最終話 シンメトリーの空

テキサンを通して、彼らを見てきた。


何かを通して見ることで、彼らの知らない側面を知れるから。


知ることで、綾の好奇心は満たされる。むき出しにすることは決して許されない、子供の純真無垢な視線のような好奇心がフィルタリングされる。


それは同時に、綾にしかできないこと。


だけど最近、少し価値観が変わるような出来事があった。


”彼女”と話して少しわかった。自分の好奇心の正体。それはある種の羨望で、嫉妬でもあるらしい。


自分が他人に、そんな感情を持っている。それは自分の感情と向き合い続けてきた綾にとって衝撃的な気づきだった。


嬉しそうに、楽しそうにテキサンを、空を、そして人々を語る”彼女”は、私と似ていると思った。


そんな彼女が喋れば喋るほど、今まで多くの人間を見てきた綾には、自分自身に見えてきた。そして”彼女”は、痛いほどの羨望と嫉妬を持っていた。


彼女とはそれ以来会っていない。



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面白そう。最初はただそれだけだった。


面白い人と物は好きだ。それだけだとずいぶんと単純だが、実際に行動に移す点で、拓斗は他人と違っていた。


高専なんていう、変わった学校を選んだことも、非行研なんていう、腫物の集団に入ったことも、拓斗からしたら何ら特別でない選択だった。


だけど、彼女たちはくすぶっていた。


情熱もある。他人と違う”何か”も持っている。なのに、それを発揮できない。


拓斗に、自分の時間を無駄に使うという選択肢はない。だから、彼女達のもとから離れるのも時間の問題だった。


だけど、彼女と会ったあの日。少しだけ何かが変わった。彼女自身も、これから変わると言っていた。


やがて弘が来て、本当に何もかも変わっていった。それからは夢中だった。


だから、拓斗には明るい未来が見えている。彼女が見る空の向こう。その先を無邪気に思い描いている。



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「そういえば、なんで”シンメトリー作戦”なんですか?」


「…今更?」


「今更も何も、作戦名とか気にしてる暇無かったじゃないですか?」


弘の問いかけを遮るように、強い風が5人を通り抜ける。11月の、東北の風ともなれば、北国とは縁遠い弘達には堪えた。


「にしたって、やっぱりでけぇな…。」


風花は弘の問いかけに応じない。それ自体はよくあることだった。だがいつものように、弘はそれに突っかからない。


風花の見つめる先に、自然と他の4人の視線も集まる。全長1500mにもなるアスファルト製の滑走路、その先端に立つと、反対側の端はもはや白んではっきりと見えない。


しばらくそうやって、あの裏門の雑木林よりも広い空と、そこへと伸びるまっすぐな道を眺めていた。


やがて、やや遠くから車のクラクションが聞こえてくる。アンフライの図師の迎えだった。


「皆さん。時間ですよ。」


図師が趣味で改造したという、電気自動車化された古い軽自動車に乗り込む。飛行場内を移動するために使っているようで、ここに来た初日に図師と風花が楽しそうに話していた。


その風花も、あの日から数日経ち、とうとうその時を迎えるにあたって、まるで夢の中にいるかのようにボーっとしていた。


彼女がそんな調子だと、釣られて回りも神妙な空気になる。だが、今回ばかりはそれを責めるようなメンバーはいなかった。というよりも、全員が同時に同じ緊張感を得ているのかもしれない。


「…はい、はい。分かりました。では失礼します。」


図師が運転しながら器用に取った電話をしまうと、僅かにアクセルを踏み込む。


「予定より少し早いですが、松島管制隊より管制承認がでました。飛行プラン、アンフライ管轄の業務空域に関するNOTAMも発信済みです。30分以内なら、いつでも飛行できます。」


