第64話 2年目8月⑥

 その日の夜、部室には弘と風花が残っていた。


 鶉野修の残した資料、手記類を、部室の資料棚に収めようとしたところ、スペースが全く空いていない。その上、既に納めきれなくなった資料たちが長机と段ボール箱に積み重なっていたため、軽く整理しようと手を付けたら終わりが見えなくなってしまっていた。


 風花はと言うと、元より整理整頓なんてできる柄でもなく、全く手伝うそぶりも見せずに、輸入したモーターの動作チェックを行っている。なんなら、ここまで部室が散らかったのも、だいたい風花と沙羅のせいだった。


 「…なあ弘、お前電気科だろ。私なんかよりよっぽど、こういうの得意だよな?」


 「やってもいいですけど代わりに整理やってくれますか?」


 「やーだよめんどくさい。」


 そうして風花は再びオシロスコープと向き合う。正直、まだ2年生でろくな実習も積んでいない弘と、趣味でオシロスコープを使える風花だったら、風花の方が得意と言って間違いない。


 風花と2人きりになるのは、風花が過去を話してくれたあの日以来だった。この状態になった時、気まずい空気感を警戒したが、風花の方はまったく気にせず、いつも通り弘にくだらない話を振ってくる。


 だがむしろ、弘に真面目な話を振られまいとする風花なりの誤魔化しかもしれない。風花がごまかしているにしろいないにしろ、気まずいにしろ気まずくないにしろ、弘は風花に話を切り出すつもりだった。


ある程度片付けが進み、目途が立ってくる。風花の方は終わる気配がない。元から、弘が8月中に終わらせる予定の作業を、風花が独断で進めているだけだ。


「部長。そういえば、昼間は省略した修さんの話があるんですよ。」


「やーだよ聞きたくないね。そのオッサンのせいでこっちは迷惑被ってんだい。」


風花はオシロスコープから目を離さず、手で弘を振り払う仕草をする。わずかに彼女の眉間にしわが寄ったのを、弘は見逃さない。


「手記にも書いてありますが、修さんはこの話を聞いた人に最後、一言言い残していました。」


「聞きたくないって言ってるだろ──」


風花がいら立ちを隠そうともせず、弘を勢いよくにらみつける。だが、


『君たちは夢を叶える資格がある。』


 その言葉を聞いた瞬間、眉根を僅かに上げ、息を止めた。


『君たちは立ち止まってはいけない。あの飛行機に託された想いを、名前も知らない君たちに。』


僅かに腰を浮かせた姿勢の風花が、どさっと自身の椅子に落ちる。


前髪を左手でくしゃっと持ち上げ、膝に肘をつく。


「…だから私はそのオッサンが嫌いなんだ。」


それはそうだろう。鶉野修と水瀬風花は、完全に同族だ。同族だが、彼の物語の結末を、水瀬風花はその身に望まない。


「どうせ部長のことだから、修さんのことをカッコ悪いと思ってるんじゃないですか?」


弘は自分の椅子を占拠していた段ボール箱を地面に移し、座る。机の上に置いていた、ドロシーと3人で写っている写真を手に取った。


風花は何も言わない。代わりにため息を一つ突く。


「僕は結構好きですよ、修さんも、あの話も。」


「そりゃ、お前とそのオッサンは似た者同士だからな。」


風花はそう言って、からかうように笑う。だが、弘は鶉野修は風花に似ていると思っている。


弘と風花が似ているなんて、風花も弘も、お互い思ってもいない。弘には意味が分からなったが、話を脱線させて風花を逃げさせるわけにはいかない。


「…まあ、それはいいとして。僕は結果的に、修さんが基部をすり替えてくれてよかったと思ってますよ。」


「…お前、それ本気で言ってんのか?オッサンのいたずらのせいで、私はろくに思い出したくもない話をお前にすることになったし、計画も2週間分ぐらい遅れたんだぞ。」


「だからこそ、気づけたんじゃないですか。」


弘は風花に向き直る。手に持っていた、学校史のコピーを風花に差し出す。


第一巻の最初のページの最下段に、ひっそりと載っているその項目は、3行ほどと写真一枚のみしか項目が無い。 「“テキサンの管理替えに協力してくださった航空自衛隊員達との記念撮影”場所、裏門前」の説明。


 50年前の白黒写真、そのコピーから、実験自然林は現在と変わらない様子であったものの、道路脇の木はまだ細々としている。奥にはうっすらと校舎が写っていた。まだ綺麗なテキサンの横には、笑顔で写る作業着姿の若者が複数人。──鶉野修と、その部下、新見教師の姿。


「たぶん修さんも、この時気づけたんだと思います。10年前の失敗──自分が育てて、自分の手で潰してしまった、ドロシーさんの夢から学んだことを、誰かに伝えられたことに。今、ここにテキサンがあるのは、修さんの失敗があったからです。」


風花は目をそらす。まるで親の怒れらている子供のように。


「このお話を聞くまで、僕は何もわかりませんでした。たぶん、誰も理由なんてわからなかったんだと思います。なんでみんな。どうして僕は、あなたの夢にずっと付き合っているのか。

実現はほぼ不可能。学校からの援助も理解もない。妨害まがいのトラブルもあった。正直、5年前の旧飛行研メンバーには同情すら覚えましたよ?」


「──だったら、降りたらいいだろ。私がなんでテキサンを飛ばしたいのか。言ったこともない。そういえば、弘、お前も最初は無理やり入部させたんだったっけ。…嫌なら、降りてもいい。」


「まだ目をそらすのか、水瀬風花!」


弘は椅子を蹴飛ばして立ち上がる。激高したのではない。いや、高ぶってはいた。だが、自分をないがしろにされた怒りよりも、悲しさがあった。


水瀬風花の、普段の傍若無人は、彼女の夢を叶えるのに必要な人格だった。あの人格がなければ、あの執念がなければ、ここまで来ることはできないから。


だが、これが彼女の本性だとしたら。夢を叶えるために、他者を巻き込む。その度にぬぐえぬ罪悪感を抱き、自身の夢を義務へと変えていく。


だからこそ、彼女をスパイラルから救う必要がある。それが出来るのは、半世紀以上前の修の失敗と、テキサンと修とドロシーに、夢の続きを託された、弘の仕事だ。


「テキサンをもう一度飛ばす。あなたのその夢は、もう僕たちみんなの夢なんだよ!

今までだれもそれに気づけてなかったんだ!でも、気づくことができたんだ!なのに!

なのに、なんであなたはまだ、目をそらしているんだ!

あなたの5年前の失敗は、修さんの半世紀前の失敗は、今の僕たちの中で活かされている!」


パイプ椅子でうずくまる風花は、どんどん小さくなっていく。そんなはずはない、ききたくない。声にならないだけで、そう言っている。


弘は足を鳴らし、風花の両肩を勢いよくつかむ。そのまま身体を起こさせる。


「前を見ろ、水瀬風花!…これ以上昔も、人の本心も、知ろうとするな!

あんたは人の心が見抜けるんじゃない。自分に都合のいい人の一部を見抜けるだけなんだ!そんなのは特殊能力でもなんでもない。詐欺師の才能程度にしかならない。だからあんたは、もっと、俺たちを信じろ!」


水瀬風花にとって、これが決定打となった。堰を切ったように涙があふれた。


まるで彼女が抱えていたものが、溶けだしていくかのように。

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