第9話 廃都市バナフシェ

 曇り空で肌寒い次の日も、キャラーグ商会の幌馬車三台は武器を載せて草原を進んだ。


「今日はバナフシェの近くを通るね」

 ルトが先頭を走る馬車の御者台で、あくびをしながら地図を見た。

「バナフシェ?」

 シャラーレフは隣のルトに聞き返した。聞いたことのない地名であった。


「この地方にしちゃめずらしくそこそこ栄えてた街だよ。僕も昔元カノ……じゃなくて友達と行ったなぁ」

 ルトはうっとりと思い出に浸った。元カノとのデートは悪くはないものだったらしい。


「栄えていた、ということは今は……」

「今は廃墟、かな。内戦でいろいろあったから」


 ルトはあっさりと答えた。その声に思い出の場所が失われたことに対する感慨などはまったく感じられなかった。


「廃墟……」

 ルトの調子は軽かったが、シャラーレフはその言葉に少し畏怖を感じた。

 シャラーレフは戦争による破壊の結果というものを、まだ見たことがないのである。現状を聞いたのはいいが、言葉が続かなかった。


「ま、見ればわかるよ。ここらへんって人いなさすぎて逆に治安良いし、中も通ってみようか」

 ルトはにこやかにシャラーレフに微笑みかけた。そして同時に、自然に何気なくシャラーレフの肩を抱いた。ルトの案外大きくてがっしりした手が、軟派な態度とは裏腹な包容力を発揮する。


(はあ、またですか)


 シャラーレフはことあるごとにあふれるルトの天性のジゴロ気質にうんざりしていた。頭を撫でられたり、あごをつままれたりと、恋人同士でするようなことはすでにだいたいやられた。


 別にルトは、シャラーレフのことを本気で恋に落とそうとしているわけではなさそうだった。ただ単にそういう振る舞いしかできないからしているのである。

 ほとんど無意識な上に悪気はなく、むしろ喜ばせるためにやっているのだからなおさらたちが悪い。それがある程度は許されるくらいに顔は良いのであるが、物理的な動悸の増大以上のものはシャラーレフには感じられなかった。


「はい……」

 シャラーレフは返答に困り、苦い顔で笑った。


 その笑顔の微妙さを気にせず、ルトは適当なところでシャラーレフから手を離してにっこりと微笑んだ。そして御者に戻って両手で手綱を握り、鼻歌を歌う。


 ルトから解放されたシャラーレフは、灰色のぶ厚い雲を見つめた。

 キルスに賭けを持ちかけたときの言葉を、ふと思い出す。


(セフィードまでの運ぶ旅が終わるまでに、あなたが私に本当の戦争というものを教えてください。それで私が考えを変えるか、あなたが私を認めるか、お互いの謝罪を賭けて勝負です……、という内容でしたね、確か)


 そして今、シャラーレフはアーザルの戦後の現実の一つを知ろうとしている。


(バナフシェという街をキルスと見たら、賭けが進みますね)


 それの結果がどんなものになるのか、シャラーレフは読めなかった。ただ、また対立するのだろうという予感だけがあった。


 気づけば、顔が火照っていた。キルスのことを考えていたせいであろうか。


 草原を渡る冷たい風が前髪を揺らす。

 シャラーレフは膝の上に置いた手を握った。


 ◆


 数時間後、一行はバナフシェに、正確に言えばバナフシェというという街があった場所にいた。


「こんなところで休憩とか、気分悪いだろ。何考えてんだ」

 キルスが馬車を止めながら毒づいた。

「だってお嬢さんが来たそうだったから」

 ルトがキルスをなだめる。サームは黙って後ろに立っていた。


「ここが……バナフシェ……」

 シャラーレフは、馬車から降りてそのかつての街を眺めた。


 周りはほとんどが瓦礫の山だった。

 骨組みを残している建物もあるが、原型を留めているものは一つもなかった。ところどころに大きな建物の跡があるので、往時は本当に栄えていたのだと思われたが、今はまったくの無人のようであった。


