11.帰宅

 自宅の方で両親の帰宅に備えての大掛かりな掃除が行われていた頃、旭と舞鶴は伯母の美郷みさとと共に空港へと向かっていた。

 家から空港までは少なくとも1時間以上はかかる。現在は、美郷が助手席に座る舞鶴と会話をしながら、多くの車が走る高速道路にて車を走らせていた。

 非常に大柄な旭は、自身にとってはやや狭い車内で、足の組み方をあれこれ調整しながら、ぼんやりと空を眺める。空は青くとてもよく晴れており絶好の行楽日和だろう。自分達が乗る乗用車を追い越した車には、大層楽しそうに話している家族連れが見え、羨ましいものだなと考えた。

 旭は、モヤモヤした思いを胸に短く息を吐き、車内でも空港でもなく合宿所に思いを馳せた。

――どうせなら空港じゃなくて合宿所に行きたい……今頃なんの練習してるんだろ……。

 大学四年生になり、夏に大学院の入試を控えた旭ではあるが、実はまだ部活を引退していなかった。もちろん同級生の中には様々な理由で部活を引退した者もいるが、旭はバレーボール部の主将キャプテンであったことや夏の大会に出場したいという思いから引退時期を遅らせていた。院試の時期とも一応被らないことから監督やコーチにも了承を得ている。だからこそ長期休暇の合宿にきちんと参加したかった。元々、家の事情で不参加や遅れての参加となることも多いため今回も致し方ない事だが、溜息くらいはつきたくもなる。

――しっかし、合宿に遅刻する主将ってなんだよ…………他のみんなに申し訳ない……。

 本来ならば部員の先頭に立って皆を率いなければならない身にも関わらず、初日から参加出来ない事実に何とも情けなく感じる。いや、裏を返せば終盤だけでも参加出来るだけでも僥倖と言えるが、好ましいことではない。自責の念に気持ちを乱され暗い気持ちになった旭。そんな彼の耳に、運転席の方からは随分楽しそうな様子の声が届く。


「そ、それでね、夏陽なつひくんの家で朱梨あかりちゃんとゲームしたんだけど……全然上手く出来なくて、ひとつステージクリアするのに、いっぱい失敗しちゃって……」

「そうなの? 最近のゲームって難しいのね」

「うん、でも、難しいっていうより、私が下手なだけかなぁって。夏陽くんも朱梨ちゃんも、とってもじょうずだから」


 楽しそうに会話をする声の主は、助手席に座る舞鶴だ。普段のおどおどした様子から一転、随分明るい声で話しておりその態度が妙に旭の癪にさわる。自分たちと会話をする時はあんなに怯えているのに……という思いが更に苛立ちを煽る。

 それに、両親がいないからとはいえ、ゲームをした話を堂々としているというのは、そういった娯楽を禁止されている身としては複雑な気持ちになる。

――まぁ、僕そんなゲームしないからいいけどさぁ。


 重苦しい気分で何度目かの溜息をつくと、運転席の美郷が旭に声をかける。


「どうしたの旭くん。やっぱり、お母さんたちと会うのは気が重い?」

「あ、いや、えっと……それもありますけどそうじゃなくて……部活、初日から参加出来ないから嫌だなぁと、思いまして……」


 美郷も旭の心境を多少察してくれているのだろう、大仰な溜息に不満を見せることなく言葉をかける。まさか反応があるという思っていなかった旭は、慌てて溜息の理由に部活を当てはめた。流石に馬鹿正直に舞鶴に言及する訳もない。

