第57話 一歩
他にやること……? そう言われてもぱっと思い浮かばないけど……。
「なぁ、オタキング何か聞いてる?」と久方に尋ねると、彼もまた鳴瀬さん同様に呆れた顔で僕を見つめる。
「とぼけるのもいい加減にしなさいよね、高野くん」
「ああ。委員長の言う通りだ。正直、鈍感系主人公ってやりつくされてるネタだから、今更流行んないぞ」
「二人とも何を言ってるの?」
「まったく……。尊敬する白石先輩の言葉を借りるなら――高野くん。君はセリヌンティウスに会いに行くべきじゃないのか?」
「……は?」
「ま、君が鈍いのは元からわかってたことだし、今更驚きはしないわ。ウチの方で手筈は整えておいたから、高野くんはここで少し待ってて」
「え? あ、ちょっと待ってよ二人とも!」
そう言うと鳴瀬さんは久方の奴を連れてさっさと行ってしまった。
そんな時、かさっという葉擦れの音がした。
「悟……?」
校舎の裏手に現れたのは涼だった。彼女にしても、この場所に僕がいることが意外だったらしく、目をぱちくりとさせていた。
「こんなとこで、何してるの……?」
それはお前の方だろ――と言いかけて僕は口をつぐんだ。
危ない危ない、慌てて妙なことを口走るとこだった。校舎の裏手への呼び出しって言ったら、ラブコメ漫画によくあるシーンじゃないか。ベタな展開だけど、ラブレターとかで校舎裏に呼び出されて愛の告白をされるのだ。見た感じ涼も誰かに呼び出されてやって来たみたいだし、一応というか……なんというか美人の類だし、ロマンティックな告白を受けても不思議ではない。いや、きっとそうだろう。とすれば僕はこの場所において完全に邪魔ものだな。ここは空気を読んでさっさと退散しよう。
「悟、なんか変なこと考えてるでしょ」
「は、はぁっ!? 別に僕は空気を読んで……」
「それ絶対何か勘違いしてるから! いつも自分の思い付きで暴走してる時の顔してるもん」
「なんで涼にそんなことわかるんだよ」
「当たり前でしょ。何年幼馴染やってると思ってるのよ」
そう言うと、自分で自分の台詞が恥ずかしくなってしまったのか、涼は頬をほんのり朱に染めてそっぽを向いてしまった。そんな反応をされると僕としてもなんか恥ずかしくなってくる。冷えた頭で考えなおしてみれば、涼の通う白城野学園は女子高だし、ラブコメみたいな告白シチュエーションはそうそう起こらないはずだ。……たぶん。
それから涼がここに来たわけをぽつぽつと説明してくれた。
どうやら涼も僕と同様、鳴瀬さんに校舎裏に行くように言われていたらしい。
「会わないといけない人がいるから……って言われたから来たんだけど……」
「んな、じとーっとした目で僕を見るなよ」
まあでも……鳴瀬さんのやろうとしてることは僕にもわかっている。落ち着いてよく考えれば、彼女が無意味なことをするはずもないのだ。
知り合ってからそんなに付き合いが長いわけではないけど、僕には彼女が末恐ろしく思えてしまうことがこれまで何度もあった。学級委員というと、クラス内の人間関係とかその手の情報に強い人が多いイメージがあるけれど、彼女の場合は常軌を逸している。オタキングがどれだけ彼女に見つからないようにこそこそゲームをしようとしても、必ず見つかって、機嫌が悪いと先生に密告され、没収の憂き目に合う様を何度も見てきた。
そればかりか本当にどこから仕入れたのかわからない情報をいくつも持っていて、そういう点では鶴松先輩と似ているけれど、鳴瀬さんには底知れない一面があるのだ。
そんな彼女の企みである。
単純に僕と涼を引き合わせるためだけに、こんな面倒なことをするなんて考えにくい。
何か、僕が知る由もないデカいタネがあるはずなのだ。
涼の方はと言えば、意図的に僕から視線を外して、物憂げな面持ちで校舎の壁を何ともなしに見つめていた。鳴瀬さんに言われてここに呼び出されたって言ってたけど……それってやっぱり、そういうことなんだろうか。
……きっとそうだ。中学の頃の僕らの諍いを知って、彼女なりになんとかしようと思った。だって鳴瀬さんは、そういう人だから。正直おせっかいだとは思う。だけど、そう思っている胸の内に、涼ともう一度向き合う機会を作ってくれた彼女に感謝している自分もいた。
忘れようと頭の奥に封じ込めようとしてきた過去と、今更向き合うのはひどく億劫だ。
