第18話 ルードハーネの戦跡
数日後、森を抜けると、冬枯れした赤茶色の草に覆われた平野に出た。ところどころに木の生えた茂みのある、さびれた場所だ。
雲の隙間からときどき日光が射しこむが、その明るさでさえどこか冷え冷えとしている。風をさえぎるものは何もなく、馬車はもろに吹きつけられた。
「何だか、寂しい場所ですね」
シャラーレフはやっと森を出れたということで馬車を止めてもらって、気分転換に地面に降りてみた。
だが、地形的な殺風景さ以上の何か虚ろなものを感じ、手袋をはめた手でコートの襟を寄せて辺りを見回した。
「ここはルードハーネの戦いがあった場所だからね。もっと北にはここで戦死した人を埋葬した国立墓地があって、暖かい季節には戦場跡と一緒に見に来る人もまぁまぁいるらしいけど、こんな時期だと寂れているね」
ルトが、御者台で地図を広げながら答える。
シャラーレフは頭の中で、あまり多くはないアーザル国の知識をかき集めた。
「ルードハーネの戦いって、確かかなり大きな戦闘でしたよね。どこかで聞いたことがあります」
「あの内戦でもっとも大きな犠牲が出た場所だからな、ここは」
馬車から降りたキルスが、シャラーレフの前に立つ。
「五年前、当時主要な街道が交差していたこのルードハーネという要所をめぐり、九万の東部軍と七万の西部軍が衝突した。たった三日間で一万人が死んで、四万人が負傷した」
キルスが並べる数字が意味するところ考え、シャラーレフは押し黙った。
(ここでたくさんの人が死んだり、死にかけたりしたんですね……)
シャラーレフは今はただ静かな草原を眺め、一万の兵士の死体と、四万の負傷者を想像した。森でルトたちが殺した盗賊の死体を思い浮かべ、数を増やす。
そうしてみると、戦場を知らないシャラーレフにも、少しはその臭気やうめき声が感じられた。
ゆっくりと屈んで、キルスはそっと地面に手で触れた。
「戦後、勝利した東部軍の兵士の死体は国立墓地に埋葬され直されて、大砲にえぐられた大地は生い茂る草に隠された。全ては元通りになった。それでも、負けた西部軍の死者はその場に埋められたまま……。ここも、また巨大な墓地なんだ」
キルスの低いささやきに答えるように、草がざわざわと揺れる。
「じゃあこの土の下にも、西部軍の方が……」
自分が立っている場所にも人が埋まっているのかもしれないと気づかされたシャラーレフは、居心地が悪くなって下を思わず見た。
青ざめるシャラーレフに、後ろからルトが声をかけた。
「戦時中、僕たちも一応ここに来たんだよ。戦闘が済んだ後に通過しただけだけど、散乱してる死体の多さにはびっくりだったな。まぁ、ここに限らずあの内戦は全体的に従来よりも死んでるけど」
ルトは、ポケットからティウの家でもらったチーズの干菓子を出し、サームと一緒にさくさくと食べていた。シャラーレフにも勧めてきたが、さすがにそういう気分にはなれなかったので断った。
「でも、どうしてそんなにたくさんの人が死んだのでしょう?」
従来よりも死んでいるというルトの言葉に引っ掛かりを覚え、シャラーレフは尋ねた。
キルスが立ち上がり、土ぼこりを払いながら答えた。
「あの内戦の途中で銃の種類が変わったからな。今までのマスケット銃は射撃精度が低く、集団で密集して撃ち合ってもあまり当たらなかった。だが、新しく広まったライフル銃は違った。命中率が高いライフル銃で従来のやり方のまま撃ち合った結果、大勢の兵士が死んだんだ」
キルスの黒い瞳が過去を映し、遠くなる。
「終戦が近づくころにやっと塹壕に隠れて撃ち合う戦法が使われるようになった。しかしそれでも、ライフル銃に使われる弾は重く強力だから、当たった場合の死ぬ可能性はマスケット銃よりも高い。だから結局、死ぬ人間の数は増える」
怒りとあきらめの入り混じったような表情で、キルスが言う。淡々とした言葉だが、わずかに声がうわずっていた。
「あと、機関銃の存在も大きいかな」
ルトが手についた干菓子の粉を舐めながら言った。
「広範囲に連射できる機関銃だともう狙いとか相手とのやりとりとかあんまり関係ないから、ほんとにちょっと撃っただけたくさん人が死ぬんだよね。まぁ、その分よく壊れるんだけど。戦争って元々そう気持ちのいいものじゃないけど、あれのせいで死に方も殺し方もより非人間的になったと思うよ」
ルトはキルスよりもずっと俯瞰的なものの言い方だった。
(ライフル銃も機関銃も、私が仕入れた武器じゃないですか……)
キルスとルトの話を聞いて、シャラーレフは動揺した。
ライフル銃二千丁と新型機関銃五丁、そして十二センチ榴弾野砲二門というのが、シャラーレフが故郷に密輸する武器である。
シャラーレフが求める新しい武器。より強力で正確な、敵との国力の差を縮めることができる最新兵器。それを手にする理由の正当性を、シャラーレフは信じて疑わない。
だが、国を救うその技術がそのように人の生き死にそのものを変えてしまう力をもっていることまで、シャラーレフは想像していなかった。
自分が仕入れる銃で人が死ぬ覚悟はしようと努力してきたシャラーレフだったが、どうやらそれ以上の覚悟が必要なようだった。
足が震えて、体が冷たくなる。
シャラーレフが以前と違い自分のやろうとしていることの重大さを認識していることを察しているのか、キルスはそれ以上は語らなかった。冷ややかさが和らいだものの、疑うような表情でシャラーレフを見つめている。
その視線を真っ直ぐに受け止めることができず、シャラーレフはうつむいた。シャラーレフもまた、もうキルスに対して挑発的な態度をなかなか取れない。
ルトは荷台の縁から立ち上がり、手に息を吹きかけた。
「こんなところ立ってたら僕たちが凍って死体になっちゃうし、早く行こうよ。ね、サームも寒くない?」
「俺ハ別ニ、寒クナイ」
ルトの自然に無神経な文章表現に、サームはいつもと変わらない片言で答えた。真っ黒なロングコートは普段は重厚すぎるような気がしたが、寒空の下では頼もしくて暖かそうに見える。
「では、もう行きましょうか」
風に吹き飛ばされそうになる帽子を押さえ、シャラーレフは言った。
キルスは黙ったまま、馬車に戻った。
シャラーレフもサームの隣の席に座り、深く息をついた。
「御主人、元気ナイ。風邪引イタカ?」
サームが真っ黒なガスマスクの顔を向けて、シャラーレフに問う。一応、心配してくれているらしい。
「風邪じゃないんですけど」
シャラーレフは力なく微笑み、ごまかした。
再び進み出した一行は、平原を西へ西へと進んだ。セフィードとの国境は、徐々に近づいていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます