第59話 らしさ

 高校に進学してからの近況を報告しあってから、また来週、会おうってことになって涼と一ノ瀬の二人とはそこで別れた。


「……君も素直に喜んだら?」


 どこからか現れた鳴瀬さんが後ろ手に僕の背中を叩く。

 一ノ瀬の話によれば、突然やって来た鳴瀬さんに大まかな事情を聞かされて、拉致同然にここまで連れてこられたのだという。涼にしても、彼女をここへ呼び出したのは鳴瀬さんだ。

 鳴瀬さんは、彼女が持つ謎の情報ルートを駆使して、涼と一ノ瀬を見つけて、ここに連れてきてくれたらしい。僕と涼と一ノ瀬の三人で直接会って話をしてもらうために、結構強引に動いてくれたみたいだ。さすが、うちのクラスの学級委員は凄い。


「感謝、してるよ。ホントにさ。鳴瀬さんのおかげで、僕はまた好きな物語の続きを楽しみに待っていられるんだから」


「まったく、ウチが学級委員だったから良かったようなものの……。一ノ瀬さん、だっけ。あの子連れてくるの大変だったんだから」


 鳴瀬さんがいなかったら今日のこの再会は起こり得なかった。彼女には本当に感謝してもしきれない。だけど、同時に思うのだ。


「どうして鳴瀬さんは、僕にここまでしてくれるの?」


 鳴瀬さんは一瞬目をぱちくりとさせると、何でもないような顔で空に浮かぶ雲の彼方を見つめる。


「学級委員だからね……って誤魔化しても、しょうがないか。実を言うとね……ウチ、高野くんのファンなんだ。ずっと前から」


 彼女はそう言うけれど、ずっと前から、と言われても、入学式をしたのだってつい、一か月ちょっと前だ。それより前に僕らに面識はなかったはずだ。出身中学だって違うし。


「ウチさ、中学の頃、図書館でやってたビブリオバトルで高野くんの発表を見たことがあって」


 図書館のビブリオバトル……涼と一緒に何度か参加したことがあったけど……。どんな人が見ていたかなんて、鳴瀬さんには悪いけどほとんど覚えてない。とにかく、思ったよりもたくさんの人がビブリオバトルを見学していて、緊張しきっていた記憶しかない。


「あの時、好きな気持ちを正直に口にできる君を見て、すごいなぁって思ったのと同時に、なんだか救われるような気がしたんだ。高野君、自分が発表した本覚えてないでしょ?」


「うぇ!? その……ごめん、覚えてない」


 正直に言うと「それが普通かも」と言って、鳴瀬さんはほんの少しだけ寂しそうに笑った。空は茜色に染まりつつあって、雲間から差す光が彼女の横顔を夕日の色に染め上げる。


「ウチさ、昔からオカルト大好きだったんだ。でも、周りに同じ趣味の人はいなくて、第三宇宙の話とか、黒魔術の儀式とか、自分では心躍る話でも、周りの皆はちょっとひいちゃってた。面と向かって、何か言ってくるわけじゃないけどさ、わかるじゃん、そういうのって」


 初めての部室でしたビブリオバトルでも、突然、鳴瀬さんが深すぎるオカルト知識を披露した時も思わず唖然としてしまったっけ。オカルティズムの何が彼女をそこまで惹きつけるのかはわからないけれど、一つのことにそこまで情熱を傾けられるってすごいと思う。

 系統は違うだろうけど、かつて小説の執筆に心血を注いでいた涼にも通ずるものがあるように思えた。

 だけど、時として、深すぎる知識や強すぎる情熱は、他人に畏れを抱かせる。良いとか悪いとかそういう善悪は関係なしに、なんとなく心の距離を取ってしまう。

 それが幽霊とか、宇宙人とか、未来人とか、そういった非科学的なものについてなら、なおさらかもしれない。

 過去の自分に思いをはせる鳴瀬さんの横顔は、見ていてとても寂しそうだった。


「だから、ウチも学校ではそういう話をしないようにしてた。本当は読書の時間にオカルトの本を読んでいたいし、友達と異世界について語り合いたかったけど、そういう自分を心に蓋をして閉じ込めてた」


