第14話 辺境の民
ガスマスクが外されたとき、一瞬シャラーレフはサームが実は少女だったのだと思った。良く見ると違うと気づいたが、それほどまでにその素顔は可憐だった。
肌は上質な陶器のように白く美しく、幼さを残した顔は可愛らしく整っている。
無造作に伸びた髪は白銀で、手入れも何もしてなさそうなのにさらさらと肩に落ちた。シャラーレフよりも長くて細やかまつげも、髪と同じように白い。
大きく恐ろしげだったガスマスクをとってみると、サームが実は小柄だったことがよくわかった。歳は十五歳前後といったところだろうか。声からして年上だとばかり思っていたシャラーレフは、その幼い姿にも驚いた。
真っ黒なコートの襟からのぞく首筋は細く繊細で、先ほどまでショットガンで人を殺していた人間には到底見えない。
そして何よりも美しかったのが目だった。
透明感のある薄い水色の瞳は澄んでいて、冷たく凍る冬の湖を思い出させた。
(こんなに綺麗な人、今まで見たことがありませんでした)
すっかり見惚れたシャラーレフがじっくりと見ようとすると、すぐにサームはぶかぶかの袖で自分の顔を隠した。
「ルト、ダメ。返シテ」
片言のその言葉は相変わらずの重低音で、儚げな姿との違和感がかなり大きい。
「これが直ったらね。目立つ外見を気にしてるのはわかるけど、ガスマスクだと仕事がいろいろと限定されちゃうんだよね。だからちょっとは素顔に慣れないと」
ルトは立ち上がり、ガスマスクを片手でもてあそびながら、サームをにっこりと見下ろした。
「……ルトノ馬鹿」
サームが袖の隙間から、きつくルトをにらむ。
(たしかにまぁ、こんなにも美形に生まれてしまったら、隠したくなるかもしれませんね)
暗闇の中焚き木の火に照らされ美しく輝くサームの姿を見て、シャラーレフは思った。呪いかというくらいに真っ白なサームの肌や髪は、戦場ではよい的になるであろう。ただ、仰々しいガスマスクもそれはそれで悪目立ちしているのも確かである。
「外したはいいけど、誰が修理するんだこれ」
キルスがルトの手からガスマスクを取って広げ、ぽっかりと空いた穴を見ながら途方に暮れた。
「私が直しましょうか。接着剤はありますか?」
シャラーレフはさっと申し出た。
趣味が手芸や物づくりであるシャラーレフにとって、こういう細かい作業は嫌いではなかった。アクセサリーの修理なども、たいていは自分でやっている。
「あれ、お嬢さんができちゃうんだ? 馬車の修理用のなら、道具箱にあるよ。キルス、渡して」
すぐに修理の目途がたったことを残念がりつつも、ルトが答えた。
ルトに頼まれ、キルスが荷台から道具箱を取ってくる。
「これしかないが、使えるか」
キルスは取っ手のついたブリキの細長い箱から、チューブに入った使いかけの接着剤を取り出す。
「ありがとうございます」
キルスからチューブをもらうと、シャラーレフは蓋をはずしてみた。
「天然ゴムをつかったものみたいですね。丁度いいです」
シャラーレフはしっかりと作業をするために、馬車の荷台の縁を机にして屈んだ。道具箱からヘラのようなものも取り出し接着剤をつけると、丁寧にガスマスクの切断面に塗布する。そして慎重に隙間ができないように張り合わせた。
「接着剤が乾くまで、このままにしておいてください」
最後にずれないように自前の洗濯バサミで挟んで固定して、シャラーレフはサームにガスマスクを返した。
黒い革の手袋で覆われた手で受け取ると、サームはシャラーレフを見上げた。
「アリガトウ、御主人」
その声は相変わらず低く聞き取りにくかったが、かすかに微笑んだサームの小さな顔は、開きかけた花のように愛らしい。
その様子があまりにも可愛いので、シャラーレフは息を詰まらせた。
「べ、別にこれくらいのこと……」
照れてどもるシャラーレフ。しかしどういたしましても言い終わらないうちに、サームは敵の前から姿を消すのと同じ速さで木の影に隠れた。
(本当に一瞬だけでしたね)
徹底したサームの習性に驚きながら、シャラーレフはその白い髪に触れようとしていた手をひっこめた。もっと見られなかったのは残念だが、それでも十分満足はできた。
「サームの笑顔とか激レアじゃん。ラッキーだったね。お嬢さん」
ルトがシャラーレフの後ろからサームのいた場所を眺めて言った。
「はい、良いものを見ました」
何となくいい気持ちになって、シャラーレフは道具箱をしまうと膝を抱えて焚き木にあたった。
火はオレンジ色に明るく、あたりを照らしていた。
ふと目を上げると、キルスもぼんやりと炎を見ていた。
