3 ググ/ほしいものは



   ◇


 神は、世界に死の雨を降らせました。


 世界には、人間も、動物も、植物も、建物も、そして神自身も、無くなってしまいました。


 ただ、生き残りもいました。


 それは、神の子どもの兄妹二人と、それから鹿たちだけでした。

 兄妹は鹿たちと一緒に、焼けた森を再生し、そこに木の城を作りました。


 兄妹は、その城で二人きりで過ごしました。

 世界がまた始まったのは、そこからでした。


   ◇



 小さい筒型のディフューザーから出る白く細い煙からは、シダーウッドと燻したオークの香りがする。


 自分に不釣り合いな大きな黒のデスクチェアに腰掛けたジュノは、眉間に皺を作り、腕を組んだ。


 テトとソラを確保しているはずの別荘に常駐させた者々から、近況報告が来ない。二人が乗った車が施設前に到着した、という連絡を受けたのが最後だ。


 キリや他の事の方を優先していたせいでテトとソラについてはすっかり手が回らず、自らむこうに連絡することを怠っていたことを反省する。


 ジュノが携帯端末を手に取ったところで、目の前のモニターの画面が勝手に変わった。


 映ったのは、女。


 榛色の長い髪、榛色の瞳。目尻は少しつり上がっていて、きつい印象を与える。赤い唇の口角は上がり、ニヤニヤと笑っている。


 彼女の顔は見たことがある。

 当然、自分が雇った軍人というわけではない。


 全てを悟ったジュノは、ため息をついた。


「おーい、見えてるかの?」


 彼女――ハニは、画面の前で手をヒラヒラと振る。


「……うん。見えてるよ」


「浮かない顔じゃのう、ジュノ。せっかくのかわいい顔が台無しじゃぞ。若返ったはずなのに、老けて見えるわい。ま、ワシの顔を見ればそりゃそうなるか。お察しかの?」


「まあ、大体はね」


 ジュノは、デスクの上で手を開いた。赤い液体が入った瓶が引き寄せられる。ちょうど手元にあったワイングラスに、その液体を注いでいく。


「どういうわけかぼくの行動を把握していて、先回りして、ぼくがテトを監禁する予定の場所まで向かった。そこに常駐していたぼくの関係者は始末、代わりにきみがテト、それからソラも確保。ってとこだろ」


「全部正解じゃ。邪魔だったから、建物の周りと中にいたやつは全員殺した。すまんのう」


「正門の人間は?」


「裏っぽいところから来たから、門なんて知らん。まあそこにいたやつがもしこっちに来ても、ワシの相手にもならんわい」


 あっ、そ。

 ジュノが素っ気なくそう返事をすると、ハニは目を丸くした。


「ん? 思ったより気にしてないようじゃの? テトはワシの手中だってのに」


 ハニがわざわざ端末のカメラの向きを変え、床に寝そべり意識を失っているテトを映した。


 長いまつ毛が頬に影を落とし、無表情でテトは眠っている。手足の拘束具は、ジュノが雇った軍人に持たせておいた物だった。


「ああ、もう、別に」ジュノは、ワイングラスの中身を一気に飲み干して、「諦めがついたというか。君が代わりにテトを殺してくれるなら、それはそれでいい」


「冷たい男じゃのう」ハニは頬に手を当て、笑った。「じゃが、そーゆーところ、好きじゃぞ。ワシは冷たい男がわりかし好きなんじゃ。それに顔も悪くない。それなのにワシの抱きたい男リストに入ってないのはなんでかわかるか?」

 

「わかるし、言わなくていい」


「チビでシスコンでキモいからじゃ」


 無理やり顔をいつもの微笑みに戻してみたが、自分の意向を無視したハニの余計な発言に思わずジュノのこめかみがぴくりと動く。


 と同時に、画面の向こうの部屋の天井からぶら下がった球体の照明の光がふつんと消える。


 ハニは振り返ってそれを一瞥し、「おお、こわいこわい」と言って腕をさする素振りを見せた。


「……てなわけで、テトもソラも、ワシの自由にさせてもらうわ」


「ああ」ジュノは目を細め、手をひらひらと振った。「どうぞ」


「無情じゃの」同じく、ハニも目を細める。「ソラもお前の妹じゃろ。なんとも思わないんか」


「そうだね」ジュノの顔には、いつもの表情が戻っていた。「正真正銘ぼくの妹のキリと違って、彼女はぼくたちの母とは違う人間のはらから産まれたからね。種や遺伝子が同じと言えど、しばらく面識も無かったし、ぼくはあまりあの子を家族だと思えたことはない」


