第7話 門の外の世界
込み合った広場を馬車で抜け、ターミナルの赤レンガのアーチを越えて宿場町を慎重に通り過ぎると、大きな門がある石造りの城壁が見えた。
その門につけられたぶ厚い木でできた扉は開け放たれ、両端には通行料をとる門番が立っている。あまり使う人が多い方面ではないのか、門番はかなり暇そうであった。
(この向こうに、私の知らない世界があるのですね……)
シャラーレフはキルスとの賭けを思い出した。負ける気はしないが、実際アーザルのことは何も知らないので不安がないわけではなかった。今までは一人旅だったが、これからは同行者がいるというのも、どうなるのか想像がつかない。
「はい、これ三台分ね」
ルトが門番に通行料を払い、幌馬車は門をくぐった。
一瞬太陽の光が遮られて暗くなったが、すぐにまぶしい視界が広がる。
そこはただ青く雲一つない空の下、地平線の果てまで広がる草原だった。
草はふさふさと萌黄色に揺れ、延々と彼方まで続く横縞をつくっている。建物などはなく、その地の広がりをさえぎるものは前方には何一つなかった。
列車の窓からは見たことある光景だが、今まで生きてきた中で一番遠くを見た気がする。その眺めは雄大で力強くて美しかったが、同時に途方もない無力感と孤独を感じさせた。
これからこの風景の中を、馬車で何日もかけて進むのである。
(楽しみだと思おうとしてきましたけど、こうやっていざ進むべき道を見てみますと、少し気が滅入りますね。やはり野宿がメインになるのでしょうか)
シャラーレフはため息をもらした。シャラーレフの故郷も田舎ではあったが、それでもこのだだっ広い草原の道に比べれば都会であったような気がしていた。
表情を曇らせるシャラーレフに、ルトが耳元にそっとささやいた。
「ほら見て。汽車だよ」
視線の先には、カークトゥースを出発したばかりであろう黒い汽車が走っている。街道とは違う場所を走るそれは、草原の向こうへと小さく消えて行った。
シャラーレフは、線路の上の青空にただよう黒煙を眺めた。
「えぇ、そうですね」
余計に、一人だった時が思い出された。
遠くを見るシャラーレフに、ルトが早くも打ち解けた様子でさらに話しかける。
「お嬢さんは、質問する側とされる側どっちが好き?」
ルトはかなり話す気満々のようである。
(仕方がないですね。まだ、黙っていたい気分だったのですが)
「では、まずは質問する側になっていいですか?」
気の乗らない様子で、シャラーレフは答えた。
「それじゃ、どうぞ」
ルトがにこやかな横顔で、シャラーレフの質問をうながす。
「あなたたちは、先の内戦で同じ小隊……だったんですよね?」
シャラーレフは素直に一番聞きたいことを聞いた。最初にしては少し突っ込み過ぎた話題だったかもしれない、とも思った。
だが、ルトには気遣いは無用であった。嬉々として、あまり明るくはない身の上を語りだす。
「うん。そうだよ。当時は他にもいろいろいたし、死んだり交代したりしたけどね。まぁ、戦争に敗けた後も戻るとこなかった余りもの同士で集まって仕事し始めたって感じかな。でもこれが全然儲からなくてさぁ。全員でジゴロでもやった方がいいんじゃないかってくらいに失敗中で。ある程度のお金が貯まったら食堂とか始めようと思ってたのに、これじゃ新しい装備分の投資の回収も危うくて――」
べらべらと話し続けるルト。シャラーレフは適当に相づちを打った。
ぼんやりと進行方向を見れば、前方を走るキルスの馬車が目に入った。
「では、キルスとも付き合いは長いんですか?」
気づけば、キルスについて尋ねていた。
ルトの鳶色の瞳がすかさずきらりと光った。
「多分知り合って五、六年くらいだね。何? やっぱり好きになった相手のことは気になる?」
「そういうのではありません」
やぶへびだった、とシャラーレフは後悔した。
慌ててすぐさま否定したが、ルトの悪乗りは止まらない。
「あはは、違った?」
そう言ってルトは茶化したかと思うと、シャラーレフの頬にくちびるが触れるのではないかというほどに顔を近づけて、作ったような低い声で囁いた。
「じゃあ、僕にしとく?」
「はい……?」
シャラーレフは困惑した。
確かに間近で見ても肌は綺麗で、目鼻立ちも整っており、少しわざとっぽいがこの低い声も悪くない。表情も年頃の女の子が好きそうな少し強引な雰囲気がある。
おそらくこれは、この青年なりのサービスであるはずだった。
だが、シャラーレフにはただただ不要な接触である。
シャラーレフが悪い意味で何も言えずに固まっていると、ルトは成功したと勘違いしたのか満足げにくすくす笑って離れた。
「冗談だよ」
と、ルトはシャラーレフにウィンクをした。
(なしですね)
シャラーレフは微妙な表情を浮かべながら、前を向いた。
草原を渡る風は乾燥しており、冷えた顔をさらに冷たく煽った。
晴れてはいても、寒いものは寒かった。
明日はサームの隣にしようと、シャラーレフは決めた。
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