第44話 おすすめ

「おっす高野」




 隣の席の一ノ瀬が僕を見つけると出し抜けに言った。いつもならチャイムぎりぎりに登校する遅刻未遂女の一ノ瀬がこの日は僕よりも早く学校に来ていて、槍でも降ってくるんじゃないかと思った。




「君が普通に登校するなんて、今日は何か悪いことでも起こりそうだ……」




「朝から不吉な想像してんじゃねーよ。ところでさ……聞いたぜ高野~」




「……聞いたって、何を?」




 一ノ瀬はやけににまにまとした表情で僕を見つめており、彼女が僕のどんな弱みを握っているのか不安になってきた。こいつ、僕の何を聞いたんだ? 最近はサボらずに朝練行ってるし、一ノ瀬にからかわれるようなことは無かったはずなんだけどなぁ……。




「お前、全国大会で準優勝したんだろ! ビブリオバトル、だっけ? なんで黙ってたのよーっ!」




 ああ、ビブリオバトルの全国コンテストのことか。学校の代表として出場したわけじゃないし、校内表彰とかも大々的なものではなく、国語の先生に褒められたくらいだったからな……。別に積極的に自慢したいわけじゃないし。


 そんなわけで素直に全中ビブリオバトルのことを言わなかった理由を話すと、一ノ瀬は至極呆れた顔になって言った。




「はぁ……もったいなぁ。せっかく目立たない自分から脱却できるチャンスじゃん」




「別に目立ちたくないし」




「うわぁ、根っからの根暗体質ねあんた。そんなんじゃモテないわよ」




「知るか! 放っとけ!」




 すると、一ノ瀬は思わせぶりにニッと笑って耳元にそっと口を近づけ、ぽつりとつぶやく。




「……宮野さん、狙ってるんでしょ?」




 一瞬で顔が上気した。




「な、バカ言え! んなわけないだろ!」




「まぁまぁ照れなさんな。あたしからすればバレバレだよ」




「んなっ……な……なんのことだよっ!?」




「じゃあそういうことにしとこうか。話は変わるけどさ。ビブリオバトルって何する大会なの? あたし、そういうの全然わかんなくてさー」




 こいつ素知らぬ顔で話題を変えてきやがった。自由人め。


 それにしても、一ノ瀬ごときに振り回される僕も悪い。ちょっとからかわれただけなのに。


 それでもビブリオバトルに興味を持ってくれる人がいるのは嬉しい。




「……ビブリオバトルは簡単に言うと、本の書評合戦だよ。自分の好きな本をプレゼンして最終的に参加者が紹介した本の中で一番読みたい本を決めるんだ」




「ふーん。本ばっか読んでるあんた向きね。あたしには難しいかもな」




「一ノ瀬は好きな本とかないの? 別に小説じゃなくても、マンガとかでも好きなもの一冊くらいあるんだろ?」




「うーん……。まぁ教科書に出てくる小難しい本とか退屈な小説は読まないけど。漫画はあたしも読むし。ビブリオバトルって漫画でも参加できるの?」




「うん。本ならなんでも参加できるよ。大会でも料理本とか紹介してる人いたし」




 ビブリオバトルで紹介する本っていうとすぐに小説を思い浮かべる人もいるかも知れないけど、それは違う。確かに小説を紹介する人は多いけど、料理本や漫画や新書や画集だって立派な本だ。自分が好きな本ならなんでも紹介しても良い。そんな自由なところが僕は好きだった。




 一ノ瀬は僕がビブリオバトルの全国大会に出たことで、野次馬的に気になったのかも知れないけど、ビブリオバトルをやってみようと思うきっかけは人それぞれで、それがたまたま自分であるかもしれないことがなんだか嬉しくて、胸がくすぐったい思いだった。


 一ノ瀬はどんな本を紹介するんだろう。さっき漫画は読むって言ってたから、やっぱり漫画かなぁ……。こいつが読みそうな漫画……少女漫画? うーんあんましイメージつかない。


 思い返してみれば僕が今まで参加したビブリオバトルって知らない人と一緒のことがほとんどで、気心の知れた知り合い同士でのビブリオバトルってやったことなかったなぁ……。




 ふと、視線を感じて横に目をやると、一ノ瀬が机に頬をくっつけて格好でじっと僕を見ていた。


 何か問いかけるよりも先に、彼女の方から口を開いた。




「高野はさ、どんな本が好きなの? 一番好きな本を教えてよ」




 吸い込まれそうなほどに曇りのない瞳だった。


 一番好きな本、か。そう問われれば、答えは決まっている。


 ビブリオバトルの全国大会で発表した『林檎の木の下で』。涼が書いたあの物語が、他のどんな小説よりも一番好きだ。だけど実のところ、自分以外の人があの小説を読んでどういう感想を持つのかはわからない。


