第三章

第17話 森を進む馬車

 村を去るときには、ティウがたくさんのお土産を用意してくれた。干し肉やチーズなど、日持ちしそうな食べ物を馬車に積んで、一行は出発する。


 天気は悪くなかったが、キルスのことを考えてあまり眠れなかったせいか、シャラーレフの調子はいまいちだった。


「ではな、武器商人どの、護衛どの」

 ティウは村の端の森の入り口まで来て、別れの挨拶した。

 その隣には、無口な老人が立っていた。どうやらこの老人が、ティウの父親の村の村長らしい。


「お世話になりました。ティウさん」

「お肉とかいろいろありがと」


 シャラーレフとルトは馬車から降りて、ティウにぺこりとお辞儀をした。

 キルスとサームは馬車に乗ったまま軽く頭を下げている。キルスはいつも通りの仏頂面に見えたが、心なしか普段よりもさらに眉間にしわが寄っている。サームは接着剤の乾いたガスマスクを被り、顔は見えないがご満悦な様子である。


 ティウはシャラーレフに近寄り、小さく笑ってささやいた。


「武器商人どのはあまり元気がないようだ。飲み過ぎたか?」

「まぁ、そうかもしれません」


 昨日の食べた量を思い出すシャラーレフ。確かに食べ過ぎ、飲み過ぎの可能性も否定はできなかった。


「では、これを持っていけ。二日酔いにきく」

 ティウは小さな赤い袋をシャラーレフに渡した。

 受け取り、巾着状の袋を開けてみると植物の種のようなものが入っていた。


「ありがとうございます」

 シャラーレフはお礼を言って、馬車に乗り込んだ。

「達者でな」

 大きく手を振るティウと、ひっそりとたたずむ老人に見送られ、三台の馬車は走り出した。


 ◆


 村を後にして進めば、森はどんどん暗くなっていった。


 針のような葉を持つ木々が生い茂り、その幹がねじれながら空へと延びている。枝と枝が絡み合い太陽を隠すので、寒さが一段と厳しさを増していた。街道として一応整備はしてあったが、それでも時折地面に張り出したごつごつした根が進路を妨げる。

 がたがたと馬車が揺れるので、シャラーレフは荷台の縁をぎゅっと握りしめた。


「お嬢さん、大丈夫?」

 隣に座っていたルトが片手に手綱を握ったまま、ふらつくシャラーレフの腰を抱きとめる。


 かなりの体格差があるので、シャラーレフはルトにしっかりと支えられてしまった。ふわりと、ルトが朝ご飯代わりに食べていたミルククッキーの香ばしい匂いがシャラーレフの体を包む。


(近すぎです)


 ルトの齢のわりに若々しく甘い顔を間近にして、シャラーレフは顔をしかめた。

 思ったよりも力強い手に、鼓動が速くなる。ぶ厚いコート越しにルトの体温が感じられ、こそばゆかった。


 すぐに離れるように要求しようとしたが、その前にルトが低い声で次の言葉をシャラーレフの耳にささやいた。


「なんか今日のお嬢さん顔色悪いけど、キルスと何かあった?」

 シャラーレフのすぐ目の前にあるルトの鳶色の瞳は、好奇心できらめいていた。


(もっと普通に質問してくださいよ)


 ルトの加減を知らないジゴロっぷりに、シャラーレフはより頭が痛くなってきた。本人としては調子の悪いシャラーレフを元気づけようとしている面もあるのだろうが、どうにも気持ちが悪い。


「何で、キルスが関係してると思うんです? 二日酔いかもしれないじゃないですか」


 シャラーレフはルトの体を引きはがした。ルトにどこまで話すべきか迷い、一度ごまかす。

 しかしルトは懲りずにシャラーレフに近くなるように座り直し、誇らしげに言った。


「キルスの様子もちょっとおかしいからね。そりゃ、気づくよ」


(どうやらルトには隠せないみたいですね)

 シャラーレフはため息をつき、うっそうと茂る進行方向を見る。キルスとサームの馬車は、後ろをついて来ていた。


 ルトは軽薄で適当な人間だが、妙な察しの良さがあった。わざわざ空気を読んだうえで常にこの態度なのだから、たちが悪い。


「私、キルスの過去を聞いたんです」

 シャラーレフはあきらめ、いさぎよくルトにすべて話すことにした。後ろの馬車に乗るキルスに聞こえないように、低く声を落とす。


 しかしシャラーレフが気を使ったところで、ルトのよく通る声は朗々と響いた。


「あぁ、あの民兵に親兄弟みんな殺されて、殺りかえしたのが初めてって話? キルスはわりとわかりやすく暗い過去持ちだからねぇ」

「わりとわかりやすく、ですか……」


 ある程度予想してたとはいえ、想像していたよりもずっと軽いルトの返しにシャラーレフは微妙な気持ちになった。あまりにいつもと変わらない声のトーンに、少し距離を置きたくなる。

