第52話 決意

 よりにもよってなんで、涼が現れるんだ!?

 これまでのいきさつを涼に説明しなきゃならないと思うと、すでに頭が重い。混迷しきったこの状況は僕の説明スキルには荷が重すぎる。

 涼は受付係の席に座る僕を一度見て、考えを整理するように視線を外してからもう一度見て、やっぱりわけがわからなくて困った顔をしていた。


「あの……悟、だよね? 何してるの……?」


「信じられないかもしれないけど、受付係を押し付けられたんだ」


「押し付け……? 谷川さんはそんな無責任なことする人じゃないと思ったけど……」


「谷川さんって、もともと受付にいた人だよね。……違うんだ。こんな無茶な押し付けをしたのは彼女じゃない。僕の連れの学級委員長だよ」


「…………。ごめん、悟。全く意味が分からない」


 僕は鳴瀬さんが谷川さんを誘拐した一連の経緯をできる限り懇切丁寧に涼に伝えた。

 鳴瀬さんの突拍子もない行動の一端を涼は理解してくれたらしく、同情の苦笑いを僕に向けた。


「……そっか。なんかよくわからないけど、悟も大変だね」


「そうなんだ。僕の周りって、癖のある人ばっかりでさ。毎日大変だよ」


「ふふっ。でも、なんか楽しそう」


「そうか? 気のせいだよ多分」



 ――お前はどうなんだ? 新しい学校で楽しくやれてる?



 聞こうとした言葉が喉のところで引っ込んだ。ちくりと湧いた気まずさを払拭するため、無理矢理に話題を変える。


「でも、ま……涼が来てくれて助かったよ。そういえば、文芸部って言ってたもんな。受付って何すればいいんだ? 何も言われないまま取り残されちゃって、全然分からなくて困ってたとこなんだよ」


 そう言うと、涼は堪えきれなくなったようにくすりと笑みをこぼした。


「ふふっ、ごめんごめん。あんたって、前から変わんないなぁって」


「は? 何がだよ?」


「そーゆー変に真面目なとこ。勝手に押し付けられた仕事なんて、適当でいいや、ってなっちゃいがちなのに」


「……不器用なだけだよ」


「ふーん……。あ、受付だけど、もともと交代で私が来る予定だったんだ。クラスの出し物の方でちょっと時間かかっちゃって遅れちゃったけど。だから悟はもう大丈夫だよ。……そうだ、ちょっと待ってて」


 涼はそう言うと、やって来た階段の方へと走っていった。

 まさか……また受付係を押し付けられた? いや、まさかねぇ……。


 だが、僕の心配は杞憂だった。


 それから五分もしないうちに涼は戻って来た。よっぽど急いで走ったからはぁはぁ息が上がっていて、両手にカレーパンを一つずつ持っていた。


「ごめん、待った? はい、これ悟のぶん」


「……カレーパン?」


「うん。カレーパン、大好きだったでしょ? 私からのささやかなお礼。部員じゃないのに手伝ってもらったもん。私のクラスで作ってるんだけど、揚げたてだから美味しいよ」


 涼からもらったカレーパンを一口かじる。ちょうど空き始めた頃のお腹にささる絶妙な味だ。外側はカリカリしているのに、中のカレーはとろっとしてコクがあり熱いくらいだ。まさに出来立てのうまさ、というやつだろう。

 でも、それだけじゃない。涼が僕の好物を覚えてくれていたことがなんだかたまらなく嬉しくて、夢中でカレーパンを頬張った。


「ご馳走様。すげーうまかったよ。ありがとう」


「どういたしまして」


 涼はカレーパンを齧りながら僕を見つめて視線を外し、やがて、決心したようにつぶやいた。


「そういえば、眼鏡、外したんだね」


 文芸部の皆に言われてから、僕は伊達眼鏡をかけるのをやめた。高校に入ってからかけるようになってそんなに日がたったわけではないのに、いざ外してしまうと鼻の上がなんだか物寂しく感じる。


「うん。眼鏡しない方が自分らしいな、って思って」


「……そっか」



 それからお互いに何も言わないまま時間が過ぎた。時計がないから実際のどれくらいたったのかわからないけど、なんだか随分長い時間、僕も涼も黙ったままこともなげに窓の向こうをぼんやり見つめていた。

