第93話 シンメトリー作戦最終フェイズ +00:00:20

──2年目11月 シンメトリー作戦最終フェイズ +00:00:15──


畿内高専祭後夜祭、そのステージを彩る鮮やかな照明は落とされ、代わりに月光が体育館全体を照らす。


幸い、ステージ自体が暗めだったので、その場に集まっていた学生たちは、急な光の変化に耐えることができた。


やがて、ステージに向かって右側の学生たちが、実行委員会に催促されて体育館から追い出される。左側から押し出されるようにして、全員は出られないまでも、半分ほどの学生は訳が分からぬまま、ステージを追い出されてしまった。


突如として、目の前の道路に駐車してあるトラックが、殆ど全てのスポットライトに照らされる。


そのまばゆい反射光に、今度こそ学生たちは目を細めた。


トラックの荷台上には、緑のシートで被された大きな積荷。そして、一人の学生の影。


学生たちの目が慣れてくるのと同時に、荷台上の影が増えていく。


「おまえたちはーなにものだー!」


ざわめきの中で、ひと際目立つ棒読みな女性の叫び声が、群衆の中のどこかから発せられた。しかし荷台上の者からしたら、それは聞きなれた声だった。


やがて荷台上の学生が、手に持った拡声器を掲げ、その電源を入れる。わずかに不快な金切り音がしたあと、彼は思い切り叫んだ。


「──これが俺たちの、”やりたいこと”だ!そして俺たち畿内高専レストア部は、この腐った学校を、テキサンと一緒にぶっ飛ばす!」


彼の背後の積荷から、シートがはがされる。銀色のボディが、それまでよりもいっそう強く、スポットライトを反射する。荷台に乗せられたその銀翼は、左右両方の主翼が取り外されていて、辛うじて飛行機と分かる姿だったが、次の瞬間、その場にいた全員が、彼らの自由を象徴する翼に夢中になる。


キュルキュル…という聞きなれない音が響いたかと思うと、低く腹に響く重低音が、喧騒をかき消す大きさで響き渡る。


思わず、壇上の3人以外は耳をふさぐ。音のする方を見やると、何かが光を反射したりしなかったりを繰り返している様が目に入った。


積荷の先端に付けられた、一対の大きなブレード。それがゆっくりと回っている。


やがて音と同時にその回転数は増していく。テキサンのプロペラが回っている。エンジンが回っている。


拡声器の主が、再びエンジン音に負けないほどの声量で叫んだ。


「これより、俺たちレストア部は、遠征に出発する!目的地は──航空自衛隊松島基地、松島飛行場!」


群衆の中、日置優は黙って事態を見守っていた。


黙っていた、というより、声が出せなかった。圧倒されていたという方が正しい。そしてそれは、この場にいる全員がそうであった。


曲がりなりにも彼らは工業高専生だった。彼らは興味を持って、この学問を学んでいる。そして何より、かっこいい機械は、好きだ。


「すげぇ」


優の口から、感情が勝手に漏れる。圧倒された人波は、その反動で徐々にざわめきを増していく。


「飛行場に行くってことはそういうことかー!?」


やがて人波の中から、一人の元気な声が弘に投げかけられた。弘の胸中に、感じたことのない暑いものがこみあげてくる。熱が全身を帯び、指先は痺れる。震える手で、声の方に拡声器を向け、思いっきり叫んだ。


「そういう、ことだよ!」


それと同時に、コクピット内にいる拓斗が、一瞬だけ回転数を大きく上げる。夜のグラウンドに、腹に響く威勢のいい回転音が響き渡った。それが合図だった。


沸き起こる歓声。意味ある声と声が打ち消しあい、意味をなさない熱狂へと昇華される。


「ざまあみろ。」


綾は小さくつぶやいた。この熱狂が、彼女たちの復讐だった。


すかさず拓斗がエンジンをカットする。プロペラが慣性で回っているものの、軸にアンフライが採算度外視で作ったベアリングを仕込んでいるため、音量に反して手で押さえられるほどしか回っていなかった。実際、トラックの荷台上で航空機用エンジンを動かすなど、正気の沙汰ではない。今回のパフォーマンスのために、かなり無理をして用意してもらった。