 ハニが何かを言う前に、ジュノが続けて口を開いた。


だよ、あの子も」


 なんとない調子で言うジュノを見て、ハニは黙り込む。ハニもハニで自分を冷たい人間だと思っていたが、この男には敵わない、と確信した。


 彼の妹、ソラを眠らせ数分経ったあと、ソラは一度意識を戻した――テトでさえ今も眠っているのに、ハニの『能力』をものの数分で無意識の内に解除し、目を覚ましたのは、さすがはジュノ、そしてあの『神の子』、キリの妹だと言えよう――意識を戻したときに、目の前に立つ妖狐のような女にこれからもうすぐで殺されるのだと悟った彼女は、「お兄ちゃん、お兄ちゃん」と必死にジュノのこと呼んでいたが、その言葉は当然、届かなかった。


 そのときの話をハニからジュノにしようが、彼には気持ちすら届かないに違いない。一瞬、妹が助けを求めていたという出来事を話してやろうかと思ったが、やはりハニは口を噤む。


 本当に、だ。


「――いろいろ話しとこうかと思ったけど、やめとくわい」


「うん?」


「ま、これだけは言っとくかの。ジュノ。お前たちの場所がにバレるのも、時間の問題じゃぞ。あの子――キリもそう長くはお前と一緒にいられると思うな」


 ジュノはモニターのハニから視線を逸らしたが、ハニは続ける。


「お前の敵は、テトでもなければドウォンでもない。わかってるじゃろ」


 それだけ言い残し、ハニは通信を切断した。


 通信が切れるや否や、ふぅ、とジュノは溜息をつく。


 たとえその先に真の敵がいようが、その手前で自分のやる事を妨げようとする人間は、ジュノにとってみれば全員敵だ。ハニに言われる筋合いなど、無いのだ。


 空になったグラスをぼうっと見つめていると、部屋のドアが開く音がして、思わず体が強ばり、ジュノの目がそこに向く。


 ドアを開けたのは、キリだった。


 熊の総柄のパジャマを着たキリは、ドアノブを掴んだままジュノをじっと見つめ、それから部屋の中を床から天井までキョロキョロと見渡す。


「キリ」


 体の力が抜け、ジュノの顔が思わずほころぶ。


 施錠しているはずのドアを開けられたので、誰に力づくで侵入されたかと思ったが、キリで安堵したジュノは、椅子から立ち上がった。「おいで」


 キリにはもはや無許可解錠など関係ない。本人も無自覚で解錠しているだろう。


 ジュノに呼ばれたキリは、口角を上げ、機嫌良くジュノの元へと小走りで駆け寄り、ジュノの服を掴んだ。


 ジュノがキリにきく。「ググは?」


「ググ、おふろ」


「一緒に来てって言ったのに」


「ググのおふろ長くて、キリさきにきた」


「そっか。じゃあ二人で待ってようか」


 キリの手を引き、二人でソファに座る。


 ジュノが前に手を差し出すと、何も無かったローテーブルの上に、紅茶とホールケーキのセットが載る。


 ジュノは、ティーポットの上に白い手を置く。中で何かが注がれる音がして、注ぎ口からゆらゆらと湯気が出る。


「わあ」


 キリが思わず声をこぼし、目を輝かせた。


「キリはケーキが大好きだよね」ピンクのティーカップに紅茶を注ぎながら、ジュノはキリに言った。「苺たっぷりのケーキ」


 キリの紅茶をテーブルに置くと、今度はジュノは人差し指でホールケーキを指さす。


 すると、苺が乗ったケーキにすっと切れ目が入り、ケーキは綺麗に六等分にされた。


 ケーキを皿にのせ、フォークを用意し、キリに渡す。


「たくさん食べていいからね」


「わーい!」


 フォークを握って持ち、早速一口口に運んだキリの目が閉じ、まるで線のようになる。一口が大きかったので頬が膨らみ、咀嚼に必死になりながらも甘味に幸福になり表情が曖昧になるキリを見て、ジュノは笑った。


