第3話 朝食と女主人

 ホテル・ディールーズの食堂は、二階にあるシャラーレフの部屋の前の階段を降りたところにある。


 ステンドグラスのはめられた煌びやかな扉をくぐり抜けると、吹き抜けの広い空間に白い丸テーブルがいくつか並んでいた。床に敷かれたカーペットには幾何学模様が入っており、見上げればシャンデリアが曇りの日の暗い朝をきらきらと照らしていた。

 自分の部屋で食べる人が多いので、座っている人はまばらである。


「おはようございます。シャラーレフ様」

 中に入るとすぐに、腰に黒いエプロンをつけた給仕の青年がうやうやしくあいさつをした。

「はい。おはようございます」

 シャラーレフはあいさつを返し、青年の案内に従って席に着いた。アーザルの言葉にもだいぶ慣れ、今では訛りもそれなりに薄くなっていた。


 青いガラス細工のグラスに水を注ぎながら、青年が尋ねる。


「今日は何にいたしましょうか」

「ええっと、じゃあオムレツと黒パン、あと紅茶でお願いします」

「かしこまりました」


 シャラーレフが注文すると、青年は微笑みを残し厨房の方へ歩いて行った。

 オムレツの具は何かと考えながら待つこと数分、青年が料理を持って再び現れる。


「香草入りオムレツのインゲンのソテー添えと、黒パン、そして紅茶でございます」

「ありがとうございます」


 料理の説明をする青年に、シャラーレフは笑顔でお礼を言った。青年はぺこりとお辞儀をして立ち去っていく。


(朝からこんな素敵な料理を食べられるなんて、私は本当に幸せ者です)


 焼きたての卵の香りを吸い込み、シャラーレフは嘆息した。


 オムレツにナイフを入れると、中から緑色の香草が姿を現した。

 崩れないようにそっと口に運ぶと、ふわふわとしたスフレ状の卵が香草のさわやかな風味とともほどけていく。


(ふふ、やっぱりオムレツにして正解でした)


 シャラーレフはうっとりと二口目を食べた。薄くスライスされた黒パンも、ほどよい酸味で美味しい。その味に夢中になってしまって、ついパンのおかわりまでしてしまった。


 シャラーレフは自分がよく食べる人間であることを、故郷から出て初めて気がついた。故郷では質素な食生活が基本だったので、あまり量を食べる機会がなかったのである。


 皿が空になるのには、あまり時間はかからなかった。


 食べ終えたシャラーレフが食後の紅茶を葡萄の砂糖煮を舐めながら飲んでいると、さらさらと衣擦れの音が近づいてきた。


「今日もよい食べっぷりね。シャラーレフさん」


 目を上げると、襟の高いドレスを着た女性が立っていた。

 黒い髪を低い位置のシニヨンでまとめ、化粧ははっきりと濃い。若いようでいて、年をとっているようでもあるような、年齢不詳な雰囲気が漂っている。


「夫人、おはようございます」

 シャラーレフは慌てて紅茶を飲み込み、あいさつをした。


 この女性が、ホテル・ディールーズの支配人・ゴルネッサ夫人であった。


「ご一緒しても?」

 つやのある声で、夫人が尋ねる。シャラーレフは少しうわずった声で答えた。

「はい。どうぞ」

「それじゃ、遠慮なく」

 そう言うと、夫人はシャラーレフの前の椅子に腰掛けた。


 夫人の色っぽい微笑みに、シャラーレフは頬を赤らめた。

 シャラーレフは、このゴルネッサ夫人という人を尊敬していた。彼女のような経済的にも政治的にも力を持った女性は故郷にはいなかったが、そのあり方は武器商人であるシャラーレフの目指すところであった。


 夫人は給仕の青年からお茶を受け取ると、シャラーレフを見た。


「良い武器が買えたそうね」

「ええ。おかげさまです」

「アーザルには腐るほど武器があるから、すぐだったでしょう?」


 自国を自嘲するように、夫人が笑う。


 アーザル国では何年にもわたる内戦があった。やっと終わったのが数年前である。シャラーレフが武器を仕入れにアーザルに来たのも、大きな戦争のあとで中古の武器が多く余っていると聞いたからであった。


 国土の広いアーザルは、西と東で大きく文化が変わる。宗教、中心産業、社会構造などのさまざまな違いによる溝は埋まることなく深まり続け、ある日大きな戦争となったのである。


 この宿や首都カークトゥースの様子があまりに華やかなのでときどき忘れてしまうが、確かにこの国は戦後なのであった。


「はい。あとは運搬時の護衛を雇えば、セフィードに帰ることができます」

 はにかみながら答え、シャラーレフはふと考えついた。


(そうです。夫人にちょうどいい運び屋さんがいないか相談してみましょう)


「夫人は、何か良い傭兵の方をご存じではないですか?」

 シャラーレフはゴルネッサ夫人に思い切って聞いてみた。


 夫人が裏社会にも詳しい人物であることを、シャラーレフは知っている。シャラーレフに軍から払い下げられた銃を横流ししている男を紹介してくれたのも、他でもない夫人なのであった。


「傭兵ね……」

 夫人は少し考え込んだ。

「そうね、キャラーグ商会なんてどうかしら」


「キャラーグ商会?」

 シャラーレフが聞き返す。その響きには、何となくであるが気に入るものがあった。


「そう、先の大戦の西部軍の小隊崩れが開いた民間軍事会社。社員は三人しかいない小さな会社で、そんなに仕事は多くなかったはずだわ」

 夫人はざっくばらんに、キャラーグ商会という者たちの説明をした。

「あまり血なまぐさい話は聞かないし、あぁいう商売の人間の中ではクリーンな方よ。あんまり傭兵に見えない雰囲気なせいか、いまいち信頼はされてないけどやるときはやる連中ね」


「その方たちは強いのですか?」

 彼らに興味を覚えたシャラーレフは、身を乗り出して、質問した。

「中の上ってところね。一人は人間離れした強さだけど、あとの二人はまぁそこそこ。凄腕の殺し屋に狙われているっていうなら話は別だけれども、通常の護衛なら彼らで十分でしょう」

 夫人はそう言い終えると、優雅なしぐさで紅茶を飲んだ。


(キャラーグ商会……。なかなか良さそうな人たちですね。それなりに強いみたいですし、何よりも乱暴じゃなさそうなところに惹かれます)

 シャラーレフは夫人から得た情報を、直感で吟味した。そして、素早く結論を出した。


(では今日、その方たちに会ってみましょう)


 シャラーレフは、すぐに彼らを訪ねることにした。


「親切に教えてくださり、ありがとうございます。さっそく一度そのキャラーグ商会という方たちに話を聞いてみます」

 手を合わせ、シャラーレフは笑顔で夫人に言う。


 夫人は上品に微笑み、ティーカップを置いた。


「そう、彼らの事務所はクーチェ通りの三番地よ。お役に立ててうれしいわ」

「はい、夫人のおかげでうまく行きそうです」


 シャラーレフは立ち上がり、再度お礼を言った。


「よい取引ができるといいわね」

 夫人が白い手袋をした手を、ひらひらと振る。


「それでは、ありがとうございました」

 シャラーレフはお辞儀をし、立ち去った。

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