第5話 交渉と賭け

「それで、お嬢さんは何でこの店に来てくれたのかな?」


 ルトが口説くような態度を崩さずに、コーヒーを味わっていたシャラーレフに質問する。

 少女から武器商人に気持ちを完全に切り替えると、シャラーレフは依頼内容を伝えた。


「武器の運搬をお願いしたいんです。ここからセフィード国まで」

「セフィードまで武器ってことは密輸? お嬢さん、セフィードの反乱軍の仲間か何かなの?」


 意外そうな顔で、ルトが聞き返す。

 シャラーレフは目をそらさずに肯定した。


「はい。私が武器を納品するのは、反乱軍です」

「ふーん、お嬢さんがねぇ。武器の量は?」

「ライフル銃二千丁と新型機関銃五丁、そして十二センチ榴弾野砲二門です」


 可憐な外見とは不釣り合いな言葉で、シャラーレフは即答した。その量は多くはないが、小国であるセフィードにとって決定的な戦力であった。


「それなら、大型馬車三台くらいだし、三人でも護衛できるか……」

 視線を下に泳がせて、思案するルト。商売の算段をたて終えると目を上げ、シャラーレフに聞いた。

「で、お金は?」


 ルトは、単純に手間に見合った報酬であるかが知りたいだけのようであった。

 おつかいを頼まれた子供のような軽さがあったが、その表情には自信と乗り気が感じられた。


(どうやら確実に成功させるだけの技量はあるみたいですね。予算はどうでしょうか)


 持ってきたトランクの中から金貨の入った小さな袋を出しルトに渡す。


「これは前金です。密輸が成功した後には、この五倍支払います」


 シャラーレフはそれなりに金払いがよく見えるように振る舞ってはいたが、決して資金は潤沢ではない。断られる可能性もある額であった。


 ルトは小袋を受け取ると、中身を確認した。カウンターの隅に置かれたオイルランプに照らされ、鳶色の瞳がきらりと輝く。そう悪くはなさげな反応である。


「いいよ、お嬢さん。他に仕事もないし、引き受けてあげる」

 袋の口を丁寧に閉じて、ルトはにっこりと承諾した。


 交渉は成立である。


「ありがとうございます。よろしくお願いいたします」

 少々気が抜けたような気持ちになりながらも、シャラーレフは表情を緩めた。


(随分あっさりと、決まってしまいました。だけどまぁ、いいでしょう。私はこの人たちを信じてみます)


 全てを気に入ったわけではない。引っかかるところがないわけではない。

 それでもシャラーレフは、この店の話を聞いた時から感じていた直感に従い彼らを雇うことにした。国の命運や自分の生き死にのかかった選択だからこそ、自分の勘にかけた。


「こちらこそ、よろしく」

 ルトが気安い調子で、会釈した。だがその後に続く言葉には、シャラーレフという人間を見極めるような響きがあった。

「で、これは雇用関係を結ぶにあたり、信頼のために知っておきたいだけなんだけど」


 そう前置きして、ルトが改めてシャラーレフに向き直る。


「お嬢さんが武器を輸入する目的って何なの?」

 色男じみた態度のまま、ルトはシャラーレフに直球で尋ねた。


 ルトの問いかけに、シャラーレフの緑色の瞳が力強くきらめく。


(聞きたいのなら、聞かせてあげます。私たちの戦う意味を)


 シャラーレフは祖国解放への気持ちを語ることが好きであった。

 セフィードにいたときには、本当のことを言いたくても言えなかった。アーザルに来て初めて、人目を忍ばず自分の意見を話せるようになった。それが嬉しくてしょうがないのである。


(こういうことを人に話すのは軽い気持ちの人という考え方もありますが、私はそうは思いません。伝えることに意味がないはずはありません)


