7ググ/いつもの生ユッケ丼

 やがてググ達の乗った白い車は自動運転で店付近に到着した。店はチラシに記載があった通り狭い商店街の中に位置するため、車で店前までは行くことができそうになく、商店街近くのパーキングエリアに駐車し、そこから二人とも空の腹を手で押さえながら黙って徒歩で店前まで行くことになった。


 商店街はまるで都会にあるとは思えないくらい寂れていて、ググとユングの他には誰も歩いていない上に、シャッターが降りている店がほとんどなのもあり光が少なく、暗く感じた。当の店は場所どころか時代も間違っているのではないかと思わせるほどに看板が古く全体的に錆びていて、錆びまみれのせいで店名は読めない。ググにとっては自分が行ったことのある店で一番汚い店がかつてのバイト先である「良々鶏」だったが、それがこの度この店へと更新された。まだ店内に入ってもいないのに。


 もはや営業もしていないのかと思うほどに外観も古びていたが、拡張視界によってドア前に浮かんでいる文字は緑色での「営業中」だった。一応、拡張視界コンテンツを導入している店ではあるようだ。


「ここで合ってますよ」


 本当にここで合ってるの? とググが聞く前に、ユングが笑顔で回答した。


 なら、と、ググはその古い店の古い木製の扉に手をかけ思い切り引いたが、余計な力が必要になるほどその扉は重い。ぐぬぬ、と更に力を込めようとすると勝手に扉がスライドしたので、振り向くと、ユングが右手を前に伸ばしていて、恐らくユングが能力で扉を開けたのだった。


 すっかり忘れかけていたが、そういえばユングも能力者だ。今後は何もかもユングにやってもらおうと考えていると、


「先生以外のパシリになるのは嫌ですからね」


 とそれも見透かしたようにユングは言い、そして笑顔のまま入店した。


 ググも続き、入店しようとするも、ユングが急に立ち止まるせいで、ググはユングに衝突する。


「あ……え!?」


 ユングが声を上げるが、店の入り口が狭いせいで、目の前のユングで何も見えずググには彼が何に反応したのかが一切わからなかった。


 が、その後の一声で気づく。


「テト兄……!?」


 彼が? まさか、こんなところに? 自分らを追って?


 呆然としていると、ユングが速足で店の奥へ行ったおかげで視界が開き、外装からのイメージ通りだった古さの店内の様子がようやくググにも確認できた。


 カウンター席の一番左奥に座り、顔をこちらに向け、同じく呆然とこちらを見る青年。目は見開かれ、咀嚼中だったのか頬は膨れている。

 ちょっと前にもググが見た、蜂蜜色の明るい髪に、ほんの少しつり上がった目尻。美しいアーチを描く眉。凛としているも、どこか幼い顔立ち。

 ごちゃついた店に合ってしまっている複雑な柄のシャツを着ていて、数日前と服装は違えど、そこにいるのは確かにテトだった。


 彼の隣に座っていて同じくこちらを見ているのは、ググがつい先日大学の友人から見せられたネットニュースに載っていた写真の人物そのものだ。

 白く見える肌、燃えるような赤い唇、黒い髪。キリと同じ、深い海の底のような緑の瞳――【空中少女コンジュンソニョ・ソラ、NADS・テト 熱愛か、事務所は否定】。例のネットニュースのタイトルは、こうだ。

 いや、ネットニュースの内容は、関係ない。ググは首を振り、もう一度前を見る。とにかく、テトが自分の目の前にいることのほうが問題だ。


「テト兄、テト兄!」ユングがまた大きな声を出す。「お久しぶりですっ! 僕のこと、覚えてますか! 覚えてるんですね!」


 ユングを見るに、彼はテトのことを慕っているのか、もはやテトと会ってしまったことの危険性については忘れているようで、満面の笑みで、かつ嬉しさで今にも泣きだしそうに目を潤めてテトに駆け寄った。


「忘れるわけないでしょ」口に入っていたものを数回咀嚼し、飲み込んでから、テトはまた口を開いた。「学園や事務所の後輩だし、ジュノさんのお気に入りの教え子だし」


「僕、僕、またテト兄に会いたかったんです! いや、会うつもりでした! テト兄みたいになるのが夢ずっと夢ですから、とにかく……ん?」


 ユングはふと顎に指を当て、


「いや、今会っちゃダメだよな……?」


「そうだね」テトは目を細め、「どういうこと? ググとなんで一緒に? なんでここにいるの?」


「確かにこの子なの?」


 持っていた箸をカウンターに置き、そう言ったソラが立ち上がる。タイトなワンピースから伸びる白い脚が際立って見えた。そのままユングを通り越しググのほうに歩み寄り、至近距離でググの顔を見つめる。

