第51話 1954年7月②

「え、じゃあオサムはテキサン辞めちゃうの!?」


ドロシーの叫び声は格納庫内で反響して、修の耳を攻撃した。


わずかにキーンとなる耳を少し抑えつつ、意味を咀嚼する。ドロシーは日本語が流暢だったが、分からない表現や単語は飛ばしがちだった。修は日本語教育の一環という事で、ドロシーとの接触を許されている身だったので、怪しい表現は訂正を入れるところから始める。


「テキサンの整備士、mechanicを辞める、って言いたいんだよな。まだ分からないよ。俺は下っ端もいいところだから、これからどんな飛行機を整備するのかは、俺の決めることじゃないんだ。もちろん、希望は聞いてくれると思うけどね。」


「よくわかんないけど、オサムがテキサンを…整備士したいって言えばいいじゃない!」


「mechanicが整備士で、整備する…はmaintenanceかな。」


聞きたいのはそういうことじゃない、という抗議の視線を感じる。正直、今後のキャリアを考えたら、T-6専任整備士はハズレだ。T-6はジェット機の無い、大戦前に設計された古い飛行機で、軍用機としては退役間近の旧式だった。


一方、今後配備される新型国産練習機──T-34”メンター”は、着陸脚がジェット機と同じ、前輪式の配置になっているなど、運用面でも整備面でも、新時代の軍用航空機に対応するために、T-6にない利点を持っていた。


 当然、T-34メンター担当となった整備士のほうが、T-6担当整備士よりも早く、ジェット機や戦闘機に触れることができるだろう。


 T-6は既に、生まれの国であるアメリカや、大戦でT-6同型機を運用した軍事強国である連合国では退役が始まっている。


 アメリカが無償でT-6を日本や発展途上の東南アジア諸国に与えているのも、在庫処分を兼ねたソ連・中国ら社会主義勢力への対抗策に他ならない。


 修と日本を取り巻くそういった状況を考えれば、わざわざT-6を選ぶ理由は、正直無かった。

 

 「…修は、テキサンが好き?」


 修のそういった葛藤を知ってか知らずか、少し元気の無いドロシーが聞いてくる。


 「…俺は飛行機って乗り物が基本的に好きだよ。零戦に隼、マスタングにメッサーシュミット…こんなこと言ったら本当に怒られるんだけど、B-29も嫌いじゃない。まぁ散々燃やされたけどね。」


 ドロシーも自分が生まれた後の歴史ぐらいは知っている。だからこそ、彼女の顔は見なかった。


 「でも、俺はやっぱりコイツが好きかもな…。」


 そういって、083号機に触れる。ドロシーを慰めるためではなく、本心だった。


 自分で初めて触れた飛行機。10年近く閉ざされた、戦後日本の空を最初に飛んだ飛行機。


 だからこそ悩んでいた。このままT-6に携わる道か、自分の好きなことをとことん突き詰める道か。ドロシーに言ったように、「最終的に決めるのは自分じゃない」と言い続けて今日まで考えまいとしてきた。


 だが実際のところ、ほとんどの整備士はT-34を希望する。T-6にしたいと言えば通る。そのうえ修は、整備士研修生である同期の中でも、083号機機付長をやっているぐらいには評価が堅い。結局のところ、決めるのは自分なのだ。


 「でしょうね!私には分かったわ!だってあなたはこの子の整備する…チームの…キャプテンなんでしょ?」


 いつの間にかドロシーの表情に光が戻っている。ころころと喜怒哀楽が変化するこの子は、日本人の子供にはない魅力があって楽しい。分かりやすいと言えば失礼だろうが、この子にはそれに留まらない魅力があった。


 「だって、この子も喜んでいるもの。オサムの腕がいいのね。」


 そういって、ドロシーがプロペラを撫でる。子供特有の感性なのかは分からないが、ドロシーはたまに飛行機の声が聞こえるような発言をすることがあった。


 「今日はコイツ、なんて言ってる?」


 普段から修もそれに付き合っている。修もどちらかというと、ただの機械として見ている同僚たちより、ドロシーに近い感性を持っていることは自覚していた。無論、その感性の違いが仕事に影響するわけでもないので、同僚たちが悪いわけではない。


 「今日はね~…少し洗い足りないって言ってるわ。」


 「えらく具体的だな…」



そうして、7月中に保安庁保安隊は防衛庁自衛隊として改変された。


航空自衛隊の総兵力数は6,738人、保有航空機148機。


松島臨時派遣隊は一期生卒業をもって、第二操縦学校松島訓練隊に再編。キャンプ松島は米軍より返還され、航空自衛隊松島基地として設置されることが通知された。


第一期生の教練修了予定は11月、在日米軍の退去は12月に決定された。

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