第95話
5人と1機を乗せたトラックは、ろくに街灯もない夜の田舎道を走っていく。
遠く松島までこうして荷台に人を乗せ走るわけにもいかず、とりあえずは先発したトラックやアンフライの車と合流するため、高速入り口に近いコンビニまで走っていた。
状態の悪い舗装路とサスペンションが、小刻みに彼らの身体を揺らす。畿内高専を脱出してからおよそ10分、レストア部の面々は誰も口を開かなかった。
けして雰囲気が悪いわけでもなく、感傷に浸っているわけでもない。誰一人として、今の状況に実感を持てずにいただけだ。
今5人の耳に入るのは、トラックのエンジン音と衝撃音、そしてずっとなり続けている、拓斗のスマホの通知ぐらいだった。
通知の内容は見なくても分かる。レストア派が作戦の成功を祝って盛り上がっているのだろう。だが、肝心の当事者たちは未だに現実感を持てずにいた。
「なーんか、現実感ねぇな…。」
その場の空気感を、風花がわざわざ言葉にする。弘としては、この現実感の無さは自分だけのものではないかと、僅かに不安を持っていたが、風花のおかげで少しだけほっとした。
「ない…って言っても、実際にこうしてテキサンは学外に運び出せましたし、今もこうして松島に向かってますよ。それにほんの数秒ですけど、ちゃんとエンジンも回りました。」
弘が最初に応対する。目は慣れきっているが、この暗さで各々の表情は確認できない。こんな感じで、風花が何かを言いだしたときに真っ先に応対するのが弘の役目だ。
「それ、私は見れてないんだけど大丈夫だった?数秒つっても正直怖かったんだが…。」
風花がエンジンのあたりをさする。エンジンは高専祭直前まで、アンフライの担当者と風花が連日オーバーホールを行っていた。元からまとまった時間が取れないスケジュールかつ、本格的な整備はアンフライ工場で行う予定だったので、たとえ数秒と言えど風花にとっては不安な時間だったのだろう。
「…あ、そう言えば。せっかくのエンジン初始動なのに立ち会ってもらえなくて、すいません。」
「もういいよそのことは。つーか初めから気にしてなかったし。」
風花にとって、そもそも航空機レストアにとって、エンジンの復元というのはとても大きい。テキサンのエンジンのことをレストア部で一番熟知し、一番触れてきた風花にとって、ぶっつけ本番のエンジン再始動はプレッシャーであったのと同時に、何年も焦がれた瞬間であったはずだった。
「それにエンジンが動くことは、飛ばすことを考えたら当たり前だ。問題は空の上で止まることと、滑走中に止まること…。人死にだけでなくテキサンも失っちまう。」
だが、風花はさらにその先を見ている。彼女にとってのゴールはテキサンを飛ばすことであって、通過点に一々固執しない。そういう性格だったことを、弘は今さらに思い出した。
「──やっぱり、あなたはすごい人ですね…。」
「気付くの遅くな~い?”変な人”は聞き飽きたからこれからは代わりにそう呼んでくれ。」
そういうところだよ、とその場にいた全員が飲み込む。
「ま、変な人って言われても気にしちゃいねえがな。…現にこうして、私は私のやりたいことをやった。私の夢が叶おうとしている。だから、その、なんて言うかだな…。」
「だから、湿っぽいのには早いって朝からずっと言ってますよね。」
弘が無理に風花の言葉を遮る。この人は、意外とこういう弱いところがある。だが、ここにいる全員が今、風花に望むのはそういう言葉ではない。
「風花ちゃん、私は全学生に向けて言い放ってやったんだからさ~?風花ちゃんも言っとくべきじゃない?」
そう言った綾の口が、あ、あ、あ、い、お、の形に動く。そろそろ全員の目が、夜闇に慣れてきていた。
風花は綾の口の動きをまねる。意味を理解したことは、その顔が語っていた。
「…ざまあみろ。最後に笑うのは、この私だ。」
────────────────
集合場所のコンビニで、アンフライの社用車と合流して、風花たちは荷台を降りる。
荷台上の銀翼は、あの裏門にあった時と変わらないように見えた。
だから荷台を降りても、コンビニで弁当を買っていても、アンフライのミニバンに乗って毛布をかぶった時も、あの祭りが、脱出劇が、これまでの積み重ねすべてが、現実感を伴っていなかった。
それでも、夢への想いは変わらない。初めてあの場所へ行ったときに感じたこと、幼いころから積もっていたのだろう、空へ、翼への憧れを自覚させられたあの瞬間。あの痺れるような感覚。あの飛行機を通して見た、文字通りの“夢”。
初めてテキサンと、”あの少女”と出会った時に気付いた憧れ。飛行研が無くなった5年前に、”彼女”に気付かされた夢。
彼女と交わした約束。
どれだけ現実感を伴っていなくとも、憧れと彼女が、風花の背中を押す。風花は、いつか夢見た空へ、迷わず進む。
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何やってるんだろう、私。
ふとした拍子にそう思うことは珍しくない。だが、このタイミングとは思わなかった。
普段から寝不足なせいで、横になればすぐに眠れる沙羅だったが、今日は眠ることが出来なかった。
夜行バスでも寝れるので、ミニバンで寝れないわけがない。寧ろ沙羅にとっては快適な部類だ。
柄にもなく緊張しているのか。それとも現実感の無さに脳が戸惑っているのか。色々原因を考えてみるも、考えないようにしていた原因が、脳内を徐々に占めてくる。
自分は本当にここにいていいのか。結局これが一番大きいことを認めざるを得なかった。
風花は遂にここまで来た。しかしそれも、風花一人の力では成し得ない。
それは精神論ではなく、もっと現実的な論点として在る問題だった。
結局のところ、航空機のレストアは、レストア部員個々人のスキル──機械工学科の風花と綾、電気工学科の弘と拓斗。彼らのスキルと大人たちが居なければ成し得ない。つまるところ、情報工学科である沙羅は、レストア作業自体にはなんの貢献にもならなかった。
そんなことを言えば、他の連中は絶対に否定してくれるだろう。沙羅にしかできないこと──例えそれが、本人はお遊びと思っていても、沙羅の能力が無ければ、レストア部は潰れていただろう、と。
だが、風花には”絶対に成し遂げる”という覚悟がある。そして本人は否定するが、弘の異常なまでの献身力・責任力・行動力。あの2人さえあれば、正直レストア部が潰れることは無いと思っている。
そんなこと言っていじけていたって、何にもならないことは沙羅が一番知っている。だから、自分の心の弱さに、何度もうんざりさせられている。
沙羅は若干唸りながらも体勢を変える。車内から窓の外に視線を移すと、月の灯りで少し目を細めた。
いじけていたって、どうしようもない。沙羅はとある夜の約束を思い出す。
”彼女”と交わした約束を。
「行く先を、最後まで見届ける。だから私は、ここにいる。」
小さく自分に言い聞かせて、今度こそ眠りについた。
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