第九章 交流試合

第50話 白城野学園


 それからすぐに白城野学園創立祭の日はやって来た。


 文字通り、本当にすぐだった。というのも、部室で代表投票をしたのが月曜日。それから実に三日後の出来事であった。




 僕は鳴瀬さんと久方、白石先輩と一緒に白城野学園の校門の前にいた。




 隣のクラスというだけでなんとなく入りづらい気がするのに、他校となれば猶更だ。しかも女子高だ。なんというか……居心地が悪かった。




 県内屈指の進学校でもあり、由緒正しき女子高である白城野学園は校門からして、青葉高校とは違っていた。名前はわからないけど、おしゃれな色合いの花壇があって、壁はヨーロッパの学校を思わせるレンガ造り。シックな赤で纏まっている校舎は積み重ねた歴史を感じさせる。遠くには教会だろうか、少なくとも僕らの高校では見かけない風体の建物も見えた。なんだか自分がひどく場違いな場所に立っているような気がしてきた。




「ん? 高野くん、もしかして緊張してる?」




「緊張ってわけじゃないけど、なんか気まずい……かも」




「まあ女子高だもん。仕方ないわよ。……久方くんはいつも通りみたいだけど」




 久方は初めての女子高に興奮しきっていた。彼にとって女子高という環境はゲームの中だけのもので現実には存在していないと思っていたらしい。水を得た魚のごとくきょろきょろと辺りを物色しているが、客観的に言って不審者だった。




「これが女の園……。なんだか匂いからして俺たちの学校とは違う気がする。って見ろよアレ! あれは……男子教師!? 女子高に男子教師!? そんなシチュエーション、羨ましすぎるだろぉぉぉぉっ!!」