 シャラーレフに人間性を疑われていることを気にも留めず、ルトは首に巻いた青いマフラーを下げて話し続けた。


「キルスの村を襲った民兵を処理するよう命令を受けたのが僕のいる隊だったから、その話はよく知っているよ。結構酷い殺され方だったなぁ。奴ら、加減ってものを知らないから」


(処理ってことは、ルトがその民兵たちを殺したんですね)

 第三者だからこその適当さだと思っていたので、ルトがそこそこ当事者だったことにシャラーレフは驚いた。


 親切なのか意地が悪いのか、ルトはさらに話を広げだす。


「でもま、やばいのは民兵だけじゃないけどね。サームの住んでた街とか嫌なとこだったよ。東側と西側のちょうど境目の街でさ、住民も真っ二つに割れて殺しあって、本当にどん引きするような結果だったね。命令だったから行ったけど、本気で帰りたかった」


 胸糞が悪くなるような現実があることは、ルトの軽い語り口でも伝わった。もしかしたらルトのこの調子だからこそ、わかるものもあるのかもしれない。

 シャラーレフはうつむき、まつ毛を震わせて目を閉じた。そして、ルトの澄んだ低い声に耳を傾ける。容赦なく迫る言葉に、息が詰まりそうな気がした。


「そういう状況の中で、子供だったサームはご両親に黒いコートを被せられて暗闇に逃がされたんだ。ご両親はサームが目立って殺されることを案じて、決してコートを脱いではいけないとサームに言ったらしいね。それからずっとサームは自分の姿を隠し続けているんだよ。亡くなったご両親の言いつけを守って」


(だからサームはあんな格好をし続けているんですか)

 素顔を隠そうとしたサームの姿が、シャラーレフの目の前にぱっと浮かぶ。サームのコートやガスマスクへの固執は異常だが、そうでなければ生きていけないほど怖かったのだろうな、と思った。


 横ではルトが、懐かしげに一人でうなずいている。


「まぁ、そんな感じの戦災孤児だったキルスとサームは、流れで近くを通ったうちの隊に入ることになったんだよ」

 そして今度は、自分について喋り出した。

「あの二人に比べれば、僕はかなり幸せかな。銃の暴発で頭に弾くらって死にかけて、実家に間違って死亡通知届いて、婚約者は別の人と結婚しちゃったけど、それだけだし」


 言うほど幸せな方でもないだろう、とシャラーレフは思ったが、横を見ると自分で自分の自虐ネタにうけたのかルトはくすくすと笑っていた。

 正直ルトの人間性にはついていけなかったが、もしかしたら銃で頭部を撃たれたせいで頭がおかしいのかもしれないとも思うと、あまり責める気にはなれなかった。


 シャラーレフはルトの語ったそれぞれの過去について考えた。


(キルスもサームも……、ルトは違うような気がしますが、選択の余地もなく戦乱に巻き込まれ人を殺してきたのですね)


 殺すという行為について、シャラーレフは考えてみた。

シャラーレフはいつか人を殺すであろう武器を祖国に持ち帰る。だが、その感覚はまったく知らないものだ。


 ルトなら許されるだろうと思い、シャラーレフは思い切って尋ねた。


「あの、ルトは人を殺すの嫌じゃないんですか?」


 ルトは一瞬きょとんとした顔をした。だけどすぐにシャラーレフの質問の意図を理解して、すらすらと答える。


「面倒な仕事、という意味では嫌だね。でも倫理的には別にって感じ。サームなんかは結構人を殺すのが好きだと思うよ。不必要には殺らないけど、殺るときが一番いきいきしてるし」

 そこで一瞬、ルトは息を置いた。シャラーレフの様子を探るようにちらっと見る。

「逆にキルスは、すごく嫌みたいだね。これ以外の道を見出せなくてやってるけど」


 そしてルトはほんの少しだけ、寂しそうな顔をした。


「僕はキルスの仲間で、同じ時間同じ場所で同じ仕事をするけれども、その気持ちはわからない。きっと、お嬢さんの方がわかってあげられるんじゃないのかな」


 それは本当にわずかな変化だったが、確かにルトの声には殊勝な響きがあった。この人にも一応思うところがあるのだなと、シャラーレフはほっとした。


「そうなれたら、いいんですけど」

 シャラーレフは願うように、つぶやいた。

「なれるよ、多分。君は善良だよ。少なくとも、僕よりは」

 ルトは無責任にシャラーレフを肯定して、極上の笑顔でささやいた。後ろで束ねた薄い茶色の髪が、風にたなびいてさらさらと流れる。


(人を殺したことがある人には、全然平気で気にしない人と、どれだけ正当な理由があったとしても許せない人がいるようです。だけど、それでもどちらも同じ人殺しであることにかわりはないと、キルスは言うんでしょうね)


 シャラーレフは自分を責め続けるキルスの横顔を思い出した。

 頭を離れずまとまらない問いは、暗くねじまがった森と同じように出口が見えないものであるように思えた。


 シャラーレフは気を取り直すために、ティウからもらった袋を開けてその中の種を一粒食べた。


(っこれ、わりとガチでまずいやつですね)


 半端なくあとに残る苦味に、シャラーレフはしばし悩みを忘れた。

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