第四章

第23話 見知らぬ同胞

 乗り手がキャラーグ商会からダリュシュとその仲間へと代わった馬車は、雪の積もった険しい山道を慎重に進んだ。先頭であるダリュシュの馬車に、シャラーレフは乗っている。


 岩山の中腹を削って作られたその道は、広さはそこそこあるもののでこぼこな上に大小様々な石があちこちに落ちている。雪で隠れて見えないその障害に馬車が邪魔されて揺れるたび、荷台に載った武器入りの木箱が中から金属音をたてて跳ねた。


 道の右側には急な角度の峰がそびえ立ち、左側には断崖絶壁が広がっている。

 ときおりねじれた木が灰色の岩肌にしがみつくようにして伸びている他は、遮るものがない崖である。その果ての見えない深さに、シャラーレフは言い知れない浮遊感を感じ怖くなった。


 なるべく下を見ないようにして、シャラーレフは尋ねた。


「もう、ここはセフィードなんですか?」

「きっちり決まっているわけではないけど、そうなるな」


 ダリュシュは手綱をしっかりと握りながら答えた。視線は道に注がれ、外れない。


 役人の目の届かない辺境の道を選んだのだから当然のことであるが、シャラーレフの住んでいた郡以上の僻地である。


 灰色の空からは時折、粉雪がちらほらと舞った。

 量が少ないのですぐに溶けて消えたが、視覚的にも一層寒い。


 岩山を下りていくと、再び森に入った。アーザル側とあまり雰囲気の違わない、糸杉の森である。


 少し進んだ途中の道端に、シャラーレフは鈍く光る何かを見つけた。土が高く盛られた上に、黒くつやのある大きな碑石がのっている。雪が積もって見えにくくなっているものの、それは塚のように見えた。

 その周りだけ森が切り開かれているにも関わらず、どこか暗く寂しい印象を与える場所だった。石には何やら刻まれていたが、離れているので読むことはできない。


「あの、あれは何ですか」

 シャラーレフは隣に座るダリュシュにおずおずと尋ねた。

「あの塚は、餓死した村人を弔っている」

 ダリュシュは感情のわかりにくい落ち着いた声で答えた。

「今年はまだましな方だが、数年前の大干ばつの年はひどかった。雨はまったくふらず、土地は乾いた。川を流れるわずかな水でさえ、隣の村に奪われた。実りは少なく、冬の蓄えは何もなかった」


 前を見続ける表情は変わらなかったが、眼鏡の奥の灰色の目にわずかに力がこもった。


「そして大勢の村人が飢えて死んだ。皆それぞれに家族を失った。誰も生き残らなかった家もある。私の妹も、その年に死んだ」


 静かにダリュシュは言い終えたが、その間には確かに怒りがあった。


 ダリュシュの語るラースト村の現状は、シャラーレフの住んでた場所よりもさらに悲惨だった。このラースト村がある地域が不作だった年も、シャラーレフの住む北部は豊作とはいかなくても、普段通りの収穫だった。

 実りがあっても結局はゲルメズに収奪され飢えるのであるが、それでもこの地域の方が厳しい状況であることは確かだった。


 どうしようもないことであるが負い目を感じ、シャラーレフはうつむき黙った。


「だけど、ゲルメズの支配を脱すれば、こういう理不尽な死も減らせるはずだ。だから私たちは、あなたたち反乱軍に協力している」


 気まずい沈黙に、ダリュシュがシャラーレフを気遣った。

 シャラーレフはダリュシュの黒縁眼鏡をかけた顔を見上げた。小さく微笑んだ表情には、不幸に抗う意志が感じられた。


「はい。革命が成功したときには、この村にもきっと恩を返せると思います」

 シャラーレフは薄く化粧をした頬をゆるめ、笑いかえした。


 ダリュシュは微笑んだままシャラーレフと目を合わせると、曲がりくねった森の中の道に視線を戻した。


 シャラーレフとダリュシュたちは、碑石を後にした。しばらく行くと、村に入ったらしくぽつぽつと民家が見え始めた。


 藁ぶき屋根の粗末な家々の中には、雪で押しつぶされそうになっているものもあった。

 すれ違う住民は皆やせ細っている。生気のない彼らの顔に、シャラーレフは改めてこの土地が特に貧しい場所であることを意識した。


 そして、何軒かの家を通り過ぎ、三台の馬車は石造りの比較的大きな屋敷に辿り着いた。


「ここが私の家だ」


 と、ダリュシュはその建物を指さした。

 曇天の下に建つ重々しい空気に包まれたその屋敷は、元はそれなりに立派だったように見える。しかし、きちんと手入れすることは難しかったらしく、今はあちこちが崩れてきていた。


