第71話 綾の夏休み⑦ 彼女の答え合わせ

「戦争当時、祖父の地元に、重工の飛行場が作られました。そこでは、軍用飛行機組立工場の飛行場でしたが、軍の部隊が来てからは、特攻隊の基地としても使用されました。

ようするに、そこで組み立てた飛行機をそのまま特攻隊で運用していたんです。祖父もその一員でした。

紫電改は、その工場で作られた最新鋭戦闘機でした。終戦し、祖父とわずかな紫電改は生き残りましたが、飛行場と工場は放棄されました。

祖父は地元の人間でしたから、その跡地の一部を祖父が手に入れ、今でも畑として使っています。この紫電改は、その敷地内に残された防空壕に祖父が隠した祖父の乗機です。『戦争と言えど、空を飛ぶ愉快さを教えてくれたコイツを守りたい』。よくそう言っていました。

アンフライ初の再生飛行機を決める際、私が無理を言ってこの紫電改にしてもらいました。皆さんのテキサンほどではないかもしれませんが、この機体にもストーリーがあったんです。私はそれに魅せられて、この機体を選んだんです。」


感情的なストーリーは、要約すると魅力の半分も伝わらなくなる。だが、イチから全部語るわけにはいかないので、本当に要点だけかいつまんで、紫電改を選んだ理由を紹介した。


「それは…すごい良いお話ですね!おじいさまは、鶉野さん以上にかなり大胆な方ですね!」


綾の食いつきは、やはり良かった。要点だけ抑えたような、おおよそ思い出話程度の話でも。


そして、図師は、彼女が自身でも気づかないうちに抱える問題に、おおよそ気づくことができた。


「今のお話で、強羅さんは私の祖父に興味を持たれました。でも、紫電改の方はそれほどでもない。のではないですか?」


綾は、はっとなる。


他人のことを知りたがるのは、自分のことが分からないから。


だから知ろうとする。でも、自分だけで自分を見つめ続けても答えは出ない。


綾が一番望んでいる答えは、目の前のサラリーマンが持っているように思えた。


図師は続ける。


「この機体を祖父の防空壕から引き揚げ、オーバーホールしていた時のことです。母が祖父を連れて、アンフライの工場を訪れました。

祖父は長く、強かに生きました。あの時代を生きた人は少なからずそういう雰囲気を持っています。その時、祖父はもう立てませんでしたが、衰えは感じさせませんでした。

その日は、エンジンのオーバーホール工程の最終日でした。私たちは当然、祖父の目の前で、70年ぶりに紫電改のエンジンを回したんです。

…すると、祖父が再び立ち上がりました。」


ベタな話だった。だが事実なものは仕方がない。そして何より、この子にはそれが一番”効く”。


「そしたら『燃調が悪い。こんな音を鳴らすとげんこつが飛んでくる!』なんて言い出しまして...。まあそれは余談ですが。」


「…つまるところ、この紫電改を通じて、祖父の知らない面が知れた…ってこと、ですか?」


綾の目は、図師ではなく紫電改を見つめている。先ほどまでの”就活生”ならば、絶対にしないであろう失礼。


「なんで、なんだろう。なんでみんな、この機械に惹かれて、泣いたり笑ったりしているんだろう。なんで?」


綾の思考の回転は、時折はじき出された概念が言葉となって出てくる。理解できないわけではない。ちょっと自分と向き合うのに不器用なだけだった。


「それはね、飛行機は”人間の営み”だからですよ。」


綾が再び図師を見る。


「営み…?」


「空を飛ぶ。純粋にそのために作られた機械。飛んで何をするかはいろいろあるけど、この機械を構成する姿かたち、割かれている物理的、叡智的なリソースはおおよそ”飛ぶ”ことに割かれている。

人が空を飛ぼうとすると、こうまでしなきゃいけなかった。現代は電話がカメラやパソコンになったり、車が家になったりするような時代なのに。飛行機だけは生まれてから100年余り、ほとんどそのままなんです。

