第二章

第6話 ターミナルからの旅立ち

 買い出しなどもろもろの用事を済ませ、カークトゥースを発ったのは数日後のことだった。


 ホテルをチェックアウトしたシャラーレフは、呼んでおいた辻馬車に乗って運河と街道が交わるターミナルへ向かった。

 そこが、キャラーグ商会の面々との待ち合わせ場所であった。


 天気はこの季節にしてはめずらしい快晴。


(幸先がいいですね。曇りはともかく、雨の旅は最悪ですから、これは素直にうれしいです)


 シャラーレフは馬車の窓から外を見て、ほっとした。太陽の下ゆっくりと流れていく色彩豊かな街の風景は、街灯に照らされているときとは違った雰囲気で綺麗だった。

 キルスと妙な賭けを始めてしまったことが気がかりではあったが、その不安も景色を見て少しは薄らいだ。


 十五分ほど街の南の端へ移動したところで、目的地に着いた。


「お客様、こちらが南ターミナルでございますっ!」

 御者が勢いよく到着を告げて、馬車の扉を開く。

「ご苦労様でした」

 シャラーレフは白いワンピースの裾を持ち上げて、ふわりと降りた。


 鞄から小銭を出して、てきぱきと荷物を降ろす御者に料金を支払う。


「これで足りますか?」

「はい。ありがとうございましたっ!」


 最後のトランクを地面に下ろした御者の青年が、手袋はめた手で小銭を受け取る。にこにことお辞儀をすると、再び馬車に乗って次の仕事へ向かっていった。


(さて、キャラーグ商会の方々はどちらでしょうか?)


 シャラーレフは、帽子を被りながら辺りを見回した。


 ターミナルの中心には大きな半円屋根を持った赤レンガ造りの施設が建っていた。

 運河の終点と連結したその建物の周りには宿や飲食店が立ち並び、多くの人でにぎわっている。


「お嬢さーん」


 甘ったるい呼び声がして振り返ると、長身の男が近づいて来ていた。顔を見るとルトである。


(最初に会ったときは気づきませんでしたが、かなりのっぽな方だったのですね)


 人ごみの中でもひときわ目立っているルトにシャラーレフは手を振った。

 ルトはシャラーレフに駆け寄り、待ち合わせしていた恋人みたいに笑いかけた。


「おはよ、お嬢さん」

「おはようございます。ルト」


 シャラーレフは自分よりもだいぶ高い位置にあるルトの顔を見上げた。

 黒いウールのダブルのコートにマフラーを巻いた着こなしが、背の高いルトにとてもよく似合っていた。


「荷物はこれだけ? じゃあ、行こうか」

 そう言って、ルトは馬車に乗せてきたシャラーレフの手荷物を軽々と持ち上げ歩き出した。

「ありがとうございます」

 シャラーレフはルトの隣について歩いた。


「どういたしまして」


 ルトは軽く返事をすると、シャラーレフの歩幅に合わせてゆっくりと船着き場へと進んだ。武器の積み入れを先に進めておくように、シャラーレフはキャラーグ商会の三人に頼んでおいたのである。


「そちらの進み具合はどうですか?」

「大方は倉庫から運んで、馬車に積んだよ。あとはえっと、何だったかな」


 シャラーレフの確認に、ルトは大ざっぱに答えた。正確な返答をする気はなさそうである。


(女性に接するときの細やかさは、お仕事には活かされないのですね)

 と、シャラーレフは残念に思った。


 ゆるゆると歩いていると、アーチ状の屋根に覆われた運河の終点に着いた。運河にはたくさんの船が浮き、陸側には荷車や馬車がずらりと並んでいた。

 その中にある幌の部分にカラスのマークの入った三台の三頭立ての馬車の近くに、キルスとサームはいた。二人は紐を張って幌を馬車に固定しているようだった。


(とうとうこの人に、また会うことになってしまいましたか)


 シャラーレフはキルスとの初対面での喧嘩に近いやりとりを思い出し、一瞬立ちすくんだ。だが、すぐに切り替えて声をかけた。


「おはようございます」

 シャラーレフの涼やかな声が響く。なるべく何事もなかったかのように振る舞った。


 まず、サームが顔を上げて、シャラーレフにガスマスクを被った頭を向けて会釈した。


 キルスはシャラーレフの存在に気づくと、ちらりと横目で見た。表情を変えずに作業に戻ると、低い声で何やらつぶやいた。

 周りが騒がしかったのでシャラーレフが聞き取るのは困難だったが、それはあいさつのようだった。どうやら無視されるほどは、嫌われていないらしい。


「キルス、武器は全部積み終わった?」

 張り詰めた空気の外側から、ルトが二人の間に割って入る。


 キルスは紐を結ぶ手を止めずに、ぶっきらぼうに答えた。


「あぁ、後は依頼者の手荷物だけだ」

「じゃあ、これよろしく」


 どっかりと、ルトは両手に持っていた革のトランクを四つ馬車の前に置いた。


「はぁ? トランク四つ? 物見遊山か何かと、勘違いしてるんじゃないのか」

 キルスは子供を誘拐できそうなほど大きなトランクが地面に積み上げられているのを見て、あきれて声をあげた。


「荷物が多くて、悪かったですね」

 シャラーレフはついムッとして、条件反射で言い返していた。


(確かにちょっと多いかもしれませんけど、そこまで言うことないじゃないですか)


 数年前に家を出てから、シャラーレフは武器商人として恥ずかしくないように服には金をかけてきた。シャラーレフにとっての服は単なる服ではなく、仕事に必要な道具である。これから辺境の旅に入るということである程度処分した結果が、トランク四つなのだった。


