第43話 視線

 次の日の朝、学校へ行く途中で、電柱の影に見慣れた姿を見つける。朝練に間に合うようにかなり早く出たつもりだけど、あいつ……何時から待ってたんだ?


「おぅ、おはよ。コレ、昨日のやつ」


「……どうだった?」


 上目遣いで尋ねる涼に思わずドキリとする。

 感想はといえば、面白いの一言では言い表せないくらい面白かったし、すぐに続きを読みたいくらいだ。だけど幼馴染みに面と向かってそう伝えるのは妙に恥ずかしく思ってしまって、口を突いて出た言葉はぶっきらぼうな感想になってしまった。


「ん、まぁ良かった。なんつうかその……続き、楽しみにしてるからさ」


 そんな無愛想な僕の感想を、彼女は肯定の意味で受け取ってくれたらしい。見る見る頬に赤に染まって、実に嬉しそうな笑顔を浮かべている。


「それって昨日一晩で読み終わっちゃうくらい面白かったってことだよね」


「う……ん、まぁそういうことなんだけど……」


「もぅ、素直に面白いっていえばじゃない。かえってかっこわる……」


「は、はぁっ!? お前はそう言うけどさ、面と向かって感想言うのって結構緊張すんだかんな!」


「ふんふん。お楽しみいただけたようで何よりね」


「……で、あのラストなんだけどさ。何? 次で最終回?」


「ふっふ~ん……さてどうでしょうか~」


「ちょっとくらい教えてくれよ。さわりの部分でもいいから」


「だ~め。それは読んでからのお楽しみってことで。今月中には書けると思うし」


 こういう時、作者ってずるいと思うなぁ。読者が想像するしかない物語の続きが、作者の頭の中にはすでに書いてあるんだ。ノートに書かれた物語の続きが気になってしょうがない僕の純粋な気持ちを弄ぶように、涼は僕の質問には口をはぐらかすばかり。


「……当たり前のように聞き流しちゃったけど……悟、その……続き読んでくれるの? 野球部、練習忙しいんでしょ?」


 不安そうにつぶやく涼が僕にはむしろ不思議だった。野球部は秋の大会を控え、練習も盛り上がっている。一応球拾いの僕も、仕事が多くなるわけで、今もこうして朝練に向かう途中だったわけだけど……。


「バカか、お前。野球なんかよりお前の小説読む方がよっぽど大事だわ」


 ビブリオバトルの全国大会の場で発表するくらい僕は涼の小説が好きなんだ。野球部の球拾いと一緒にされちゃ困る。

 ところが、そんな僕の思いとは裏腹に涼は見る見る顔を真っ赤にして俯いてしまった。口はへの字に結ばれている。何か気に障るようなことを言ったつもりはないんだけどな。


「……? とにかく! 続き待ってるから。出来たら一番に見せてくれよな!」


 その時、何かが彼女の中で限界に達したのだろう。涼はちらと一目僕を見やると、


「……ばぁか」


 ひねり出すようにそう一言つぶやいて、脱兎のごとく駆けていった。


「素直に言えって言われたから、素直に続き読みたいって言っただけなんだけどな……」


 何か気に障るようなこと言ったかなぁ……。一人残された僕は何ともいたたまれない気分だった。

 ま、今月中には続きが書けそうって言ってたし、楽しみに待つことにしよう。あんなんだけど、機嫌が直れば涼も小説の続き読ませてくれるだろうし。


………………たぶん。


 さて、朝練かー。つまんないなー。なんで僕、野球部なんて入っちゃったんだろう?

 頭の中でぶつくさ球拾いに対する文句を垂れながら、先に行ってしまった涼に続いて、僕も学校へ向かうのだった。


   ◇ ◇ ◇



 野球部の朝練で疲れた僕は机に突っ伏してぐったりしていた。机に額をくっつけていると、妙に周りの雑音が耳に入ってくる。授業の予習だろうか、鉛筆を走らせる音。その隣ではがやがやと昨日のテレビ番組についての話し声が聞こえてくる。

 そんな中、隣でぜえはあと荒い息づかいと共に、鞄を置く音がした。

 隣の席を見やると、そいつは今にも死にそうな顔をしていた。遅刻ギリギリで家を出て、ここまで全力で走ってきたんだろう。


「おっす、一ノ瀬。今日もギリギリセーフだな」


「はぁ……はぁ…………死ぬ……か……と思……った」


「君、毎朝そう言ってるよね」


 一ノ瀬みどり。席替えで隣の席になってからちょくちょく話すようになったクラスメイトだ。彼女には遅刻癖のあって毎回、こんなふうに呼吸困難になりながら登校している。とは言っても遅刻したことはこれまで一回も無い。いつも時間ギリギリで教室に滑り込んでくるもんだから、ちょっと凄いと思う。


