第22話 国境での別れ
その次の日から、シャラーレフは一切キルスとは口をきかなかった。
キルスも、シャラーレフに話しかけることはなった。
「え、何、お嬢さんとキルス、二人して痴話喧嘩してんの」
「罰ゲームカ何カ?」
ルトが茶化しても、サームが片言で心配しても絶対にそれは崩れなかった。
残りの旅程は、キルスと無言であり続けた他は何もなかった。
デラフト山脈が近づき、空を覆う雲はよりぶ厚くなっていった。道にも雪が積もるようになり、シャラーレフは雪国である故郷が近づいていることを実感した。
そして数日後、とうとう長かった旅の最終日がやってきた。
降り積もった雪に凍てつく山脈のふもとの森で野営した一行は、薄暗い曇りの朝を迎えていた。今降っているわけではないが、いつ積もりだしてもおかしくない天気であった。
シャラーレフはトランクから持っている服の中で一番厚手の白いワンピースを取り出し着替えた。ペチコートを多めに重ねて、タイツの上から靴下も履いた。
朝霧が森全体を包み、白いもやがぼんやりとどこまでも広がっていた。
さらに地面も木も何もかもを雪が覆い、どこを見ても真っ白であった。枝に雪の積もった木々は、まるで銀色の花が咲いているようである。幻想的で美しい光景だが、その寒さは実家である程度の雪には慣れたシャラーレフにも厳しく感じられた。
火を強くした焚き木を囲んで、四人は座って最後の朝食を食べる。
「お嬢さんと一緒の旅も今日で終わりかぁ。寂しいね、キルス」
ルトがパンの上に砂糖をかけながら、にやにやする。
キルスは「別に」すらも言わずに、黙々としかめっ面でベーコンののったパンを食べていた。
「うんうん。言葉にできないくらいな気持ちなわけね。で、お嬢さんは、どう?」
ルトはわざとらしく相づちをうつと、今度はシャラーレフをからかう対象にする。
「……まぁ少し寂しいですかね」
シャラーレフは正直な気持ちを答えた。祖国に戻れるとはいえ、まず着くのは見知らぬ人しかいない土地である。ずっと一緒に旅してきた三人と離れるのは、心細かった。
「キルスとも仲直りしてないしね?」
ルトがすかさず、シャラーレフの弱音に茶々を入れる。
シャラーレフは無言でにらんだが、ルトはますます面白がって笑うだけだった。
キルスの方はと言うと、無視を決め込んでパンを噛みしめている。
(キルスと仲直りなんかしなくても、私は帰れます)
シャラーレフが頬をふくらませてそっぽを向いた。
そこにおもむろにサームが立ち上がり、シャラーレフのパンの上にもう一枚ベーコンをのせてくれた。
シャラーレフは真っ黒なガスマスクを見上げた。
「え、いいんですか?」
「オ別レ、記念。御主人、帰ッテモガンバレ」
声が低すぎて聞き取りにくかったが、それは確かに励ましの言葉だった。
自分のしていることを普通に応援してもらえたのは久々のことだったので、シャラーレフはかなり感激してしまった。
「ありがとうございます」
シャラーレフは満面の笑みでお礼を言った。記念にしては生ものすぎる贈り物でも、うれしかった。
サームは何も言わずにうなずき、自分の席に戻っていった。顔は全く見えないが、何となく喜んでいるように見えた。
シャラーレフはこんがりとほどよく焼かれたベーコンを、大切に食べた。
「そういえば、そのダリュシュ?とかいう協力者にはどうやって会うんだっけ?」
ルトが思い出したように、砂糖のかかったパンをかじりながら聞いた。
シャラーレフは、秘密厳守のために暗記して破棄してある計画書の内容をかいつまんで答えた。
「デラフト山脈のゴル岳のあたりのふもとにいれば、あとは向こうがわかってくれるそうです」
「えぇっと、ゴル岳ってこの山だっけ?」
ルトは木々で先の見えない斜面を指さした。今の地点ではなだらかな坂だが、その先には岩に覆われた険しい山脈が待っているはずだった。
「はい、そうです。もしかしたら、向こうももう気づいているかもしれません」
シャラーレフは、雪で真っ白になっている森を見渡して言った。
街道が通る峡谷からかなりはずれたこの場所は、訪れる人がほとんどいないと聞く。おそらく、余所者が立ち入れば周辺の住民はすぐわかるのであろう。
「ふーん。結構、合流の仕方は適当なんだね」
ルトは意外そうに、頬杖をついた。
「いちおう、合言葉は作ってあるんですけどね」
よくよく考えてみると本当にちゃんと協力者に会えるのか不安になってきたシャラーレフは、自分を安心させる意味もこめて付け加えた。
朝食を食べ終え、ルトを除く三人は食器等を片付けた。
ルトはなぜか、椅子に座ってまた寝始めていた。
シャラーレフは、これが最後といつもより念入りに自分の使っていた皿を拭いた。
そのとき、馬車の幌にふりかかった雪を払っていたサームがぴくりと何かに反応した。
キルスも何かに気づいたようで、折り畳み式の椅子を荷台に下ろすと、サームと目を合わせた。
「誰かが近づいているな」
「ウン、徒歩ノ人。多分、三人カ四人」
サームは山岳の方に体を向け、耳を澄ますようにつぶやいた。
「あと十五分くらいは寝たかったのに」
サームとキルスの反応に、ルトもあくびをして目を覚ました。
「ダリュシュさんたち、ですかね」
シャラーレフは期待を込めて、サームとキルスと同じ方向を見た。