「おいしい?」


「うん!」


 ジュノは、キリの前髪を撫でる。「よかった」


 口元にクリームがついていたので、ついでに指先でそれを拭ってやると、キリがふと思い出したかのように口を開いた。


「なんでキリがケーキすきなのしってるの? ジュジュのことも」


「本当にキリのお兄ちゃんだからだよ」ジュノは目を細め、「キリのことはなんでも知ってるよ」


「じゃあクイズ」


「キリのクイズ? お兄ちゃんそういうのやってみたかった」


「キリのすきないろは?」


「ピンク」


「キリのすきなアニメは?」


「退治探偵クママタさん」


「キリの好きな食べ物は?」


「チーズチヂミ」


「すごーい!」


「こんなんビギナー問題よ」


 キリが身を乗り出してジュノを見つめたので、ジュノは手をキリの頭にそっと置く。それからそのまま頬に触れると、キリはジュノのその手に触れた。


 不思議そうにキリがジュノの手を嗅ぐ。すんすん、と数回嗅ぐと、今度はジュノの首筋を嗅いだ。


「パパとおなじにおい」


「――父さんを覚えてる?」


「うん。パパと、ママと、それから……」


 キリがジュノの首筋からそっと離れ、またジュノを見つめた。キリは瞬きをし、


「にーに?」


 ついに蘇った呼称を耳にし、ジュノの全身に鳥肌が立つ。思わず数秒間言葉を失い、ジュノとキリは見つめ合った。


「――思い出した?」ぽかんと口を開けたまま、ジュノは言う。「ぼくのこと」


「にーに!」


 キリが笑顔になり、ジュノに勢いよく抱きつく。キリを抱きとめる頃には、ジュノも無意識のうちに笑顔になっていた。


「キリ、おもいだした!」ジュノの腕の中で揺れながら、キリが大きな声で言う。「パパとママと、にーにお兄ちゃんもいた!」


「よかった、思い出してくれて……」


 加減を知らないキリが抱きつく力はあまりにも強かったが、ジュノにはそれさえ心地よかった。


「あと、キリ、もう一個おもいだした」


「なに?」


「パパとママと、にーにと、海いった」


 頭をジュノの胸元にあずけ、キリは懐かしそうに目を細めてゆっくりと瞬きをする。


 海、という単語を聞いて、ジュノは黙った。キリが思い出したというその出来事が、いつの、どんな出来事だったかはジュノにもすぐにわかった。


 キリがどれほどそのときのことを明瞭に覚えているかは検討もつかないし、聞くつもりはない。あえて聞かずに、ジュノはキリにそっと「海、行ったね」と言って、自分の胸元にあったキリの手に自分の手を重ねた。


「パパとママとにーにと、海で、あそんで……」


「うん」


「そのあとに、しらないひと? 来たきがするけど」



 幸せはそれまでだった。

 忌まわしい記憶だ。



 ジュノの脳裏を、あの時の父と母の姿がぎる。


「あとは、わすれちゃった」


「……そっか」


「にーには?」キリはジュノを見上げ、「おぼえてる?」


「覚えてるよ。春、天気がいい日に、キリは生まれてからはじめて海に行ったんだ。父さんと母さんとお兄ちゃんと。四人で、散歩したり、貝殻を集めたり、海に足を入れてみたり、砂でなにかを作ったり、楽しかった」


 ジュノが話したことは覚えていないようで、キリは少し口を開いてジュノのことを見つめたまま話に聞き入る。


「あの時ぼくは中学生くらいで、キリはまだすごく小さかった。あの後にキリとぼくは引き離されて、キリは部屋に閉じ込められたから、キリがお兄ちゃんのことを覚えていなかったのもしかたないことだよ」


