後談 隣人の細君

 彼が隣人に変化があったことに気づいたのはつい最近のことである。以前は腑抜けた魚のような顔をし、服装も適当であったが、最近はパリッとした服装をするようになったのである。これはもしや隣人に細君が出来たのやも知れぬと彼は人知れず思った。しかし、生活音や夫婦の会話などが全く聞こえてこないので彼は隣人に良い人が出来たのかとも思っていた。

ある日のことである。隣人が車椅子を押しながら家に入るところを目撃した。車椅子に乗った人物は隣人の背に隠れて全く分からなかったが、彼はここで細君が隣人に出来たのだと思ったのである。彼はなんだか目出度い気分になり、酒を持って隣人の家の扉を叩いた。隣人は引き戸をカラカラと開けて、普段めったに来ない客人に目を丸くした。

「××さん。こんな時間に如何しましたか?」

「いやはや、君、結婚をしたのなら言ってくれ給えよ。今日君が車椅子を押しているところを見てね。最近の君の服装の変化などから細君かと思ってこれは目出度いと酒を持って参ったのだよ」

「結婚?そんなことはまだしてませんよ。何か見間違えたのでしょうよ。最近僕の格好が変わったのは単に趣味が変わっただけですよ。目出度い事なんぞ一つもありませんからどうぞお引き取りを」

そう言われると隣人はピシャリと扉を閉めたのである。彼はなんだか心に霧がかかった様な気分になり、彼の家の客間側の壁に耳を付けてみた。とくにはっきりとした何かは聞こえないが、ごくたまにぼそりぼそりと声が聞こえてくるのである。細君のことを隠していると思った彼は隣人の外出を尾けることにしたのである。

三日ほど過ぎた天気の良い日。隣人の家から引き戸の音が聞こえてきた。途中で勘付かれても困ると思い、玄関で隣人の姿を少しの間見送ってから彼は自宅を出た。しばらくすると隣人は公園に入って行くのが見えたので、彼もまた公園に入った。公園で一番景色のよく、湖が見える場所に彼等はいた。

「今日は日差しが暖かいね。君の金色の髪が日差しできらきらとして綺麗だよ。」

ほら、やはり、細君ではないか。それにしては、細君の声が聞こえない。彼はそう思って隣人の肩を叩いた。隣人はぎょっとした顔をしている。

「やはり細君じゃないか。目出度い事じゃないか。何故ぼくにその事を隠してたんだい?独占さたいのか?まぁ奥方の顔を拝見させていただくよ」

彼は隣人の制止を振り切り、車椅子に近づいた。

「こんにちは。おたくらの隣に住んでいる××だよ。貴女にご挨拶をしたかったのに、つまらない独占欲で、貴女の良人が会わせてくれなかったんだ。」

そう言っても、車椅子に座る女性の反応はない。彼は不審に思い、車椅子の正面に向かった。そう、それは精巧によく出来た人形であったのである。

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人形の断片の記憶 石燕 鴎 @sekien_kamome

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