拓斗と綾がプロペラを手で押さえ、弘はカバーをかける。固定もそこそこに、トラックの運転手に指示を出し、発進してもらう。


トラックは冬の夜風を受けながら、熱狂を後にする。夜風は高ぶった3人の体温とエンジンを冷やす。


だが、3人の内からこみ上げる笑みは、熱を生み出し続けている。だが、まだ終わっていない。


弘は切り替えるように、自分の頬を叩く。まだすべて、終わっていない。



──シンメトリー作戦最終フェイズ +00:00:20──



会議は踊る、されど進まず。


歴史だの偉人だの名言だの、特に興味のない風花だったが、この状況を表すにはまさしくぴったりの言葉だった。


「だから、そもそもこんな約束をした方の責任だと言ってるんですよ!」


「責任の追及なんていますることじゃないでしょう!私はこの約束が果たされたからと言って撤去しないとは──」


本来は風花にテキサンを明け渡すよう、説得する会だったはずだが、さっきから殆ど、風花は発言していない。


「えー!じゃあ私たちは最初から出来レースさせられてたってことですかあ!?それってもう詐欺ですよねえ!」


こんな感じに数分に一度、火に油を注ぐのが彼女の仕事だった。


見事に再炎上した会議を尻目に、風花は大きな欠伸を上げる。先ほどまで心臓が破裂しそうなほど風花を支配していた緊張はすでに消え去り、今となってどっと疲れが押し寄せる。計画が大詰めだというのに、緊張感が忘れ去られてしまうほど、この状況は不毛だった。


何度目かの欠伸がでようとしたとき、風花のインカムに通信が入る。一気に風花の全身に血が戻る。


心臓の回転数が上がる。迎えが来た。


再び会議の中心が風花の手を離れ、会議室で踊り始める。あと数分で、弘達が到着する。風花の最後の任務は、なんとか搬出されるテキサンに気づかれないよう、この場を脱出すること。


幸い、水瀬風花は人を見る力に優れていた。最も、彼女はこの特技を快く思ったことはほとんどない。だが、今日この瞬間だけは、この能力をフルに活かしきる。


校長が総務課に意識を向ける。総務課の職員たちの敵意が校長に向く。学生課はまだ周囲を見ている。教員陣はすでにうなだれている。


──今。


風花から全ての意識が消え去る。この隙を見逃さない。イタズラ以外で初めて、忍び足なんてものを使った。会議室の扉に手をかける。この喧騒では、新しい会議室の扉の軽い音はかき消される。


廊下は薄暗い。だが、風花にとっては蛍光灯きらめく会議室よりも、明るい未来へと繋がっている。暗闇へと一歩踏み出す。


「おい!水瀬君!どこへ行くんだ!」


校長の声。風花の全身が一気に固まる。背後からは、会議室全員からの視線を感じる。


心臓が高鳴る。これまでどれだけ落単して、学科主任に詰められようが、担任や顧問と面談しようが感じたことのない緊張。


心臓が高鳴る。低い連続音と、僅かな地響きが徐々に大きくなる。その音が自分の心音でないことに風花は気付いた。


「部長!」


インカムと、外から同時に聞こえる声。会議室が僅かにどよめく。


風花は大きくため息をつく。会議室の意識が、一斉に風花に向いた。


風花は敢えて聞こえるように、インカムをオンにする。そしてとびきりの悪い笑顔で、後ろを振り返った。


「手遅れだばぁか。ざまあみろ!」


滑りの良い新品の扉を、勢いよく閉める。そして同時に、彼らのもとへ走り出した。

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