第25話 ラースト村の異変

 次の日、カーテンの隙間から射しこむ陽の光でシャラーレフは目覚めた。

 太陽が出ているのは久々のことのような気がして、シャラーレフは窓から外を見てみた。快晴と言うわけではないが、雲の薄いところからぼんやりと丸く太陽が見えた。その日の高さに、シャラーレフは自分が寝坊したことに気づいた。


(もう七時過ぎてるじゃないですか!)


 あわててベッドから抜け出し、シャラーレフは身支度を済ませた。

 昨夜荷造りしたトランクに脱いだ寝間着をつっこみ、どうせ朝食を食べたらとれるからと口紅は塗らないまま下の食堂に下りる。


 だが、大きな黒い木のテーブルの上には、朝食は用意されていなかった。それどころか、屋敷に人の気配さえない。


(何かがおかしいです)


 シャラーレフは外に飛び出した。とりあえず、武器が置いてあるはずの横の空き地に走る。

 しかしそこに、昨夜まであったはずの馬車の荷台はなかった。


「これは一体……」


 シャラーレフは茫然として、何もない空き地につぶやいた。


「あの武器が、ジャヴァーンに辿り着くことはない」


 後ろから、落ち着き払った声がした。


 振り向いてみると、白髪交じりの黒髪を風にはためかせ、ダリュシュが少し離れた場所に立っていた。その表情には今まで見られなかった強い感情があった。

 怒っているようにも笑っているようにも見えるその顔に、シャラーレフは自分の身に危険が差し迫っていることを察知した。シャラーレフはダリュシュの顔をにらみ、叫んだ。


「辿り着かないとは、どういうことです? 私の銃はどこへ行ったんですか」

「お前が見つけられない、森の中に隠した。何丁化はこうして、今すでに使っているが」


 ダリュシュはそう言って、一丁のライフル銃を背後から出した。


「この銃は、反乱軍には使わせない。我々が隣の村から川の使用権を取り戻すために使う」

 そして、眼鏡を片手で外して外套の内ポケットにしまうと、シャラーレフにライフルを突きつけた。


 ダリュシュの言葉と行動に、シャラーレフの頭は真っ白になった。

 さまざまな感情がせめぎあう。だが結局、銃を突きつけられた恐怖よりも裏切られた怒りが勝った。


 何よりも許せなかったのが、裏切りそのものよりもその武器の使用用途である。


 干ばつのときに隣村に水を取られたという話は、たしかにちらとは聞いていた。だが、こうして武器でやり返そうとするほど憎み合っているというのは、気づかなかった。おそらくシャラーレフの知らない長い対立の歴史があるのだと思われた。

 だが、自分たちの生活を守るために同胞を傷付けるという利己的な行動は、シャラーレフにはとうてい受け入れられなかった。


「それは祖国を守るための武器です。同族で争うためのものではありません」

 シャラーレフは両手を握りしめ、声を震わせた。緑色の目は、燃えるように激しい光を灯している。

「私は今お前を脅しているのだが、それでも認めないか?」

 ダリュシュは片手を上げて、合図のような動きをした。


 すると、屋敷を囲む山につながる森から顔を布で隠した男が何人か現れた。どの男も皆銃を構え、物か何かを見るような視線でシャラーレフを狙っている。


(ダリュシュ一人ならいちかばちかで逃げれたかもしれませんが、これじゃそれも無理ですね)

 シャラーレフは周りを見渡し、完全に包囲されたことを確認した。深いため息をついて、再びダリュシュを見据える。


「今は内輪もめしている場合ですか? あなたたちのやろうとしていることは間違いです。私は認められません」


 シャラーレフの声は凛然として、あたりに響いた。

 最初からシャラーレフの答えをわかっていたように、ダリュシュは馬鹿にしたような笑みを浮かべた。そして、冷たく言い放った。


「そうか。ならば、私たちはお前を排除するだけだ」


 ダリュシュは躊躇せずに、引き金をひいた。


 銃声が鳴り響き、シャラーレフの左肩に衝撃がはしる。痛みを感じる前に、シャラーレフはバランスを崩して膝をついていた。


「――くっ……!」


 シャラーレフは感覚がなくなって力が入らない肩を、ブラウスの上から手で押さえた。手についた血がぬめる感触で、自分が傷を負ったことを理解する。


「殺すな。まだ少しは用がある」

 続けて攻撃を加えようとする男たちに、ダリュシュは手加減するよう命令を出した。

「絶対に……許しませんから……、っ⁉」

 ダリュシュをにらもうとして、シャラーレフは顔を上げた。


 だが彼を視界に入れる前に、後頭部に何かぶつけられ目の前が暗くなる。後ろに立っていた男に銃床か何かで殴られたらしい。衝撃で脳が揺れ、重く鈍い痛みが頭の中に広がっていく。


 シャラーレフは歯を食いしばり、途絶えそうな意識を保とうと必死で努力した。しかし、殴られてぐらつく頭は、まとまった思考ができなくなっていた。周りの音が、どんどん遠ざかるのを止められない。

 そして最後にみぞおちも蹴られた。それがとどめになり、シャラーレフの意識は限界を迎えた。輪郭のない激痛と吐き気を腹部に感じた瞬間、シャラーレフの視界は暗転した。

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