第14話 1年目12月⑤

 既に西日になろうとしている時間、有明沙羅ありあけさらはその重い脚で校門に踏み入った。一番大きな校舎である、本棟にある時計を見る。家を出て、初めて時間を確認する。既に5時間目を回ろうとしている頃だった。

 今更授業に出るのもおっくうなので、その脚で敷地の対角にあるレストア部部室のプレハブ小屋へ向かう。ふと、今の時間の授業に出なければ、今週は一度も授業に出ていないことに気づき、流石に不味いと感じる。が、2日以上連続して学校に来たことが数えるほどしかない沙羅にとって、久しぶりの2日目登校となる今日は、そもそも奇跡的だと思うことで、憂いをかき消した。元々、今日学校に来た目的は、レストア部に用があったからだ。

 しかし、本当に眠い。登校中に車に轢かれなかったのが奇跡なほど眠い。遠回りになるが、購買に立ち寄ってエナジードリンクを買いに行くことにした。


 「あれ、沙羅!?沙羅が学校にいる!?」


 会計を済ませたとき、偶然、水瀬風花みなせふうかと鉢合わせた。沙羅が2日以上学校に来た日は、決まって同じような反応をする。沙羅はツッコミだとかボケだとかがめんどくさく感じるので、いつもこういうノリはスルーしている。振ってくる方も振ってくる方で、めげないのだが。今回も面倒くさいのでスルーし、本題を振ることにした。


 「風花。ちょっと用があるから、部室行こう。」

 「おーけいおーけい!ということはまたなんかおもしろい情報手に入ったんだな!」


 風花が悪い顔をする。やはりこの女、沙羅を情報部隊か何かとしか考えていなさそうだ。

 しかし実際のところ、2年前まで風花一人であった元飛行研が、取り潰しを逃れ生きながらえてきたのは、沙羅の悪趣味──ハッキングの才によるところは大きい。1年生のころ、沙羅が演習用のパソコンから学校のサーバーにハックをかけ、自身の成績を書き換えたことがバレ、停学一週間を食らったという話を聞きつけた風花が、2年生の春に泣きついてきたのが最初の会話であり、その見返りとして、沙羅が安全に趣味に高じられる環境としてあのプレハブを提供したのが、二人の関係の始まりであった。その後、紆余曲折を経て、風花の『テキサンを飛ばす』計画に協力することとなり今に至るが、付き合い始めたころのギブアンドテイクな関係は今も続き、逆風にあるレストア部の強い武器となっている。


 「まあ、おもしろい情報は極めて合法的な手段で手に入れたんだけど、ちょっとウチにとってはまずい気はするね。」


 そう言うと、一瞬風花の表情が曇った。


 「まーまー、マズイのはいつものことじゃい。その話はあとで座って聞くけど、それよか沙羅の方がマズイ話あるんじゃないの。」

 「は?なんかあった?…え、ひょっとして出席足りない?」


 血の気が引く。


 「いやまあ、それは自明だと思うけど置いといて。弘だよ弘。喧嘩したっしょ。」


 体に一気に血が戻る。それと同時に、ため息も出た。


 「あいつが舐めた口を利くのが悪いんだよ…というか情報早いな。」

 「なにもレストア部の情報源は沙羅だけじゃないからな~! 目に見えないところに関しては、沙羅に敵うモンはこの学校にはいないだろうけど、人間はコミュニケーションと言う原始的かつ最強の情報源があるんだよ。」

 「風花も私も、校内の他の人間とのコミュニケーションは絶望だと思うけど。」


 そもそも問題児である沙羅達にとって、クラスメイトとの日常会話などは基本あり得ない。


 「そこはそれ、得手不得手があるでしょ。強い女と先端を行く新戦力も来たんだしさ。」

 「あ~…あの二人なら納得がいくわ。で、風花はどの辺がマズイと感じているわけさ。」

 「沙羅のことだから、正論でぶっ刺したんだろ。さしずめ『どうしてチャレプロで落選してから、何も活動しないんですか!やる気ないんですか!』『そういう松ヶ崎君だって何もしてないでしょ。自分のことを棚に上げる気?』といった具合だろ。」