 涼が誰かに小説を見せてるのなんて、見たことないし。ビブリオバトルで僕が紹介しちゃったし、本人も小説書いてるのを秘密にしてるってわけじゃないと思う。それに僕自身も、一ノ瀬があの小説を読んでどう思うかちょっと気になる。お互いに面白いと思ったシーンについて語ったりしてみたいし、作者の涼だって読者が増えるのは嬉しいと思うんじゃないかな。




「なぁ高野、黙ってないで教えてくれたっていいだろ。ビブリオバトルで全国準チャンピオン様がオススメする本なんて絶対面白いに決まってるじゃん」




「……一番好きな本、か。僕は『林檎の木の下で』っていう小説が一番好きだな」




「どんな話?」




「う~ん……短く説明するのは難しいんだけど……ある日、主人公がお節介な幽霊に出会うところから物語が始まる。幽霊は記憶を無くしていて、彼女の死因を解明するのが物語の大きな一つの筋道になっている」




「ホラーものかぁ」




「最初はそう思ったんだけど違うんだ。ネタバレはなるべく避けて話すけど背後霊として取り憑かれた主人公には、忘れられないトラウマがあって、それを様々な葛藤を経て乗り越えていくのが本当に胸に突き刺さるんだよね」




 机に突っ伏して話を聞いていた一ノ瀬は、僕が話す物語のあらすじを聞くうちに、どんどん乗り気になっている。それがなんだか嬉しくて、あらすじの説明にも熱が入った。




「――まぁ、こんな感じの物語なんだけど……どう?」




「どうって……やっぱすげーなお前。お前から話聞くとさ、なんだか物語がすんなりイメージできてめちゃめちゃ読みたくなった! 国語の教科書の物語も、高野が薦めてくれたら面白く思えるんじゃない? 走れメロスとか」




「生憎、僕は国語の教科書の小説はそんなに好きじゃないからな。走れメロスも授業だから仕方なく読んでるって感じだし」




「ちぇ……宿題がちょっとは楽しくなるかと思ったのになぁ。とりあえず今日の分の宿題、みして」


「ふざけんな。宿題くらい自分でやれ」




「けち。それはそうと、あたしも読んでみたいんだけど、その本。作者はなんて人?」




 ぐっ、と一瞬言葉に詰まって、涼の席の方に目を向ける。


 彼女はノートを開いて何やら書き込んでいる。きっと、小説の続きを書いているのかもしれない。大丈夫。涼だって、僕以外にも読んでくれる人がいた方が良いに決まってる。




 僕はいつも鞄の中に入れているその本を出して、一ノ瀬に見せた。




「お、貸してくれんの? 『林檎の木の下で 前編』ってことは後編もあるんだ。んで作者はと…………ん? 宮野涼……って…………え?」




 一ノ瀬の視線は手にした本の表紙と涼の席を三度往復してから、僕にこそっと耳打ちする。




「おい高野、これってどういうこと? 同姓同名、だよな?」




「何言ってんだ。この小説は正真正銘、うちのクラスの宮野涼が書いたものだ。疑うなら本人に確認してみろよ」




 僕の言葉を半信半疑で受け取った一ノ瀬はなんだか悔しげな顔で僕を見て、『林檎の木の下で』の文庫本を持って涼の席の方へ歩いて行く。本を彼女の机の上に置いて問う。




「宮野さん、この本……あなたが書いたの?」




 自分が書いた小説をいきなり一ノ瀬が持ってきたものだから、涼はすっかり面食らっていた。




「え……一ノ瀬さん? なんでこの本……私の小説……?」




「高野に教えてもらったの」




「高野くんに? そ、そうなんだ……」




「ていうかマジだったんだ。宮野さん凄いねー。小説なんてあたしにゃ絶対無理無理」




 なんか涼がきっ、と鋭い目つきで僕を睨んでいる。え? もしかして一ノ瀬に教えるのマズかった? 一ノ瀬の方はというと、なんかニヤニヤしてる。アイツ絶対、この状況を楽しんでやがるな。




「あいつが宮野さんの小説を薦めてくれたの。なったって全国ビブリオバトル準チャンプが薦める位だもん。面白いに決まってるし、だからあたしも読んでみよって思って」




「へ、へぇ……ありがと」




「読むの遅いかもだけどさ。気長に待っててよ」




 それだけ言って、一ノ瀬は自分の席に戻ってきた。にっしっしと屈託の無い笑顔を僕に向けると、すぐに本を開いて読書を始めてしまった。


 涼はシャープペンの動きを止めて、一ノ瀬の背中をじっと見つめていた。


 火をつけたのに動き出さないネズミ花火を見るように、期待とそれと同じくらいの不安を孕んだ瞳で、じっと見つめていた。


 やがて彼女は僕の視線に気がつくと、ぷくっと頬を膨らませて、ぷいっと横を向いてしまった。

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