4 テト/闇

「――僕を殺す、って」


 確かに、目の前のこのハニという女は、自分を殺すと言った。


「そうじゃ」しかし相変わらずの軽い調子でハニは言い、「そもそもワシはお前を殺すためにここに派遣されたからのぅ」


「なんで僕を殺す?」


「ん? 薄々気づいてるじゃろ」


 つん、と、ハニはテトの鼻先に触れ、


「お前の好きな娘のためじゃ。あののキリという女が欲しい。


 が、お前らはキリを手元――あの施設に戻そうとしている。そんなお前らはワシらの目的の邪魔じゃから、殺すしかない。それだけじゃ。頼まれて、お前の担当がワシになった」


「誰に頼まれた?」


「……話すと長いの」


「いい。話せ」


「時は、核戦争真っ只中の旧世」大袈裟な口調で、ハニは騙り始める。「まだ開発小板なんてモンが無く、人間誰しもが石頭だった時代――石器時代、と揶揄されることもあるのぅ――田舎でぬくぬくと育っていた兵器メーカーの社長令嬢のワシは、母、父と三人で、核戦争から逃れるべく冷凍睡眠についた」


「え? そこから話すの?」


「これが初代のワシじゃ」


 そしてハニによって、唐突に景色を変更させられる。


 テトとハニは、どこか施設の中にいた。


 目の前にある、グレーの無機質な棺桶のような物が、冷凍睡眠用のポッドらしい。


 顔の部分だけガラスの窓になっていて、そこに入っている人物を覗くことができた。


 そこで死んだように眠っているのは、長い黒髪で、かわいらしい、とは決して言い難い、今のハニとは打って変わって地味な風貌の少女――初代――本来の姿のハニだった。


「そして、核戦争が終わり、何から何までが一からになり、ようやく世界が再建できてきた時――新世でワシは解凍された。人よりは遅いデビューじゃったが、当然ワシも小板チップを埋め込み、適合したワシは見事有能力者となった」


 懐かしそうに目を細めて、ハニもかつてのハニを覗き込む。そしてテトに向き直り、


「なんやかんやあり、ワシは身体に飽きたり老いたりしたら、若者の死体をいただいて、その身体へ脳と頚椎を入れ替えることを始めた。大体じゃが、この身体は二十代目くらいじゃの」


 なるほど、それで二千歳近く生きているのか、とテトの中で合点がいく。


 そんな方法で生きながらえている人間を知らなければそんな技術を提供している所さえも知らないが、ハニが言っていた通り、確かにジュノよりは現実的な不死身になる方法だ。


「そして、二個くらい前の身体の時に、お前の母親と、お前の父親と出会ったわけじゃが――ま、そこを詳しく話すのもお前が不憫じゃし、面倒だし、やっぱりざっくばらんにこんなかんじで終わらせるわ」


「なんだよ。いいよ、話して」


 変に焦らされるのは好きじゃない。テトはそう言ったが、ハニは無表情になりテトを見つめ、黙り込む。


 それからハニは、指先でテトの顎をくいっと上げ、テトの目と自分の目を無理やり合わせた。


 ――狐の目。


 榛色のその瞳に思わず飲み込まれそうになる。



 なんとなく、彼女が自分ではなく別の人物を見ているように感じた。



 ハニの顔がそっと近づき、自分の唇とテトの唇を重ねようとしたところで、テトは我に返る。


 全身に力を入れ、能力を発動しようとするも、体が言うことをきかない。


 動悸、眩暈。火照り。

 これらがまだテトの体に残っていた。


「無駄じゃ」顔を近づけたままニヤリとハニは笑い、「お前はしばらく力を使えない。石頭状態じゃ」


「……僕になにをした」


「ちょいとクスリを盛っただけじゃ」ハニが、テトの熱くなった頭の後ろを撫でる。「言うことをききそうにない有能に使える便利なクスリがあってのう。石頭が使えばそのままハイになって気持ちよくなるただのおクスリじゃが、有能力者が使えば、神経が麻痺して能力を思うように使えなくなる。


 お前はワシを殺せない。残念じゃったの」


 ハニが更に顔を近づけたが、テトは咄嗟に顔を横に向ける。


 そんなテトを見て、不服そうに唇を尖らせてハニは言う。「本当だったんじゃな」


「……何が」


「お前が女とキスしたがらないこと」


「…………」


「抱きはするくせに、キスはしないっていう不評を風の噂できいたからのう。なんのこだわりじゃ? そんなに初めてはあの全能の娘がいいか? 他のことはさんざん別の女としてるくせに。謎じゃのう」


