第六章 作戦会議

第35話 決意とプライド

 教室の窓から斜陽が差し始めた頃、私は創立祭のイベントで使う物資の入った段ボールを持って廊下を歩いていた。もう放課後だというのに、学校中のそこかしこで皆忙しそうに動き回っている。

 創立祭が行われる月末まであと一週間ほどしかない。休日はうちの学校が二年生の模擬試験会場になっているらしく、学校で作業できないので、実質あと五日しか準備期間がない。

 だから、どこの部活も創立祭の準備で大忙しになっているのだ。


 白城野学園はうちの県でも歴史のある高校の一つで、そんな学校の創立祭ともなれば、学校側の力の入れようもすごい。秋に行われる文化祭と同等の予算があてがわれており、近隣でも毎年話題のイベントとなっている。……らしい。ほとんど全て同じ部活の谷川香織さんの受け売りなんだけど。

 文化祭と違うのは各クラスによる催しが無いってこと。部活動、とりわけ文化部の活動披露会といった側面が大きく、演劇部を初め、この創立祭に力を入れている部活は多い。運動部の人達も出店を開いて、部費の足しにするのだと言って息巻いていた。

 私の所属する文芸部も例外ではなく、すでに部室と倉庫を四往復している。白城野学園では部活ごとに小さいながら倉庫があてがわれていて、創立祭や文化祭の時に使う用具を保管してある。用具と言ってもそう重いものはないのだけど、こうも往復しているといい加減足が疲れてきた。文化祭の時にまたこれをやると思うと、今からちょっと気が重い。


 部室に入ると、部員の皆が自らの作業に追われていた。


「倉庫から段ボール全部持ってきましたー」


「宮野さんお疲れ! じゃあ、飾り付けお願いできる? 私は冊子準備してるから」


 私は去年の冊子が入った段ボールを谷川さんに渡し、入り口の飾り付け作業に取りかかる。飾りと言っても、毎年使っている看板にちょっと手を加えるだけなんだけど。

 文芸部の今年の催しは、例年通り冊子販売だ。部員が作った小説や俳句、短歌などを集めて一つの冊子にして販売する。売れ残りは次の文化祭や、翌年にも展示して販売し、じわじわ貯まった売れ残りの冊子は今や段ボール十箱になっていた。