 旭の返答に、美郷は納得したようにあぁ、と頷く。


「旭くんは今も部活してるのね、凄いわね。えっと、確か主将だったかしら」

「あ、はい。……一応まだ主将やらせてもらってますけど、その主将が初日不参加ってどうなんだろうと……。監督とかコーチとか、副主将にはちゃんと話してはいますけど」


 バックミラーに映る美郷と一瞬目線が合ったが目線を逸らす。続けて、ぎこちなく言葉を返すと、美郷はなんでもないように明るい調子で喋る。


「別に大丈夫でしょ。旭くん、普段から真面目に参加してるんでしょ? そのくらいでみんなからあれこれ言われることもないと思うけど」

「だと、いいんですけどね……」


 実際、合宿遅刻により起きたトラブルといえば、一年生の頃に先輩に文句を言われたことがあるくらいだ。それ以降は旭の家の事情を知ったのかなんなのか、言われることは激減した。やがて三年生になり、先輩から主将を任されると、合宿云々よりも声のことに言及されることが多くなった。それはそれでいい気分はしないが。

 ともあれ、極力気にしない方が得策だとは思うのだが、旭の性格上気にせずには居られないまま、ざわざわとした心持ちで車内にて過ごすことになった。


 その後サービスエリアで一休みし、ソフトクリームを食べ、運転を交代することにした。美郷が後部座席に座ったことにより、舞鶴も美郷の隣に腰を下ろす。当たり前の行動を尻目に、座席の位置などを調整してから改めて空港に向けて出発した。


 車を走らせることおよそ30分。ようやく空港に到着した一行は最低限の荷物を手に広い駐車場から空港の到着ロビーへと向かった。

 自動ドアを通ってひんやりとした空気を身に受ける。空港には多くの人がおり、接触しないように気をつけながら辺りに目をやった。

 案内所や手荷物受け取りカウンターなどを示す案内の他に、喫茶店や売店も併設されている。そんな中両親を探してみるが姿は見受けられない。


「お母さんもお父さんも、まだなのかな?」

「聞いてた時間より、まだ10分くらい早いから、もう少し待ちましょう。待つ間暇だし、売店でも見てみる?」

「うん、見る!」

「じゃあ行きましょうか。旭君はどうする?」

「あー……この辺で待ってます」

「そう。じゃあ、すぐ戻ってくるから少し待っててね」


 美郷に小さく頷いて、舞鶴と共に売店へ向かうその背を見送った。

 ひとり残された旭は、通行人の邪魔にならぬよう周りを気にしながら、何も無い壁に身を任せる。続けて、大きな広告が吊るされた天井に目を向けて、思わず嫌な言葉が口から出た。


「……ふたりとも帰ってこなきゃいいのに」


 自分の口から出た言葉に驚いたが、周囲の人物の耳には全く届いていなかったようで、胸を撫で下ろした。


 それからおよそ5分後、買い物をしてきたらしいふたりと合流し、更にもう少し待っていると、大きな荷物を抱えたたくさんの人が国際線到着口の方からやってきた。


「いっぱい人が出てきたね。お母さん、もうすぐかな?」

「かもしれないわね。お母さんたち目立つから、すぐ分かるんじゃないかな」


 溌剌とした声を上げる舞鶴につられて、到着口の方に目を向けると、その人混みの中に大きなシルエットが二つ見えた。様々な人種の人達が行き交うその中でも、他に比べて背が高く多少目立つ男女がいる。鋭い目付きが印象的なショートヘアの女性と、優しそうな顔つきの長髪気味の男性。大きな荷物をいくつも持ってこちらへと歩く彼等こそ、数ヶ月ぶりに顔を合わせる双葉と海陽であった。


「ほら舞ちゃん、お父さんとお母さん来たよ」

「ほんとだ! おかーさん! おとーさーん!」


 美郷に促されてようやく両親の姿を捕らえたらしい舞鶴が、一気に嬉しそうに顔を輝かせて大きく手を振った。丸くキラキラした瞳の先で、娘たちに気づいた双葉が、口の端を緩めて手を振り返すと、舞鶴は嬉しそうにまた手を振った。