 シャラーレフは街の細部を見ようと目をこらして歩いた。

 ブーツの下で、細かい瓦礫が砕け散る。ほこりっぽい風が舞い上がり、シャラーレフのコートがはためいた。


 元は白っぽい建物が多い街だったのであろう、瓦礫は白いものが多かった。しかし、そのほとんどは炎に焼かれてどこかが黒ずんでいた。

 よく見れば、服や食器などの生活感のあるものも瓦礫に混じっていたが、そういったものは燃えて無くなったのか後から人が持ち去ったのか数は少ない。


(ここに住んでいた人たちは、軍人でも兵士でもなかったでしょうに)


 これだけの破壊である。

 恐らく住民には退去命令が出されたはずであるが、それでも死人がでなかったということはなさそうである。ひどく容赦のない攻撃だと、シャラーレフは思った。


「これまでの戦争では、街が焼かれるのは、逃げる側が敵に価値ある物を残さないためか、攻める側が略奪するためか、そのどちらかだった」


 後ろから、低く抑えた声がした。振り向くと、キルスが立っていた。

 黒いジャケットと赤いスカーフを身に着けたその姿は、灰色にくすんだ廃墟の中でよく目立っていた。


「キルス」

 シャラーレフはキルスに返事をした。


 だが、日焼けして引き締まったその顔はシャラーレフではなく廃墟を見ていた。


「この街を焼いたのは東部軍だ。だが東部軍は略奪はしなかった。東部軍は西部軍よりも国力があり勝利は間違いなかったから、略奪する必要はなかったんだ」


 キルスはバナフシェが攻撃されたときの状況について、シャラーレフに説明をしていた。本当に戦争について教えてくれるとは、律儀な人だとシャラーレフは思った。


「ではなぜ、この街、バナフシェは焼かれたんですか?」

 シャラーレフは素直にキルスに疑問を尋ねた。


(ここまでしなくても勝てるなら、どうしてこんなのことしたのでしょう? 複雑な事情でも、あったのでしょうか?)


 話を聞いていると、この街が焼かれる必要はないように感じられた。敗北が確定した格下の敵に過剰なむごい攻撃を加えることに、意味があるとは思えなかった。

 しかも相手は兵卒ではなく市民である。かなりの理由がなければ、できないことだとシャラーレフは思った。


 真面目に問いかけるシャラーレフを一瞥して、キルスは答えた。


「東部軍のあるえらい将軍は言った。この戦争は東部軍と西部軍の戦いではなく、東部人全員と西部人全員の戦いであると」

 キルスは強がって、軽い調子でまとめた。だが、その黒い瞳が暗く翳るのを、シャラーレフは見逃さなかった。


「一般市民は善良で、平和を望んでいるっていうのは嘘だ。少なくとも、俺の知っている戦争は、東と西で同族同士憎み合ったこの国は違う。あの時のこの国では、ほとんどの人が戦争は自分たちの暮らしを守るために必要で避けられないと考えていたし、お互いに気に入らない隣人を打ち負かしたがっていた。だから開戦したあの日、皆があの戦争を歓迎し、賛成した」


 苦々しくキルスは語った。


「そしてあの内戦は総力戦になった。東部人も西部人も、若い男はみんな軍へ行った。兵隊ではない人間は工場や病院で戦争のために働いた。そうでなくても皆何らかの形で戦争に関わった。家で待つ母も学校の子供も、全員が」


 語尾に少しずつ、力がこもっていた。キルスの心の奥で燃える怒りが、一瞬だけ姿を現す。赤いスカーフが、揺れる炎のように風に揺れた。


(そういえば、キルスもルトもサームも、敗戦国の人間でしたね)


 敗戦というには一方的すぎる形で属国になった祖国を持つシャラーレフには、それがどんな気持ちであるのかわからなかった。だが、キルスが客観的に語ろうとすればするほど、彼が当事者であるという事実が思い出された。


「だから市民も戦争の責任を負わなくてはならなかったし、戦闘員だけでなく戦意や戦争継続能力を支える人や街も攻撃対象になった。二度と戦争しようとは思わせないために、また物理的にできないようにするために、ここは焼き尽くされたんだ。こうして復興もできないほどに」


 キルスは静かに言い終えた。一言もそうは言わなかったが、キルスが戦争を憎んでいることはよくわかった。


 しかし、シャラーレフがキルスの言葉の意味を理解するのには少し時間がかかった。


(えぇっと、つまり、ここに住んでいた市民も戦争とは無関係ではないから、こうして攻撃されて文句は言えない。二度と戦争が起きないように彼らは徹底的に叩かれた、ということでしょうか)