 私も俳句を一句提出した。それと原稿用紙一枚きりだが、リレー小説にも参加した。

 谷川さんにリレー小説を書こうと言われ、しぶしぶ書いたのだ。

 タイトルは『とある姫様の旅路~連れ去られし勇者を求めて』。

 小説を書いたのはあの時以来だったから、自分でもわかるほど完成度が低い。もともと書く気もなかったが、毎日頼みにくる谷川さんにとうとう根負けしてしまったのだ。

 到底満足できる出来ではない。だけど期日が迫っている中、私のせいで文芸部の皆に迷惑をかけるわけにもいかず、無理矢理にも書いた。

 書き上げた原稿を読んだ谷川さんは嬉しそうだったけど、私の気持ちは晴れなかった。

 あの日から筆は折れたままだ。折れた筆で無理矢理書いただけで、それは谷川さんにも他の皆にも失礼だと分かっているけど、私は黙ってその気持ちを飲み込んだ。


 波入部長がぱんぱんと手を叩いた音ではっと顔を上げる。


「ちゅーもーく! 皆、一旦、作業の手を止めて聞いて欲しい」


 波入部長が手招きして、作業をしていた皆も部室の中央に集まった。


「進捗状況はどんな感じ?」


 皆がそれぞれの作業の進み具合を報告すると、波入部長は満足そうに頷く。


「ほうほう……うちの部は他の部と違って優秀だねぃ。そこで一つ提案があるんだけど、今年は何か一つ新しいことやってみない?」


「新しいこと……ですか?」


 部長の提案に谷川さんは首をかしげた。


「ねぇ部長、あと五日しかないのに何言ってるの? あんたバカぁ?」


 副部長の川原先輩は少しキレ気味である。


「うっ……そんな怖い目で睨むなよぉ。だってさ見てよ、この冊子の量。同じ事ばっかやってても、しょうがないじゃん」


 積まれた段ボールの数は、例年の文芸部の人気のなさを言葉無くも表していた。


「……美香も知ってるでしょ。去年の創立祭は漫画部の冊子の方がウチの二倍売れてるんだよ」


 美香というのは川原先輩の下の名だ。波入先輩と川原先輩は中学からの友人らしい。


「だって向こうには超凄腕のアシスタントがついたって噂じゃん。なんでも、青葉高校の人らしいけど。そんなのチートだよ。ウチらには無理だって」


「でも悔しいでしょ? あたしたちが一年の頃は文芸部圧勝だったじゃん」


「圧勝ってか、どっちもあんまりお客さん来なかっただけじゃないの」


「もー! いいから聞いて! 事態を鑑みて、部長として何か新しいイベントをやってみようと思いついたのよね。何かいいアイデアない?」


「ほらみた! やっぱり考えなしの思いつきなんじゃない!」


「まぁまぁそう言わずに、ね?」


「なにが『ね?』だ! バカぁ!」


 気を遣わず会話する先輩達の姿がなんだか羨ましい。二人の姿に在りし日の私とあいつの姿を重ねて、一人ため息をついた。

 中学の……あの頃までは私も悟とあんな風に気を遣わずに話せていたんだろうか。あんな風にお互いにわかり合っていて、口では喧嘩していても顔は笑っていて……。ずっとずっとそんな日が当たり前に続いていくものだと思っていた。その関係を壊したのは他の誰でもない……私なんだ。


「――宮野さん?」


「へ?」


「もう、ぼーっとしてちゃだめだよ。今、皆で新しいイベントのアイデアを出し合っていたんだけど、宮野さんは何かある?」


 谷川さんに話しかけられるまで、すっかり別のことを考えていた。ダメだな、これじゃ。


「文芸部の新しいイベント、ねぇ……」


 真っ先に思い浮かんだのは壇上に立つ悟の姿だった。大勢の観衆の前で好きな本について熱弁する彼の姿は幼馴染みながらカッコよかった。だから、だろうか。口にする気も無かったのに、ぽつりとつぶやいてしまっていた。


「ビブリオバトル、とか……」


 隣の谷川さんがうん? と覗き込む。


「ビブリオバトル? ……そうか、考えてみれば人も集まるし、いいかもね。さすが宮野さん!」


「あ、ちょっと谷川さん! 私は……!」


「せんぱい、せんぱーい! ビブリオバトルはどうでしょうか?」


「ビブリオバトル? なんだそれは?」


「マジで? あんたそんなんで部長とかやってるわけぇ? 皆は知ってるでしょビブリオバトル」


 川原先輩の問いかけに皆コクコクと頷いた。


「え、美香も……ていうか皆知ってるの? もったいぶらずに教えてよ」


「自分で調べなさいよ。スマホあるでしょスマホ」


「……ケチ」


 波入部長はホントにスマホを取り出して検索し始めた。


「ふんふん……なるほど本の書評大会みたいなものか。これなら一般参加者も集まるし、結構大きなイベントにできるかも」


「そうね。あんたの考えた、文豪の福笑い大会よりよっぽどマシだわ」


「よぅし決定! 今年の創立祭は冊子販売+ビブリオバトル開催よ!」


 ビブリオバトル開催を宣言する部長に、私は待ったをかけた。


「あの! ちょっと待ってください!」


「……? どうしたの宮野ちゃん?」


「その……ビブリオバトル、本当にやるんですか?」


 波入部長は私の顔をじっと見ると、やがて不思議そうに言う。


「うん。もしかして嫌だった?」


 はい、そうです。――なんて言えるわけがない。

 私は逃げるように言い訳を探した。


「いえ。でも、その……今から会場の準備とか間に合いますか? 冊子販売の準備もまだ終わってないのに」


「……宮野ちゃんは心配性だねぇ。大丈夫。冊子販売の準備もめどが立ってるし、会場なんて私が強引にねじ込めば良いだけだから。それこそ、部長の仕事だって。宮野ちゃんが心配することじゃない」