 キリの横髪をやさしく耳にかけ、微笑みかける。


 キリは下の方を見つめ、


「キリ、もう部屋もどりたくない」


「ぼくが戻さない」反射的に出た言葉は、本音であり願望だった。「あんな所にもう戻らなくてもいいように、お兄ちゃんがんばるから」


 まだどこか不安げなキリの手を握るジュノの手に、力がこもった。


「父さんと母さんはもういないけど……これからは二人で過ごそう。キリの行きたいところにも一緒に行くし、キリの見たいものも一緒に見る。キリのしたいことはなんだって叶える。キリの嫌なものは、全部消す」


「ふたり?」


「え?」


「にーにと、あとググ、ユナ、ユングもいっしょがいい」


 キリらしいぼやきが出てきた。


 ジュノが笑って、そうだね、と返事をしようしたところで、ぼんやりとしたままキリが続けて口を開く。


「……テト……」


 今日初めて、キリが口にする名前だった。


 言うのを我慢していたのかもしれない。忘れようとしていたのかもしれない。寂しそうに口にされたその名前を聞いて、ジュノの腹から何かが込みあがってくるような感情が沸く。


 ただ、キリの前ではその感情を露わにしてはならない。


「テト、おこってるかも。部屋、でてきたし、テトのこと、おいてきたから」


 ジュノに抱かれたまま、キリは背を向ける。


「でも、テトがわるいもん……」


「キリ」


 ジュノに呼ばれ、キリが振り返る。


「少し遅れちゃったけど、今度、キリの誕生日パーティーしようか」キリの意識をテトから逸らしたくて変えた話題だったが、これは前々からジュノが思っていたことではある。「これより大きいケーキ用意して、ユナ、ユング、ググも呼んで」


「ほんと?」


 一瞬、キリの目が輝いたが、すぐに表情は曇り、


「じゃあ、テトも……」


「……うーん」思わずソファからずり落ちそうになったが、ジュノは耐える。


「キリもわるいことしたから……あやまる」


「いいんだよ」ジュノは、キリの薄い肩にそっと手を置いた。「キリは何も悪いことはしてないよ。それに、テトは忙しいから、来るって言っても来られなくなるかもしれないし」


「……そっかー、これないかな」


「お誕生日プレゼントは?」すぐに話題を変え、「今年は何がいい? キリに直接聞けるから、キリが本当に欲しいものをあげられる。何が欲しいかお兄ちゃんに教えて」


「プレゼント……」


「うん。なんでもいいよ」


 キリは、窓のカーテンの方を見つめる。


 カーテンは閉まっていて、窓の外は見ることができない。


 ほしいもの、なんだろ。


 うわ言のように、キリは呟いた。



   ■



 なるべく早くジュノの元を訪ねるつもりが、思いのほか遅くなってしまった。


 上下スウェット姿のググは、早足で施設内の廊下を歩く。


 たまに左右を数々の扉を通り過ぎていくが、その先の部屋が何なのかはわからない。ただ、一番奥の部屋がジュノの部屋だということだけは知らされている。


 自分に用意された部屋の風呂場があまりにも広く、つい長風呂をしてしまったのだった。


 これまで一人暮らしをしていたアパートのシャワールームは、勿論浴槽がついていなかったし、トイレと同じ場所に設置されている為なかなかに狭く、不便で、どんなに掃除をしようが元々の古さもあってあまり清潔には見えないような場所だった。


 が、ジュノによってググに与えられた部屋の風呂場は、どこの家庭にもありがちなトイレとシャワーの一体化ではなく、トイレは別室に用意されていたし(トイレもそれなりの広さだった)、それだけではなく、脚を満足に伸ばせるほどの浴槽があり、正面にはモニターも設置されていて、ずっとここにいたいとさえ思えるような清潔さだった。