「ちょっとは落ち着け、いきりオタク! これはギャルゲーじゃない。目を覚ませ!」




「久方くんに、高野くん? 二人ともちょっといいかしら。楽しい気持ちはわかるけど、私たちは今日、青葉高校の代表としてここに来ているの。わかってるよね?」




 鳴瀬さんが僕らの肩を引っ掴んで言う。


 表情こそ笑っていたけれど、むしろ笑っているからこそ、より一層恐怖を感じた。




「そういえば、鶴松先輩は?」




 校門に集まったのは僕ら4人だけ。鶴松先輩に限って遅刻ってことはないだろうし……。




「あ、鶴松なら別行動よ。俺は俺でやることがある、って言ってたわ」




 別行動って、鶴松先輩らしいけど……何してるんだろう。あの人、大事なこと話さないからなぁ。




「そうそう。私もちょっと漫研に顔出さなきゃいけなくて、別行動よ。悟くんがビブリオバトルするころには合流するから」




「わかりました。……て、悟くんって僕のこと、ですよね?」




「そうよ。何かおかしい?」




「いえ、別におかしくはないですけど。いつも呼び方が違ったので」




 急に呼び名を変えられてドキッとした僕を知ってか知らずか、白石先輩はあっけらかんとしてつぶやいた。




「ダメ?」




 濁りない眼で上目遣いに見つめられると、思わず言葉に詰まった。




「ダメじゃないです」




「よかった~。今日は頑張ってね。応援してるから!」




 そう言って、白石先輩は漫研部の方へと歩き出した。振り返って僕をちらと見やり、




「あ、イメチェン、爽やかでいいと思うよ!」




 にこりとそう告げて、白石先輩は走っていった。




 眼鏡を外しただけだし、イメチェン……とはちょっと違うような。けど、白石先輩に悪く思われてないみたいだし、良かったかな。




 すると、鳴瀬さんが肘でわき腹の辺りをうりうりしてきた。




「高野くん、さっき照れてたでしょ。何? 実はなぎさ先輩のこと……」




「な、なに言ってるの!? 変な冗談はよしてよ」




「だって、高野くんってからかいがいあるんだもの」




 その時である。背中から低くドスの利いた声がした。




「……おい。黙って聞いてれば、調子に乗るのもその辺にしとけよ」




 久方がまるで悪鬼のごとく顔をゆがませ、僕を睨みつけていた。ついさっきまでの、女子高に入れたことに浮かれていた彼とはまるで別人のような形相である。




「な、なんだよオタキング……」




 いったい何が久方を変えてしまったのかわからないが、彼は親の仇を見るような目で僕を見つめてつぶやいた。




「思いあがるなよ、高野くん。白石先輩に名前呼びされたのは俺の方が先なんだからな!」




 至極くだらない理由だったため、反射的に久方の脳天に手刀を打ち込んでしまっていた。




「俺は暴力には屈しない!」




「こんなバカは放っておいて、早く行こうよ鳴瀬さん」




 校門をくぐってさっさと歩き出す。久方は頭を押さえながらも、楽し気ににやけているし、そんな僕らの様子を後ろから見ていた鳴瀬さんもまた、口を押さえて笑っていた。


 久方がバカなこと言って、僕が突っ込んで、鳴瀬さんがけらけら笑う。そんな僕らの日常は今日もいつも通りだった。


 これから文芸部の廃部をかけたビブリオバトルに出場するなんて、ちょっと信じられない。だけど、この緊張感のなさが僕には心地よかった。二人がいつも通りでいるから、僕もいつも通りでいられるような気がするのだ。




 その時、聞いたことのある声が背中越しに聞こえてきた。




「君たちは文芸部の……ここで何をしている?」




 声の主は生徒会の副会長、雨宮先輩だった。そういえば、うちの生徒会も白城野学園の創立祭に呼ばれているって言ってたっけ。正直、今は先輩に会いたくなかった。




「先輩こそ、わざわざ他校のイベントに来るなんて暇なんですね」




「君たちと一緒にしないでくれ。僕は生徒会の仕事として、ここに来ている。君たちみたいな遊び人と一緒くたにされるのは心外だ」




 雨宮先輩はそう言って肩をすくめた。完全に僕たちのことを小馬鹿にした態度だ。


 だが、その行動によって自ら墓穴を掘ったことに先輩は気づいていない。


 腹は立つけど、僕も久方も見下されるのには慣れているし、一応、年上である雨宮先輩に正面切って噛みつくような真似はしない。




 だが、彼女は違う。




 前回のビブリオバトルでの出来事を思い返すと未だに寒気がする。羅刹とでも言おうか……あの時の鳴瀬さんはマジで怖かった。本人はどこまで本気だったか知らないけど、冗談抜きに雨宮先輩を含む生徒会の人たちを闇討ちしそうだった。なにせ、あの鶴松先輩まで若干ブルってたくらいだ。




 そして、鳴瀬さんは今、あの時と同じ表情をしている。




 ニタァ……と半開きになった口元は内に宿した彼女の憎しみが顕現しているかのようだった。ふと見れば、久方は逃げる準備をしつつ、鳴瀬さんと雨宮先輩を遠巻きに見ている。


 正直僕も逃げ出したい。けど、今日の目的はビブリオバトルだ。余計な騒ぎを起こして悪目立ちするわけにはいかない。めちゃくちゃ怖いけど、僕は鳴瀬さんにそっと声をかけた。




