第70話 綾の夏休み⑤

「あはは~…そんなふうに見えちゃいましたか?申し訳ありません。」


強羅綾はさっきよりもばつが悪そうに苦笑し、沙羅に頭を深く下げた。図師はやや慌てて弁明する。


「いや、別にあなたを責めているわけではないんです。誤解を招いたようならこちらこそ申し訳ない。

…正直なところ、最初にお話した時から違和感がありました。いくら高専生といえども、飛行機のレストアを学生だけでやろうなんて言う、気合の入った人たちの一人ですから。あなたもそういう人なんだろうと勝手に思っていました。実際、女性一人でここまで遠くを訪れているわけですし。」


そこまで言って、そういえばなぜ、強羅綾が松島を訪れたのか、聞いていないことに気が付いた。しかし、その理由は、直後に本人の口から語られる。


「おっしゃる通り、私は飛行機──いえ、工学、工業、機械全般に興味は、ありません。

 私がここまで訪れたのも、飛行機への興味ではなく、ただ、ある人間に興味があったからです。」


そして綾は、畿内高専のテキサンと鶉野修の話を簡単に話した。


「私も、鶉野さんの逸話は聞いたことがあります。」


それまで、図師と綾の間に入るでもなく、遠くで見守っていた幹部自衛官が、静かに入ってきた。


「松島基地では、特に整備隊の中で語り継がれている逸話だそうです。大筋の流れは大体同じでした。」


「じゃあ強羅さんは、鶉野さんに興味をもって松島まで来られた?」


「…ありていに言えば、そうですね。」


ありていに、とはまた濁した言葉だった。


「でも、なんのために?鶉野さんの残した物は、ここには何もないと思いますが…。」


幹部自衛官の疑問ももっともだった。いくら彼女が鶉野に興味を持っていても、松島に彼女を満たすものがあるとは思えない。


「それは…そうだとは思ってました。まあ、せっかくそんなお話を聞いた直後だったので、旅先にちょうどよかった、ってところですかね。」


そういって彼女は笑う。


「おかげさまで貴重なものも見せていただきましたし。」


彼女は、相変わらず興味のなさげに、ぼーっと紫電改を見つめている。


「…見ている?」


幸いにも図師の独り言は、外の轟音にかき消され、誰にも届くことがなかった。


彼女は紫電改を見ている。大手重工の新人教育役として10年以上勤務していた図師は、新人たちが機械を見る目から、ある程度のモチベーションを推察することはできた。彼女と同じ目をする新人たちは、皆すぐに飽きて、目をそらすことが多かった。


だが、彼女は興味がないものを見続けている。本当にどうでもいいものを、ずっと見ていることは、図師でもできない。


だとしたら、彼女は本当に”飛行機に興味がない”のか?


彼女が興味を持つのは、鶉野修のストーリー。もっと広く解釈して、人間。


図師の中で、色々なものの合点がいき始める。人を育てる仕事をしていて、その時の功績を見込まれ、かつての部下に誘われ、アンフライに転籍した男だ。言ってしまえば、綾と同類だった。


「強羅さん。ひょっとすると、貴方は”興味があるけど理解できない”んじゃないですか?」


僅かな間をおいて、隣に立つ幹部自衛官はわずかに首を傾げる。だが、


「──あ、あぁ~…」


綾は、風花の前でも見せたことがないような、ぼかんとした顔を隠し切れなかった。


強羅綾の趣味は、人間観察。彼女の周囲で発生する、高専の変人たちの喜怒哀楽、考え方、それらを常に推察している。


それに気づいている風化や沙羅からは若干気持ち悪がられているが、今更なのか何も言ってこない。だが、彼女らでさえも、綾の趣味の範疇が自分自身に及ぶとは気付いていなかった。


いつも他人にそうしているように、綾は自分の心に問いかける。もちろん、明確な答えは出ない。だが、妙な納得感が安心となり、彼女の腹の底を温めている。


「…そうかも、しれませんね。自分のことですけど、正直よくわかりません。」


そう、正直に答えるしかなかった。


ふむ、と図師は考える。彼女とは今日知り合ったばかりで、親子ほどの年齢差すらある。


だが、おせっかいにも、なんとなく彼女を放っておくことはできなかった。


「そういえば、さっきの質問に応えられていませんでした。」


図師は、紫電改に歩み寄る。その翼の付け根にわずかに触れる。


「『なぜ紫電改を選んだのか』──理由はシンプルで、私に縁がある飛行機だからです。私の祖父は、戦争時、この紫電改のパイロットでした──特攻隊の一員として、ですが。」

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