキックをしてみるもうまくいかず。カバディのルールを採用して、ゲームの勝利条件をキータッチを行ったら開くかと思ったがダメだった。


 失敗するたびにゲタゲタ笑って色々な虚無感をごまかした。


「ダメだな三人いっぺんにってやり方が良くないのかもしれない」


「ならどうしろって言うんだよ!」


 カバディで疲弊したデブが肩で息をしながら言った。


「なあ、そういえば俺たちって同じ時計してないか?」


「それもそうだな」


「外して並べてみようぜ」


 この行動に何か意味があるようには思えなかった。時計はそれぞれ別の時間を指し示しているが、そもそも自分の時計がここに入った時にデタラメな時間を指していて、あっているものではない。それはほかの二人も同じなのだろう。


 ただ、明らかに時計が自分たちをつなぎ止める共通点のような気がしてもう一度カウンターに並べ直した。


「いっこ提案なんですけど、今から時計を二人が見てない状態でシャッフルして直感で自分のだと思った時計をするのってどうですかね?」


「なぜそうする必要がある?」


 クソ眼鏡が聞いた。


「なんとなく、じゃだめか? これが自分のものであるってことを話し合っているうちに自分の言ったことを疑い始めたりしないか? そうしているうちに、ズレたり歪んだりしないか?」


「つまり、あんたがいいたいのは思い込み抜きに直感で入れ替えろってことなんだな?」


「そゆこと。確か時計の時間合わせのモードがあるからそれにすればしばらく全部が同じ位置を指し示して止まるはずだ」


「分かった。ならおれがシャッフルしますね」


 そう言って、デブが進み出て、俺と眼鏡はカウンターに背を向けた。


「いいよ」


 前をむき直すと、時計がバラバラの方向に置いてあった。同じ時計、経年劣化の度合いも同程度、それなりに使い込んでる。時刻調整のため時計の指し示す時間は全て同じ時間になった。


 全員が顔を見合わせた。


 自分の時計だと言うことは、なんとなくの直感一目で分かった。全員が一斉に手を伸ばすが、全員が違う時計を手に取った。


「みんなそれでいいんだな?」


「僕はこれだと思う」


「おれもこれだと思う」


 俺もその意見と同じだった。


 ならば行こうと、タッチパネルに鍵を翳すとピープ音がなりすんなりと扉は開いた。


「開いたな」


 開くときはあっさり開いてしまった。


「なあ、俺以外ってこの中入れるのか?」


 と、聞くと、デブが開いた扉の先に手をのばそうとするが見えない壁に阻まれたようになった。


 どうやら鍵を開けた人間以外は入ることができないのだろうと確信した。


 そうして、この中に入ればここで出会ったこの二人とは二度と会うことは無いだろうと思った。


「何か言い残すことはあるか? 多分おれ達は、どこかで違うことをしたおれだと思うんだけど」


 デブが言った。


 誰よりもここに長くひとりで生き残って所持品を一通り調べ上げての結論だろう。俺もそこまでは見ていないがどことなく顔も見たことがあるような気がするし、どこかで違った自分というのは直感で分かってはいた。


「興味ないね。俺、昔の自分の影をみるみたいな同窓会だって嫌いなんだ。あったかも知れない姿なんて、秒で忘れたいね」


「脳筋に賛同する」


 眼鏡が言った。


「そうか、このあたりはおれたち同じなんだな」


 俺は迷いなく開いた扉の先へと踏み込んだ。


「じゃーな」


 というと扉は閉じて、時計を時刻調整モードから元に戻すと、きっかり十二時を回ったところだった。


 エレベーターに乗り込む頃。マッカランを忘れて来たような気がしたが、二度と彼らに会いたく無かったので戻りたいとも思わなかった。

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