第33話 高揚と静寂
「んじゃ発表しますね。今回のビブリオバトル、チャンプ本は――」
皆が進行役の僕を真剣な表情で見つめていた。
僕もこんな目で進行役の人を見つめていたんだろうか。自分で進行役をやって初めて分かる景色を目の当たりにして、僕はもう一度息を整える。
「チャンプ本は――鳴瀬さんが紹介した『How to use Magic』に決まりました!」
その瞬間、鳴瀬さんが立ち上がって握りこぶしを天へ突き出した。
「やったぁああ~!」
自分の紹介本によほど自信があったんだろう、久方と白石先輩は残念そうに机にうなだれていた。鶴松先輩はいつもと変わらぬポーカーフェイスで二人のようにあからさまに落ち込んだりはしていなかったけど、何も言わずに部室の隅を見つめているあたり、やっぱりちょっと悔しそうだった。
進行役として票を集計した僕は、皆の本にどれだけ票が集まったかを知っているけど、それを伝えるのはビブリオバトルの本義じゃないし、野暮だろう。
前回みたいに票数を教えて欲しいと声を上げる人もいない。それはきっと、チャンプの鳴瀬さんだけでなく、白石先輩も鶴松先輩も久方も、発表した全員が今回の結果に納得しているから。自分の紹介した本が選ばれなくて悔しい気持ちはもちろんあるだろうけど、それ以上に、『How to use Magic』がチャンプ本に選ばれて嬉しいって思っているからなんだろうな。だから、皆、すっきりした晴れやかな表情をして、チャンプ本を勝ち取った鳴瀬さんを讃えているんだ。
当の鳴瀬さんも、チャンプ本を勝ち取れたことがよほど嬉しいらしい。ゼロ票だった時のことが、やはりよっぽど悔しかったんだろう。この場にいる誰よりも嬉しそうなあの表情は、その時の反動でもあるんだろう。
「麻衣ちゃんの本、すっっっご~く面白そうだったもん! 結果を聞くまでは、私にも可能性あるんじゃないかって思ってたけど……今回は私も素直に負けを認めるわ。おめでとう」
「そんな! ウチだって、なぎさ先輩の発表聞いて、メロス読みたくなりました!」
悔しい気持ちはあれど、勝者を褒め称える白石先輩がちょっとだけ大人びて見えた。
チャンプ本を手に取ってページをパラパラ眺め、久方は感慨深げにつぶやく。
「……今回は委員長のオカルト好きが功を奏したんだな。同じ本を俺が紹介しても、きっとチャンプ本には選ばれなかっただろうぜ。悔しいが、今回は俺の負けだ。……だが次は負けん!」
「ははは、その意気だよ。久方くんも、オカルトに興味出てきたでしょ? 今度十冊くらい貸してあげよっか?」
「う……それは遠慮しとく…………」
そっぽを向いていた鶴松先輩は、机に置かれた自分の紹介本を見つめ、指遊びをしながら胸の内を整理している様子だ。やがて指遊びをやめると、先輩がおずおずと話し出す。
「……おめでとう鳴瀬。だが、俺はこいつらみたいに素直に喜べねぇな。……あ、勘違いすんなよ。お前の本がチャンプ本に相応しくないとか、そういう話じゃないから。お前らも発表聞いてたんだから分かると思うけど、今日の俺、自分の発表に集中出来なくてさ……鳴瀬の発表聞いてると余計に、自分が情けなく思えてきて、悔しい」
「鶴松先輩……」
鶴松先輩は今回の自分の発表を悔やんでいた。雨宮先輩のことを変に意識しすぎて、集中できていなかったことは僕だけじゃなく、発表を聞いていた皆も分かっていたと思う。だって前回チャンプ本に選ばれた時の鶴松先輩とは全然様子が違っていたから。
「…………でも僕は結構好きでしたけどね。『アナログ世代の挑戦』」
僕が言うと、続けて久方がうんうんと首肯しながら口を開く。
「先輩の本は俺としても興味深い内容だったっすね。俺、アニメもゲーム無い生活なんて考えられないんで」
そうだね……隙あらばスマホでソシャゲしてるもんね……。
白石先輩は落ち込む鶴松先輩を前に、言うべきか言わないべきか葛藤したあげく、照れ隠しにあさっての方を向いて、ぽつりとつぶやいた。
「私のメロスの方が面白いのは大前提として……アンタの本もまぁまぁ面白そうだったし…………その……元気出しなさいよね」
白石先輩のそんな言葉を聞いて、鶴松先輩ははっとして顔を上げる。数秒きょとんとしていたが、先輩の顔にはすぐに小憎たらしい笑みが浮かんだ。
「へっ……クソメガネに言われるまでもねぇ。てめぇに心配される筋合いはねぇな」
「あ、アンタねぇ! 人が心配してるのに……」
「俺はそんなこと一言も頼んだ覚えはねぇ」
「く~っ! こんな奴だってわかってたのに、元気づけるんじゃ無かったわ! バカ!」
「はっ。語彙が幼稚なんだよお前は!」
「先輩、その辺にしといた方がいいんじゃ」
久方がおっかなびっくり仲裁しようするも、余計に火に油を注ぐ結果となった。
「む~っ! 和也くんもこいつに何か言ってやって!」
「なんだ久方。お前もこの女の味方か?」
「ちょっと俺を巻き込むのはやめてくださいよ!」
哀れ久方……。この二人の口論に関わってはいけないのだ。
ふふ……でも先輩、元気出たみたいだな。白石先輩と猛烈な口げんかを繰り広げる鶴松先輩に戻って良かった。…………良かったんだよな?