 満面の笑みで言う波入部長に私はそれ以上何も言えなかった。

 本音を言えば、ビブリオバトルなんてやりたくない。別に私はビブリオバトルが嫌いなわけじゃない。だけど……あの日、悟と私が袂を分かってしまったのは、きっとビブリオバトルも原因の一つなんだ。あの日のやりとりが脳裏に呼び起こされて、また気分が重くなる。


 ふと視線を感じて隣を見ると、谷川さんが心配そうに私の顔を見つめていた。


「大丈夫?」


「え、うん。大丈夫だよ」


「……ごめんね。もしかして、私、余計なことしちゃった?」


「そんなことないよ」


「そう、良かった。でも、ビブリオバトルか~。私も中学の友達誘ってみよっかな~。宮野さんは?」


「え、私?」


「うん。創立祭に誰か呼ばないの? 土曜日だし、他の学校は休みだから、私は中学の友達誘ってあるんだ。知ってる? うちの創立祭、毎年ソフト部の焼きそばが有名でね、私の友達もそれ目当てに来たいって言ってて。でも本は好きじゃないから、ビブリオバトルは参加しないだろうなぁ……」


 私は谷川さんの話を聞きながら、一つの考えを思いつく。


 私の一言がきっかけでビブリオバトルが始まる流れになっちゃったけど、もしかしたらこれはチャンスでもあるんじゃないだろうか?


 ビブリオバトルのせいで私は悟を深く傷つけてしまった。それは些細なすれ違いが生んだ不幸だったのかも知れない。私たちの関係はビブリオバトルによってこじれてしまった。

 だけど、ビブリオバトルが彼と昔のように笑い合えるきっかけになるかもしれない。そんなこと今まで考えもしなかったけど、谷川さんの何気ない話から私の気持ちは固まった。


 バスで出会ったときの張り付いたような悟の笑顔を思い出す。


 彼のあんな作ったような笑顔を見るのはもうたくさんだった。彼の方がずっと傷ついているはずのに、それでもそれをおくびにも出さないで、気丈に振る舞って私に気を遣って、痛々しくなるような笑顔を一時も崩さないで……悟にそんな顔をしていて欲しくない。

 そして何より……私ももう一度だけでいいから悟のビブリオバトルを見たいんだ。

 全国中学ビブリオバトルコンテストの時の……あの時の感動を、興奮をもう一度だけでいいから味わいたい。

 だから……私も……。


「谷川さん、私、決めた。私も中学の友達、ううん……親友を誘ってみるよ」


 以前、冗談半分に創立祭に誘ったとき、彼は愛想笑いをしていた。

 本気で誘ったら――悟、創立祭に来てくれるかな。



   ◇ ◇ ◇



 ちっ……ぎりぎり間に合わなかったか。改札を出たところで電車は走って行ってしまった。

 次の電車が来るまであと三十分はある。

 俺は駅の椅子に腰掛けると、ぼんやりと空を見上げた。ちぎれ雲が広がる夕焼け空に一番星がきらりと輝いていた。


 あーあ、バカやっちまったな……と胸の内で独り言をつぶやく。

 雨宮の野郎に全てを暴露され、俺は持っていた手札を全て捨てるハメになった。

 部室であいつらに息巻いたものの、何も打開案が浮かばない。自分の脳みそが恨めしく感じた。こういう時にスマートに解決案が生み出せる天才が羨ましい。


 そんな時、駅の改札を通る人の中に見知ったクソメガネの姿を見つけた。

 あいつ、電車通学だったっけ? 確か自転車だったはずだけど……

 俺の姿を見つけると、白石は長い黒髪を揺らしながら駆け寄ってきた。


「あれゲスノッポ、何してんの?」


「電車逃して、ヒマしてた」


「暇なら何か案を考えなさいよ、廃部なんて私はゴメンだから」


「そうは言ってもなぁ……お前、なんか無いのかよクソメガネ」


「我ながら一つも思い浮かばないわ。あんたは?」


「……俺も」


「ホント、口が悪いだけで使えない男ね、あんた」


 悪態をつきながら、瓶の底みたいに分厚いメガネをかけた女は俺の隣の椅子に座った。

 お互い何も言わずにぼんやり目の前を見つめていた。

 やがて、ぽつりと白石が口を開いた。


「ねぇ」


「……なんだよ」


「どうして黙っていたの?」


 白石はぱっちり開いた両目でじっと俺を見ていた。俺は彼女の刺すような視線に釘付けにされていた。


「それは、その……」


 口がどもってしまって、うまく言葉が出てこない。白石は瞬きもせず、俺の言葉を待っていた。


「……心配かけたくなかったんだ」


 はぁ~……と周りにも聞こえるような大きな溜め息をつくと、白石は人差し指をびしりと俺の額に当てた。全く痛くないデコピンは、しかし、俺の精神に多大なダメージを与えた。