 母と旅行した際のホテルでさえ、ガラスの扉で仕切られていたもののトイレと浴槽は一緒だったし、ググにとってこの部屋くらいの風呂場というのはあまりにも新鮮だったのだ。


 普段、テレビ番組などほとんど見ないのに、設置されたモニターで意味もなくテレビをつけたりして湯船に浸かっていたところ、少し長くいすぎたなと思い風呂から出たググだったが、その後、なぜか部屋でくつろいでいたユングと雑談をしてしまい、更に長引いたというわけである。


 せっかく気に入ってもらえたようだし、ジュノに目をつけられるのはまずい。


 キリは先にジュノの所へ向かったようだった。部屋の前に到着することには少し息が上がっていて、深呼吸をして息の調子を整えてから、ググはジュノの部屋のドアを数回ノックした。


 ドアに来客情報と共に解錠要請が送られる。


 許可が降り、ドアは横にスライドして開いた。


 ソファに座っていたキリとジュノが振り返り、ググを見る。二人揃って微かに開いた口のその表情はよく似ていて、思わずググは感心する。これは兄妹ではないと言うほうが無理だ。


「ググ!」


 キリの顔がほころび、ソファから飛び下りてググに駆け寄る。ほぼ突進してきたと言ってよいそのキリを抱きとめて、ググはジュノに声をかけた。


「すみません、もうちょっと早く来るつもりだったんですけど……」


「大丈夫だよ」ソファに座ったまま、ジュノのは笑って言った。


 キリがググを見上げて、ニヤニヤしながら口を開く。「ずっとお風呂入ってたら、ググ、ふにゃふにゃになっちゃうよ」


「そう、ちょっと長風呂を……」


「ゆっくりできたなら、よかったよ」ジュノは、キリの紅茶を注ぎ足して、「今日一日、疲れただろうし」


 座って。ジュノがそう言ったので、ググはキリを連れて、ジュノの前のソファに座った。キリはググの隣に座ろうとしたが、ジュノに手招きで呼ばれたため、結局ジュノの隣に座る。


「ググ、手のひらを上に両手を出して」


 ジュノの言う通りにググが両手を差し出すと、キリの手にジュジュが落ちてきたあの時のように、何もなかったそこに透明のグラスが落ちてくる。


 ジュノは、いつの間にか持っていた自分のグラスと、ググのグラスにビールを注いだ。


 自分のグラスとジュノの顔を交互に見て、ググはたずねる。「あの、それがユングが言ってた遠隔瞬間移動アポーツっていうのですよね?」


「うん」ジュノは下唇を噛んでから、「とにかくその名の通りに、遠くにある物を近くにすぐに移動させ能力だね。新しく物体を生んでるわけじゃなくて、どこかにある物を持ってきてるだけ。ググとぼくのグラスもお酒も、厨房にあったものだよ。ついでにケーキも紅茶も」


 ジュノのグラスと乾杯をしてから、ググは思わず口を開く。「いいなあ、すごく便利だ」


 自分のグラスを見ながら、もしそんな能力が備わっていたら、出先で忘れ物をしてもすぐ手元に持って来られるし、荷物を持っていく必要もないな、とくだらないことを考える。


「そういえば、ユナと仲良くなれたんだって?」


「あ、はい」ググは、グラスから顔を上げる。「仲良くなれた……と、思いたいです」


 キリを見ると、ググが来て安心しきったのか、ケーキを食べることに集中していた。フォークを握り、わざわざ中の苺を探して初めに苺から食べている。


 ジュノは優しく微笑み、「よかった。ユナ、友達が少ないし、多分、人との上手な関わり方をわかってないし、素直じゃないけど……本当はいい子なんだ。仲良くしてあげて」


「はい」


 自分と年齢が変わらないようにも見えるものの、自分よりも遥かに余裕があるように見えるジュノの顔を見て、ググは「なるほど」と口に出してしまう。よくわからないが、これが父性というものなのだろうか。


「ん?」


「あ、いや」ググは、ジュノを「パパ」と呼んでいたユナの姿を思い浮かべて、「ユナ、何か言ってましたか?」


「うん、楽しかったって言ってたよ。デザートの写真付きのメッセージで」


「よかった」


 キリが身を乗り出して腕を伸ばし、ケーキの上に載っていたミントの葉をググのビールのグラスに入れる。「もう」ググはグラスに指を突っ込んでそれを取り出し、キリの皿の上に載せる。