 随分と楽しそうな妹の声を冷ややかな心持ちで聞きながら、旭も両親の姿に目を向ける。久しぶりに目にする両親――もとい双葉のは、ほんの少しだけ疲れているようにも見えた。やはり異国の地での仕事や長旅は体にも悪影響を及ぼすのだろう。相手の気分を害さぬためにも、旭は極力笑みを作って小さく手を挙げた。

 到着を待っていた舞鶴の元に双葉と海陽が来て、待ちきれないとばかりに彼女が嬉しそうに抱きついた。おっと、と小さく声を漏らした双葉が、薄く微笑んで舞鶴の頭を撫でる。


「お母さんお父さんおかえり!」

「ただいま舞鶴。久しぶり。大きくなったわね」

「えへへー」

「旭も久しぶり。ここ最近、なにも問題起きてない?」

「おかえりなさい、お疲れ様です、母さん。……あ、これと言った問題は、特に、なにもないよ」

「それなら良かった」

「旭も、美郷姉さんも、来てくれてありがとう。運転疲れてない?」

「ありがとう、父さん。僕は……うん、大丈夫、平気」

「私も特に疲れてないから気にしないで。それより海陽も双葉さんも、長旅疲れたでしょ。早く帰ってゆっくりしましょう」


 久々に会ったにしては重く固い空気感の中で会話を繰り広げ、ロビーから駐車場へ向かう。旭は両親の荷物をいくつか受け取って車に乗り込んだ。後部座席に座り込んだ旭は、携帯電話を取り出し、空港を出発することを信濃に伝えた。



 それから1時間ほど車を走らせ、昼過ぎに帰宅する。美郷とは途中で別れ、双葉達にとっては数ヶ月ぶりの我が家に足を踏み入れる。


「ちゃんと片付いてるのね、よかったわ」

「そうだねぇ」


 錦たちがそれぞれ頑張って掃除をしたのだろう、門扉から玄関手前までの通路や家の中は整理整頓され、家を出る前よりもかなり片付いていた。

 元々、この家は普段から片付いている傾向だが、久々に両親が帰宅するともなれば、更に清掃されるのも当たり前である。

 揃えて脱いだ靴を戸棚に閉まっていると、リビングの方から雄和がやってきた。双葉と海陽の姿を見て一瞬僅かに怯えた様子を見せた彼だったが、なんとか平静を装い落ち着いた様子で口を開く。


「母さん、父さん、おかえりなさい。えっと……荷物運んどいていい?」

「ただいま、雄和。荷物は……別にいいわ。そのまま置いておいて。自分でやるから」

「わかった、ごめんなさい。……えっと、今台所でしな兄と燕が昼食つくってるから」

「そう。ほら舞鶴、早く手洗ってきなさい」

「はぁい」


 ぎこちない様子で返事をした雄和は、二人の荷物を邪魔にならぬよう端へどけて、階段を登っていった。旭は手を洗ったあとキッチンへと向かい様子を伺うと、春野菜のサラダを和えていた燕と目が合った。


「あぁ、旭兄貴、おかえり。疲れてない?」

「うんただいま。いや、いうほど疲れてはないよ」

「旭兄さんおかえり。昼ご飯もう少しでできるから待ってて」

「ん、わかった」


 燕の隣側、コンロの前にて味噌汁の味見をしていた信濃が旭の方を一瞥した。なにか手伝うことがあれば、という気持ちも抱えながら台所に来たが、特にすることはないらしい。自分がいても物理的に邪魔なだけなのだろう。大人しく引き下がることにする。だが、それを信濃が引き止め、小声で問う。