「鳴瀬さん、行こう。先輩は忙しいみたいだし。邪魔しちゃ悪いよ」




 だけど、肩を掴もうとしたその手は鳴瀬さんがに払いのけられてしまった。


 ダメだ。こうなってしまった以上もう、僕にはどうしようもない。




「……ねぇ、雨宮先輩。一ついいかしら?」




 彼女の尋常ならざる雰囲気に、雨宮先輩も顔が引きつる。




「なんだ?」




「文芸部は本当に廃部になるの?」




「……どういう意味だ?」




「そのままの意味よ。あなたは鶴松先輩を苦しませたいがために、廃部などとありもしない事実をでっちあげているんじゃないですか?」




 鳴瀬さんがそうつぶやくと、雨宮先輩の瞳がほんの一瞬揺らいだように見えた。




「確かに鶴松のことは嫌いだが、そんなことをして僕に何のメリットがある?」




「……鶴松先輩を生徒会に戻すため――と言ったら?」




「……面白いことを言うね。鳴瀬さんと言ったかな? 高野くんといい、君といい、文芸部には面白い人材が集まっているらしい」




 怜悧に笑うと、先輩は冷たい視線を僕らに向ける。




「残念だが、文芸部の廃部は決定事項だ。すでに生徒会の会議で決定している。後日、校長先生に話を通して正式な通達が届くはずだ」




 雨宮先輩は機械のように、事実だけを淀みなく口にした。


 鳴瀬さんは黙ったままじっと雨宮先輩を見つめていたが、握った拳は小刻みに揺れていた。


 先輩の言葉が真実なら、僕が今日ビブリオバトルに参加する意味はあるんだろうか。


 すでに廃部が決定してしまっている状況で、僕たちにできることはあるのか?


 意気消沈する僕らに追い打ちをかけるように雨宮先輩はつぶやいた。




「ま、廃部は決まっているんだ。早いうちに次の部活を考えておくことだね」




 僕も鳴瀬さんもぐっと歯噛みして雨宮先輩の話を聞いていた。


 決まってしまったことを覆す術は僕たちにはない。


 何も言い返せない僕と鳴瀬さんを見て、雨宮先輩は勝ち誇ったようにニッと笑う。




 そんな時、ずっと黙って話を聞いていた久方がぽつりとつぶやいた。




「それって何か関係あります?」




 想定していなかったであろう発言が飛んできて、先輩は目をぱちくりさせる。




「文芸部の廃部が決まってようとなかろうと、そんなのどうでもいい。俺たちはここにビブリオバトルをしにきただけなんで。なぁ高野くん」




「うん、そうだね」




 彼の言う通りだと思う。僕らがここに来たのはビブリオバトルをするため。もちろん作戦として、廃部を回避するためというのもあるが、大前提としては自分の好きな本を発表するために来たんだ。文芸部の進退についてはその結果についてくる副産物に過ぎない。


 それを久方に気づかされるなんてな。やっぱり久方はただのオタク野郎ではない。一本筋の入ったオタキングなのだ。




「な……創立祭でビブリオバトルだと!? 何も聞いてないぞ!?」




「知らないんですか? 創立祭の参加型企画としては初の試みだそうですよ。そんなことも知らないなんて、先輩、ちゃんと仕事してるんですか?」




 嫌味を振りまくことも忘れないその腐った根性は、これまでの数多のレスバトルの経験がそうさせているのだと思う。だが、いい気味だと思ってしまった僕も体外だな。


 馬鹿にしていたはずの相手から痛烈な嫌味を言われて、クールな雨宮先輩が額に青筋立てるようにして僕らを睨んでいた。




「じゃあ、そういうことなんで。行こうぜ二人とも」




 つぶやいて久方はビブリオバトルの会場の方へ向かってさっさと歩いて行った。


 彼の背中を見て、鳴瀬さんが一言、雨宮先輩につぶやいた。




「……言っときますけど、文芸部は廃部になりませんよ。高野くんがそうさせませんから」




「戯言を。君に何ができると言うんだ?」




「僕にできるのは、ビブリオバトルで好きな本を発表することだけです。ま、雨宮先輩も見に来てくださいよ。きっと読んでみたくなって、文芸部を残したくなりますよ。そうさせてみせます」




「……ふん。世迷言を言っている暇があるなら、せいぜい次の部活を考えておくことだな」




 言い捨てるようにそうつぶやいて校門をくぐっていく雨宮先輩の背を見つめながら、僕らは悪役のように笑いあった。

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