「……で。アンタは何か元気ないじゃない高野。どうしたのよ朝っぱらからしけたツラして」


「朝練で疲れた」


「球拾いがそんなに疲れるわけないでしょ。外野でふらふら遊んでるの見てたもん」


「なっ!? ど、どこで見てたんだ!?」


「やっぱりね。カマかけただけよ。だいたいあんたが朝練やってる時間にあたしがいたら、こんなギリギリに教室来るわけないじゃん。ばーか」


 っ……ぬぬぬ……。朝練をサボっていたことを瞬時に看破されるとは……侮れない女。実は今朝涼と別れてから、なんだか部活に行く気がしなくて、その辺を散歩してからゆったり登校したのだ。誰にも見られていないと思ったのに……こんな女の術中にはまって自らバラすハメになるとは情けない。見ろ、一ノ瀬は人を食ったような笑みを浮かべて僕を小馬鹿にしている。


「はじまったよ、うちのクラスの朝ドラ……ってより漫才か」

「毎朝毎朝、飽きねぇこった」

「あいつら仲いいよな、ほんと」

「今日もこうして一日が始まるってか」


 ぽつぽつと級友達のつぶやきが聞こえてくる。こんなバカと衆目にさらされるなんて……不幸としか言いようがない。

 にしても……朝は涼はにも馬鹿にされたし、今日はふんだりけったりだ。見る時間なかったけど、たぶん今日の目覚まし朝占いは十二位だったに違いない。


 そういえば涼は何してるんだろう……。

 前の方の席に座っている涼は僕の方に哀れな視線を向けていた。一瞬目が合ったかと思うと、すぐに机に視線を落とし、ノートに何やら書いていた。あいつに限って宿題忘れるなんてないだろうし、きっと小説の続きを書いてるんだろうな。……なんか忘れてるような……、まいっか。





「あのさ。折り入ってあんたに頼みがあるんだけど」

 二時間目の休み時間になると、出し抜けに一ノ瀬がつぶやいた。


「…………なに、どうせ」


「いいから先にあたしの話を聞けサボり野郎」


「人をサボリ魔呼ばわりするな。今日はその……たまたま気分が乗らなかっただけだ」


「よくそう口が回るもんだよ。まぁあんたにとっても悪い話じゃないからさ」


「……なんだよ」


 僕にとっても悪い話じゃない……? 一体、こいつ何を……?

 一ノ瀬はパチンと片目をウインクして愛嬌たっぷりに言ってのける。


「スーガクのノート、かして(はぁと)」


 僕は一瞬、彼女が何を言っているのかわからなかった。三時間目は数学で、昨日出された宿題をやってきたか確認するため、先生がノートを回収することになっている。どうせヤツのノートは白紙に決まっている。こいつ、僕の回答を丸写しするつもりだ……! ふざけやがって……何の努力もせずに甘い汁をすすろうなんて、そんなこと許されて良いはずがない! 僕は決して悪には屈しない!


「やだね。なんで君にノートを貸す必要があるのさ。だいたい(はぁと)なんてセンスが古いんだよ!」


「あ、あんたにそんなこと言われたくないわ!」


「ふん、せいぜい吠えていなよ。もうすぐ授業の時間だ」


「……高野くん。君は死の淵に追い詰められている友人を見捨てるのかい?」


「君を友人と思ったことはないし、自業自得としかいえない」


「しょうがないじゃんか。昨日、団イベだったんだもん」


「知るか。ソシャゲ中毒者め。あと、こんな時だけちょっとぶりっ子なのも腹立たしい。潔く先生に謝るんだなクソビッチ」


「そんな無慈悲な!」


 僕が彼女にノートを貸さないのにも理由がある。何も、彼女が憎いから貸さないんじゃない。ある一つの事実を僕はこれまで見逃していたのだ。


「……じゃあ、一つ残酷な事実を君に伝えよう」


「な、なによ……?」


「…………僕も宿題忘れてた」


 その後、二人でこってり先生に叱られた。



  ◇ ◇ ◇


 昼休みになると、一ノ瀬はクラスの女子達とおしゃべりに興じていた。ガサツな物言いだが、一ノ瀬はあれでも人好きする性格でクラスの人気者なのだ。……僕とは違って。

 涼は……いない。気がつけば彼女の姿を探している僕は何なんだろう。そんだけあいつの小説の続きが気になってるってことなのかな。自分ほど熱心な読者っているんだろうか、と自分で自分が可笑しくなった。