 そんな風に語る鳴瀬さんは、いつも自由奔放で、暴力的なまでに強引に僕らを引っ掛けまわす最強の学級委員の印象とは違って映った。


「でもね、あの時……偶然、図書館で君のビブリオバトルを見た時、頭をハンマーで殴られたみたい、なんて比喩がよくあるけどさ、ホントにそんな風に感じたんだよ」


 鳴瀬さんは僕を見て、にこりと微笑む。その笑顔に思わず胸がドキッとした。


「あの時、君は他の発表者が恋愛小説とか、冒険小説を発表する中、一人だけリアルテイストの心霊小説を発表してたの」


 そこから鳴瀬さんの話すスピードが堰を切ったように加速する。瞳は煌めいていて、自分が大好きなオカルトについて話す、いつもの彼女のきれいな瞳だった。


「人前で堂々とホラー小説について話す君を見ていて、学校でずっとオカルトを我慢していた自分がちっぽけに思えて。なんか、ふっきれちゃった」


 ふふっ、と笑って彼女は照れくさそうにつぶやいた。



「だからさ。そういう意味では、君はウチのヒーローなんだ」



 扉が不意にぶわっと開いた気がした。

 自分が本を紹介したせいで、大事な友達を深く傷つけてしまった。今では原因は他にあったと知ったけど、ずっと僕は自分が好きな本を人に紹介する、ビブリオバトルに対して言外の罪悪感を抱いていた。僕が『林檎の樹の下で』を紹介したせいで、作者の涼も、読者の一ノ瀬も……そして僕も、みんな不幸にしてしまったと思っていたから。


 誰かに言われたわけではないのに、僕はいつしか他人に本の話題を振らなくなった。オススメ本を語るなんて、許されなかった。


 ――誰に? 自分だ。ほかならぬ僕自身が自分のことを許さなかった。


 今日、この時まで。ずっと。僕は自分で自分を縛り付けていた。怖かったんだ。僕が不用意に口走ることで、また誰かを傷つけてしまうんじゃないかって。


 鳴瀬さんは僕のことをヒーローって言った。


 ヒーローと呼ばれたことなんて、今までなかった。僕の発表がきっかけで、オカルト好きな自分のことを受け入れることができたと鳴瀬さんは言う。ビブリオバトルでの自分の発表が、誰かに勇気を与えることができるなんて、これまでずっと――考えもしなかった。


 一ノ瀬の話を聞いた時からずっと堪えていた気持ちが、どっと押し寄せる。心の根っこに燻っていた罪悪感の灯は蝋燭の火を吹き消すように消えた。カップの中で氷が解けるように、暖かな何かが心を満たしていく。視界がぼやけて、目頭が熱かった。


「ま、そんなこともあって、ウチとしては、自分の気持ちを我慢している君を放っておけなかったのよ。高野君が昔のことを話してくれた時さ、ウチ、嬉しかったんだ。ようやく恩を返せるな、って」


 にししっと口調は悪戯っぽい鳴瀬さんの姿は普段の数倍増しで凛々しく見えて、ヘタレな僕は涙で潤んだ顔を見られまいと、逃げるように視線を移した。照れとか尊敬とか感謝とか、そういういくつもの感情が綯い交ぜになって、とてもじゃないけど彼女を直視できなかった。

 そんな僕の心中を知ってか、鳴瀬さんはからかうような口調にほんの僅かに真剣味を乗せてつぶやいた。


「あのさ高野くん。実はウチ――」


「うおおおおおおお~っ! やっと見つけた~っ!!」


 そんな折、突如、騒々しい喚き声と共に鼻息荒くやって来たのは僕の親友にして、他人のふりをしたい男ランキング一位のオタキングこと、久方和也である。


「はぁはぁ……ラブコメの匂いを感じた方向に走り続けて、ここに辿り着いたわけだが……なんだ委員長? なぜそんな殺人鬼のような目で俺を睨む? 生きた心地がしないからやめてほしいんだが。ねぇ、高野くん、なんか知ってる?」