(いつか、キルスの笑顔も見たいものです)
シャラーレフは、心の中でつぶやいた。
たとえ笑顔になったとしても、それをシャラーレフに向けてくれるはずはないと思った。だがそれでも、シャラーレフは微笑むキルスに会ってみたかった。
そんなことを考えながらシャラーレフがうとうとしていると、木に隠れていたサームが他の二人を呼んだ。
「ルト、キルス」
サームの声は、少しだけ深刻そうだった。
寝ていたのか、ルトが眠そうに返事をした。
「あれ、どうかした?」
「誰カ、近ヅイテ来テル」
サームは姿を隠したまま言った。
「さっきの奴らの仲間か?」
緊張した面持ちで、キルスが尋ねる。
「多分違ウ。二人ダケ。スグソコ」
サームが答えているうちに、シャラーレフの耳にもひづめの音が聞こえてきた。
申し訳なさそうにサームが謝った。
「気ヅクノ遅クテ、ゴメン。寝テタ」
「サームが寝てられるくらいの連中なら、そうたいしたことじゃないよ」
ルトがあくびをこらえながら、投げやりにフォローした。ルトが適当な人物であることは差し引いても、サームの危険察知能力はかなり信頼されているようである。
キルスの方は、念のために銃を手にして待ち構えていた。
じきに馬に乗った二人の人影が現れた。
「そこの三人、いや、四人か?」
片方が、少し離れたところから呼びかける。その声は若い女性のものだった。
「隠れてるサームに気づくとは、目がいいね」
ルトがつぶやく。その表情に恐れはなかった。
女性は馬に乗ったまま、一行に近づいた。
シャラーレフよりも少し年上くらいの、りりしい顔立ちの女性だった。色鮮やかな赤い丈長のチュニックの上に太い帯で留められた毛皮の上着を着ており、上着の裾や袖には派手な唐草模様の刺繍が施してあった。ブーツは黒く立派なもので、つま先が反り上がっている。
(何だか可愛い服ですね)
素性のしれない女性ではあるが、その服の可愛らしさにシャラーレフは胸をときめかせた。その変わった姿から、女性がアーザル国の中心部には見られない文化を持つ人々であることが察せられた。
「銃の音が聞こえたので来てみれば、賊の死体があった。殺したのはあなたたちか?」
女性は凛とした声で尋ねた。そこらへんの住民と言うわけではなさそうな、堂々とした態度である。
「うん、僕たちだね。でも、まずは挨拶からじゃないの?」
ルトがリーダーらしく、受け答えた。
女性の後ろから、恐る恐る付き人らしいもう一人が追ってきた。女性と似たような色彩の服を着た、怯えた目つきの少女であった。
「あの、こんばんは。私たちはここの近くのラワープ村の者です。銃声が聞こえたって言うんで来たんですけど……。あ、私がダラェでこの方が……」
少女は馬を降り、あたふたと自己紹介をして女性の方を向く。
「私はティウ。この村の長の娘だ。あなたたちは?」
女性は馬に乗ったまま、四人を見下ろした。
「ティウさんね。僕はルトで、後ろにいる男二人がキルスとサーム。この女の子は僕たちのお客様で、武器商人のシャラーレフさん。僕たちは彼女の護衛をやってるところだよ」
ルトは、誰に対しても変わらない馴れ馴れしさで名乗った。
見定めるように目を細め、ティウは微笑み馬から降りた。
「武器商人とその護衛、ね……。どうやら賊を殺したのは本当にあなたたちらしいな。あの連中にはここらへんのいろんな村が困ってたんだ。私たちも駆除する努力はしてきたのだが、やはり本職はちがうな。感謝する」
ティウは軽くお辞儀をして、微笑んだ。
「それでお礼と言っては何だが、もし良ければ私の村でもてなしたいのだが、どうだろうか?」
あくまで高飛車に、ティウは提案する。
隣のダラェは不安そうにティウを見つめていた。彼女はあまり一行に村に来てほしくないらしい。
「えぇと、そうだね……」
ルトは言葉を濁して、振り返ってシャラーレフに小声で聞いた。
「どうする? お嬢さんが嫌なら、断るけど」
「では、お言葉に甘えてお邪魔させていただきましょう」
シャラーレフは、少し考えて誘いに応じた。
一時も惜しいほど急いでいるというわけでもないし、二人が信用できないわけでもなかった。
「歓迎するよ、武器商人御一行どの」
ティウは両手を広げ、歓迎の意を示した。
「よろしくお願いいたします。……ティウさん」
シャラーレフは見慣れない形の服をまとった馬上のティウを見上げた。
そのとき、今まで知らなかった世界がまた一つ現れた気がした。
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