 瞬きもせずググのつま先から頭の先まで一通り見つめたあとで、ソラはふんと鼻を鳴らし、テトの座るカウンターを振り返る。夢のように髪が舞い上がり、


「じゃ、テトは、嘘つかれたってことで、この子は、嘘つく子、ってことなんだ」

「そうだね」苦い顔をし、テトが動かす箸が丼の中に入った何かを口に運ぶ。「キリは見つからなかったって、あの時言ったね。で、今ユングといるってことは……あの後キリをジュノさんに引き渡した、ってところかな?」


 言われ、ググはついムッとし、自分でも驚くほどの強さで言い返した。


「だって、きみが危険に見えたし、キリは『帰りたくない』、『きみと戻りたくない』、って言ったんだ」


 戻りたくない、とは言っていなかったかもしれない。大げさに言ってしまったことを訂正しようとするも、ググの発言を聞いたテトは既に立ち上がっていて、ググの元に歩み寄っていた。


「は?」テトがググを睨みつけ、「舐めた口きいたらいかんが、おかげさまでイライラしとるで殴るかもしれん。お前無能だろ?」

「テト」無能、という言葉がテトから出た瞬間ソラがテトの肩に手を置いて落ち着かせようとしたが、ググにとっては言われ慣れている言葉なので、そこは特にググには気にならなかった。


 気になったのは、テトの喋った方言のほうだ。

 聞いたことがあるような気がするが、思い出せずにモヤモヤしていると、ユングが控えめに手を上げてかわりに回答する。


「はい、僕、わかります」今のこの状況にそぐわない笑みで、「新大邱テグ方言サトゥリです」


 そういえば、テトに嘘をついたあの日、テトからもらった本人の生体情報には、確かに「新大邱出生」とあった。


「あ! はい、僕、わかります」ユングがもう一度手を上げ、「ググさんは、テト兄と同じ出身で、少し喜んでいます」


「喜んでるというか……」


「大邱のどこなの?」テトがググを睨んだまま訊いた。


「新大邱の……都会寄りの花宮というところで……あまり方言は聞いたことがなかったけどたまに使ってる人がいたような……小学生になる前までしかいなかったからあまり記憶はないんだけど」


「僕より都会にいたって言いたいの? 大邱だったらどこも田舎だけど? まあ僕も物心つくころにはもう大邱からはいなかったけどね」


「あの、テト兄!」ユングもこちらへ走り寄ってきて、テトの手を掴む。「それよりも、聞きたいことがあります!」


 ユングはテトとソラの顔を交互に見てから、焦ったような表情で口を開く。


「二人って、本当に付き合ってるんですか?」


「ああ……ニュース見た? これにはちょっといろいろ事情があって」


「ちょっと!」ソラが腕を組み、大声を出して眉をひそめた。「あんまりこういうの言いたくないけど、男って馬鹿すぎない? 今、クソ田舎とか、ニュースとか、そういう話してる場合じゃないでしょ!?」


「「「……すみません」」」


 男三人の声が揃う。


「……あ、じゃあ」ユングが今度はおずおずと手を上げ、「一番年下かつ大体のことがわかってしまう僕からまず流れを説明しますとー、えー、僕たちの通う学園であり、かつ、テト兄やソラ姉のオフィスであり、かつ、秘密裏でキリさんが生活している部屋があった建物であり、かつ、ググさんとは無関係だった第一首爾有能三徳学園。そこから、いろいろあってキリさんが脱出して、脱出する上で多数のスタッフが死者になった、と……キリさんが脱出したのはマスコミとかには秘密、死者が出たのはもうニュースになってしまっている……ここまで相違ないですよね?」


「ないね」「ないな」「ないわね」


「で、テト兄は学園長兼社長兼テトさんのお父さんにキリさんを探せと言われて、キリさんが途中まで送信していた位置情報を元に第二新釜山へ来たところ、とある店でキリさんを発見したものの、どこかへ行ってしまい、ググさんがかわりに探し、ググさんはキリさんを自宅で匿い、テト兄にはキリさんは見つからなかったと嘘をついた、と……これも相違ないですよね?」


「ないね」「ないな」「ないわね」


「で、えーと、ここからは僕達のほうの説明です。僕は、ジュノ先生がテト兄よりも先にキリさんを探して見つけ出して保護をすると言ったので、どうせ授業もしばらくろくに受けられないだろうし、楽しそうだし、普段ジュノ先生にお世話になっているし少しでも役に立とうと、ユナと一緒にジュノ先生についていくことにしたんです。そうしたら、なぜかジュノ先生はキリさんの居場所を知っていて、キリさんがググさんと離れたがらなかったので、仕方なくググさんもキリさんと一緒に連れてくことにしたというか、誘拐しました。

 とあるところに連れていったんですが、当たり前ですけどググさんのお母さんがすごく心配して、危険だから今すぐ戻ってくるようにと……ジュノ先生はググさんのお母さんのことを思って、それで、ググさんは帰してあげることになりました。僕がググさんをググさんのお母さんのところまで送ってあげる役目になったんですが、僕が久々の外出でウキウキだったのと、おなかがすいたので、テト兄がよく来てると風の噂で聞いたこの店に来てみようと思っちゃって、ここに来ちゃった、そうしたらたまたまテト兄とソラ姉がいた、というかんじです」