 コーヒーを一口飲んで椅子に座り直し、深く息を吸い込む。

 そこにためらいは一切なかった。


「はい。祖国セフィードの解放が、私たちの大義です」

 先ほどまでとは違うトーンで、シャラーレフは話し出す。高揚しすぎたせいか、声が震えた。

「ゲルメズの経済封鎖のせいで今は皆無力ですが、私が密輸する武器でセフィードは変わります。これまでのように黙って奪われたりはしません。今も叛逆する意思のある人間はいます。彼らが銃を手にすれば、状況は必ず動きます」


 丁寧な口調とは裏腹に、次々とあふれる言葉は物騒である。シャラーレフのちょっとした演説はしだいに饒舌になり、力強さを増して続いていく。


「敵は卑怯で強大で残虐な侵略者ですから、きっと厳しい戦いになるでしょう。でも私たちには苦しくとも戦い抜く覚悟があります。あのゲルメズを私たちの祖国から追い払い、二度と侵略を許しません。そして自由と本当の平和を、私たちは勝ち得ます。これは、正義の戦いです」


 そこまで言い終えたとき、後ろから刺々しい声がした。


「ふん、戦争に正義があると信じるなんて、馬鹿な武器商人だな」


 振り返ると、キルスが冷たく笑ってこちらを見ている。


「キルス、やめなよ」

 やれやれといった様子のルトが、最低限の厳しさでとがめた。


 サームも扉の向こうから黒い頭をのぞかせて、首を横に振っている。


 逸っていた心がしん、と静まっていくのをシャラーレフは感じた。

 真っ白な怒りに思考が塗りつぶされて、一瞬凍る。だが、すぐに先ほどまでとは違う種類の熱が込み上がった。


(この方、今私を愚弄しましたね)


 思わず何かを言い返しそうになるのを、シャラーレフはぐっとこらえた。自制する時間を稼ぐために、横槍の意図を確認する。


「……今、何と言いましたか?」


 冷静を装い、シャラーレフは椅子から立ち上がりキルスに向き直った。

 ストンと、厚めの布で仕立てられた紺色のフレアスカートが重々しく広がる。


 キルスは白いしっくいの壁にもたれたまま、シャラーレフを視線に捉えた。そして鋭くせせら笑い、シャラーレフの大切な言葉を皮肉る。


「あんたの大義とやらは、戦争を知らない大馬鹿の夢物語だと言ったんだよ」


 沈黙した室内に、キルスの尖った声が響く。


 押し殺していた感情の高まりに、シャラーレフは一瞬ぐらりとした浮遊感を覚えた。


(私を勘違い客として門前払いしようとしただけじゃ飽き足らず、今度は大馬鹿扱いですか。そうですか)


 音もなく激しく燃え広がる胸の奥の炎。

 その熱さを滲ませて、シャラーレフはキルスをきつくにらむ。


(馬鹿はそちらの方です。祖国を取り戻そうとすることが愚かなことのはず、ないじゃないですか)


 シャラーレフはつかつかとキルスに歩み寄り、その鋭利な黒い瞳をのぞきこんだ。

 キルスの身長はシャラーレフとはさほど変わらず、真っ直ぐに見つめればそこに顔があった。


「今の言葉、撤回してください」


 きりきりと張りつめた声で、シャラーレフは言い返した。刺すような勢いで、キルスに迫る。


 普段のシャラーレフは落ち着いた物腰の、おっとりとした雰囲気の人間である。

 だがしかし、一旦火が付くと決して簡単には止められないところがあった。その奥底にある激情的な気質は、幼いころから変わらない。


「私は戦争を知らないかもしれません。でも逆に、あなたに私の国の何がわかると言うのですか? 私があなたに馬鹿と言われる筋合いはないはずです」


 噛みつかんばかりの激しい調子だったが、その言葉はあくまで理詰めで、敬語も崩れない。呼吸を整えながら、シャラーレフは反論を待った。


 キルスは浅黒い精悍な顔を不快そうに顔を歪めると、さらに辛辣な口調でシャラーレフを突き放す。


「物を知らん女に馬鹿と言って何が悪いんだ。あんた、カークトゥース以外のアーザルを歩いたことないだろう。この国の本当の戦後を見れば、あんただって正義の戦いなんてたわごと言ってられなくなる」

