第50話 1954年7月①
「へーぇ。じゃあオサムは、パイロットになりたいわけじゃないんだ。変なの。」
「変なことでもないだろ。飛行機が怖いって人はまだ大勢いるんだ。」
ドロシーは心底納得のいかないような顔で、「こんなに硬いのにねえ」と言いながら、083号機のプロペラを撫でていた。
初めて出会ったあの日以来、ドロシーはほとんど毎日格納庫に来ては、修と話をしていた。
「飛行機に乗りたくない訳じゃないけど、それこそきみぐらいのころからの夢だったんだ。飛行場で働くことは。」
「私だって夢はあるわ!聞きたい?」
そう言ってドロシーは、ワクワクした無邪気な笑顔を修に向けてくる。まだ12歳の少女らしい幼さは残るが、ドロシーはけっこう、こんな聞き方をしてくる。
『是非ともお聞かせください、レディ』
『日本語って言ってるでしょ!パパにもそう言われてるんだから』
ドロシーはギリアン・ハーヴァード司令の娘だった。なんでもかなりのお転婆のようで、最初にあった日も家族寮を抜け出してきたらしい。
司令の娘と知ったとたん、血の気が一気に引いた修によって、速攻で突き返されたが、司令は「…日本語の勉強にもなる。その時間だけならいい。ただし鶉野二等保安士補、君が責任を持て。」
との恐ろしいお墨付きを得たうえで会っている。
そんな彼女の指名する場所は、いつも格納庫だった。つまるところ、彼女の語る夢もそういうことで、
「私はパイロットになって、テキサンで空を飛ぶの!」
その純真な青い瞳で、黄色の機体を撫でるのだった。
「私とテキサンの出会いは6年前のことだったわ…。テキサスの上空で見た美しい銀色はまるで」
「その話は3回は聞いたよ、ドロシー。それとこの国ではコイツのことを”松風”って呼ぶ。」
「何度でもしてあげるわ!それにマツカゼなんてよくわかんない名前かわいそうよ!この子達は私と同じ、テキサス生まれのTexan(テキサス人)なんだもの!」
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「ウズラ、お前基地司令の娘預かってるって本当か?」
「ウズラって呼ぶな。あとなんだその噂。あながち間違ってもないけど。」
やがて整備士連中に留まらず、パイロット候補生にもドロシーの噂が広まった。こうなったらもう止めようがない。
旧海軍においては、艦の中において噂話は電文より速いと言われていた。場所が変わっても軍隊というのは似たようなもので、一週間後には米兵である整備士長にも噂話は届いていた。
仕事中に呼び出されたと思ったら、「オサム、コクピットぐらい乗せてやれ。」の一言だけ言われた日もあった。その日はドロシーをコクピットに入れてやった。
普段もそこそこ賑やかではあったが、その日は輪をかけてはしゃいでいた。
「キャー!オサム!すごいわ!ねえこれ押していい?押していいわよね!」
「押してはいけません!」
そうして、6月は過ぎていった。
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「──ということで、かねてより案内されていた通り、保安庁保安隊は今月をもって解散し、防衛庁自衛隊として再編されることとなる。諸君らの仕事は今年中は何も変わらないが、パイロット一期生が修了次第、松島臨時派遣隊も改組となる。その時は追って連絡する。
他の部隊や基地では、自衛隊に与えられた国防の任を全うする宣誓に拒否した者もいるが、航空機に関わるエリートとして選出された諸君に関しては、そういったことはないと期待している。以上。」
保安隊員であり、日本人である松島臨時派遣隊の隊長が壇上を降りた後、ギリアン司令が登壇する。
「我々在日米軍は、自衛隊の創設に伴い、キャンプ松島を日本に返還する。第一期生の卒業に伴い、我々は一部の教育要員を残してこの基地から撤退する。私はじめ、キャンプ松島の要員はほとんどがアメリカ本国に帰還することとなる。
我々の帰還日程が遅れないためにも、諸君らが知識と経験を期間内に十分に獲得することを期待する。」
日常が大きく変わるだろう発表を受けても、保安隊の面々は大して大きな反応を示さなかった。それもそのはず、日本の国防軍──自衛隊の創設は予想されていたうえ、保安隊内部ではほとんど確定情報として出回っていたからだ。
「まあ言われていた通りになったな」というのが、大方の反応だった。
整備隊員にとっては、整備隊の始業ミーティングで、整備士長から伝えられたことの方がよっぽど衝撃的だった。
「今後、アメリカ極東軍は計180機のT-6型練習機を供与することが決定している。しかし同時に、日本国産の新型練習機の製造が始まっている。
今後、ジェット戦闘機が主流になる時代において、T-6型は時代遅れだからだ。新型機はジェット機の教育へよりスムーズに移れる。
よって整備士教育においても、この新型練習機とジェット機に多くを充てねばならない。T-6選任整備士は、ここにいる人数の半分とする。」
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