 そのやり取りを見たジュノは、「さて」と両手を合わせた。


「ググをキリと一緒に強制的にこの施設に連れてきたわけだけど、何が何だかわかってないだろうし、説明するね。――キリについても」


 本題だ。ビールを飲もうとしていたがその手を下ろして止めると、ジュノは笑って「どうぞ」と飲むのを促した。一口飲んでから、ググは改めてジュノに向き直る。


「この世界は二種類の人間に分かれているよね。無能力者と有能力者」


 どちらも開発小板チップを埋め込まれているが、小板が身体にうまく適合し、文字通り右脳がされ、超能力を手にすることができたのが有能力者だ。


「そのせいで、今この国では派閥があるんだよね。一つ目は、無能力者と有能力者が共存する世界を望んでいる人たち。二つ目は、無能力者を排除しようとしている有能力者。三つ目は、有能力者を排除しようとしている無能力者。四つ目は、その三つに属さない、特に何も考えていないというか、争いをしたくない、どちらでもない、ある意味での平和主義者」


 若い人達は特に、四つ目に当てはまる人が多いと思う。そう言って、ジュノはビールを一口飲んだ。


 キリはやはり話を聞いておらず、二個目のケーキを自分の皿に載せようとしているところだった。


「ぼくも、四つ目の人間だと思います」


「そうだよね。実はぼくもどちらかと言うとそうなんだ」


 ググが目を丸くして瞬きをすると、ジュノは笑って、


「ここはその為にも作った施設なんだ。無能有能問わず、争いに巻き込まれたくない人を受け入れてる。ずっと用意してて、最近一部に向けて開放したんだけど、さっき言った派閥の激化に備えて、四つ目の人達があらかじめ逃げられるようにしてたってわけ」


 落ち着きのない様子で食べるキリを引き寄せ、ジュノはググに問うた。


「ググは、っていう人物を知ってる?」


「いえ……」


「そっか。あんまり政治には興味無いか。まあそうだよね」


 ジュノが端末を取り出し、画面を上に向けると、立体画像で男の姿が浮かび上がった。


 目と口を表しているのであろう切り込みのような黒い線が入った白い無機質な仮面をつけていて、顔はわからない。確認できるのは、うねった黒い癖毛と、独特な柄のシャツを着た上半身のみだ。太っているわけでもなく、痩せているわけでもない。


 その仮面の男には、見覚えがあった。


「あ、政治家の……」


 以前ニュース番組で、彼が首爾ソウルの大きな駅前で大勢に囲まれ、演説をしていたのを見たことがある。


「そう。彼は無能排除の思想の政治家なんだ。キリを利用しようとして、今キリが有能学園から出たのを好機に、キリを追っている」


「あの」ググは小さく挙手をする。「キリのことを追っているのって、あの、テトって人なんじゃないんですか?」


「……テトのことを知ってるの?」


「……はい……」


 もう話してもいいだろうと思い、ググは、自分のバイト先で起こった出来事――テトと出会った経緯を話す。テトに嘘をついてキリを自宅に匿ったことを話すと、ジュノは喜び、


「よかった。そうしてくれて。ググには頭が上がらないよ」


 言って、胸を撫で下ろした。


「そうだね、テトもキリを追っているね。キリについても話さなきゃな」


 キリのこと? と、首をかしげ、キリがジュノを見つめる。「そうだよ」とジュノが言うと、キリはググに向き直り、口の周りにクリームをつけたまま話し出した。


「あのねーキリはねー、チーズのチヂミが好きでね、ピンクが好きでね、お花が好きでね、ジュジュが好きでね、あとにーにとググとユナとユングのことが好きだよ。テトとはけんかしてる」


 ジュノは、ティッシュでキリの口の周りを拭く。


「キリはもっと特別な子なんだ」


 キリがまた首をかしげたが、ジュノは続け、


「キリは有能力者。と言っても、普通の有能力者じゃない」


 キリは、ジュノの言っていることがよくわかっていないようだった。


「キリの中には、んだ」

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