 そのうちに、カレーパンを食べ終わった涼が僕を見て、言いにくそうに口を開いた。


「……悟は、なんでうちの創立祭に来たの? あんましイベントとか好きじゃなかったよね?」


 僕はあまりイベント事に積極的に足を運ぶタイプではない。そんな僕を知っている彼女からすれば、わざわざ創立祭に来ている僕が不思議に思えたんだろう。



「――ごめん」



 緊張のせいか、口がどもってしまって上手く伝わらない。涼も聞き取れなかったようで、気まずい顔をしている。


 言わなきゃ。ビブリオバトルをしに来たんだ、って涼に言わないと。

 だけど、それで彼女が傷ついたら? 頭の隅にふっと浮かんだ不安がむくぬくと増大して、口に出そうとした言葉は喉に縫い付けられたように出てこない。


 あの頃――中学の頃、涼が小説を書かなくなった原因の一端は僕にある。僕がクラスで涼の小説を紹介したりしたから、彼女が目を付けられるようになってしまった。涼の小説を利用して彼女を陥れた奴らのことは到底許せないが、あいつらがそうする土壌を作ったのは僕だ。僕がクラスで涼の小説を薦めなければ、ビブリオバトルなんかやらなければ、今もあの時と変わらずにいれたかもしれない。


 あの時、涼が小説を書いたノートを公園のごみ箱に捨てたとき、もうビブリオバトルなんてやらない。人に本を薦めるなんてまっぴらだと思った。なのに……。


 僕は今日、ここにビブリオバトルをするために来ている。


 文芸部の廃部を回避するため、というのももちろんだ。でも、自分が好きな物語を他の人にも知ってほしい。一番にあるのはそんな心の底から湧き出た純粋な気持ちだ。

 自分勝手だとは思う。エゴなのかもしれない。でも、好きな物語を他の人にも教えたいっていう気持ちは紛れもなく自分の本心だ。

 その結果、また涼を傷つけることになったとしたら、僕はどうすればいいんだろう。

 喉に縫い付けられた言葉がだんだんと萎んでいく。くさくさした気持ちになってきて自分で自分が嫌になってくる。



 そんな時、廊下の端から声が聞こえてきた。



「あ、いた! もう、まだ受付やってたの?」


 あきれた口調でつぶやいたのは鳴瀬さんだ。その隣にはなんだかやつれた顔をした久方もいる。一体何があったのだろうか……眼は落ち窪んでおり、死人のようにくたくたの表情をしている。


「高野くん、ウチらに黙って一人でなんか美味しそうなもの食べてたわね?」


「なにぃ!? なんで俺を誘ってくれないんだ高野くんっ! 水臭いじゃないかっ!」


「僕を一人で放ってったのは鳴瀬さんでしょ……。ていうか、なんでオタキングはゾンビみたいな顔してるの?」


「あー、それね。谷川さんとアニメの話になったんだけど」


 すると久方は渋面をつくり、首を横に振る。


「委員長……いい。俺から話そう。谷川さん……推しアニメの趣味も合うし、実に素晴らしい女性だったよ。――ただ一点を除けば。会話を進めれば進めるほど……彼女と俺は水と油のように相容れない関係だったんだ。聞いてくれ同志よ」


「僕はいつから君の同志になったんだ?」


「何を言う。高野くんと俺は青葉高校のベストチームだろ? どきメモで一番好きなのは陽渡さんだろ?」


「……その点に関しては、完全に同意だ」


「なに二人して納得してるのよ。ねぇ高野くん、久方くんってばせっかく女の子と友達になれるチャンスだったのに『彼女とは萌えが合わない』とかわけわかんないこと言っちゃって口喧嘩始めちゃったのよ? もー信じられないわ」