「そんなことありません。他国の不幸な現実ごときで揺らぐ覚悟じゃないですからね、私は。馬鹿にするのはやめてください」


 シャラーレフは反射的に、キルスの言葉を否定した。


 キルスが指摘した通り、シャラーレフは国境を抜けてからの移動のほとんどを鉄道で済ませており、カークトゥース以外のアーザルを知らない。戦場となった場所のことはまったくわからないのである。

 だが、多少の悲惨な光景で自分の意見を変えるようなやわな人間だと思われるのは、許せなかった。たとえ戦時下ではなくても、祖国セフィードでは圧政の中で多くの人が殺されていた。強制連行で消えたナハールのように、生きたまま存在を殺された人もいる。シャラーレフはずっと、それらの死を目をそらさずに見てきたのだ。


「不幸な現実ごときときたか。やっぱりあんたは大馬鹿だ」


 キルスは軽蔑の眼差しでつぶやいた。その黒い瞳の中に暗い怒りが灯るのを、シャラーレフは見た。

 明らかに言い過ぎていることをシャラーレフは自覚していたが、それでも謝る気はなかった。


 キルスはシャラーレフにそっと近づいた。黒い巻き毛の前髪が、シャラーレフの額に触れる。

「あんたはその祖国解放の大義とやらを貫けずに終わるよ。世間知らずの武器商人さん」

 キルスはシャラーレフから目をそらすことなく、はっきりと語気を強め断言する。


 シャラーレフも一歩も下がらず、キルスを見つめた。ごく至近距離で、二人はにらみ合った。


「では、賭けましょう」


 しばらくの沈黙の後、口を開いたのはシャラーレフだった。

 キルスから離れ、適度な距離に戻るシャラーレフ。だが、その目は熱を持っていた。


(私はこのキルスという方を知りませんし、この方も私を知りません。これ以上の議論は不毛です。だけど、私は証明する必要があります。この男に舐められたままでは、終われません)


 負けたくない一心で、シャラーレフは戦いの延長を申し出た。


「セフィードまでの旅が終わるまでに、あなたが私に本当の戦争というものを教えてください。それで私が考えを変えるか、あなたが私を認めるか、お互いの謝罪を賭けて勝負です」


 口をついて出たのは、自分で言っていてもどうにも奇妙な賭けだった。

 だが、一度言ってしまった以上は引き返せない。


 シャラーレフの持ちかけた勝負に、キルスが迷惑そうに顔をしかめてそっぽを向く。


「断る。あんたの子供っぽい賭けに、なぜ俺が付き合わなきゃならないんだ」

「逃げるなら、私に謝ってください」


 シャラーレフはひとまずこの場は勝ったと思った。キルスはおそらく、ここで嘘でも謝れる人間ではない。シャラーレフにこの台詞を言わせた時点で、キルスは賭けに乗るしかないのだ。


 キルスも自分に逃げ場がないことに気づいたようだった。

 ため息をつき、キルスは抵抗をあきらめた。


「……わかった。その賭け、受けてやる。どうせすぐ終わるだろうけどな」

 見下したように笑い、宣戦布告するキルス。

「さぁ、どうでしょう?」

 シャラーレフも負けじと余裕を装う。


「どっちでもいいけど、お金は絡めないでね」

 二人が火花を散らしあっているのを、ルトはカウンターに頬杖をつき温い表情で眺めていた。


 サームも、戸の隙間からガスマスクを被った頭を不思議そうに傾げる。


 観客の存在に気づいた二人は我に返って、お互いにふいと背を向けた。


 シャラーレフは席に戻り、いらいらと冷めきったコーヒーを飲んだ。


(何があったとしても、たとえ死んだとしても、私は変わりません。祖国を取り戻すための覚悟です。必ず貫き通します)


 シャラーレフは記憶の中の故郷に勝利を誓った。


 こうしてシャラーレフの旅と賭けは、始まったのである。

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