営みと言うのはいろんな意味を持つ言葉ですが、先人たちが考え、試してきたその全てが、この形に活かされている。だからこれは一種の営みの形で、これにロマンを感じる人はいる。そういう人を、知ってるでしょう?」


「それはもう、痛いほどに。」


言葉の重みが違うことは誰にとっても明らかだった。


「…まあようするに、君は”人間に興味があって機械に興味がない”のではないんじゃないでしょうか。

人に興味があることは、人の営みに興味があることと変わりませんから。」


綾の頭を巡る血が、一瞬加速する。視界が開け、淵の影が取れ、世界がより鮮明に見える。


目に映るのは、テキサンよりも一回り大きな、濃緑色の飛行機。主翼に差し込まれた黄色が、格納庫に入り込む光を反射し流星のように輝く。


「──私、ずっと疑問でした。

みんな、テキサンを見ている。時々、誰かと誰かがお互いを意識していることはあっても、みんな不器用だから、不器用なりに解決する。そしたら前よりいっそう、テキサンを見るようになる。

あの中で、テキサンを見ていないのは私だけなんじゃないかって。ずっと、疑問でした。

だから、ここのところはずっと、彼らを見ていました。少し前までは、ウチのリーダーやメンバーともよく話しました。でも、それだけじゃ限界がありました。

風花が、沙羅が、何を考えているのか、私には分からない。」


弱音のように聞こえるが、彼女は弱っていない。困惑と言ったほうが近い声音だった。


 「非参与観察と参与観察、だね。強羅さんは今まで、非参与観察──第三者として、プロジェクトの仲間を見ていたんでしょう。でも、人間観察において、非参与観察は全てじゃありません。時に当事者として、仲間と関わって初めて、知れることもあるのかもしれない。

──君は、君たちのテキサンを通じて、仲間を内から見続けることが、君にできることだと、僕は思います。」


 綾は、見開いた眼をさらに見開き、しばらく瞬きもせず、紫電改を見つめていた。


 彼女の中で、何かの合点がいった。それは正しく、彼女の抱える疑問の答え合わせであった。


 興味がないことの恐怖。ただ一人である寂しさ。マイノリティの宿命。


だからこそ知りたかった。”なぜ彼らはそうなのか。”


その答えは単純だった。それこそ、今日初めて知り合った大人に見抜かれるほどには。


所詮、綾の仲間たちも、青い学生である事実。みんながみんな、同じ穴の狢である事実。揃いも揃ってマイノリティである事実。


彼女の悩みは単純だった。そして彼女の周囲も単純だった。


なら、自らとの向き合い方に答えを得た綾に、これ以上迷走する要素は無かった。


大きく深呼吸する。胸のつかえを吐き出し、鮮明になった世界の空気を目いっぱいに吸い込む。


若干日は傾いている。航空祭のプログラムはまだまだ続くが、既にとどまる理由は無い。


「──図師さん。貴重なお話、ありがとうございました。正直、私、こんなところに来ちゃうぐらいにはかなり迷走していたので…とても救いになりました。」


図師はわずかに安堵を覚える。


「いえ、私も、貴重な同業者の役に立てて何よりです。なにより、オジサンの余計なお世話にならなくて本当に良かった!」


言葉の重みが違うことは誰にとっても明らかだった。


「…お暇があれば、是非畿内高専にいらしてください。私よりも、本業の方で語り甲斐のあるオタクを、ご紹介できると思います。」


「ええ、近いうちに。」


そうして、綾は図師と紫電改、松島基地に別れを告げて、そのままとんぼ返りした。


帰りの電車で吊革につかまりながら、スマホをスクロールする。レストア部のグループチャットは、既に静まり返っていた。


「…あ、そうだ。」


綾は初めて自発的に書き込みをする。一枚の写真と、一言のコメント。


『綾さんの夏休み、正解は松島基地でした~』


図師さんの許可を得て撮った紫電改の写真と共に送られたそのメッセージは、風花を騒がせるには充分であった。

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