「ご丁寧にどうもね」


 肩を落とし、どっと疲れを感じたのかテトはふらふらとまたカウンターのほうに戻り、ソラがそれについていく。

 二人が着席したところで、ググとユングも一旦着席することにした。自然な流れで、この二人はテーブル席を選んで向かい合って着席した。

 メニューも開かずに、ユングは厨房にいるのであろう店主に大きな声で注文をする。


「おじさん! ユッケ丼普通盛りで二つください!」


 ゆっくりとした足音が聞こえたので、恐らく店主の耳にその注文は届いたのだろう。やがて冷蔵庫を開けたりする音も聞こえ始めた。


「僕たちは大変だったけどな」テトは頬杖をつき、「ジュノさんに騙され、変な装甲車に追いかけられて攻撃されたり、無駄にトンボ返りしたり、ジュノさんかと思いきや変な女に殺されそうになったり……それでさすがに休もうと思って、適当にホテル行ってシャワー浴びて、服買って着替えて、ご飯が食べたくていつも誰もいないお気に入りの店来ていつものユッケ丼食べて、つかの間の休息をとってたら君らと逢った……ってとこ」


「結構、凝縮されてますね……」


 まだ料理が来ていないのにも関わらず、よっぽど空腹なのか、ユングはラックから箸を取り出して握る。店内にしばらくの沈黙が流れた。良々鶏と違ってテレビもなければBGMもなく、誰かが喋らなければ、他に聞こえるのは店主がゆっくりと作業をしている音のみだった。


「僕、わかりません。僕たち、どうしますか?」


「どうする、って」テトは頬杖をついたまま、カウンターの向こう側へ向き直り、気だるげに話す。「どうしようもないよ。とにかく、キリはジュノさんの手に渡ったんだ。ググ、ユング、ソラは帰るだけ。キリはジュノさんと暮らす。僕は父さんに殺される。父さんがキリを見つけ出して、今度はキリを殺す。完。これ以外に何かある?」


 ソラがテトを見た。ソラの丼にはまだユッケと米が半分ほど残っていた。


「パパがテトを殺すって? そんなことするわけないでしょ」


「やりかねないよ、あの人は……キリの存在が国に広まったら大変なことになる。キリは人をたくさん殺してまで外へ逃げた。しかもその原因が僕なんだ。お前が死んだところで何になんだって父さんは言ってたけど、こんな大事件、『死』以外でどう償うんだよ。僕はあの人の実の息子でもないし、形式上での息子にしかすぎないし、守ってもらえるような関係性じゃないよ。ソラだったら守ってもらえてたかもしれないけどね。現に、キリのことは見つけたら殺すって言ってた」


 テトは自分の顔を両手で覆った。


「はあ、湧かないよ、もうすぐ死ぬという実感が……」


「なに言ってんの……」ソラがため息をつき、「もっと、他にいい道があるはず。それにテト、ついこの間までアイツからあの子を奪えばいいって、強気だったでしょ」


「そうですそうです!」箸を持ったまま、ユングは何度も頷いた。「はい、僕、わかりました! テト兄とジュノ先生が仲よくなって、ジュノ先生は社長にキリさんを帰して、社長にテト兄とキリさんを許してもらったら、キリさんはもっと自由に暮らす、僕たちはいつも通り暮らす、こうなるんじゃないですか?」


「僕もそんなバカなハッピーエンド希望だよ」


「それに、聞いたところ、ジュノ先生とググさんのお母さんがお知り合いだそうなので、ググさんのお母さんからジュノ先生にキリさんを社長に帰すよう説得してもらって、テトさんとジュノ先生の仲も取り持ってもらう、とか……」


「あの人がたかだか知り合いの話に納得してキリを誰かに渡すわけがないだろ」


 早口でそう言い、テトは両手を上げた。


「僕もキリも死ぬ。みんな今までありがとう。僕は自殺ってことになって、きっと身内以外も来られるような大きな葬儀をやってもらうから、来てくれ。そして芸能界はしばらくまさにお葬式モードに――」


「もう、テト……」


 ソラの呆れる声と、足音、そして何か重い音の三つが重なった。


 足音は、店主がユッケ丼を二つ、ユングとググの分をトレーに載せてゆっくりと歩いてくるその音。

 何か重い音。それは、ググが入店に一瞬苦戦させられた、この店のあのやけに古い木製の扉がスライドする音。


 テト、ググ、ソラ、ユング、そして料理を運んできた老いた店主も、一斉に店の入り口を振り返る。


 店のキャパシティを超える十人以上の老若男女が、無言で、そして何を考えているのかわからない、ユングにさえそれはわからなかった――無表情で続々と入店してくる。


 五人の中の誰かが言った。


「この店、こんな人気だったっけ?」

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