人形の断片の記憶
石燕 鴎
前談 【人形】-由緒と謂れ-
『急げ、急げ、急げ!○○病院が一番早い』
『まだ脈はある!早く!急げ』
その声を聞いた刹那、私は人形と漸く別れられたことを悟った。熱い。身体中が熱い。燃えるようだ。そんな中、私の記憶は人形と出会ったときの頃が走馬灯のように思い出されたのである。
××××
私はF町の比較的大きな問屋の家の生まれであった。生家は茶や生糸の仲卸でそこそこ儲けていたようで、舶来品が家の中にごろごろと転がっていたのを物心ついた時から記憶している。
ある日、父が出張でY町に出ることになったので、家族で二等列車に乗っていった。私も幼いながらに心を躍らせていたものである。
Y町につくと、父とはすぐに別行動になった。母と共に舶来品の店や服などの店舗を見ていると、こじんまりとした舶来品の店が大きな問屋と服屋の間にあるのを私は見つけ出した。服飾に夢中になっている母を置いて私はこじんまりとした店へと入った。
店の中には、大きな煌めく石や木乃伊の片手、さらには西洋の甲冑などが置いてあったが一際目立つように鎮座していたのが、件の人形である。あの時は、椅子に座っており、すらりと長く美しい手足を組み、その店の主のようであった事を記憶している。私は思わず人形に近寄り、顔や衣装を視てみた。衣装は掛図でみたような西洋の服を着ている。顔は普段私が接している人間とは違い、彫りが深く口元には微笑を湛えていた。
「きれいだ……」
幼い時分の私には『彼女』を表現する言葉が見つからなかったのである。しかし瞳は見る角度により煌めく色が違い、肌が陶磁器のように美しいのである。奥の方から妖しげな店主であろう老人がひょこひょこと現れたのである。
「坊ちゃん。一丁前にその女に惚れたのか」
「惚れたって……!ぼくはただきれいな人だと思っただけで……!!」
「それを惚れたって言うんだよ。遠慮はいらない。この女を持っていきな。」
「でもぼく、お金とか持っていないよ!」
そういうと妖しげな男は大声で笑った。
「こいつは金銭じゃ扱えない女だ。この女は気持ちで持ち主を選ぶ。今、こいつは笑っているだろう。余程おまえさんを気に入っているようだ。車椅子も追加でやろう。今日からこいつは坊主のモノだ。ただな、決してその女の前で他の女の話やら粗悪な扱いをするなよ。家が絶える程の不幸が齎されるかもしれない」
こうして私は『彼女』の主となったのである。帰りの鉄道の中で他人からの鬱屈とした視線がやけに気になったのは記憶している。 父母は何かを悟ったのか、『彼女』についてなにも問い質さなかった。
その日から私は『彼女』と一緒に遊ぶようになった。私は『彼女』の長い金髪を梳かして遊ぶのが大好きであった。滑らかな陶器で出来た手を繋ぐのも好きであった。晴れた日には『彼女』を連れ出し、野原で草冠を作ったりした。そうすると『彼女』は微笑んでくれたのである。
そんな幸福であった日も私の成長につれ、少なくなってゆき、やがて私にも縁談がくる年になった。母は『彼女』がいるに構わず私に縁談の釣書を見せたりすると心なしか『彼女』の表情がのっぺりとするのである。母が別室に移動し、私が『彼女』に謝罪する日が続いた。そんな日々が続いていると段々と家業が傾いていったのである。母は家業のため、一所懸命によいところのお嬢様との縁談を勧め、父は舶来品を質屋に持っていくようになった。この頃には女中たちに『呪いの人形』やら『人形を大切にしないと人形になる』などの噂が立つようになったのである。
しかし石が転がり落ちるが如く、家業の業績は悪化していった。最後に残ったのは『彼女』だけであった。この頃になると段々と人形が私のやることなす事に制限をしていると感じるようになり、一抹の嫌悪感がわたしの胸中にはあった。私は人形を質に出すことを決めたのである。ただ、あの舶来品屋との約束もある。質草にするのであれば毎日逢いに行かねばなるまい。そう思ったのである。そうして質屋に通っていると人形に『惚れた』男が来た。ついに人形と別れられる。しかし、人形が彼を気にいるとは限らない。そこで私は人形と彼をデェトさせてみることにしたのである。
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