 シャラーレフの喧嘩腰の反応に、キルスも苛立った様子で睨む。

 二人は再会早々爆発しそうになった。


「まぁまぁ、キルス。ほら、女の子はいろいろあるものだよ」

 とりあえずという言葉がつくような調子で、ルトがキルスをなだめる。


 キルスは舌打ちをすると、嫌々トランクを二つ持ち上げると、幌馬車に詰め込んだ。残りの二個は、サームが運んだ。


「よーし、これで準備は万端だね。じゃあ、これからの説明するよ」

 指図したことがきちんと済んだのを見て、ルトは満足げにうなずいた。そして、積み込みを完了したキルスとサームの前に立つ。

 キルスとサームはほんの少し姿勢を正し、ルトの方を向いた。


 ルトはざっくりと手筈の確認をした。日程の確認や、盗賊に襲われたときの反撃の方法などについて話しているようだった。シャラーレフも、だいたいは聞いておいた。


「……じゃあ、前がキルス、真ん中が僕、後ろがサームで行こうか。で、お嬢さんは、誰の隣に座る?」

「はい? 隣?」


 ルトがおもむろに、シャラーレフに質問した。

 突然話を振られ、声をひっくり返すシャラーレフ。


「お嬢さんは誰かと一緒の馬車に乗るわけでしょ。とりあえず今日のところの希望とかないの?」

 ルトがにこにこと追及する。


 キルスは無愛想な顔でこちらを見て、サームは暗いガラスののぞき穴を向けていた。


「では、ルトの隣でお願いします」

 シャラーレフは嫌々答えた。


(キルスは今はまだ同席したくないですし、サームは意思疎通が可能かどうか不明。となるとルトしかないでしょう)


 それは完全な消去法であった。


 表情を曇らせるシャラーレフに、ルトは口元を覆うマフラーを下げて優しげに笑った。


「いいよ。良い旅の始まりにしようね」


 ルトのこういうところは普通に考えたら魅力的ではあったが、シャラーレフは苦手であった。馴れ馴れしすぎて不安になるのである。


 順番が決まったので、一同は馬車に乗り込んだ。

 シャラーレフは真ん中の馬車に乗った。荷台とつながった御者台は、半分は幌で覆われており思ったよりも快適である。


 後ろを向けば、武器の詰め込まれた木箱が山のように積まれていた。

 シャラーレフには、その中に入っている銃が使われるのを待ちわびているように感じられた。


 シャラーレフは身をよじって一番手前にある木箱の蓋にふれた。そこには何十本ものライフル銃が、きっちりとしまわれているはずであった。シャラーレフは寝ている子に語るように、そっとつぶやいた。


「あなたたちが早く使われたいように、私の祖国もあなたたちを待っているんです。大切な戦いなのですから、よろしくお願いしますよ」


 シャラーレフが木箱を見つめていると、サームがのっそりと急に現れた。

 ぎょっとして、シャラーレフはサームを凝視した。その手には平織のカバーがかけられたクッションが掴まれていた。どうやら移動中はこれを使えと言うことらしい。


「あ、ありがとうございます」


 おそるおそるシャラーレフが受け取ると、サームは真っ黒い頭巾で覆われた頭でこっくりとうなずいた。


「ドウイタシマシテ、御主人……」


 重低音のたどたどしい声がガスマスク越しに響く。

 シャラーレフは驚き、声を上げた。


「あなた、喋れるんですか?」

「別ニ普通ニ……」


 サームはそう言い残すと、現れたときと同じように唐突に去って行った。

 シャラーレフがきょとんとしていると、隣に座ってきたルトが尋ねた。


「どうかした?」

「いや、今サームの声を初めて聞いたものですから」

「サームは初対面の人の前では喋らないし基本無口だけど、口がきけないわけじゃないよ」


 手綱の準備をしながら、ルトは答えた。


「そうなんですね」


 シャラーレフは自分の思い込みを少々恥ずかしく感じつつ、クッションを席に敷いた。堅すぎず柔らかすぎず、ちょうどいい具合である。


「よいしょっと」

 ルトが地面から荷物を引き上げ、座席の後ろに置く。

「それは……」

 シャラーレフは布に巻かれたその細長い荷物を見つめた。


「あぁ、これ? まぁ、最初の方は使うことないと思うけど、一応ね」


 ルトは布の一部をはがすと、その中に収納されているボルトアクション・ライフルをシャラーレフに見せた。

 シャラーレフはそのとき、ルトたちが傭兵であったことを思い出した。


 ルトはくしゃくしゃっとライフルを布の中に戻し、手綱を握りシャラーレフに確認した。


「お嬢さんは忘れ物はない?」

「ありません」


 シャラーレフは前を見据え答えた。

 そこには、今まで乗ってきた辻馬車や駅馬車の密閉された客室とは違う、開かれた景色が広がっていた。


「じゃあ、出発だ」

 ルトはシャラーレフに微笑むと、前と後ろの馬車にも届く大きさの声で叫んだ。

「準備はできた⁉」


 その声は高く朗々とよく響いた。


「問題ない」

 前からキルスの返事が聞こえる。

 サームからは反応はないが、それが大丈夫だという意味らしい。


「よーし、じゃあ出発!」

 ルトの掛け声がして、バシッと軽快な鞭の音が三つ鳴り響く。


 そしてゆっくりとゆるやかな揺れがシャラーレフの体を包み、三台の馬車は進み始めた。

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