……と、先輩たちの口喧嘩から外れ、僕を物憂げに見つめる鳴瀬さんの視線に気づく。
「……鳴瀬さん? 僕の顔に何かついてる?」
鳴瀬さんはほんの少しだけ頬を染めてつぶやいた。
「……高野くんは、ウチの発表どうだった?」
発表の感想……でも、それだけじゃない。僕を見る鳴瀬さんの瞳には言外の意味も籠っている。
僕がビブリオバトルで発表しなかったのは、好きな本が発表できないから。でも、本当はそれだけじゃない。胸の内を見透かしているかのような鳴瀬さんの瞳にどきりと、心拍が高鳴る。
「鳴瀬さんの発表、僕も良かったと思う。内容を紹介する時に朗読していたけど、読むのすっごく上手だったし。あれは僕には真似できないよ」
「ありがとう。でもやっぱり、ウチは高野くんも一緒に……」
鳴瀬さんの言葉が途中で途切れる。
やがて恥じらうように一言、「……ううん、なんでもない」と小さくつぶやいた。僕もそれ以上何も言わず、そっと視線を外した。
――本気の高野くんとビブリオバトルがしたい。そう言われた気がした。
「さて。余興も終わったようだし、僕はこれで帰るとするよ」
慇懃に立ち上がった雨宮先輩を白石先輩が呼び止めた。
「待って雨宮くん! その……今日はどうだったかしら、ビブリオバトル」
雨宮先輩は少し考え込んでから、フッと柔和に微笑む。
「まぁまぁ楽しませてもらったよ。こういうものがあるんだって、勉強にはなった」
「そう……。でも楽しんでもらえて良かったわ。良ければ、また遊びに来てよ」
すると突然、雨宮先輩の目がスッと細くなった。触ると切れてしまいそうな……そんな鋭利なナイフのような鋭い目で白石先輩を睨む。その変容に白石先輩は顔を引きつらせてすっかり萎縮してしまっていた。
雨宮先輩は額に手を当て、白石先輩に向けていた鋭利な目で僕を含めた文芸部の面々に向けて、自嘲するように小さく笑う。
「……白石さん。残念だけど、それはない。ビブリオバトルに招待してもらったことには感謝するよ。だけど、結果は何も変わらない。どのみち、文芸部は近いうちに廃部になる。僕も生徒会の活動で忙しいし、廃部になる部活に顔を出している暇はないんだ」
「えっ……!? ちょっと待って雨宮くん! 廃部ってどういうこと!?」
雨宮先輩の口から告げられた『廃部』の二文字に、僕らは喉首をわしづかみされたような面持ちだった。鶴松先輩は憎々しげに歯噛みして雨宮先輩の背中に吠えた。
「てめぇ! まだ廃部って決まったわけじゃねぇだろ! 適当なこと言ってんじゃねぇよ!」
鶴松先輩に言われて、雨宮先輩は一瞬だけこちらを振り返って笑った。
張り付いたような笑みは一瞬で消え失せ、まるで人形のような、残酷なまでに無表情の雨宮先輩の口から冷徹な事実が告げられる。
「これは生徒会の決定だ。君たちが何をしたところで覆ることはない。……それじゃ。廃部までの間、せいぜい残りの部活動を楽しむことだね」
「おい待てよ雨宮! 雨宮ッ!」
鶴松先輩の声を無視し、雨宮先輩は部室を出て行った。
先輩がドアを閉めた時のピシャ! という音がいやに大きく部室に響いた。
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