第41話 感じる気まずさ

 それから月日は飛ぶように過ぎ去って――なんてことはなく。


 長かったようで、終わってみるとあっさりした感じの夏休みが終わると、いつもの学校生活が戻ってきた。全中ビブリオバトルコンクールで準チャンプを勝ち取った僕は、別段、校内のヒーローになるなんてことはなく、いつものように右手でシャーペンをくるくると回しながら、ぼんやりと数学の授業を受けていた。


 甲子園で優勝したりすれば、ドラフトへの注目が集まるし、高校球児達の生活は一変するんだろうけど、ビブリオバトルの大会で準チャンプになっても特に何が変わるというわけでもない。せいぜい、夏休み明けの朝会の終わりにひっそり表彰されたくらいだ。校長の面白くもないくせに長ったらしい話を聞いた後だから皆疲れ切っていたし、そもそもビブリオバトルって何? と、きょとんとした顔の人がほとんどだった。

 一人、誇らしげにしていた幼馴染みもいたけれど……ノーカウントにしよう。

 

 給食を食べ終えて昼休みの時間になると、喧噪に包まれている教室を抜け出し、図書室へ向かう。図書室でも騒いでいる生徒はいるけど、教室のそれに比べると大分マシで、静かに時間を潰すのに持ってこいの場所であり、昼休みになるとここへ来るのが習慣になっていた。


 図書室の扉を開けると、当番の図書委員と目が合った。


 よりにもよって、今日の当番は涼だった。

 何がというわけではないけれど、なんとなくお互いに気まずくって、どちらからともなく目をそらした。

 全国ビブリオバトルコンクールの場で涼の書いた小説を発表した時から、なんとも居心地の悪い気まずい状態が続いている。なんとかしたいとは思っているけれど、どうすべきかわからなくてずっと二の足を踏み続けている……そんな感じだ。

 そもそも僕はあいつがこんな態度を取るようになるなんて、全くもって想像していなかった。

 あいつの性格からして、「全中準チャンプの悟くん。新作出来たんだけど、読みたい?」というように軽口を交えて話しかけてきそうなものなのに……。

 これまできちんと噛み合っていた歯車が少しずつズレていくような不安を覚える。

 閲覧席の上で読みかけの文庫本を開くも、どうにも集中できない。

 気づけば僕の目は本の活字ではなく、カウンターで仕事をするあいつの方に向いていた。

 瓶の底みたいなメガネの位置を時折指で直しながら、彼女は図書室のカウンターで本の貸し借りを手伝っている。何気ないその光景が、キラキラと輝いて見えた。不意に髪を掻き上げるそのしぐさが、いつもと違って見えた。

 …………僕はここに何をしに来たんだ? 本を読みに来たんだろう?

 だけど頭に浮かぶのは別の物語ばかりだ。涼の書いた小説はまだ終わっていない。ビブリオバトルで発表した小説はまだ完結していなくって、僕はその続きがずっと気になっていた。夜も眠れないほどに。今だって、別の小説を読んでいるのに頭の中では、あいつの小説の続きが気になっている。

 あいつに見惚れていたわけじゃない、断じて。絶対。間違いなく。

 ………………たぶん。


 カウンターの方をぼんやり眺めていると、思いがけず涼と目が合った。視線が交錯したのはほんの一瞬。だけどその瞬間、とくんと胸が高鳴るのを感じた。

 視線を本のページに戻しても、字が途中で空中分解するように内容が頭に入ってこなかった。

 言葉にすれば淡く散ってしまいそうなもやもやした感情がずっと胸の内を渦巻いていた。



 図書室で感じたもやもやした気持ちを振り払うかのように、僕はいつにもまして部活に打ち込んだ。うちの中学の野球部は一回戦で勝ち上がれたら御の字という弱小野球部であり、全国を目指し熱くなっているようなやつはいなかった。それでも腐っても野球部なわけで練習はハード。終わった頃には体もすっかり疲れていて、さっさと家に帰って風呂に入りたい気分だった。だけどそういう気分の時に限って、鍵当番なのだった。部室の戸締まりなどの雑用を行う鍵当番はローテーションで決まっていて、あいにく今日は僕の番だった。


 みんなが帰ってから部室の戸締まりを済ませ、顧問の先生に鍵を渡して校舎を出た頃には空はすっかり茜色に染まっていた。

 ぐーっとおなかが鳴った。

 普段以上に練習に力を入れたから、すっかり空腹だった。今日の晩ご飯なんだろなぁ。遠くで星がきらめいているのが見える。その視線の彼方に見慣れたやつの姿を見つけた。


 校門に涼が立っていた。


「……待ってた」


「……うん」


 ずいぶん久しぶりに彼女の声を聞いた。そんな気がした。

 涼は自分の靴の足先を見つめながらつぶやく。


「あのさ……その…………悟にお願いがある、んだけど」


 ぷるぷると小刻みに震える唇から涼の緊張が痛いほどに伝わってきた。

 僕は何も言わず、黙って彼女の次の言葉を待った。


「最近忙しそうだったから……なかなか声かけれなくて」


 涼は肩にかけていた鞄のジッパーを開けると、一冊の大学ノートを取り出した。

 角が擦り切れた小豆色のキャンパスノート。


「続き、書いたんだ。だからその……また、読んでくれる?」


 ずっと避けられていたと思っていた。


 僕がビブリオバトルで発表したことで彼女の小説を悪目立ちさせてしまって、そのせいで余計なプレッシャーというか重荷を与えてしまった。もうあの小説の続きを読めないんじゃないかってそう思ってた。


 望外だった。


 何か気の利いた一言でも、感謝の言葉でも口にすれば良かったのかもしれない。

 だけど、このときの僕は、また涼の小説が読めるっていう、ただそれだけで胸がいっぱいになってしまって、余計な言葉が浮かばなくって。

「うん」とだけ言って、僕は涼から小豆色のキャンパスノートを受け取った。

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