「……オタキング、お前、やっぱすげえわ」


 言葉にしにくい色んなものをぶち壊したオタキングに対して、悪鬼羅刹と化した鳴瀬さんが地獄のような威圧感を増している状況で、マイペースな明るい声が聞こえてくる。


「やっと見つけた~っ! おぅ~い! 悟く~ん! 麻衣ちゃーん! 和也くーん!」


 白石先輩が走ってやってくる。鶴松先輩も一緒だ。

 僕らを見つけて必死に走って来たらしい白石先輩は、普段の運動不足もあって息も絶え絶えの様子だ。一方、鶴松先輩はケロリと涼しい顔している。


「はぁはぁ……もう三人とも、あちこち探したんだからね~っ!」


「バカ言え。俺は最初からこの辺りだろって見当つけてたのに、お前が俺の進言を無視して勝手にあっちこっち駆け回っただけだろ。それより……なんだ鳴瀬、お前、顔が真っ赤だぞ? 高野に告白でもされたか?」


「違うっすよ鶴松先輩。委員長は今まさに、俺を理由もなく殺しにかかってるところで……ぐふっ」


 漫画とかでよく見るけど、実際にこの目で見るとは。鳴瀬さんは忍者さながらに、久方の首筋に軽く手刀を浴びせて気絶させた。白目で横たわる久方を見て、何食わぬ顔をして言う。


「ち、違いますっ! ウチはその……そう! 今度出る、新しい黒魔術の本について高野くんと話そうと思ってたんですけど、急に久方くんが……久方くんがウチの純情を弄んで」


 理解力の高い鶴松先輩はこの状況を見て、全てを察したらしい。若干、ひきつった顔をしつつ、「あー……まあいいや、そういうことで」とつぶやいた。この件に深入りすることは危険だと判断したらしい。


「そういえば雨宮先輩はどうしたんですか?」


「あーあいつなら用が済んだから帰ったぞ。とりあえず、文芸部の廃部については保留だそうだ」


「保留……まだ廃部になるかもしれないんですね……」


「あいつ、諦めわりぃとこあるからな。小さい男だぜまったく」


 とりあえず今すぐ廃部になるってことは無さそうだけど、生徒会的には文芸部が部費を食いつぶすだけの不要な部ってイメージは変わってないらしい。実際、今日のビブリオバトルだって、校長先生の言葉があるとはいえ、執行部の全員に理解してもらうまではまだ時間がかかるだろう。


 やがて白石先輩がみんなをぐるりと見回してから、腰に手を当てて言った。


「さて、と。それじゃみんな帰るわよ!」


 声高に言った白石先輩だが、鶴松先輩が一人、浮かない顔をしている。


「…………お前、こいつらに何か話あるって言ってなかったか?」


「ん? せっかくだし、みんなで一緒に帰ろうと思って」


「まさか……そのためだけに俺を校舎中引き連れまわしたのか?」


 震えながらつぶやく鶴松先輩に対して、白石先輩はケロリとして「そうよ」とつぶやいた。いつでもマイペースなその姿勢は部長らしいといえば、らしいんだけど。


「ま……にしても、やっぱりお前を誘ったのは正解だったな」


「何言ってんの。彼が文芸部入ったのは私のおかげなんだからね! そうよね、悟くん?」


 吸い込まれそうな瞳でじっと見つめる白石先輩にたじろぎながら僕は言う。


「そ……そんな目で見ないでくださいよ白石先輩。別に、どっちでもいいじゃないですか。鶴松先輩と白石先輩が共謀して嵌めたってこと忘れてないですからね!」


 すると、いつの間にか復活した久方がどこかぼんやりした表情でつぶやいた。


「俺を入部させたのは高野くんだもんな。今では感謝してるよ。ビブリオバトルくらい堂々とオタ知識ひけらかせる場所、そうそうないしな」


 その意見には鳴瀬さんも同意見みたいだけど、素直に認めるのは癪なようで、


「まあ確かに、ね。ウチがビブリオバトルに興味持ったのだって、高野くんがきっかけみたいなとこあるし……」


 素直にそんな風に言われると、なんだか気恥ずかしくなってくる。


「……まぁ僕がまたビブリオバトルやろうって思えたのは、文芸部の皆のおかげですから。なんていうか……これからもよろしくお願いしますね」


 ぺこりと頭を下げたとたん、鶴松先輩が笑いながら軽く肩パンし、白石先輩が子供にするように髪をわしゃわしゃと撫でてきた。鳴瀬さんも先輩たちと一緒になって背中をぱしぱし叩いてくる。普段はこういうノリが好きじゃないけど、今日は不思議と悪い気はしなくって、いつしか僕も皆と一緒に肩を寄せ合って笑いあっていた。

