第19話 近づく終点

 森を抜けて三日ほど進むと、だんだん土地に起伏が生まれてきた。さらに二日後には、遠くに山脈が見え始めた。


「やっとゴールが見えてきたね、お嬢さん」

 夕暮れ、野営地の丘の上に立ち、ルトは夜の色へと変わりつつある西の方角を指さした。


 茜色に染まって広がる雲が浮かぶ空と、暗い影が落ちていく平原。その天と地の境目に、青紫色の山々が小さく見えた。

 刻々と変化する山脈の美しい色合いと影は、シャラーレフに郷愁を誘う。


(デラフト山脈。あそこに入れば、もうすぐに私の国です)


 東側からデラフト山脈を見るのは人生で二度目だったが、その光景にシャラーレフは強い懐かしさを感じた。しかし同時に、シャラーレフの心はどこかざわめく。


 デラフト山脈は東側がアーザル、西側がセフィードとなる国境の山であった。シャラーレフたちが走る街道はアーザルとセフィードを結ぶ峡谷につながるのであるが、そこは関所がもうけられ厳しい管理下に置かれていた。


 そのためシャラーレフは、山脈にあるラースト村に住む反乱軍の支援者ダリュシュという男性の力を借りて、国境を越える予定であった。


 旅も嫌いではなかったが、故郷に戻れることは嬉しかった。しかしその後のことを考えると、どうにも落ち着かなかった。


(こうして最新武器を祖国セフィードに持ち帰れることは、喜ばしいことのはずです。それなのに不安になるのはきっと、私がこの国の内戦のことを知ったからでしょうね)


 シャラーレフは故郷の山を眺めながら、旅の中で見てきたことを思い出す。荒れ果てたバナフシェに増えすぎた死者の眠るルードハーネ、戦争神経症の男、殺された盗賊、キルスの過去。


 戦争をすれば人は死ぬし怪我もする。死ななくても心が死ぬ。

 武器がより人を殺しやすく進化するたびに、人の生き死には非人間的になってゆく。合理化された戦争の中で、戦争に無関係な人間はいなくなる……。


 それらの学んだことからシャラーレフが一つ理解したのは、戦争にどんな意味があったとしても、奪われたり傷つけられたりする人にとってはなんの関係もないということであった。


 初めて会ったときからキルスがずっとシャラーレフに言ってきたことの意味が、今ならわかる。

 しかしそれでも、シャラーレフにもキルスに言いたいことがあった。


 野営の準備をキャラーグ商会の三人に任せ、馬車の荷台で一人シャラーレフは膝を抱えて座った。丈の長い赤色のギャザースカートが床に広がる。


 荷台の中は、幌の隙間から外の冷気が伝わりかなり寒かった。そこにぎゅうぎゅうと積み上げられた木箱は、薄闇のなかで重苦しい空気を漂わせていた。


 射撃精度と威力の高さで死者を格段に増やしたライフル銃。

 戦場でも非戦闘員の住む場所でも全てを一瞬で壊す大砲。

 人の戦いから矜持を取り去る、大量殺戮を簡単に可能にする機関銃。


 シャラーレフの目の前にある武器は、そういうものであった。

 しかし、それらが悲劇を生む道具だったとしても、シャラーレフにはそれを求める理由があった。


 膝を抱く手に力をこめて、シャラーレフは目を閉じ故郷のことを考えた。


(武器を密輸し武力で独立を勝ち取るという大義は、悲惨な争いを生み出すのかもしれません)


(だけど、このまま無力なままでもセフィードは滅びます。たとえわかりやすい争いがなかったとしても、今が悲惨じゃないわけじゃないんです。戦争はたくさんの人が死にますが、私の国では何もしなくても人が死ぬんです。どっちが人が死なないかなんてわかりません。でも私は戦って守れるものがあると思うんです)


 人を殺したことも、身内を殺されたこともないが、それでも理不尽な死はいつも見てきた。

 侵略者ゲルメズによってもたらされる暴政や貧困によるゆるやかな死。シャラーレフはその死を見て見ぬふりができる身分であったが、それでも目を背けなかった。背けられなかった。どうすればその不幸を変えられるのか、ずっと考えていた。


 選んだ方法は、すべての人に認めてもらえるものではない。醜く歪む可能性もある道である。

 だがそれでもシャラーレフは、努力すれば間違わないでいられると信じていた。


(どんなに強力な武器が恐ろしくても、それを使うのは人間なのですから、使い方を学べば良いはずです。それが人と技術の関係というものです。同じように戦争だって人間がやることなのですから、より正しくすることは可能なはずです。道理の上では、そうあるべきです)


 世迷いごとであるのは重々承知である。無理があることを自覚しながらも、シャラーレフは自分のやろうとしていることは正しいと思い続けてきた。


 しかしどうしてもキルスのことを考えると、「でも……」と疑問が首をもたげる。


 戦争で家族を失い、生きるために人を殺したキルス。

 彼は恐らく一生自分を責めながら、望まない争いの世界に身を置き続ける。どうしたら、キルスの目を真っ直ぐに見て自分の考えを話すことができるのだろう。


 迷いを振り切るようにシャラーレフは目を開けて立ち上がり、近くにあった箱を持ち上げようとした。だが初めて持ったそれはずしりと重く、床から上がらなかった。


 しかたがなく再びしゃがんでふたを取ると、その中には三脚を折りたたまれた機関銃が入っていた。売りに出されるにあたって磨かれたのか、黒銀にきらめいて中古とは思えないほど輝いていた。


 かじかんだ指で薬室がいくつも並んだ円筒に触れてみると、カチャリと金属音が鳴ってわずかに回った。冷たい鉄の感触に、これは人を殺すための道具なのだということをシャラーレフは実感した。


「私はあなたたちを、ちゃんとした戦いの中で生かしてあげたいと、そう思っているんですよ」


 シャラーレフは物言わぬその機械にそっと語りかけた。そして、自分自身にも問うように、言い聞かせるように、小さくつぶやく。


「私の祖国を救う戦いは、ちゃんとした戦い、ですよね……」


 その声は震えて、不安を残した。シャラーレフはしばらくそのまま、機関銃の前にしゃがみ続けた。

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