 足は図書室へと向いた。図書委員の涼は今日は当番じゃなかったらしく、校庭が見える窓際の席に座ってノートに書き物をしていた。


「よっ。順調?」


「わ、わわっ!?」


 隣に座った僕を見て驚いて、涼はかけていた分厚いメガネが漫画みたいにずれた。

 びっくりさせようという気持ちはあったものの、ここまで驚かすつもりはなかった。それだけ集中していたんだろうな……今の今までノートの中以外何も見ていなかったみたいだ。


「もうっ! からかいに来たの!?」


「悪かったって。教室にいてもやることないし……続きどうなったかなって……」


 ぱしんとノートを閉じて、メガネの位置を直すと、涼はきりっとした口調で言った。


「そんなに早くできるわけないじゃん。悟ってホントバカだよね」


「ご、ごめん……」


 楽しみにしてる気持ちが先行して、彼女を急かすようになってしまった自分を反省する。

 すると、涼はにっと小さな子供みたいに笑ってみせる。


「……冗談。さっきのおかえしよ。でも、そうだな……短編ならあるよ。授業中に思いついて、さっき完成したの。読んでみる? 面白さはあんまし保証できないけど……」


「読む! 読ましてください!」


「わ、わかったよ。わかったから、そんなに騒がないでよね、恥ずかしいなぁ、もう……」


 涼はノートを開くと、短編小説を書いたページを開いて僕に見せてくれた。

 『ラスト・チャイム』とタイトル付けされたその短編小説は文量にして見開き2ページ。授業中にこの量を書くなんて、凄い。教科書を盾にこっそりラノベを読んでいた僕とは大違いだ。


「涼、お前さ……なんで授業中にコレ書いてて、普通にテストの点取れるんだ? 僕にも秘伝のカンニング教えてくれよ」


「な……ばっ……かじゃないのっ!? カンニングなんてしないわよ! この小説だって授業中に全部書いてたわけじゃないし。思いついたアイデアをメモ書き程度にちょこちょこ書いてただけだもん。悟と一緒にしないでよね」


「冗談だって、そんな怒るなよ」


「もう悟と真面目に取り合うのが馬鹿らしくなってきた……」


 そんなたわいもないやりとりをしながら、涼の書いた短編小説を読み進める。

 2ページしかないので読み終わるまでに五分とかからない。だけど内容はしっかりオチもあって、綺麗にまとまっている。まるで出来の良い四コマ漫画を読んでるようで、気持ちの良い読後感だった。


「いやぁ面白かった。…………って何? 僕、なんかした?」


 見れば隣に座る涼がじーっと僕の顔を見つめていた。ごはんつぶはついてないし……余程変な顔してたんだろうか……ショックだ。


「悟ってさ、本読む時すごく楽しそうな顔してるよね。なんかずるいなぁ」


 そうだろうか……? 普通に読んでるだけだけど、面白い物語を読んでるときは誰だって楽しい顔になると思うんだけど。


 ぽつり、と涼がつぶやく。

「……悟、一ノ瀬さんと仲いいよね」


「べつに、普通だろ。あいつがどうかしたのか?」


「いや、その……噂を聞いたんだ。悟と一ノ瀬さんが付き合ってるって」


 はぁ~!? なんだその噂!? な・ん・で! 僕が一ノ瀬と付き合わなくちゃならんのだ!


 そりゃあいつ、校内でも屈指の美少女だと思うけど、言動とか性格とかその他諸々が僕とは心底相容れない。なぜ、一体、どこからそんな噂が立ったのか? 他ならぬ涼に聞かれて僕はショックだった。


 ……あれ? なんでショックなんだろう?


「どっからそんな噂が出たのか知らないけど、僕は一ノ瀬と付き合ってないし! 同じクラスで隣の席なだけだ!」


 なんでこんなに力説してるんだ僕は。自分で自分のことがよくわからない。


「ふぅん……そうなんだ…………」


 聞こえるか聞こえないかくらいの小声でそうつぶやいた後、涼は小さく溜め息をして伏し目がちに窓の外を見つめていた。その姿を見ているとどうしてか、胸にちくりと刺すような感情が湧いた。

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