第42話 涼の書いた小説

 家に帰るとすぐに涼に渡されたノートを開く。使い込んだ小豆色のキャンパスノートには、先の丸まった癖のあるあいつの字で小説の続きが綴られている。僕は待ちに待っていた「林檎の木の下で」の続きを腹が減っているのも忘れて夢中で読み進めた。


「林檎の木の下で」はボーイミーツガールに重きを置いた小説で、母の用事で病院へ来ていた主人公の少年が幽霊の少女を見つけることから物語が始まる。主人公以外には姿が見えない少女は少年に取り憑いて背後霊となることで学校へ行ったり、町へ遊びに行ったりするのだ。取り憑かれている弊害も当然あって、彼女に取り憑かれると顔色が悪くなり、常に肩にあんぱんが五つぶん乗っているという、よくわかるようなよくわからないような表現がされている。

 いつまでも少女に取り憑かれているわけにいかない主人公は少女を成仏させるため、彼女が幽霊となってしまった原因を探るのだけど、そこには思いもよらぬ謎が隠されていて……と、とても先の気になるストーリーになっていて、僕はこれまで涼の書いた小説をいくつも読んできたけど、この「林檎の木の下で」という小説が圧倒的に大好きで、いつも続きが気になっていた。


 貪るようにノートに書かれた字を追った。部屋にはページを捲る音だけが響いていた。


 「林檎の木の下で」は背後霊の少女に振り回される主人公の少年の日常を描いた一話完結形式のストーリーでこれまで続いていたのだけど、今回は今までと随分毛色が違ったストーリーだ。

 主人公の少年の出自に関する新たな謎が浮上し、それに加えて、背後霊の少女は失われていた記憶を朧気ながら取り戻し、なぜ自分は幽霊となったのかを知ることになる。まさにクライマックスという感じの進み方だ。これまでのストーリーが良くも悪くもギャグマンガチックな調子で進んでいたため、今回のストーリーを読んで受けるギャップは非常に大きい。

 しかも背後霊の女の子が自分の正体を主人公の少年に告げようと決意するところで今回のお話は終わっている。ものすごく気になる終わり方で、今から早く続きが読みたくて仕方が無い。正体を打ち明けた背後霊の少女はどうするんだろう。成仏してしまうんだろうか。少女の秘密を知った主人公はどうするんだろう。


 ……にしても涼のやつ、よくもこんなにスラスラと思いつくよな。今回の話で明かされた登場人物の背景にしたってよく練り込んである。僕と同い年の中学生が書いたなんてとても思えない。


 僕は本は読むけど、小説を自分で書いてみようなんて思ってみたこともないし、多分、こんなに長くはかけないと思う。同じ町に住んでいて、同じ学校に通っていて……同じように生きてきたはずなのに、あいつはどうしてこんなに凄い物語を生み出せるんだろう。国語のテストは普通よりちょっといいくらいなのに。


 小説を書くのにも才能ってあるんだろうか……。ある、と僕は思う。文章の技術とかそういう難しいことはわからないけど、きっと涼は、あいつは信じられないくらい小説が好きなんだ。僕みたいに読むだけで満足するんじゃなくて、自分で書き出しちゃうんだもん。それほど好きになれるって才能なんじゃないかと思う。


 涼は小説の天才だ。幼馴染み贔屓なしに本気でそう思う。


 実は以前、涼に新人賞への投稿も薦めてみた。その時は真っ赤な顔しながら「バッカじゃないの!」って突っ返されたっけ。曰く、他の人には恥ずかしいから読ませる気なんてない、とのこと。なんだか凄く勿体ないような気がするのは僕だけなんだろうか。


 階下から母の声がする。もう夕飯らしい。部屋のカーテンを閉めるのも忘れて、ずっと涼の小説を読みふけっていたようだ。

 明日忘れないようにノートを鞄に入れた時に、鞄の底で丸まっている紙を見つけた。来週の練習試合のオーダー表兼それぞれの係割り当てだ。僕はいつも通り球拾いと応援役だ。


 ふと、小さな棘が刺さったように胸がちくりとした。


 自分はどうなんだ?

 涼には小説の才能がある。だけど僕には一体何の才能がある?

 何をやっても中途半端。勉強は頑張っても平均点。野球部ではずっと球拾いだけ。もちろん小説なんて書けないし、取り柄と言えば……取り柄……僕に取り柄なんてあるんだろうか。

 取り柄のない人間などいないって学校の先生は言うけれど、だったら教えて欲しいもんだ。

 かといってやりたいことなんて思い浮かばないし、来年になれば高校受験だ。

 見えない壁がじりじりとゆっくりだが確実に近づいているような気がした。

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