第21話 焚き木は燃える

 赤々とした焚き木の明かりが、シャラーレフとキルスの二人を照らす。


 キルスはゆっくりとその精悍な顔をシャラーレフに向け、鋭い視線で捕らえた。


「それがあんたの言う大義か」

 その声は厳しかったが、微かだが同情するような響きがあった。

「はい」

 シャラーレフは表情を緩め、小さく笑って答えた。少なくともシャラーレフには、それは誇れる言葉であった。


 全てを悟ったかのようなシャラーレフの反応が気に入らなかったのか、キルスはあからさまに顔をしかめた。いらいらと声を荒げて、シャラーレフをとがめる。


「それで? あんたは俺に何が言いたい? そっちの可哀想な過去はわかってあげたから、今度はこっちの言い分も理解しろって?」

「そういうわけじゃ……」


 シャラーレフはとっさに否定しようとした。

 だが、キルスの言っていることがあながち間違いでもないことに気づき、返答に詰まる。


 黙り込むシャラーレフに、キルスは一瞬躊躇するような顔になった。だが、すぐに決心した様子で、シャラーレフを強くにらんだ。


「じゃあ何だ。単なる不幸自慢か」

 実力行使に出ることにしたらしいキルスは、シャラーレフのコートの胸倉を掴み顔を近づけた。


 それは力任せな一撃だったが、ぎりぎりのところで加減されていた。キルスの黒く深い瞳を目の前にして、シャラーレフは息を飲んだ。襟を掴んだ手の体温が、首に伝わる。抵抗することも忘れて、シャラーレフはただキルスの行動を受け入れた。


「あんたの言い分には、虫唾が走る。不幸なら正しくなれると思うな。どんな過去を持ってたとしても、俺もあんたも許されない。だから馬鹿なことはやめろ」


 低く押し殺した声で、キルスは容赦なく次の批判を叩き込んだ。

 シャラーレフの心を折るためにわざわざ並べられたであろう、きつい言葉たち。だが、それは同時に忠告でもあった。


(馬鹿なことはやめろ、ですか。この人は自分はもう許されないけど、私はまだ引き返せると、そう言いたいんでしょうね)


 キルスの今までの辛辣な言動が優しさからくるものであることを、シャラーレフはすでにだいたい気づいていた。しかし自分への思いやりだからとそれを素直にすべて受け取れるほど、できた人間にはなれない。


 コートの襟を握るキルスの両手にそっと冷たい自分の手を重ね、シャラーレフはささやいた。


「それは、無理なんです」


 くちびるをゆっくり動かし、やんわりとキルスの気持ちを拒む。説得したくて浮かべた笑顔は、たどたどしい仕上がりになってしまった。


 その笑みがさらに癇に障ったらしく、キルスは胸倉を掴んだ手に力を込めさらにシャラーレフを引き寄せた。

 あまりにも近づいたので、額と額がごつんと音を立てて触れあう。キルスの額は熱かった。


 キルスが憎しみをこめて、つぶやいた。


「……あんたみたいな自分が正しいと思っている人間が、世界を滅ぼすんだ」

 そしてその目に一瞬、憐れみや同情のようなものが混じる。ためらいがちに、言葉を続ける。

「そうでなければ、あんたが世界に滅ぼされる。あんたのお仲間のことはよく知らないが、あんたの綺麗事につきあってやれるほど人の良い連中なんてそうはいない」


 言い方は厳しかったが、キルスは本当にシャラーレフを心配してくれているようであった。だがその内容は、シャラーレフにとっては一番の攻撃であった。


(私の仲間は、私と同じ志で祖国を救おうとしている……はずです……)


 そんなことはない、とシャラーレフは言いたかった。アーザルに来たばかりのシャラーレフなら、堂々と否定できた。

 しかし旅の中でアーザルの戦後を見て、その自信もなくなってきた。強い力は、良くも悪くも人を変える。セフィードの同胞が変わらない保証はない。


 シャラーレフは苦心して、違う言葉を探した。


「では、あなたみたいにあきらめて皮肉言ってる人間が世界を良くするんですか? 私はそうは思いません」


 シャラーレフは間近にあるキルスの怒りとその他の感情がないまぜになった顔から目をそらさずに言った。

 これ以上キルスを刺激したくはなかったが、状況が状況なだけに、何を言っても煽りにしかならない。なるべく優しい調子で言いたかった言葉は、どうしても挑発的に響いた。


 キルスはわなわなと震えると、乱暴にシャラーレフから手を放した。


「そうかよ。じゃああんたは勝手に大好きな戦争で死ねばいい。俺はあんたみたいな女が死のうが何されようがどうも思わない」


 全力で突き放しにきた暴言は、冷え冷えと夜の森に響いた。

 半分くらいは売り言葉に買い言葉だとわかってはいても、それはシャラーレフの心を深く貫く。


(さすがに死ねばいいってのは、ひどいです)


 一瞬で、緑色の瞳に涙が浮かぶ。今までが平気だったので、こらえるのが難しかった。

 慌ててシャラーレフは、乱れた襟元を整えながら声を震わせて言い返した。


「理解していただけなくて残念です。もう私も、人を殺したくないくせにわざわざこんな仕事やってるあなたをわかりたいなんて思いません」


 喧嘩腰な雰囲気に流されて、最後の最後でシャラーレフはキルスを傷付けにかかった。本当はお互いのことを知ってほしかっただけであったが、キルスのひどい言葉についやり返してしまった。


 キルスの瞳が揺れて、焦点がずれる。自分の人生の矛盾を突かれ、それなりに深手を負ったようだった。キルスはわずかにたじろぎ、後ずさった。


 シャラーレフは駄目押しのつもりで、早めの別れの言葉を告げた。


「この旅が終われば、あなたとはそれでさよならですからね」


 わかりあってもあえなくても、どちらにしても別れることになるのではないか、と言いながら思った。


(私はこんなことが言いたかったわけじゃありません)


 シャラーレフは求めていたものとは違う結果に後悔しながら、キルスに背を向けた。こらえていた涙が音もなく握りしめた手にこぼれる。


 何か他の違う言葉をかけてもらえることを期待したが、キルスは何も言わなかった。


 決別したことをはっきりと感じながら、シャラーレフは立ち上がり寝袋に戻った。


 キルスの方を見ないようにして、横になる。声を押し殺して、シャラーレフは泣いた。

 うまく伝えられなかったことも、結局キルスを傷付けてしまったことも、全部が悲しかった。


 キルスをひどいと感じたが、自分も結構悪いような気がした。だが、これが自分の選んだ道なのだから仕方がない、とも思った。


(私の綺麗事に付き合ってくれる人間なんかいないと、キルスは言いました。でも、そんなことないはずです)


 シャラーレフは祖国を信じていた。

 全ての人にわかってもらえなくても、ちゃんと自分と同じ気持ちの人が少しはそこにいるはずだった。


 シャラーレフはあと数日で帰れる祖国を想い、心を落ち着けて眠ろうとした。


 だがそれでも、キルスから向けられた言葉について考えることはやめられなかった。

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