 そんな時、パシャパシャというシャッター音が記者会見みたいな速度で連写音がした。

 僕らの輪から少し外れたところで、オタキングこと、久方がニヤニヤした顔でスマホを構えていた。


「いやぁ良い雰囲気だから、記念にと思って、つい。あれ……なんか皆怒ってます……?」


 久方のこの発言に対して、僕を含む文芸部の四人の意見は一致していた。

 いち早く動いた鳴瀬さんが久方の襟を引っ掴んで言う。


「もーっ! 何一人で勝手に写真撮ってるのよ!」


 全くもって、彼女の言う通りである。僕も鳴瀬さんに続けて言う。


「ったく、君は何もわかってないなオタキング。少しは空気を読め」


「高野くんまで、何だって言うんだよぉ……」


 いつもクールぶってる鶴松先輩も、小さなため息をついて呆れのポーズである。

 そうしていると、白石先輩がほっぺを膨らして久方を指さした。


「和也くん! 記念写真撮るなら、五人で撮らないと意味ないでしょ!」


「えぇ……そういうことですか?」


「そうよ! 文芸部初の記念写真なんだから!」


 白石先輩はポケットからスマホを取り出して、カメラを起動し、セルフタイマーモードにして、近くにあったベンチに器用に立てかけた。


「ほら、みんな寄って寄って! 十秒でセットしたから!」


「クソメガネはホントこういうの好きだよな」


「あんたはデカいから端っこよ、ゲスノッポ!」


「なぁ高野くん、俺、あんま集合写真撮ったことないけど、どういう顔すればいい? ていうか俺の立ち位置ここで合ってる?」


「バカやろう! センターは部長の白石先輩だろ!」


「いや別に私は真ん中じゃなくても大丈夫だよ」


「もう皆、騒いでないでちゃんとシャッター見てください。あっ――」


 その時、パシャというシャッターの音がした。

 僕が高校に入ってから初めて撮った記念写真は……カメラを見てそれぞれが勝手にくっちゃべっているという、実に文芸部らしい写真になった。



   ◇ ◇ ◇



 青葉高校の西校舎。旧校舎と呼ばれることもある古い建物で、ホラー小説の舞台になりそうな雰囲気が漂っている。そんな西校舎の廊下を歩いていくと、ある教室からこの場に似つかわしくないような賑やかな声が漏れ聞こえてくる。時折、チーン! と良く響く鐘の音も話し声に交じって西校舎に鳴り響く。


 文芸部と書かれたドアを開けると、そこではいつも真剣勝負が行われているのだ。

 ビブリオバトル――自分の好きな本について互いに語り合い、闘い、競うゲーム。

 あなたは本が好きですか? もしそうなら、青葉高校文芸部の部室を訪ねてみるといい。


 ある者は己の愛する作品を部員たちに広げるために。ある者は文学の奥深さを後輩に伝えるために。ある者は部長に小説以外の本を読んでもらうために。ある者はこの世をオカルトで支配するために。ある者は自分らしくあるために。

 部員たちは放課後になるといつもこの部室に集い、今日もまた、自分たちの本に対する愛を熱弁し、競いあっている。




 扉を開ければそこには本を愛する者たちの世界が広がっている。

 あなたも本が好きなら、とっておきの一冊を手に踏み出してみない?

 原稿なんていらない。本が好きっていう気持ちを自分の言葉で素直に伝えるだけでいい。



 本への想いを言葉にのせて――さぁ、ビブリオバトルをはじめよう!



 ――END

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