第23話 1年目12月⑭
「…どちら様?」
弘の後ろには、金髪ショートヘアかつ碧眼の、どう考えたってこの国のお方ではない(おそらく小学校高学年~中学生程度の)女の子が立っていた。
「…。」
何も答えない。警戒されているのか。日本語を話していたので、言葉は分かるはずだ。というか、そう思いたい。1年生は全員受けさせられるTOEICで400点をたたき出した男、弘だ。高専なんかに行かずまっとうな新学校に入学した友人たちは、500点以上が普通だというのに。英語で話しかけるなんてできない。
というかそもそも、こんな地方の国立高専、いや、もっと言えば地方都市のベッドタウン程度である街に欧米系の外国人が居るわけがない。ちょっと自分で考えてて悲しくなってきた。
「あなたには、夢がある?」
それはあまりにも唐突だった。
さっきまで弘の脳内を支配していた俗的な思考は一瞬にして吹き飛ばされ、目と、耳で感じた情報が何のフィルターもかけられずに、鮮明に、弘の脳みそを毎秒焼き付ける。
彼女は悲しそうな眼をしていた。しかし、瞼は下がっていない。真っ直ぐ弘を見つめている。
弘は、この目を知っている。
「…おれ、いや、僕の話じゃないけど、その飛行機を、もう一度飛ばしたいって夢を持った、人がいて…。」
彼女の目が大きく開かれた気がした。そして瞼が少し降りた。そして今になって、ようやく、さっきの自分の回答が、あまりにも弱弱しい声で発せられたことに気が付いた。
彼女は弘に音もなく歩いてくる。弘は何も言うことができない。体を動かすこともできない。彼女の一挙手一投足、それに対する自分の反応、それらすべてが弘にとって衝撃的であり、動くことなんてとてもできない。
彼女は一枚の紙を手渡してきた。その紙を受け取った手すらも、弘の意思ではなく、目の前の女の子が動かしたかのような錯覚に陥る。ああ、まるで魔女──
いやまて、魔女って言葉は欧米ではNGなんじゃないか─?
また彼女に対して後悔したくない、そう思って顔を見上げる。しかしそこに彼女はいなかった。
思わず立ち上がる。立ち上がってしばらくして、体が動くことに気が付いた。
───────────────
「おー弘、どうした突然電話なんて。ひょっとして風花ちゃんの声が聞きたくなっちゃ──」
「部長!今すぐ学校に来てください!」
普段からどれだけメッセージを送ろうと、既読無視あるいは「そうなんすか」「そっすね」「すごい」しか返答してこない弘から電話がかかってきただけで何事かと思っていた風花だが、息を切らした彼の声と、スマートフォンのマイクに入る冬の風切音が、ただ事ではないことをこれほどまでに風花に警報していた。
「どうした。結果だけを言いな。」
「テキサンが撤去されます!」
走りださずにはいられなかった。
───────────────
実際のところなんで走っているのかわからなかった。
テキサンに貼られていて、さっきの少女が剥がし弘に渡された紙には、「【警告】新校舎建設に関する地盤調査実施のため、本設備は撤去予定です。」と書かれていた。実際にはもう少し文言が続くが、施錠だとか使用許可とか書いてあるので、おそらく定型文を使いまわしたやっつけ仕事だろうと思われた。まったく同じ紙がレストア部部室のプレハブのみならず、実験自然林を挟んで校舎側に位置するテニスコートの一部にも貼られていた。
記述や管轄的に、総務課へ行き事実を確認するだとか、事前の連絡がないとかで抗議するとか、やることは思いつく。だが、弘には走る理由がなかった。
彼女の眼は、風花の目まさしくそのものだった。
風花の鋭く野心的な目と対照的に、大きく丸い目をしていた。それでも、本質的には同じ。弘の知らない、弘を知っているかのような言葉で、たった一言で弘の度肝を抜いた。そのギャップと、自分の奥底を見透かしたようなあの目が脳に強烈に残り、消えない。
彼女たちは──あの目をする人間は、目の前にいる松ヶ崎弘と会話しているのではない。彼の本質を見ようとして言葉を投げかけてくることに弘は気づいていた。既に気づいていた。
その上で、弘は自分の話ではなく、同じ目をしている水瀬風花の話をしてしまった。
連想したから。恐怖したから。これから自分の本質を見抜かれることに恐怖したから。夢を持たない自分を知られたくないと思ったから。その結果取った逃げの行動は、これ以上ないほどに弘の本質を表してしまっていて、本質を見抜ける眼が、その強烈さ故にそらしかけてしまうほどだったから。
だから、弘には走る理由がなかった。風花の夢に照らされて、輝く夢を眺めているうちは、濃くなった自分の影を見ることができない。
いつからか弘は歩いていた。足を止め、風花に「自分は午後も弓道部があるので、お願いします」とだけメッセージを送り、残り30分を残した昼休みを、弓道場で過ごすことにした。
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