「もしかしたら、ってこともあるからね」
ルトは荷台から自分のライフルを取り出しながら言った。キルスとサームも、とりあえずと言った様子で各々の武器を確認している。
じきにシャラーレフにも人の気配が感じられた。
まだ姿の見えない彼らは、セフィードの言葉で二言三言こちらに叫んだ。
セフィード語が少ししかわからないルトはライフルを手にしたまま、首を傾げた。
「何て言ってるの、これ」
「合言葉です。今、答えます」
その意味を理解したシャラーレフは、対応する言葉を叫び返した。
すると木の影からかなり服を着こんだ四人の男が姿を現した。
リーダー格らしい青年が前に出て、セフィード語で尋ねる。
「あなたがシャラーレフ姫か」
シャラーレフも同じようにセフィード語で答えた。
「はい。私がシャラーレフ・ラフシャーンです」
故郷の言葉で話すのも、姫と呼ばれるのも久々のことだった。
青年は丁重にお辞儀をして言った。
「初めまして、シャラーレフ姫。私がこの山の向こう側にあるラースト村の村長のダリュシュだ」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします。ダリュシュさん」
シャラーレフも深々と頭を下げた。
ダリュシュは細面で色白の青年に見えた。
黒縁の眼鏡をかけた顔は若いのだが、くすんでつやのない黒い髪にはかなりの割合で白髪が混ざっている。薄汚れた白い厚手のチュニックに濃茶のズボンをあわせ、その上に灰色の外套を来た姿は、ややもっさりしていた。
会話の大ざっぱな内容しか理解できないキャラーグ商会の三人は、後ろで様子をうかがいながら立っていた。
「あなたたちはアーザルの方だな。ここまでの護衛を?」
気をきかせて、ダリュシュがアーザル語で三人に話しかけた。どうやらそれなりに学はあるらしい。
「そんなところだね。じゃあ、ちゃちゃっと軽く必要な説明だけすませようか」
急に話をふられても、ルトはいつも通りの調子で答えた。
そして、ルトとダリュシュの間で引継ぎが始まった。
「積荷はこの馬車に全部載っているんで」
「では、うちの村の者がこれに乗ってそのまま引き継ぐってことでいいか?」
「駅馬車か何かで乗り継いで帰るから、問題ないよ。じゃあ、僕たちの私物を出さないとだね」
「駅馬車なら、ここから南へ半日ほど歩いて着く街に……」
着々と二人の間の話と準備は進み、十数分後には武器の載った馬車の御者台にはダリュシュが連れてきた村人が座り、キャラーグ商会の三人は自分たちの荷物を持って外に立っていた。
「それじゃ、これで僕たちの仕事ももう終わりってことかな?」
「で、いいか? シャラーレフ姫」
ダリュシュが振り向いて、シャラーレフに確認する。
「はい。ここでお別れですね」
シャラーレフはキャラ―グ商会の三人の前に改まって立った。
そして脇に抱えていたトランクの中から、麻の袋を取り出しルトに手渡した。
「今までありがとうございました」
「こっちこそ、ご利用ありがとう」
ルトは上機嫌で受け取った。鼻歌まじりで袋を開け、思ったよりも多い中身に目を輝かせる。
「お嬢さん、僕たちこんなにもらっちゃっていいの?」
シャラーレフは、少し照れながら言った。
「帰りの旅費と、いろいろ教えてくれたお礼に増額です」
すべての働きに満足したわけではないが、ここを選んでよかったと心から思えたので、報酬は少し多めに入れておいたのだ。
ルトは袋をしっかりとコートの内ポケットにしまうと、長い両腕を広げた。
「お嬢さん、ありがとう!」
そして次の瞬間、シャラーレフはルトの腕に包まれていた。
ルトの背は高いので、平均身長のシャラーレフはすっぽりと覆われてしまう。
「ちょっと、やめてくださいよ、ルト」
シャラーレフはまんざらでもない気持ちだったが、人の目もあるので抵抗はした。ルトの現金すぎる反応に、お礼がお金しか思いつかなかった恥ずかしさが和らぐ。ルトの反応は過剰すぎると思ったが、喜んでもらえたことはうれしかった。
ルトを引きはがすと、今度はサームが別れの握手をしてくれた。革の手袋で覆われた手は、シャラーレフとそう変わらない小ささだった。
最後に、キルスと対峙した。
シャラーレフが顔を上げて見据えると、キルスは冷え切った黒い瞳でシャラーレフを一瞥した。だが、すぐに目をそらし別の方向を見る。
あまりじっと見ていると未練がましいようで嫌なので、シャラーレフもすぐに目を移した。
(本当にこれでお別れなんですね。私たちは)
結局言い合いしただけで終わってしまったことが心残りだった。だが、もう完全に手遅れなほどに、シャラーレフもキルスも意地を張ってしまった。
「では、気をつけてアーザルにお帰りください」
シャラーレフは白いスカートの前で手を組み、会釈した。
「じゃあね、お嬢さん」
「サヨナラ、御主人」
「……」
思ったよりも少なくまとまっている荷物を背負い、三人は歩き出した。
「ええ、さようなら」
シャラーレフは手を振って、見送った。
雪に塗りつぶされた真っ白な森の中で、黒い服を着た三人の後ろ姿は遠ざかってもよく見えた。
想像以上の喪失感が、そこにはあった。
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