「勘違いするな委員長。あれは喧嘩じゃなくて、議論だ」


 僕にとってはいつもの二人だけど、涼の目にとっては非常に険悪な状況に映ったらしい。

 喧嘩を止めなきゃと、あわあわと不安げな目で慌てている。

 そんな時、反対側の廊下から駆け足で走ってくる音がして、見ると、困った顔の白石先輩だった。


「あ~よかったぁ。やっと皆を見つけたよぉ~」


 僕らを見て、白石先輩は安堵の表情を浮かべている。話を聞くと、漫研の用事が済んでから、僕たちを探してあちこち回っているうちにすっかり迷子になってしまったらしい。


「いやぁ皆と出会えてよかった。ホントに心細かったんだから」


 涙ながらに訴える白石先輩の姿に久方はすっかり見惚れていた。


「白石先輩、何度か漫研の手伝いで白城野に来てたんですよね? なんで迷ってるんですか?」


「うぅ……実はこう見えて、私、方向音痴なんだ。もう三十分も探してたからクタクタよ」


 いくらなんでも方向音痴が過ぎるんじゃないかと思ったけど、白石先輩なら普通に思えてしまうのが不思議だ。


 受付机の前に集まった皆はいつものノリでマイペースな会話を繰り広げる。


「そうそう。こんなことしてる場合じゃないわ! 皆、早くビブリオバトルの受付に行かないと! 確か、文芸部の部室前で受付をしてるらしいんだけど……」


「白石先輩、ここがその文芸部ですよ。ちなみに受付はもう済ませました。間に合わなくて午後の部からになっちゃいましたけど」


「なんだぁ、なら一安心ね。んじゃ、勝負前の腹ごしらえと行きましょうか。ふふん。先輩らしく今日は私のおごりよ!」


 白石先輩は自慢げに胸を張ってそうつぶやくと、鳴瀬さんと久方を引き連れて歩いていく。だけど、一緒に行こうとする僕を片手を上げて制する。


「悟くんは、セリヌンティウスと話をつけてからきなさい。君なら大丈夫。校庭の出店通りの辺りで待ってるから」


 白石先輩がつぶやいてから、鳴瀬さんも僕の方を見て意味ありげにウインクする。久方も「グッドラックだ。友よ」とアニメの台詞みたいにつぶやいて行ってしまった。


 ……ったく、あの人たちはホントに勝手なんだから。けど、文芸部の皆を見ていたら、悩んでいる自分がなんだかバカみたいに思えてきた。


「悟、その……あの人たちは知り合い?」


 三人に取り残された僕を見て、涼が気まずそうに僕に尋ねる。

 僕は自嘲するようにフッと笑ってつぶやく。


「文芸部の仲間だよ。個性爆発、って感じの人たちでしょ」


「はは、そうだね」


「……今日はさ。ビブリオバトルをするために来たんだ」


「わざわざうちの学校のビブリオバトルに来るなんて、青葉高校の文芸部は熱心な活動してるんだね」


「ん……まぁ、ちょっと目的があって。でも、その話はいいんだ。今日のビブリオバトル、涼も見に来てよ」


「悟も出るんだ。ふふっ、今日は私が進行役をする予定なんだ。……で、どんな本を紹介するつもり?」



 一呼吸してから小さく頷いて、自分の決心が揺らいでいないことを確かめる。

 どんな本を紹介するかなんて――そんなの最初から決まってるさ。



「……発表を聞いてからのお楽しみだな。でも……これだけは言っておく。僕が紹介するのは世界で一番好きな本だ」




 それだけ告げて、僕は白石先輩たちのあとを追いかけた。振り返りもせずに走り出したから、涼がどんな表情をしていたのかはわからない。


 あの時と今とでは、僕と涼との関係性は随分変わってしまった。僕は僕で、彼女は彼女でお互いに、お互いに対して思うところがある。言いたいことだってある。だけどそれを素直に口に出せるほど、僕たちはもう子供じゃない。僕も、涼もそれがわかっているから、これまでずっと上辺を取り繕うようなやり取りをかわしてきた。


 それでいいと思っていた。


 だけど鳴瀬さんやオタキング、白石先輩や鶴松先輩と一緒にいるようになってから、僕は変わった。超個性的な彼らと一緒に過ごすうち、僕は自分を偽っている自分がひどくちっぽけに思えた。皆みたいに、たとえ他人にどう思われようが自分の『好き』を貫き通せる……そんな強さを身に着けたいと思った。


 決着をつけないといけないんだ。胸の内にいつまでもくずぶっている過去の残像といい加減に向き合わなくちゃならない。


 だから僕は今日、ビブリオバトルをしに来たんだ。


 廃部の危機にある文芸部をなんとかするために。

 そして、素直な自分を受け入れるために。




 昼食を食べたら、午後の発表はすぐに始まる。



 背中が一瞬、ぶるっと震えた。

 武者震いを感じるなんて、随分久しぶりだった。

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