 「…相変わらず見てきたかのようだな。風花がそんなんだから、まだ松ヶ崎君は風花にビビってると思うよ。」


 この水瀬風花という女には、もはや超能力と言っていいレベルの“眼”──人間の観察眼を持っている。

 それこそ今のような、誰も現場を見ていない喧嘩の内容を、直近の当事者の態度から見抜いてしまうほどの。沙羅も、今でこそ慣れはしたが、付き合い始めたころは恐ろしいことこの上なかった。見抜かれた本人すら気づいていない本心にすら、気づいてしまう。松ヶ崎弘まつがさきひろが入部することとなった日、“本心”が見抜かれていたことに心底困惑していた彼の顔は、なかなか面白い間抜け顔であった。その顔を思い出して、ほんの少しだけ噴き出す。


 「え、何突然吹いてんの。こわ。」

 「…やかましい。」半分はお前のせいだ、と肘で小突く。

 「ま、言いたいことは分かるけどさ。アレはこれからの人間だって、沙羅も分かってるだろ。だからこそ、甘えてほしくないってことも分かってるけどさ。」

 「…口先だけの人間だけは、本当に嫌いなんだ。松ヶ崎君は、その類じゃないとは思ってる。でも──」

 「だーだーだーめんどくせえ!ようするに手伝ってほしいって言いたいだけだろ?アイツの能力を一番買ってるのは沙羅だってのに、どうして素直にならないかなあ~。」

 「そーいうんじゃなくて!私は!」


 そこまで言って、顔が真っ赤になっていることに気づく。だめだ。冷静になれ。この部の3年女子連中で、一番言い争いが弱いのは沙羅だ。人間観察が趣味の強羅綾ごうらあや、超能力レベルの人間観察眼を持つ水瀬風花。これらに挑む力量は持ち合わせていない。


 「…とにかく、彼には気づいてほしい。私なんかに諭されるなんて、正直バカみたいだよ。というか私も知らないんだけど、この一か月の間はいったいなんだったの?去年だと資金稼ぎのために同人誌即売会で売るための模型飛行機を作ってたけどさ。」

 「いや、ただの休憩」

 「──は?」


 思わず、低い声が出る。


 「え、なんかしたかった?」風花は素で聞き返す。

 「…いや、チャレプロでプロジェクト採択されなかったら、自分たちで勝手にテキサン修理計画を始めるとは聞いてたけどさ。完全にスケジュールは一任してきたじゃん。」

 「そうだな。でも勝手にじゃなくて、学校にちゃんと許可は取るぞ。ここが一番重要だからな。」

 「だからそのための根回しでもしてんのかな~って思ってたんだけどさ。え、マジで休んでただけ?」

 「マジで休んでただけ。」


 肩が震える。弘と喧嘩した日から、つい一秒前まで風花と会話を交わしたその瞬間までをなぞる。むずがゆい感情が、無限にあふれて、思わず立ち止まり、頭を抱えて、漏れ出すように声に出す。


 「喧嘩し損じゃん!松ヶ崎君の言ってること半分間違ってないじゃん!」


 風花が、裏で根回しを進めていると信じていたからこそ、自分も情報収集を行っていた。それについて松ヶ崎君に説明をしていないのも、意図があるものと勝手に思っていた。その自信の上で、松ヶ崎君に堂々とした言葉を放ってしまった。

 ただし、ウチの大将は、想像していたよりものぐさだった。


 「はっはっはそう唸るな沙羅よ。かわいいぞ。」

 「うるさいうるさいうるさいうるさい…風花のせいだ…風花の…」


 結構すごい顔で睨む。風花は「うぇ」といい、ちょっと驚いている。かの無神経女も、ここまで凄まれると流石に申し訳なく感じたらしい。


 「ああ分かったよ悪かったって!責任もってケツもつからさ~!」


 そういうと、スマホを取り出し何かを打ち込んでいく。


 「…なにしてんの」

 「これで完了っと。秘密兵器に仲直りの代理人務めてもらったから!これで許せ!」

 「…風花の力じゃないじゃん」

 「悪かったって!」


 まるで妻の機嫌を取る夫のような、沙羅の好きでない漫才のようなやり取りをしながら、西日すらかからない、薄暗い実験自然林のプレハブに二人は消えていった。



 「ところで情報持ってきたんだよな沙羅は。あ、この紙?どれどれ。OB会──?」

 「気が変わった。見せない。」



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毎話毎話、更新が遅くて申し訳ありません。本年中に完結の予定です。

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