 理屈では理解できても、直感的には理解しづらい話であった。憎くてしょうがないというならわからないでもないが、戦争と関係しているから市民を攻撃するという発想がよくわからない。


「そんな理由で……?」


 思わずシャラーレフは、本音をもらした。

 キルスは彫りの深い横顔でせせ笑った。


「まっとうな理由があれば、これは許されることなのか?」

「そういうわけじゃ、ないですけど……」


 釈然としない気持ちで、シャラーレフはうつむいた。風に吹かれた髪を耳にかけて、ではどういうわけなのかと考える。だが、言葉は続かなかった

 シャラーレフが納得しないでいると、キルスが軽蔑した表情で見つめてきた。


「自分たちには正当性があると思ってるようだが、あんたのしようとしてる戦争だって、どうせここと似たり寄ったりな結果になるんだ」


 怒りの矛先を、今度はシャラーレフに向けることにしたらしい。

 その言葉は冷え冷えと鋭く、シャラーレフを非難した。


(やっぱり、そういう流れになりますよね。でも、これくらいじゃ私は負けません)


 シャラーレフは、キルスに責められることを予想していた。そしてそれは、予想以上でも以下でもない言葉だった。バナフシェの惨状もキルスの非難も、シャラーレフの覚悟を揺るがすには至らない。


「私の仲間はこんなことしません」

 シャラーレフはきっぱりと、キルスの言葉を否定した。シャラーレフは祖国を信じていた。


 躊躇なく言い切るシャラーレフの返答を、キルスは鼻で笑った。

 手を広げて廃墟となった周りの風景を指し示し、問いかける。


「どうだか。あんたが買った十二センチ榴弾野砲だって、ここまで大規模じゃないがかなりの破壊行為ができるんだ。お仲間が試さないっていう保証はあるのか?」

「わたしたちの戦争は、あなたたちの物とは違うんです。敵は邪悪なゲルメズ軍だけですから、街ごと攻撃するという卑怯なことにはならないんです」


 シャラーレフはすぐさま言い返した。アーザルの内戦で起きたような悲惨な出来事が、祖国セフィードでも起きるとは思えなかった。


(自分の国が醜く争ったからって、他国までそうなると決めつけるのはやめてほしいですね)


 国を取り巻く状況も戦う理由も違うのである。

 破壊された廃墟は目の前にはあるが、それはやはりシャラーレフにとっては異国の風景でしかなかった。


 あくまで自分の考えを貫くシャラーレフに、キルスは目を細めて馬鹿にした。


「ふん、そうかな」

 見下すような、キルスの煽り文句。


 シャラーレフは無言でキルスを見つめた。この程度の現実で迷ったりはしないのだと、緑色の瞳の意志で示そうとした。


 キルスはしばらく、シャラーレフを冷ややかに眺めていた。

 挑発的な態度の裏の静かな怒りが、かすかに見え隠れする。


(ちょっと怖い顔したくらいで、私がびびるとでも思ってるんですか? 舐めないでくださいよ)


 シャラーレフは競うように、キルスをにらんだ。


 二人は向かい合い、数秒が過ぎた。


 瓦礫の山の間を吹き抜ける風が音をたてて吹いて、シャラーレフの白いコートとキルスの黒いジャケットをはためかす。


 あきらめた顔でため息をつき、背を向けたのはキルスの方だった。


「もう戻るぞ。ルトとサームが待ってる」


 キルスは仕方がなさそうにジャケットのポケットに手を突っ込み、シャラーレフに投げやりに呼びかけた。


「そうですね」

 シャラーレフは緊張をとき、返事をした。

 足早に歩きだすキルスの黒いジャケットを着た背中に、小走りでついて行く。


(少なくとも今日は、賭けに負けませんでした)

 シャラーレフの胸には、軽い高揚感があった。


 勝った気持ちが揺るがないように、シャラーレフはバナフシェの廃墟を必要以上に見ないように注意して歩いた。振り返ることは、決してしない。


 灰色の曇り空を見上げ、シャラーレフはキルスの後ろを歩いた。


 キルスはそれから、ずっと黙っていた。


 シャラーレフもキルスにあわせて、何も言わなかった。

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