全員が唾を飲み込む。その時になると、途端にリアルが胸を締め上げる。


「お願いします。」


風花が静かに応じる。その声を聞いて、図師はわずかに困惑の視線をバックミラー越しに風花へ投げかける。


「離陸までまだ猶予はあります。飛行前に再度、エプロンに行ってもいいんですよ?」


「別に今生の別れってわけじゃないんスから。アンフライのエンジニア皆さんには、ここ数日で本当に助けられましたし、パイロットさんも。」


風花は、そういって小さく笑う。全くもって、普段の風花とは別人のように思える。だがひょっとしたら、これが本来の彼女なのかもしれないと、弘は思った。


「…分かりました。それでは、離陸を一番いい位置で見ましょう。」


図師はそう言って、ハンドルを切りながら、器用に車載無線機の電源を入れた。


車はしばらく走り、滑走路を挟んでエプロンと反対側、管制塔側の誘導路で止まる。5人を降ろし、図師は仕事があると言って、滑走路へと向かっていった。


横一列に並び、滑走路とその先。ここからでも僅かに、しかし日光を眩く反射する銀翼が見えた。


「なんでシンメトリーか、だっけ?」


風花は銀翼から目を離さずに、呟く。


「あの時──テキサンが私の手から離れた時。正直、何も考えられなかったんだ。

あんな思い、5年前にもしたことなかった。あの時起こってることがリアルと認識できなくて、多分夢でも見てるだろって思ってた。まぁ、そんなわけはなかったんだけど。

だからあの現実を認められなくて、たぶんあのままだと、なにかやらかしたのかもしれない。


でも、お前らが来てくれた。」


銀翼が動き出す。50年前、あの翼がいた場所で再び、その脚が、自身の発生させる推進力でもってアスファルトを踏みしめる。


「その時思ったんだ。私たちは”対称”だって。それまでずっと、全員が全員、お互いに”正反対”だと思ってた。



”何でもできるはずの学校”と、”何もできないかもしれない私たち”


”人間ばかり好きな奴”と、”機械ばっかり好きな奴”


”自分に正直な奴”と、”正直になる自分をもってない奴”


”夢を叶えた人間”と”叶う事のない人間”


”テキサンを飛ばしたい私”と、”やりたいことのないお前”。」



見えなくなろうかというところまで遠ざかったかと思えば、銀翼は一度こちらを向き、停止した。


「でも、私たちはシンメトリーだった。お互いがお互い、見ているものが同じじゃない。


でも、これはこれで意外とバランス取れてんじゃないかなー、って。…なんでそう思ったかは、分かんねーけどさ。それだけ。本当に。」


「…ま、言われなくたって、私と風花が同じとは思ってないけどね。」


沙羅が目をそらさずに皮肉を言う。風花は小さく笑うだけだ。


「まぁ、あの場所にマジョリティなんてないもんね~。私たちみんなマイノリティ!」


綾の皮肉というかブラックジョークは、相変わらずややきつい。それでも今は、笑って聞ける。


「まぁ、楽しけりゃいいんすよ。僕は楽しかったんで実質勝ちです。」


拓斗は相変わらずだ。


「──だから、シンメトリー。私と一番シンメトリーなのはお前だよ、弘。私にここまで喋らせたんだ。なんか言うことはないか?」


銀翼が再び動き出す。天候は快晴、やや追い風。空へと続く1500mのアスファルト、その先端から、空に向き合う。


弘は大きく、空気を吸い込む。最大2,000馬力のワスプエンジンが、いっぱいに同じ空気を吸い込み、回転数を上げる。何百メートルも離れた彼らの声も遮ってしまうほどの音が響き渡る。


「いけ!!そのまま飛んでいけ!!」


叫ぶ以外、できるわけがなかった。


「…いけ。飛べ!テキサン!」


「飛べ。飛べ~!!」


「もっと回せ!!まだ回せる!!!」


エンジンの本気をも上回るほどの熱狂。それに負けないほど、エンジンもうなりを上げる。やがて、銀翼は走り出す。


「──飛べ。お願い。飛んでくれ──私の、夢!」


「飛べ──ぶっ飛ばせ!!!」


やがて銀翼は、眼で追えないほどの速度で彼らの眼前を駆け抜けていく。同時に、尾が上がった。


胸が締め付けられる。全身に血が巡る。時間の進みが遅くなる。


それでも、銀翼は止まらない。やがて彼らを追い越した銀翼は、それまで眩しく反射していたはずの陽光で、翼の形の影を作った。


銀翼は、大空へと帰る。




シンメトリーの空 完

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