8 ググ/「僕たち、終了です」

 それから、「なんだ!?」と先に声を上げたのは店主だった。四人があんぐりと口を開けている間、客――きっと客ではない――彼らの様子のおかしさに気づき、ユング待望のユッケ丼を持ったまま、四人を置いてそのまま後ずさりで厨房へ戻って行った。


「あの! 僕のユッケ丼……」ユングが振り返って店主に叫んだが、肩を落として諦める。「……食べられる状況じゃないか……」


「なんなの? この人たち」


 ソラも声を上げる。その間にも、人々はゆっくり、まるでゾンビのように距離をつめて四人に近寄ってくる。


「はい、僕、わかります。多分」ユングが言った。「多分……『客人きゃくじん』です」

「客人? 聞いたことはある気がするけど……」

「そのへんの人――恐らく無能力者が、体と頭を完全に支配されて、操作されています。でもこんなことできる能力者はそうそう居ません」


 ユングの話す声はだんだん震えていき、


「これは、多分、恐らく、きっと……」


 先頭の一人の手が、微かに震えながらぬらりとユングの顔の前に伸びた。まるでユングの顔を握りつぶそうと探っているかのような手つきだった。


「ごめんなさい!」


 ユングが、右手に掴んだままだった銀の箸を勢いよく振りかざし、それを客人の右目に振り下ろす。箸は見事に客人の右目に深々と突き刺さり、客人は後ろにバタリと倒れた。眼孔から吹き出した血が、ユングの顔に容赦なく浴びせられる。


「皆さん、客人は、殺すしかありません」言いながらユングが素手で顔を拭ったが、血は落としきれなかった。「客人か、操っている本人を殺さないと……」

「殺すって? わたしには無理。虫ですら気持ち悪くて殺せないのに」

「僕も、もー無理」テトが椅子から降りて、「もう体力の限界」


 客人の波をかき分けて店を出て行けそうにもなかった。

 どうやって店の外に出るか話し合う暇もなく、あっという間に四人は壁際に追い詰められる。

 ググが近づいてきた客人に足を踏まれ、尻餅をついてしまう。

 数人の客人の手がググの目の前に伸びた。


「ググ兄」


 ググはぎゅっと目を瞑る。


 そして、ユングが何かできるわけでもなく咄嗟にググにかけた台詞と、まるで太い木の棒を一気に何本も折ったような、そんな音が重なり合った。


 ユングの声に被さって聞こえた奇妙な音に、思わずググは目を開ける。目の前には、手首が二つできたかのように腕が折れ、手をだらんと垂らした客人が数人いた。


 いや、折れたのは腕だけではない。ググに手を伸ばしていた客人は皆、通常ではあり得ない方向に脚が曲がっていて、恐らく、脚も折られたようだった。

 バランスが取れなくなったのか、数名の客人はゆっくりとその場で倒れ、それでもまだ何かを達成しようとのろのろともがき蠢く。


「ググ……?」


 テトが少し驚いた顔でググを見る。驚いたのはテトだけではなく、ググ本人もだった。ググが振り返ってテトを見て、何も言えなくなっていると、


「あ、いや、僕がやりました!」


 とユングが慌てた様子で言った。


「それができるなら全員にやってほしいけど!」


 何かしようとしているのか、ソラは息を荒くしながら髪をかき上げ、ユングに言う。


「も、もうできそうになくて」

「わたしがどうにかする」ソラがユングより前にでた。「あんたらが使えないから」


 緊張した顔つきで、ソラが両手を前に出した。

 息をとめ、その両手を天井にかざす。

 店内にいたすべての客人の足が浮き、体が天井に打ち付けられ、客人の重力だけ逆になったかのように張り付いた。パリンと呆気ない音をたてて蛍光灯が割れ、照明はなくなり店が暗くなる。


「早く出て、わたしも出るから」


 声を絞り出し、ソラが言う。残りの三人が顔を見合わせ、ソラよりも先に店を後にすることにした。


「ソラは自分や他人、物を浮かせるのが得意なんだよ」


 少々やつれていたが、場違いな笑顔でテトがググに言った。


 ソラも店を出たところで、力が解けたのか、バンと音を立てて客人が店の床に落ちていく。


 そこで何を思ったのか、ユングが踵を返し、店の外にあった木の椅子を持ち上げる。

 そして入り口に最も近いところでうつ伏せで倒れていた客人の頭を、椅子の脚で何度も何度も殴りつけた。


「ユング、おかしくなったか?」テトが声をかけるも、

「いや、ちょ、っと、思った、ことが、あっ、て」


 殴らながらのせいで、ユングの言葉は細切れになったが、伝わった。


「ま、それなら待つか……」


 正直ググからすると、例え自分らに危害を加えようとしてきた相手であろうが、目玉に箸を刺したり、天井に打ち付けたり、とどめで原型がなくなるくらいに椅子で殴り倒したり、その様子を腰に手を当てて眺めるのは異常なことではあったが、これを普通としているのが自分よりも多数なのと、彼らがいなかったら助かっていなかったに違いないので、何も言えなかった。


 客人の頭蓋骨が柔らかかったのか、それともユングにかなりの力があったのか。客人の頭が完全に砕け、その中身が露出したところで、ユングがふとしゃがみこみ、まじまじと中身を見つめる。


「やっぱり……」


 ユングが掴んでいた椅子を乱雑に後ろに投げ、客人の頭の中に入っていた「一部」を人差し指と親指でそっと取り上げる。


 正方形の紙に点と点を線で繋いだ星座のようなマークが書いてあるそれは、ググには見覚えもないものだったが、ユングには心当たりがあるようだった。


 ふらふらと立ち上がり、ユングは店の外壁に手をつく。そして、我慢していたものを一気に出すかのように、胃の中に残っていたものを全て嘔吐した。ソラがユングに駆け寄る。


 ユングは青ざめた顔で振り返り、カラシ色のブレザーの袖で、自分の口の周りについてしまっていた吐瀉物を気にせず拭った。


「こ、この客人は……ジンの客人です」


 ユングの指先が震え、紙は風に乗って飛ばされる。


「僕たち、終了です」


 引き攣った笑顔でユングが言った。

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