第15話 1年目12月⑥
「あ~。」
人が何気なしに声に出す「あ」にも、種類がある。
何かに気づいたとき、何かを思い出したとき、何かを察したとき、等。
12月も暮れ。校舎の隙間から、この日最後の夕陽が誰もいない教室に差し込む午後4時半時頃。
今回、松ケ
完全にやってしまった。この日最後の数学はプリント自習だったのがせめてもの救いか。それとも気の緩みの原因か。机に突っ伏した姿勢のまま、窓に顔だけを向けて、気持ちの整理が始まる。
だいたい、暖房が悪い。暑すぎず寒すぎない絶妙な温度設定だ。風が通りやすいくせに熱がこもる、夏暑く冬寒い学ランも最強の毛布と化している。無限に寝ていられる。
しかし実際のところ、授業終了と同時に暖房が切られるので、だいたい30分程度で肌寒く感じ始める。そのおかげで起床することができたため、いつぞやのハンモック事件のように、血の気が引くような時間となることだけは避けられた。
「お、弘ちゃんじゃん。珍しい。」
この教室ではない。壁を隔てて廊下から声がした。教室とは違い、管楽器のように声が響く。
この学校で、弘のことを弘ちゃんと呼ぶ人物は限られている。弓道部の2人組ともう一人、同じ電気工学科1年生の
机に突っ伏した姿勢のまま、顔だけ廊下側に向ける。段ボール箱を抱えて教室へ入ってくる拓斗が、めんどくさそうに肘で照明のスイッチを小突いていた。
「さては数学寝過ごしたまま、今まで寝ていたんだな。俺が起こさなかったら凍死してるぞ。」
「確かにその通りだが、お前のおかげじゃなくてさっき自力で起きたんだよ。」
「そんなことどうでもいいから手伝って、そこのナメクジ。体固まるぞ。」
確かに、無理な姿勢をしているせいかそろそろ腰が痛くなってきた。拓斗は教卓に置いた段ボールから、プリントらしき紙の束を各机に配っている。クラス委員長かつ、部活をしていないせいか、放課後、電気科の先生にいいように使われているのは周知の事実だった。立って腰を伸ばす。バキバキと音が鳴り、下半身に血がめぐりだした。
「ちょっとまて、今ナメクジ呼ばわりしなかった?」
「はいこれ、全員分配って」
「うんわかった。質問には答えような?」
唐突な罵倒と華麗なスルー。この流れも、拓斗との会話ではよくある光景だった。そしてこの後、「そういえば〇〇で思い出したんだけどさ」という前振りから、全く無関係な話題に発展する、というのが、拓斗の会話のテンプレートだった。
そう、彼も弓道部2人組やレストア部面々と同じく、“理解できないタイプの変人”だった。なぜ自分の周りにはこんな類の人間しかいないのだろう、と時々絶望するくらいには、極めて普遍的な人生を送ってきた弘には理解できない類の人種だった。
「ナメクジで思い出したんだけどさ。」
「なんだ、謝る気になったか?」
案の定、既定の流れとなる。今回は何か。夏休み前、日焼け止めクリームからマウスパッドへ飛躍した以上のものがない限りは、驚きはしない。そうタカをくくっていたが、次の瞬間拓斗の投げたボールは、想像以上の変化球であった。
「裏門にある飛行機の噂、知ってる?」
翌日は、今年最後の授業日だった。
午前で授業が終了し、家が大好きな学生だったり、さっそくバイトや遊びの予定を入れた学生が早々に帰ったが、午後から部活がある面々はいつもと同じように教室なり学食なりで昼食をとっていた。かくいう弘もその一員ではあるが。
「おい聞け~ひろ~?」
右隣の席で弁当を食べている
「人のスマホを殴るなってお母さんに教わらなかったの!?」
「そんなことはどうでもいい。人の話を聞け!」
「普段人の話を聞かない口がよくほざきますね~!?」
いつも勝手に振舞って弘を振り回す美紀だが、今日は一段と荒れている。むしろ嵐どのままだ。
「昨日はどういうことだお前~。昨日に限らず、最近どういうことだお前?めちゃくちゃぼーっとしてるぞ」
「あ~。」
「美紀に心配されるって相当よ弘ちゃん?」
左隣の席で、弁当を食べながらスマホゲームをしていた、行儀の悪い
「練習のみならず授業でも、挙句の果てには昼休み中もぼーっとぼーっと!昨日に至っては完全に寝落ち!スリープ中のPCでももうちょっと働くぞ!」
美紀の例えはよく分からないが、言っていることは極めて正しい。しかし、弘はこの“思考停止状態”が、何を原因として起こっているのか、何をすれば解決するのか、何一つ分からなかった。なので、
「ん………悪い。」
という、気の悪い返事しかできなかった。
「なになに、どしたん。」
後ろから、第四の声がした。声の主は、弘の両肩をばしん、と叩く。口の中でからあげが暴れた。
「げほっ!」
むせたものを、お茶で流し込む。落ち着いたところで、反り返る姿勢で声──三宅拓斗をにらんだ。
「どした。眉間にしわが寄ってるぞ。」
「お前のせいだよ!」
「よ。三宅が放課後いるなんて珍しいな」
弘の抗議を軽くいなし、優が挨拶する。拓斗は軽く手をあげ、
「ちょっと約束あるんだよ。」
とだけ、手短に報告した。弘との会話は成立しないのに、なぜ弘以外とは普通にコミュニケーションをとるのか、心底納得がいかない。弘がそうやってふてくされている間にも、3人の会話は進んでいく。
「とりあえず、また面白そうなネタ見つけたから、弘に案内してもらうことになってる。」
「面白くない弘で、面白い話と言ったら、どうせあれでしょ、飛行機のことでしょ。」
「ま~弘ちゃんで面白い話といったら、アレしか出てこんよな。」
そう、今日このあと、弘は拓斗を“裏門のオンボロ飛行機”──、T-6G TEXAN《テキサン》へ案内することとなっていた。
「よかったじゃんね弘!」
美紀が、何の屈託もない笑顔で言う。
「…?なんのこと?」
なにがよかったのか、何一つわからなかった。
「で、いつまで待たせるの。」
拓斗が後ろから、弘を揺さぶってくる。
「わわわかったかららら!なにもわかんないけども!」
肩に置かれた手を払いのけ、残りの米をかきこむ。拓斗は早々に教室を出ていた。
「今日はちゃんと、練習するよ。」という、気の悪い言い残しをして、後を追いかけた。
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