「……キリは僕にとってそういうのじゃないから、別にこだわってるとかじゃない」


「だったら、なんじゃ?」


 言われ、テトは黙る。それをおもしろそうにニヤニヤと見ているハニは、頬に手を当ててテトの答えを待った。


 これについて話す気はテトにはなかった。痺れを切らしたテトは、話を変える。


「……僕とソラを解放しろ」


「解放してほしいなら、あの娘を諦めろ」


「それは無理だ。絶対に」


「そうか」


 ハニはテトの頬に触れ、


「なら、死ね」


 気配を感じ、見上げると、建物の前で見た時と同じ四角い闇がテトの頭の上で広がり始めていた。


 そこから伸びてくるのは、やはりあの時と同じ、女のもののような黒い腕。


 殺される前に、テトは全身の力をその闇の腕へ集めて送るように意識する。


 闇の手の五本の指が開き、テトの首を掴もうとしたところで、テトは能力を行使しその手首をボキリと折った。


 まるで枯れた花のように、闇の手がぶらりと下に垂れ、腕と闇は消える。


「もう力を使えるようになったか。早いな。さすがじゃの」


 どこか楽しげに言うハニはさておき、力は取り戻したとは言え未だに動悸も火照りも治まらず、目眩すら軽く残っているが、テトは更に集中する。


 話し合いで解決、とはいかなそうだ。


 集中した意識を全身から放出させるようにイメージする。



 テトの皮膚の上でまるで木の枝が伸びるように、血管が黒く色づいた。



 それは下から伸びていき、顔の頬あたりで止まる。


 この力を使うのは、久々だ。


 服から露出した手、顔、顎筋から見えるその黒に染まり肌に浮く血管を見て、ハニはうっとりとして言った。


「――同じじゃな。父親と」


 どういう意味なのか、それを聞く余裕はテトにはなかった。


 手枷、足枷がついたままのため、文字通り手も足も出ない。が、念じる。


 テトが眉間に力を込めると、ハニは床に押し倒された。


 隙をとられたハニだったが、すぐにまた闇を生み新たな腕がテトに伸びたが、それはテトの力によって容易く引きちぎられ、真っ二つになった腕の切断面からどくどくと黒い液体が溢れ、テトに頭からかかる。


 歯を食いしばり、黒い血を浴び、血走った目でこちらを見る黒い血管の青年は、さながら獣のようだった。


 テトは体から力を抜かない。


 ハニの体はまるで何かに拘束されたかのように動かなくなり、そして酸素を失ったかのように息をせず、目がやがて虚ろになる。


 が、その目は見開かれた。


「あ、あ、あ、」


 床に倒れたまま天井を仰ぎ、恐怖しながら何かを見つめるような目を震わせ、声を漏らす。


「戻るなら今だ。きみの精神が侵される前に」


 テトが言う。


 と、ハニの体が痙攣し始める。


 ハニの苦しみがテトにも連動する。テトの頭に痛みが広がり、視界がぐらつき、恐怖の感情がテトを襲う。が、テトは力を止めない。


 別荘のリビングの景色が、ふっと消えた。


 そしてその場にただの暗い闇が訪れた。


 頭上には、たった一つだけ光があるが、他はなにもない「無」とも言える闇で、そこはハニのもたらすあの四角い闇とよく似た空間だった。


 ハニの精神の中。


 今までテトは数人の精神の中に入ってきたが、ここまで簡素な精神世界は初めてだった。


 それまでは他に誰もいなかったはずなのに、テトとハニを、二十人程の女が囲むように姿を現した。


 美しいことは共通しているが、顔立ちも風貌も一人一人違う。なんとなく、全員がかつてのハニの身体であることがなんとなくわかった。

 

 よく見ると、その中には一人だけ美しくはない少女が立っており、それは先程ハニにも見せられた、初代――本来のハニの身体だった。


 本来のハニを含め、彼女たちはふわりと消えてしまうが、一人だけ消えずにその場に残る。


 白い肌。肩のあたりで切られた黒い髪。細い四肢。白衣を着ている。


 現在のハニを見下ろしているその瞳は冷たく、無機質だった。


『ハニ』


 闇の奥から男の声が響き、かつてのハニとテトは振り返る。


 そこには、白い仮面をつけた男が立っていた。


 仮面には、目二つと口を表しているのであろう黒のただの切り込みがあり、それが過去のハニのほうを向く。


 その姿を見ただけなのに、ハニの意識と連動しているせいもあってか、テトの恐怖の感情は大きくなり、思わず唾を飲む。


「嫌……」


 現在のハニが、弱々しく呟き涙を流し、震えた。


 男の仮面からのぞく黒髪は癖毛で、大きめのシャツの柄は、独特だった。


 仮面には、テトにも見覚えがある。この国の人間であるならば、誰しもがこの仮面姿の男を一度は見たことがあるだろう。


 ただ、仮面の奥に誰がいるのかは、知らない。

 

『お前はギュリにはなれない』


 低い声で、男が言った。


 ――ギュリ――?


