第八章 出陣

第47話 冷めたパスタ

 テーブルに置かれたカルボナーラパスタはすっかり冷めていた。




 中学でのことを鳴瀬さんに正直に話してしまったが、果たしてこれが正解だったのかわからない。鳴瀬さんは同じ部活でクラスの委員長。逆に言えばそれだけの関係性なわけで、こんな重苦しい話を聞かせるべきではなかったかもしれない。


 鳴瀬さんは途中で何か言うでもなく、最後まで僕の話を黙って聞いてくれていた。そんな彼女に何か言いようのない申し訳なさを感じてしまって、僕は逃げるようにテーブルの上の冷めたパスタをじっと見ていた。




「高野くん、顔上げなよ」




 恐る恐る顔を上げて目の前の鳴瀬さんを見る。彼女は不思議なほどに爽やかな顔をしてにんまり笑っていた。僕の話は面白く笑える話じゃなかったと思うけど……彼女のそんな笑い顔を目にすると怒りというよりかはむしろ、不思議と心に灯がともったようにささやかな安心感を覚えた。




 ところが、鳴瀬さんの口をついて出たのは、抜身の刃物のように切れ味鋭い言葉だった。




「長い」




 今、この瞬間まで僕は彼女のことを誤解していた。




 てっきり僕の話に同情してくれて、元気づけるようににっこり微笑んでくれていたのだと思っていた。僕らの委員長はなんて優しいんだろう。こんな人と同じ部活になれて良かったな、なんてしみじみ考えていた。


 思い違いだった。我らが委員長はそんなに生易しい人柄ではなかった。僕の話を聞きながら、途中で反論をするでもなく、胸の内でずっと刃を研いでいたのだ。笑っている顔が今はむしろ怖かった。鳴瀬さんは、猛烈に怒っている。対面している僕は冷や汗をかきながら、ひきつった顔で彼女の言葉を待った。




 ふぅー……と隣のテーブルのお客さんも聞こえるような大きなため息をゆっくりとついてから、鳴瀬さんはマシンガンのごとく話し出した。




「長いし、暗いし、もー面倒くさい!」




「な、鳴瀬さん!?」




「そりゃね? 話を振ったのはウチだよ? でもさ、こんなに長くなるなんて思わないでしょ? 読者はすっかり置いてけぼりよ。ぐちぐちぐちぐち長ったらしい過去編がいつまでも続くなんて、小説の流れとして最低じゃない? この小説の作者は何を考えてるのかしら? 確かに過去編って物語の中で重要なポジションを占めてるけど、やっぱり使いかたが大事だと思うのよ。いくら登場人物の心理的に必要だからって、だらだらバカ正直に書けばいいってもんじゃないでしょうに。これを読まされる読者の身にもなってほしいもんだわ、まったく! ウチが登場したの、何ページぶりだと思ってるの? 頼んだハンバーグもすっかり冷めちゃったわ!」




「あ、あの~……鳴瀬さん? さっきから何言ってるの? 作者とか読者とかって誰?」




「高野くんが気にする必要はないわ。単にウチのフラストレーションが爆発しただけよ、気にしないで。要約すると、料理がすっかり冷めちゃって残念ね、ってこと」




 要約しすぎだろっ! それ以外にも色々わけわかんないことを言っていたけど、ツッコむだけ野暮だろう。火に油を注ぐような結果になりそうだ。


 そこまで言うと、鳴瀬さんはテーブルのコップを引っ掴んで一気に飲み干す。ビールの一気飲みみたいにしてコップの水を飲み干してから、きっと鋭い目つきで僕をにらむ。




「大体、高野くんも、高野くんよ。思いつめたような顔して話すもんだから、どんな重い話かと思ったら、別段なんのことはないよくある痴話喧嘩じゃないの」




「な……鳴瀬さんにそんな風に言われる筋合いはないよ! 君が僕の何を知ってるっていうのさ!」




 事情をよく知りもしないくせに、痴話喧嘩なんて言われたらいくら僕でも腹が立つってもんだ。あの時の涼との決別に似たやり取りはそんな……痴話喧嘩の一言で済ませられるような生易しいもんじゃない。僕は今もあいつの小説の続きを読めていないし、あいつと小説の話をするなんてとてもじゃないが無理だ。それ以外でも、涼に対して説明しがたい近寄りがたい感じが常に付きまとっていて、鳴瀬さんが言うほど単純な話じゃないんだ。




「そんなの知らないわよ。ウチは高野くんじゃないもん」




 鳴瀬さんがじっと僕を見つめる。曇りのない透き通った瞳に見つめられると、出そうと思った言葉が喉の奥に引っ込んでいく。彼女は凪のように落ち着いていた。取り乱しているのは僕だけだ。目は鏡のように人を映し出す。彼女の凪のような瞳に映った自分が、なんだかひどくちっぽけに思えてならなかった。




「結局、高野くんは自分で自分が許せないだけなのよ」




 俯いた心に鳴瀬さんの言葉がすとん、と入ってきた。




「高野くんが引きずってるのってさ、結局のところ……幼馴染にちゃんと好きだって気持ちを伝えられなかったってことでしょう?」




「いや、好きとかそういうんじゃなくって! 僕はただ、あいつの小説の続きを楽しみにしてる、ずっと待ってるってことだけ伝えたくて……」




「……まあそういうことにしとくわ」




 含みのある言い方でつぶやくと、鳴瀬さんは小さく息を吐いてからカップのコーヒーを一口啜る。




「なら話は簡単よ。その幼馴染に伝えに行けばいいのよ。大丈夫! ウチもついていってあげるから!」




「……鳴瀬さんがついてきたら、余計ややこしいことになりそうだよ」




 僕の知り合いのうち、文芸部のメンバーは全員が全員、事態を主にややこしくて面倒くさい方向へ引っ搔き回すのが得意な人たちばかりだ。その最たるものが、無理やりな脅迫で半強制的に僕を入部させた鶴松先輩なわけだけど、鳴瀬さんも先輩に負けず劣らずその手の才覚の持ち主だと思っている。




 すると、鳴瀬さんはしたり顔で一枚のチラシをすっと出した。




「白城野学園、創立祭のお知らせ……?」




「ええ、そうよ。生徒会をギャフンと言わせるための策を考えていたウチにとってはまさに一石二鳥よ」




「どういうこと?」




 鳴瀬さんの持ってきたチラシによると、白城野学園高校で近々、学校創立祭(まぁ文化祭のようなものだろう)が催されるらしい。だけど、それでどう生徒会をぎゃふんと言わせるのか、僕に何の関係があるのかさっぱりわからない。




「けどま、この話をするには役者が足りないわね」




 そう言うと、鳴瀬さんはスマホを取り出す。




「……あーもしもし、鳴瀬です。だいたい、話わったし、もう出てきて大丈夫だよ」




 あらかじめどこかで待ち伏せしていたらしい。電話の相手はすぐにやってきた。




「やぁ、高野くん。奇遇だね?」




 ヒーローは遅れてやってくるとでも言いたげにやって来たのは、プライドだけは人一倍高いオタク野郎だった。

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