第5話 1年目11月④

 月曜は授業が六限で終了し、部活の始まる16時半までは2時間ほどあったため、弘は図書館に足を運んだ。


 教室にいても弓道部二人組に麻雀でヤキトリにされるのが目に見えている。かといって早めに弓道場に行っても、監督役となる先輩が来るまでは弓を引くことができない。放課後のこの空虚な時間を有意義に過ごすための試行錯誤は、半年目に突入していた。


 技術書や自習机、ライトノベルで賑わうメインフロアの2階を通り過ぎ、薄暗い1階に降りる。


 図書館というよりも、立ち入り可能な収蔵庫といった趣きの1階は、50年分の卒業論文、講師陣の著書、論文集、専門書や高価な実験装置の取扱説明書などがアーカイブされているフロアであり、本当の意味でも収蔵庫と呼んで差し支えない。


 「えーと…“畿内工業高等専門学校史”…これか」


 第一巻から三巻ほどまで適当に抜き取り、二階に上がる。かろうじてインターネットができる程度の性能しかないパソコンコーナーのパソコンを起動し、学校史を広げる。


 「えーと…テキサン…だっけ」


 長い起動時間中に、裏門の飛行機──テキサンがなぜ、いつこの学校に来たのか、調べようとしていた。


 そもそも、あの飛行機には疑問が多くある。


 何故、航空関係の学科もないこの学校に飛行機があるのか、人目のつかない裏門に放置されているのか、いつからこの学校にあるのか──


 練習機であることは昨日聞いたが、それ以上詳しくは知らない。そもそも、弘は飛行機に関しては詳しくない。関わることになった以上、基礎的な情報は知っておきたかった。


 「…あった。てかちっさ…。」


 第一巻の目次と、開校2年目までが載っている中間程のページまでをペラペラと往復する。その範囲で見つからない時点でしんどくなっていたが、なんとなく開いた最初のページの最下段にひっそりとその項目はあった。しかも3行ほどと写真一枚のみしか項目が無い。どうりで目次にも項目が見当たらないわけだ。


 「“テキサンの管理替えに協力してくださった航空自衛隊員達との記念撮影”──。場所、裏門前──。」


 本文曰く、テキサンは“管理替え”──所有権の移動ではなく、いわば長期的なレンタルとして、開校と同時に高専にやってきた。写真の補足文から、当初より裏門の前に置かれていたらしい。50年前の白黒写真、そのコピーから、実験自然林は現在と変わらない様子であったものの、道路脇の木はまだ細々としていることが分かる。奥にはうっすらと校舎が写っていた。まだ綺麗なテキサンの横には、笑顔で写る作業着姿の若者が複数人。


 ──ガガッ。


 多少不穏な音を立てて、やっとパソコンが起動する。前世代のOSと読み込みの遅いHDD。先端技術を学ぶはずの学校にあるまじきパソコンだが、これは予算不足なのか、検索だけなら特別な性能は必要としないからか──。


 どっちにしろ、スマートフォンの通信量が月2GB契約の弘は、快適性と利便性を多少我慢してでも、無駄な通信量の消費は避けたかった。



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 T-6G TEXAN

 1935年に初飛行した、NA社制作のNA-16高等練習機を米陸軍航空隊がBC-1として採用。

 未だ木製部品が多用されていた当時において、ボディや翼のほとんどを金属化。同時期に開発された各国の練習機において唯一の低翼単葉複座機であり、シンプルかつ高性能、最先端の練習機として多くの国家で使用され、多数のバリエーションが制作される。

 T-6型は米空軍向けに改良されてきたBC-1の正統発展型であり、第二次世界大戦前後において多くのパイロットを教育した。

 戦後は次世代機の採用により退役し、当時の最新版であったF型の装備を最新化。日本をはじめ空軍が未熟な各国に輸出され、最終的な生産数は実に二万五千機を超える──。

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 航空機ファンのブログ、百科事典サイト、他あらゆる情報源で共通していた情報は、この程度であった。


 「こんなもんか…」


 おそらく、その手のファンの中でもマイナーな飛行機なのだろう。百科事典サイトの関連項目にリンクのあった他の航空機ページと比べると、情報量が少ないのは明らかだった。


 「しっかし、アメリカ製の飛行機とは言え、日本に来てからの話がほとんど無いな…学校史も頼りにならないし…」


 「そりゃお前、テキサンが来たのは開校前なんだから項目少ないのは当たり前じゃん。学校史なのに。それよりも初期の飛行研の活動が書いてある広報誌あたりを読む方がいいって。」


 「えっそうなんですかってうひぇっ!」


 図書館なんだから静かにしろよなー、と、弘の奇声よりも大きな声で注意される。声の主──水瀬風花が、弘の隣で回転椅子に正座し、くるくる周っていた。


「で、松ヶ崎──名字長いわ。弘君でいい?いいよね決定。というか面倒だし弘でいいよねはい決定。」


「突然の呼び捨て」


「で、弘はなんでこんなクソパソコンでうんこソースの情報見てるわけ?」


「あなたの語彙は小学生止まりですか…?」


 唐突に呼び捨てかと思いきや、あまりにも直球すぎる下ネタと、相変わらずのキャラの濃さにまた酔いそうになる。


このとき、弘の中でこの先輩は、節操ない発言や直前の椅子くるくる行為から、単にがさつな人のイメージで固まってしまった。


 「…まぁ、少なくとも飛行研の一員になってしまったからには、多少の事前知識は必要かなと思いまして」


 「うっひょー真面目かよウケるwwwウチの部室来たらそのへんの資料あるに決まってンに、なんでわざわざ図書館なのさwwwあでもちゃんとネットだけじゃなくて学校史も読んでるあたり無駄に情報収集力があってもうなにやってんのか分かんないなお前www」


 「自分の口でダフルダブルダブル言うの辞めません!?」


 自分で言ってて恥ずかしくないのか、というかそもそも言いにくくないのか、とにかく突っ込みどころが多すぎるので、


「それに今日部活あるんで飛行研行ってる暇はないです!それじゃ僕は部活行きますんで!」


 弘は無理やり切り上げようとした。しかし、


 「ちょちょちょちょーい待った!大切なこと忘れてるんだがー!」


 「いででででででで指!小指!小指だけひっぱらないで!痛い!」


 風花は椅子から乗り出した上半身全体を使い、容赦なく小指を引っ張る。


 「あの」


 唐突にかけられた、少し険しめの女性の声のほうには、


 「他の利用者に迷惑なので外でやってください」


 顔をひきつらせた司書さんがいた。



 「まだ入学半年もたってないのに要注意人物指定された…」


 「まあ落ち着け弘君、君にはまだ時間がある。」


 「なんで悪気なさそうなんだよ!あんたもだよ!当事者だよ!」


 「私はすでに要注意人物だ」


 「誇らしそうな顔するな!」


 図書館からつまみだされ、割と本気で落ち込んでいる弘をよそに、当の要注意人物はヘラヘラと笑っていた。


 「…ところで、大切なことってなんですか」


 「そーんな、いかにも今すぐ逃げ出して部活行きたそうな姿勢と顔しなくてもいいじゃん」


 「だって部活行きたいんですもん!」


 「飛行研はもう無いぞ」


 一瞬の沈黙。「行きたいんですもん!」の迫真の表情のまま硬直する弘、真顔の風花。


 一瞬のうちに弘は考える。考えて


 「…は?」


 「にゃだから、飛行研はもう無い。」


 このガサツ会長が何を言っているのか、弘には理解できなかった。

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