「そんなことだろうと思ったわよ!」


「……迷惑かけるつもりはなかった。俺一人でなんとか収められる……そう思ってたのに、あの野郎……」


「結果、なんとかなってないでしょ」


「っ……じゃあ話せば何か変わったかよ!?」


 つい声が大きくなった。


「お前らに廃部になりそうだって、全部暴露して……それでどうなる? お前は焦ってパニクるだろうし、入ったばかりのあいつらが辞めたりしたら、それこそもう打つ手がなくなる! だから俺は……」


「大丈夫だよ」


 にこり、と微笑して白石は言った。


「麻衣ちゃんも、和也くんも……高野くんだって、文芸部を辞めたりしないよ」


「なんでお前にんなこと言い切れるんだよ」


 白石はわずかに考える素振りを見せた後、またにへらっと笑って、冗談交じりに言った。

 

「女の勘ってやつ?」


「ふざけやがって。お前と話してるだけ、時間の無駄だったぜ」


 ――間もなく一番線に上り列車が来ます。危ないので黄色い線までお下がりください――


 列車が近いことを知らせるアナウンスを聞いて、俺が立ち上がったとき、白石がぽつりと言った。目線は明後日の方向を向いているのに、彼女の言葉がまっすぐに俺に向かってくるように感じた。


「鶴松くんさ……戻った方が良いんじゃない? 一年生は入ったばっかりで知らないけど、二年生は皆知ってる。ホントは鶴松くん、副会長になるはずだったのに……」


 胸のあたりがぎゅっと苦しくなった。よりによって今そんなことしてる余裕はない。文芸部の廃部の期日はもう目前に迫っているのだから。


「過ぎた話だ。今更んなことはどうでもいい。それより目の前の事態を心配しろ。余計なことに頭回してる暇あったら、廃部の回避策の一つでも考えやがれ、クソメガネ。じゃあな」


「あっ、鶴松くん!」


 俺はそれだけ言って電車に飛び乗った。プシューという音と共に、電車のドアが閉まる。

 閉まったドアの向こう側で白石は、哀れむような目で俺を見ていた。

 彼女の目を見ているのが無性に辛くなってきて、俺は電車の奥の方へと移動する。


 白石が言うように俺が戻れば、雨宮のやつも納得して文芸部の廃部を取り下げるのだろうか……? 想像するも、雨宮のほくそ笑む顔が脳裏に浮かんで、首を振ってイメージを霧散させる。

 それじゃ意味が無い。最後まで雨宮の手の平で遊ばれるなんて、俺はゴメンだ。

 それに……俺が辞めるのは白石に勝ってからだ。

 まだ一度も勝ってないのに、辞めるわけには行かない。

 これは俺が決めた、俺自身の問題なんだ。


 白石のやつは結局、電車に乗らなかった。あいつ、電車通学でもない癖して、何しに駅に来たんだ。あんな戯れ言を俺に言うためにわざわざ来たのか。ため息が出る。あいつはいつもそうだ。人の気も知らないでお節介ばかり……だから、クソメガネなんだ。俺なんかの心配してる暇あったら、自分の部活の心配をしろってんだ。部長のくせに。


 電車がガタゴトと動き出して、窓ガラス越しに白石が何事かつぶやいているのが見えた。


 『バーカ』……って言ってるように見えた。


 はっ……と、体のどこからか自然と乾いた笑みが漏れる。


 考えろ。思考を止めるな。頭を動かせ。糸口はどこかに必ずあるはずだ。



 生徒会なんかにあいつの部活を潰させてたまるか。俺があいつにしてやれることなんて、それくらいしかないんだから。

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