第52話 1954年11月①
鶉野修は、恵まれていた。
幼少期に戦争を経験した。故郷の街も、実家の工場も空襲で少なからず燃やされた。だが、特段飢えたりすることもなかった。
戦後は全国的に物が不足していたというが、食べ物が足りなくて困ると言ったこともなかった。
鶉野家は国の役人でもなければ成金でもなかった。財閥重工の下請けをやっていた町工場ではあったがそれぐらいで、工場も運よく燃やされることもなかった。単に母の物繰りが得意だったのもあるが、あの時代において、相当強かに立ち回ったのだろう。
両親は強かで、厳格で、優しかった。未だ”戦後”から脱却できない時代において、修が自衛隊の整備士になって、アメリカ兵とも英語で意思疎通ができることも、両親による教育の賜物だった。
頭上を飛び交う戦闘機。しかしその中から日本の機体が日に日に減っていくのを、母と逃げながら見ていた。
それを見て、「あの銀色と黄色の飛行機綺麗だね」と言った修を厳しく𠮟りつつも、その気持ちを否定はされなかった。
鶉野修は、恵まれていた。だからこそ、自分は強い人間だと勘違いしていた。
ドロシー・ハーヴァードは恵まれていた。
自分は物心ついたとき、遠い海の向こうで、父が戦争をしていたことは母から聞いていた。
その母は、日本語を教えてくれた。反日感情渦巻くアメリカ、テキサス州において、「世界を知ることは大事だから」と、日本と日本語だけではなく、ソ連とロシア語も教わった。
物に困ったり、友達に困ったりすることもなかった。父が海軍で出世を重ねていくとともに、近所の付き合いも深くなっていった。
女が学を持つなんて、と言われていた時代に、彼女は認められていた。親族からも、環境からも。
だが、彼女は見てしまった。青の色見本で塗りたくったような空に輝く、銀色の翼。心奪われ、憧れ、志す道を選んだ。
母は何も言わなかった。戦争が終わり、人生の半分以上の間会っていない父は、ドロシーが夢の話をするたびに、空の恐ろしさを諭した。
されども、ドロシーは恵まれていた。
父が日本に行き、飛行機の仕事をすると知った時、無邪気に「ついていく!」と言っても、聞いてくれるほどには。
だからこそ、気づかせなければならなかった。
恵まれているだけでは、強くなれないから。
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──1954年11月──
3時間の飛行を終え、16機のT-6達が降り立ってくる。
普段はせいぜい6機程度が訓練飛行している。その間整備士達は、飛んでいる機体の担当は詰め所で休憩し、それ以外の人員は掃除なり休日なり座学なりをしているので、全員が格納庫に集まることはめったにない。
だが今日は、松島のT-6が16機全機が飛んでいる。帰ってくる彼らを、ほとんど全員の整備士が格納庫から眺めていた。
6月時点ではフラフラと飛んでいた黄色たちが、この半年余りで見事な編隊を組むまでに成長していた。改めてしっかりとみた同僚たちは、意外や意外と感心している。
順番に着陸し、地上走行で駐機場へ戻ってくる。フラフラと右へ左へを繰り返し、ジグザグに走行していた半年前と違い、ほとんど全機が真っ直ぐに進んで最短経路で帰ってきた。
普段なら駐機場でエンジンを止め、そのまま格納庫まで牽引していくが、今日は駐機場で全機止まるまで待っている。
やがて全てのT-6が止まり、16人の候補生質が一列に整列した。正面には保安隊側の司令と、米軍側の司令──ギリアン・ハーヴァード。
今日をもって、全ての訓練課程が修了した。
ギリアン司令はいつもと変わりなく、あくまでも厳格な態度を崩さない。「訓練課程を終えたからと言って、全員が修了できるわけではない。
「相変わらずおっかねえや、ウチのおやっさんが擁護してる。」
修の班員が耳打ちしてきた。整備士はあの修了式に参加しているわけではないので、小声で話す必要は無いのだが。
班員の言った通り、保安隊の司令は「結果に拘泥せず~」となんとも歯切れの悪い物言いをしていた。
「そういやウズラ班長、例のドロシーちゃん、どうすんだい?」
さっきの班員とは別の班員が聞いてくる。
「来月で司令と一緒に帰国なんだろ?最近会えてないって聞くが。」
「また噂か…?まったく口の早い。」
修は安全帽の上から頭を抱える。事実、ここ一週間ほどドロシーとは会えてなかった。
「なにがあったのさ、機付長どの。俺たちでよけりゃハナシ聞くぜ!」
そういって、083号機班の3人が、ニヤニヤと修の肩に手を回してきた。
「どうせお前ら色々漏らすだろ!」
「つれないこと言うなよ、俺たちもドロシーちゃんとは何回か会ってるじゃねえか!」
「そのあと司令に呼び出されてんだよ!」
「司令許してくれたじゃねえか!親子そろって仲良くなりやがって!」
そういって脇腹を小突いてくる班員をいなしつつ、実際問題どうしたものかとため息をつく。
どうして、あんな約束をしてしまったのか。
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