「あ、あのさ、ごめん一つだけ教えて。……お母さんの機嫌どう?」

「うーん、割といい方だと思うよ。伯母さんとも落ち着いた感じで喋ってたし」


 双葉の様子を思い出してそう言うと、信濃と燕はほっと安堵した表情を浮かべる。やはり気になるのはそこのようだ。


「こんな時だから皆気張ってるだろうし、このままいけばご飯時は何も起こらないと思うよ」

「それならよかった……。じゃああとは僕と燕で準備するから。ありがとね、旭兄さん」

「いやいや大丈夫。じゃ、一旦下がるね邪魔だろうし」

「ごめんね。……あ、燕、それ終わったら適当に器に盛っといて」

「分かった」


 今度こそキッチンをあとにする。弟二人の会話を聞きながら、旭はとりあえず手荷物を片しに部屋に戻った。



 数十分後、信濃に呼ばれてリビングに繋がるドアを開けると、深みのあるいい香りが鼻をくすぐった。他の家族はちらほらと自分の席に着き始めており、自分も湯のみや飲み水を出して自分の席に着いた。

 食卓の上には魚の煮付け、春野菜の和え物、タケノコの煮物等春の食材をメインにした品が並んでいる。品数も多く、8人分ともあれば量も多い。よくこれを短時間で作ったな、と旭は内心感心した。

 家族全員が食卓につく珍しい光景の中、双葉が短く手を合わせて食べ始める。それに続いて、旭は作法の見本に成りそうな手つきで味噌汁の器と箸を手に取って一口啜った。

 視界の端で、味噌汁や煮物を口にした双葉がほっとした表情で息を吐く。


「やっぱり家に帰ってきてうちのご飯を食べると安心するわね。……それに信濃、また腕上げたんじゃないかしら」

「え、そ、そう? それは……よかった。ありがとう」

「海陽が作った食事とはまた違ってほっとするわ」

「……そ、そう思ってもらえてるなら、よかった」


 普段からは考えられないくらいぎこちなく下手くそな笑みを浮かべた信濃は、双葉の視線が離れた拍子に、一瞬悩ましげに眉を寄せた。恐らく、今の返答で正解だったのか、本当は謙遜すべきだったのではとあれこれ考えているのだろう。ただの食事すら気楽なものではないのは苦痛だ。

 そう思うと、特に深く考えず両親との食事や会話を楽しみ、いつもより穏やかな表情で座っている舞鶴が羨ましく見えた。



「じゃあ、片付けたら旭達は和室に来て。いつものように成績とか家計簿とか確認するから」

「あ、はい……」

「疲れてるかもしれないけど、海陽は舞鶴連れてとりあえず外出てくれる?」

「わかった。舞鶴、お父さんとどこ行くか決めた?」

「えっと……ちょっと前に緑町にお菓子屋さんができたって、朱梨ちゃんがいってて、そこに行ってみたいなって……」


 あまり気の休まらない食事を終え、各自片付け等に取り掛かる。このくらいの頃になると、双葉との話し合いを意識せざるを得ないため、兄弟は皆気持ちがずんと重くなる。

 唯一の例外は、その話し合いとは全くの無関係どころか父親と外出する事になる舞鶴か。この状況を彼女がどう思っているかは分からない。今は皆妹を気遣っている余裕はない。いつもならくだらない事で喧嘩に発展する錦も、今日はかなり苛立ちを堪えているようだった。

 旭の胃の腑周辺を、不愉快なものが渦巻いている。吐き出せるものならいっそ吐き出したいが、それは出来そうにない。異物感に耐えながら適当に歯を磨いて、気合いを入れ直すために顔を洗った。顔を上げる拍子に、鏡に映る自分の姿を目にする。そこにいるのは、覇気のなく血色の悪い色をした自分だった。

 これから、和室で親が不在の間に何があったかの確認が始まる。ただの成績の確認や、無駄遣いをしていないかの確認ではある。だが、あれこれ過剰に詰問されてしまうのかと、また自分が無関係なことで説教を受けるのかと思うと、全部投げ出して逃げたいような気分にもなる。当然そんなことはできないが、ただ、重苦しい足取りで必要なものを取りに一旦自室へと向かった。

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鳥瞰の日々 不知火白夜 @bykyks25

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