 屋敷の横の空き地には、何人かの男たちが立っていた。どの男も貧相な体格だが、若い人間ばかりなせいか途中で出会った人々よりはだいぶ健康そうに見える。シャラーレフたちが来たことに気づくと、彼らは興奮した様子で駆け寄った。


「今戻った」

 ダリュシュは馬車を止め、御者台から声をかけた。後ろに続く二台も、並んで止まる。

「ダリュシュさん、それが例の……」

 近づいてきた男たちが、ダリュシュと荷台を交互に見た。シャラーレフの方は一向に見ようとしない。どうやら興味は積荷にしかないらしい。


「そうだ。アーザルで使われていた最新式の銃だ」

 ダリュシュは堂々した口ぶりで答えると、隣のシャラーレフに耳打ちして付け加えた。

「あなたが先王の孫であることは、一部にしか知らせていない。革命軍に協力しているとはいえ、ここは田舎で王族の方への敬愛も強い。いろいろ面倒だから、伏せさせてもらった」


「別にかまいません」

 隠す気があったわけではないが、またしばらく姫としてふるまう必要がなくなったことにシャラーレフはほっとした。出自を嫌っているわけでもないが、会ったこともない祖父のことでいろいろ言われるのも面倒である。姫として見られない方が、気楽で良かった。


「それは良かった」

 ダリュシュは安心した様子で息をついた。


 そして再び男たちの方を向いて、馬車を止める場所を空けるためどくように言った。男たちはそわそわした様子で場所を空けた。

 三台の馬車は屋敷の横にきっちり止められ、馬ははずされて厩へと引かれていった。


 馬車から下りたダリュシュは周りにいる男たちの中から一人、特に真面目そうな青年を呼んで見張りを任せた。青年は笑顔で了承した。

 そしてダリュシュは、残りの人間にそれぞれの仕事に戻るように命じ、連れてきた他の三人も帰らせた。ダリュシュとシャラーレフが、最後に二人残った。


「長旅でお疲れだろう。あなたのために部屋と食事を用意した。今日はゆっくりしていくといい」

 ダリュシュはそう言うと、シャラーレフを家の中に案内した。


 明かりがなく薄暗い玄関を抜けて、シャラーレフは二階にある客室に通された。

 深い紺色の絨毯の敷かれた、広い部屋だった。隅にはストーブが置かれ、かなり暖かい。古めかしいものの家具もひとおおり揃っており、おそらくこの村で一番豪華な部屋なのだろうと思った。


「今は三時半か。微妙な時間だが、何か軽く食べるか? それとも夕食まで待つか?」

 ダリュシュは部屋にかけられた振り子の時計を見ながら言った。

「じゃあ、夕ご飯まで待ちます」

 シャラーレフはいつもの食欲を押し隠し、控えめに答えた。お腹がすいていないわけではないが、ラースト村の貧しい暮らしを見た後でがっつく気にはなれなかった。


「では、夕食の時間になったら呼びにこよう。何か用があれば、下にいる者に声をかけてくれ」

 ダリュシュはそう言い残し、部屋を去った。


 久々に一人になったシャラーレフは、とりあえず久しぶりのベッドに寝転がった。得体の知れないけばけばしい花柄のカバーに包まれているものの、清潔さと柔らかさは上々である。


(なんだか、祖国にいるはずなのに帰ってきた気がしませんね)


 ラースト村の風俗や雰囲気は、シャラーレフの故郷とはかなり違った。

 言葉も一応同じなのであるが、やはり訛りによる差異は大きい。知り合いがいないこと以上に、それらは孤独を感じさせた。


(でも、気持ちは同じはずですから)


 シャラーレフは前向きに考え直して、体を起こした。疲れてはいるものの、眠気はなかった。

 シャラーレフはトランクから編みかけのマフラーを取り出し、続きを進めた。

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