 知らない名前だ。しかしこの精神世界での彼にその名前の人物について訪ねても、意味がない。もし答えが返ってくるのだとしても、この男に何かを聞くことはできない。


 なぜか、恐いのだ。


 仮面の男が、かつてのハニに向かって手を伸ばす。



 横を向いた男の首筋から耳にかけての肌が覗き、血管が黒く染まっていき、浮かび上がる。



 同じじゃな。ハニの言葉を思い出す。


 ――僕と同じ……――


 かつてのハニが叫びながら自の首を抑え、膝から崩れ落ち、苦悶の声を漏らす。


 涙と鼻水を流し、そのまま彼女は地面に嘔吐した。


 現在のハニも同様に苦しみ、顔を覆って叫び、泣き喚く。


 仮面の男が、テトのほうを向いた。


 テトの体が、びくりと震える。


 見えないはずなのに、仮面の奥の目と、自分の目が合ったような気がした。目を背けたいのに、目すら動かない。ただ、恐怖で体が小刻みに震え、ハニの叫びをひたすら耳にするだけだった。


 男がゆっくりとテトのほうに手を伸ばす。


 ――逃げろ。


 自分の体がそう言っているような気がした。


 何かを考えるよりも先に、テトは震える手を開き、そして閉じる。


 と、二人を包んでいた暗闇の精神世界はパッと消え、元の別荘のリビングルームが現れる。


 しかしまだ影響の残っているハニは目を見開いたまま涙を流し、ガクガクと震えながら床に仰向けで倒れている。


 しばらく荒い呼吸をしたあと、ハニは震えながらも立ち上がろうと上体を起こし、テトを見た。


 彼女から出てきたのは、笑いだった。


「あ、あはは……」


 テトにさえまだ、恐怖が残っていた。顔が強ばったテトを見たまま、ハニの笑い声は徐々に大きくなっていく。


「アハハハハハハ!」


 一頻り笑ってから、ハニは口元に垂れていた唾液を手の甲でぐっと拭う。


「――お前がわしの精神ぶっ壊してぶっ殺そうなんて、無駄じゃ。ああやってお前も痛い目みるんじゃからの」


 テトの頬を両手で包み、


「どうじゃ? お前も恐かったじゃろ? あの仮面の男が。仮面の奥の目が。お前と同じあの力が」


 彼女は笑いながらテトの胸に手を置き、耳元でそっと囁く。



「あれがお前の父親じゃ」



 テトの頭上に、ハニによってまた闇が現れる。


「ワシが愛し、従い、ワシとお前が憎み、恐怖する男じゃ」


 黒く染まり広がったままの血管はもう能力を行使できることの証拠だったが、手枷と足枷を無許可解除したり、壊すほどの力はまだ出せない。


「お前の父親に、お前を殺すよう頼まれた」


 集中力も散り、闇からの手を殺そうとしてももはやできず、手はするすると降りてきてあっさりとテトの首を掴む。


「――そんな」


 自分を早々に捨てた父親が、キリを欲していて、自分は邪魔だからと、殺せと命じた?


 ――僕が失敗作だから。


 ――僕だって、あんたのことを恨んでいるのに。


「テト」ハニは悲しそうな顔を見せる。「すまん」


 ぐ、と、闇の手に力が込められる。


 父さん。


 頭の中で呟いた、その時だった。


 ど、と深い音がして、頭上の闇が一瞬で消える。


 ハニが呻き、テトに力を預けるように倒れた。


「テト!」


 ハニの奥の数メートル先に、桃色の髪の少年が見えた。こちらに向かって伸ばしていたその手を下ろした彼は、ミューだった。

 

 ソラも意識を取り戻したようで、まだ体に力が入らないのかミューの腕に寄りかかるようにして抱きついている。


 テトは後ずさり、ハニから離れる。


 ハニはそのまま力無く床に伏した。


 その背中には、虹色に煌めく分厚く大きな鏡の破片が深々と突き刺さっている。


 ミューがテトに駆け寄り、ナイフのようになった鏡の破片を持った手をテトの手枷と足枷に振り下ろす。黒の枷はぱっくりと割れ、テトを解放した。


「行こう。早く」


 ミューがテトに手を差し出す。


 その手をすぐ握り、テトはふらつきながらも立ち上がった。


 三人で早足で部屋を出ようとする。


「……テト……」

  

 か細い声で、ハニがテトを呼んだ。まだ息があるらしい。


 床に滲んだ血に濡れたその手が、救いを求め、許しを乞うようにゆっくりと弱々しく伸びる。

 

 この様子だと、もうハニには自分たちを襲う力はないに違いなかった。

 

 彼女から聞けることはたくさんある。

 自分の本当の父親のこと、そして、母親のこと。そして、ギュリという人物のこと。


 しかし、今は別の目的のほうが大事だった。


「ハニ。ごめん」


 ハニに背を向け、テトはソラとミューと部屋を出る。


「なんで謝るのさ」


 ミューが顔をしかめてそう言ったが、テトはなにも言わなかった。

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