あれから時が経って、僕も涼も以前よりは落ち着いた間柄になれたと思うけれど、それはあくまで表面上に過ぎない。何でも本音で語り合えたあの頃とは違って、お互いなんとなしに取り繕った話し方をするようになった。
まるでヒビが入ったままで、触れようによっては一瞬で砕けてしまうガラスだ。触れなければ壊れることはない……そんな、微妙な関係。
「あのさ」
ふいに涼がぽつりとつぶやいた。
「私、正直今日びっくりしたんだ。また悟のビブリオバトルを見るなんて思ってなかったし……あんたがあのノート持ってるのも知らなかったし」
端の方が擦り切れてボロボロになった小豆色のキャンバスノート。あの日、涼が公園のごみ箱に投げ捨てたそのノートを僕は拾わずにはいられなかった。何度か返そうとしたけど、言外に避けられている気がして渡すきっかけが掴めずに、今までずっと持っていた。
僕は鞄にしまっていたノートを取り出し、涼に差し出した。
「……やっと返せた」
彼女は僕からノートを受け取ると、未だ出店の賑わっているグラウンドの方に視線を移してぽつりとつぶやいた。
「ホントはね……あの時のことずっと謝ろうと思ってたんだ。でも、言い出せなくて……悟は何も悪くないってわかってたのに……。今更謝って済むことじゃないけど、本当にごめんなさい」
そう言って頭を下げた涼の姿を僕はただ黙ってじっと見ていた。
僕にも彼女の気持ちがわかったから。頭ではわかっていてもいざという時に踏ん切りがつかなくて、互いの間にできた小さな気まずさは日を追うごとに少しずつ大きくなっていく。こじれた気持ちから、心にもない行動をとってしまう。
ただ一言、互いに正直な気持ちを言えればよかっただけなのに、結局、僕らは今日までずっと、この取り繕ったようなこじれた関係を続けてきた。
今、ようやくその関係が少しだけ変わろうとしている。ただノートを返しただけ。
涼が以前のようにまた小説を書くようになったわけではない。だけど僕らは確実に大きな一歩を踏み出した。それだけは確かなことなんだ。
「うん」と、小さく一言だけつぶやいた。
そんな時である。
校舎の方から騒々しい声が聞こえてきた。
「ちょっと! しっかり自分で歩きなさいよっ!」
「や……ちょ、急だってば!」
「あんた自分で会って話したいって言ったじゃない!」
「そ、そりゃ言ったけど、まさか今日いきなりなんて思わないでしょ!?」
押し問答のようなやり取りをしながら現れたのは鳴瀬さんだ。
肩袖を引っ張って無理矢理に見知らぬ女子生徒を引きずってきた彼女に僕は絶句する。
だが、そんなことお構いなしに鳴瀬さんは一方的に話し始めた。
「あ、高野くん。どうやらそっちの話は片付いたようね。君が宮野さんとまともに仲直りできるのかは賭けだったけど、なんとかなったようで良かったわ」
素っ気なさげに言うと、僕らの前でようやく女子生徒を手放した。急に力が抜けたもんだから、かわいそうに……女子生徒は鼻から地面にぶつかった。
鳴瀬さんは鼻を押さえて蹲っている女子に一瞥をくれると、ぞんざいに一言つぶやく。
「わざわざ連れてきたんだから、あとは自分でやんなさいよ」
それだけ言い捨てて、僕に何やら訳ありっぽい目配せをしてから、さっさと行ってしまった。相変わらず強引かつ無茶な委員長である。このカオスな状況に僕の脳は追いついていない。
鳴瀬さんが連れてきたこの女子生徒は……誰なんだ? 見たところ、着ている制服からして白城野学園の生徒のようだけど……涼の知り合いだろうか?
誰も何も言わないまま気まずい時間が過ぎていく。
堪え切れなくなって、僕は身内の無茶を詫びようと口を開いた。
「その……ウチの委員長が迷惑かけたみたいで、ごめんなさい。あれでも根はいい人だから許してくれるといいな……なんて」
生来のコミュ障が炸裂して、場の雰囲気がより一層気まずくなってしまった気がする。
「……らしくない話し方だな。どうやら本気で覚えてないらしい。いい加減、部活のさぼりは卒業したようだけどな、高野」
いやに聞き覚えのある声だった。目の前の少女が記憶の中のあいつの姿とあまりにかけ離れていたから気がつかなかった。でも、声を聴いた瞬間、どうして今まで思い出せなかったのかが不思議なほど鮮明に彼女のことを思い出した。こんな風に尊大で人を食ったようにからかい交じりに話す女子で思い当たるのは一人だけだ。
「お前……もしかして一ノ瀬か?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます